彼女はただの眼鏡好き
「好きです」
この世界には、誰かに言われて嬉しい言葉がある。
頑張った後に言われるお疲れ様。人助けをした時に言われるありがとう。貴方って素敵!……は言われたことないけど、そんな数ある言葉の中でトップ争いを繰り広げるであろう言葉の一つを今、言われた。異性、しかも、自分が密かに想いを寄せる相手ーー橋山 瞳に。
爆発する嬉しさと、まさかという動揺と、情けない話、初めてを対処出来ない焦りでオーバーヒート寸前だ。口が勝手にパクパクする。酸素が足りない。
「どうなんですか……」
恥ずかしいというように、顔を伏せそれでもこちらを伺う少女、その顔色は文字どおり赤面だ。
「いや、えっと……」
やっとこさ絞り出した言葉でOKを先延ばしにする。
ふぅーーっと一息吐いた。僕も好きだよ。その言葉を出すのに、まだ勇気と気持ちを落ち着かせる時間が足りない。
それにしても、言われた言葉でこんな嬉しい経験をしたことがあったか。近所のおばちゃんに言われた、TVに出てた誰かに似てるねを遥かに凌駕している。今思えば誰かって誰だ……
過去の衝撃が今の嬉しさに上書きされていくのを確認し、ゆっくりと、想いを言葉に表す。
「僕も君のことが好きです」
僕自身良いとこないし、小学六年で女性との交際なんて諦めたのに、高校生活二年目にしてようやく彼女を手に入れることが出来るのか!!
湧き上がる興奮とガッツポーズしそうになる腕を必死にこらえる。
あぁ……長い道のりだった……
「えっ?」
この場に相応しくない気の抜けた声が聞こえる。もちろん僕ではない。告白してきた少女からだ。少女は、この人は何を言ってるの?っといった様子でこちらを見返してくる。はてなマークが目に浮かぶようだ。
僕は何かやらかしてしまったのか、ここまでの一連に変な所があったのか? それともあれか、もう一回好きって言わせるための策略か?
し、仕方ない……彼女のためなら……
「だから、その……僕も、君が……好きです……」
恥ずかしさをこらえて思いを伝える。顔から火が出そうだ。出来ることなら無かった事にしたい。
「えっ、あー……」
何かに気が付いたのか、少女の反応から気持ちが一気に冷めていくのがわかる。
おかしなところは無かったはずなのに、好きって言っただけで少女との交際は終わりを迎えるのか。いや、まだ始まりもしていないか。
「えっと、ごめんなさい」
バッと頭をさげる少女、そんなに勢いよく断らなくても……
告白してきた相手に好きって言ったら振られた。ナンダコレハ……理不尽すぎるだろ……
「大切なことが抜けてました!」
が、どうやら断る方のごめんなさいではなく、謝罪の方のごめんなさいらしい。とりあえず一安心だ。
「あのですね、私が好きなのはあなたじゃなくて」
この世界には、言われて嬉しい言葉があると言ったがーー忘れないでほしい。
「あなたの掛けてる眼鏡です」
事によっては、そんな言葉でも傷つく人は居ると。
「おはようございます!」
絶望的な感覚を味わってから翌日のことだ。僕の気分をどん底に落とした彼女が、ご苦労なことに、僕の家まで迎えに来ている。元気に、晴れ晴れとした笑顔で。
「ん、おはよう」
そっけない挨拶をしてしまうのは許してほしい。好きな異性に振られた……ましてや、興味がないと思われていたのだ。思い出す……いや、実際のところ、会うことだって御免だ。それも朝から。嫌な気分で一日が始まってしまう。
それに……昨日のことを気にもとめてないみたいで、何だか悲しい。少しはこちらの気持ちも考えて頂きたい。
そもそも、本来は好きな相手に好きと言われたのだ、両思い、二人とも幸せな気持ちで交際はスタートするはず、いや、しなければならないはずだ。なのにどうだ、僕たちは違う。OKを出した本人が理不尽な結末を迎えて泣きを見るとかひどい話ではないか。
「じゃあ行きましょう!」
不満を態度で全開に出していたのに、彼女が眼鏡に語りかける。晴れ晴れとした笑顔で、晴れ晴れとした笑顔で。晴れ晴れとした笑顔で……
ふと、彼女と目が合った。
そこで気がつく。彼女の目に僕は映っていない。その瞳の中に映るのは僕の掛けた眼鏡だけだった。だから、僕のことを気にもとめず、そんな綺麗な笑顔を魅せるのか……
告白された時、心のどこかに薄々とそうなのではないかと思いを抱いていたが、目の当たりにすると……もう諦めるしかない。受け入れるしかない、今更「やっぱりごめん」なんて言えるわけもないじゃないか……
僕は彼女の魅せるこの笑顔が好きなのに……
僕のことを好きじゃなくても、一緒に居られるなら、この笑顔が近くで見れるなら良いかなと、変な甘えでOKを出してしまったことがいけなかった……こんな気持ちになるなら、OKなんてしないほうが良かったかな……
降り積もる不満と失望、後悔と嫉妬が、僕の気持ちをずるずると沈めていく。
天気は晴天。視界は良好なのに、僕は霞んで見えることだろう。
登校中、彼女はずっと僕の眼鏡を眺めてきた。なんの話をするわけもなく、ただ黙って楽しそうに。当然僕も居づらいので、視線を合わせること無く、ただ前を向いて歩く。特別な会話やどこにでもあるような日常会話は持ちかけない。恋人でも、ましてや友達でもない僕たちに笑い合って話せるような共通の話題や、それに伴うコミュニケーション能力は無い。互いを知らなすぎるしーー話しかけたところで無駄であろう、彼女の相手は眼鏡なんだから。
そこを理解しているから、僕に打つ手はないのだ。わかっているから余計に辛い。好きな子は手の届くところに居る、話しかけたら返事が絶対に返ってくる距離にいるのに、僕には黙る、視線を合わせないの二択しか方法がないのだ。
ため息も出ない。ただ、この苦痛の時間が終わるのをひたすらに祈って歩みを続けるのである。
学校に着いた。履物を変えて廊下を歩き、教室に入って自分の席に座り、一息つく。ごく当たり前の動作なのにどうしてこうも落ち着かないのか。理由は目の前の席に座ってこちらを見てくる彼女にあるだろう。彼女は休むこと無く、僕が動くたびに眼鏡に視線を合わせてきた。そして今度は嫌でも彼女の顔が視界に入る状況になった訳だ。どうやら僕に登校で消費したエネルギーを回復させる暇を与えないらしい。それどころか、更に奪うつもりだろう。真正面から眼鏡を眺めているからだろうか、先ほどの笑顔とは違い、うっとりと何かに見入るところがエネルギー消費に拍車をかける。それだけではない。クラス中から「なにあれ」みたいな感じでチラチラと視線を集めるのも辛い。もうやめて欲しい……
「ねぇ」
ここで初めて僕は口を開くことにする。これ以上こんな状況が続くなど、たまったものではない。状況打破への試みだ。
「どうかしましたか?」
意外にも返事はちゃんと返ってきた。コミュニケーションはとれるんじゃないか。付き合い始めたら僕は一切無視という事は無いらしい。何かいけない事でもしましたか?みたいな反応がキツイが……
「自分の席に戻らないの?」
会話ができるとわかったので話を続ける。あくまでも優しく、諭すように促す。心は「はやく戻ってくれ!」と言っているが、それは見せない、見せたらきっと、周囲から僕が嫌な奴に思われ終わりだろう。損する事はできれば避けたい。
「朝のHRが始まるまでは自由じゃないですか」
先生が来るまでは好きにさせてください。と彼女に言われてしまった。ごもっともだ。正論すぎて言い返す言葉がない。そ、そうだねーっと半笑いで視線を逸らす。そんな僕をやはり彼女は気に留めず、眼鏡を眺め続けている。
いつもならゆったりとした朝の時間を迎え、読書をして先生が来るのを待つが、何故かそれは許される空気ではない。読書をしていれば数分という時間はあっという間なのに、苦痛を味わう体感時間は何故こんなにも長いのか。
頼む、先生よ。早く来てくれ。こんなにも先生を待ち続けたことがあったか。こんなにも先生に祈り続けた事があったか。
思いが届いたのか、時間になっただけか。席に着けー、教室に響き渡ったその言葉。先生が来た。それだけで、こんなにも幸せな気分を味わえるのは多分、僕だけだろう。
午前の授業が全て終わった後ささやかな安らぎの時、お昼休み。やはりここでも彼女の呪縛から解き放たれることはない。終了を知らせるチャイムが鳴ってから彼女は即座に僕の所へやって来た。これが僕目当てなら嬉しいのだが、彼女の目的が分かっているがために残念である。
周囲ももうそれを察しているらしく、特別な視線を向けてこない。寧ろこの短時間の間に同情の視線が飛んでくるまでになった。
授業終わりの十分間ですら、彼女は欠かさずやって来たからな……最初はニヤニヤとしていた周囲も三時間目前の十分休みではもうお察し、頑張ってくれという状態だ。恐ろしいほどの執着心、執念とでも言うべきか。事によっては褒めるに値するが……
「なんでこうなったかなぁ……」
ため息と、彼女の前で本音が出てしまった。勿論、彼女は気にした様子もなく眼鏡を眺めてくる。この喧騒の中だ、周囲にも聞かれることはないだろう。本音を聞かれることはあまり好まないのでお昼休みという開放的な時間に感謝する。
さて、と鞄から今日の弁当を取り出す。その間にも彼女の視線が付いてくるのが怖いが……もう気にしたら負けだ。黙々と開き、箸を手に取る。いただきます。その言葉の前に手が止まる。
「橋山さんはご飯食べないの?」
コミュニケーションが取れるのはもう知っているので疑問を投げかける。いつも一人なので、なにも気にせず食べるのだが、今回はそうはいかない。仮に僕と一緒にご飯を食べに来たわけではないと分かってていても、それを無視して一人で食べるのは気分が良くない。眺められながら食べるというのもなんか嫌だ。目的が違えど、二人はご飯を食べている。その形があれば僕は安心できるのだ。だからこそ、この質問である。一緒にご飯を食べよう、そんな誘いをするつもりは毛頭ない。とりあえず、ご飯を食べて下さい。そんなお願いのようなものだ。
「あー、私ですか? 私のことは気にしないでください……」
ここで彼女の視線が眼鏡から外れ、僕の弁当に移る。一口食べるなら今がチャンスか。
「どうかしたの?」
いただきますを言っていないので勿論食べない。変なところで真面目が取り柄なのが僕だ。
それはさておいて、この状況はまずい。彼女はご飯を食べずに僕の眼鏡を眺める気だ。僕は見られていなくても、気分的に嫌だ。なんとかしなければ……
「ちゃんと食べなきゃ、お腹空くよ?」
黙りを決め込む彼女に優しく一言。頼むから食べてください。そんな意味合いが入っているとは僕にしかわからないだろう。ほら、ね?っと優しく、あくまでも優しく話しかける。お腹が空いたんです。僕にご飯を食べさせて下さい。
「……れたんです」
そんな僕に観念したのか、彼女が口を開く。しかし、聞き取るには難しい声量だ。れたんです?微妙に聞き取れたその言葉だけで理解するのは不可能だ。聞き返し、彼女の声に耳をすませる。しばらくして、諦めたように彼女は言った。
「お弁当、忘れたんです……だから、気にしないで下さい」
なんとまぁ……
「気にするよ……」
「えっ?」
また本音が溢れてしまった。今度は彼女に聞こえてしまったらしく、驚かれてしまった。何をそんなに驚く事があるのかはわからないが、まぁ良い。これなら簡単に二人はご飯を食べているという形が出来そうだ。バックの中のポケットからいざという時に貯蔵してきた割り箸を取り出し彼女に差し出す。本来、ここでお金を出して好きなものを買って来なさいと言えば、周囲からカッコ良いと思われるかもしれないし、彼女から解放され、その隙にご飯を食べれるという素敵な状況を作れるのだが、生憎、持ち合わせがなく、割り箸しか出せないのだ。惜しいことをしたかもしれない。
「この割り箸は……?」
おずおずといったように割り箸を受け取り、それを眺める彼女。これを食べろと思われたのか。渡しただけじゃさすがにわからないようだ。
「これ、僕のお弁当。食べて良いから」
すっ、と彼女前に弁当を寄せる。自分の分が減ってしまうが、一時的に彼女の視線から解放されるなら安いものだ。しかし、思惑通りに行かないのが世の中だ。彼女は割り箸を僕に返してくる。
「気にしないで下さいと言ったはずです」
彼女から一言。多分、本気で言っているのだろう。何の真似ですかと言わんばかりに冷たい視線が僕を捉える。こんな時ばかり、僕を映さなくても……
本当に彼女には心を沈ませられる。でもやるしかない。眺められながらご飯を食べるのはごめんだから。強引に箸を押し付け食べるように促す。面倒に思われたのか、それ以上の抵抗はなく、
「いただきます」
少し不満そうに弁当に手をつける彼女。形はどうあれこれで良い。
「好きなだけ食べて良いからね」
あんまり量ないけど、と言いかけたところで自分が失態を犯したことに気がつく。ありとあらゆる行動の時にこちらの眼鏡を見てくる彼女だ。たとえ食事中だとしても好きあらばこちらを見てくるのではないか?……変なところで考えが甘い、これでは、食べる分も減り、眺められてしまう。一方的に損するだけではないか。と思っていたが、彼女は箸を休めることなく進める、おかず、白米、おかず、白米とリズム良く進め、こちらに視線を送ることもない。予想を裏切られこればかりには少し驚きを隠せないが、まぁ良い、平和にご飯が食べられるのならそれが一番だ。
「いただきます」
手を合わせ、僕も弁当に手をつける。僕が手をつけていない白米は、もう半分もない。よほどお腹が空いていたのだろう。微笑ましく思いながら自分も箸を進める。それをよそに、彼女の箸が素早くおかずを持っていく、容赦がないな……僕も負けじと箸を進め、おかずをとる。お弁当の中でちょっとした争奪戦が起こり始めた。大人気ないと自分でも思うが、こればかりは仕方ない。余計なエネルギーを使いすぎてお腹が空いているのだ、ましてや僕のお弁当だ、良いじゃないか。ひたすら箸を進めた結果、争奪戦はすぐさま終わりを迎える。最後の卵焼きは、彼女に持って行かれてしまった。自信作が……
それはさておき
「ごちそうさまでした」
咀嚼を続ける彼女に恨めしい視線を投げかけ、手を合わせる。ほとんど彼女に食べられてしまったので、正直まだ食べ足りない。購買に何か買いに行こうかとも考えたが、彼女が間違いなく付いてくるのでやめた。学校内で、彼女に眼鏡を見られながら出歩くのは得策ではない。授業もあと二つだし、帰りにコンビニでも寄って何か買おうか。学校外じゃ、誰かに見られて困るような状況も無いしな。
と、ここで彼女と目が合った。ご飯を食べ終えたから鑑賞タイムにでも入るのだろうか。と思ったが
「ふ、不覚にも……美味しかったです」
咀嚼している口元を隠しながら、
「ごちそう……さまでした……」
視線をそらし、何かを言った。
最初の方は聞こえなかったが、どうやら、ごちそうさまでした。ということらしい。満足してもらえたようなら何よりだが……
「次は忘れないでよ」
僕の分が減っちゃうからね、と心の中で付け足すことを忘れない。ふと時計を見ると、お昼休みが始まってからまだそんなに経っていない。
……ここでまた失態に気がつく。ご飯が早く終わったと言うことは、残りの時間は自由にできるということだ。つまり、また朝のような地獄が始まるのだ。しかも、朝よりもその時間は長い。浅はかだった、変な意地を張っておかずを早く食べなきゃ良かった……あと先考えない結果が自分をより苦しめることになってしまった。
咀嚼を終えゴクリと喉を鳴らす彼女。時計を見たあと、ニヤリと笑い……後は、予想通り鑑賞タイムに突入である。 こんなにも苦痛な昼休みを過ごしたのは始めてと、僕は一生忘れることはないだろう。
キーンコーンカーンコーンと、最後の授業の終わりを知らせる鐘がなった。早く帰るために、先生が来るまでに帰り支度を始める。当然、その間にも彼女がやって来たことは言うまでもない。
起立、礼、さようなら。いつの時代でも変わらない挨拶の後、僕は一目散に教室を出て下駄箱に向かう。律儀に、今から帰り支度を始める彼女には目もくれない。一人で帰れればそれで良い。生徒の間をするすると抜け下駄箱に着く。後ろを振り向くと彼女の姿は確認できない。
「はぁ……」
ため息を吐きながら靴を履き変える。ゆっくり、何かを待つように。今日は彼女に振り回されてばかりだ。彼女は眼鏡に会いに来てるが、それに振り回されるのは僕なんだ。流石に疲れた。だが、今、胸元に妙なざわつきがある。それを抱えながら玄関を出ようとした時。
「ちょっ、ちょっと待って下さい〜」
遠くから、聞きなれた声が聞こえた。もう良いだろう、今日の僕は頑張ったじゃないか。無視して出ようとするが心の何処かにある善良がそれを許さない。立ち止まり、振り返る。……こんな自分が僕は嫌いだ。
後ろには慌てて靴を履き替える彼女が居る。もっと早く履き替えていれば一人で帰れたかもしれないのに。その可能性を僕は自分で潰していたのかもしれない。
「早すぎですよ……」
パタパタと近づいてきて呼吸を整える彼女。
「一緒に帰りましょう」
ふぅと一息吐いてのこの一言、本来なら相当嬉しい発言なのに、含まれてる意味合いのせいでため息しか出ない。彼女の瞳に眼鏡が映る。
良いよ、と、一言も言わないで歩き始めても彼女は付いてくるだろう。
だが、
「良いよ、帰ろう」
一応返事をしておく。無視は後味が悪い。それに、きっと無視したら彼女は「駄目ですか?」と聞いてくるはずだ。所有者に確認を取るみたいな感覚なのか、告白の時もそうだった。それが何となくわかってきたから、所有者として彼女に返事をするのだ。僕が歩き始めると彼女と嬉しそうに付いてきた。そして、僕の横を何事もなく歩き、僕の眼鏡を見てくる。そこには、やはりあの笑顔だ。まだ学校内だが一緒に帰ると言ってしまったのだから仕方ない。校門を抜けるまでも一緒だ。この状況を見たら他の人は間違いなく仲睦まじく帰っていると思うだろう。それ程に彼女は良い笑顔なのだ。少しでも早く校門を抜けたいので早く歩きたい。しかし、そうはいかないで、彼女に合わせながら、それでいて普段より少しだけ早く歩き校門を抜ける。ここで、先ほど玄関で抱いていたざわつきが消えている。薄々、自分でも気がついていた。僕は彼女が好きなのだ。だから、一緒に居られて嬉しい。居ないと寂しい。そんな感覚はまだあったのだ。だから、可能性を潰すような事もしてしまったし、わざわざ立ち止まって振り返ったりもした。彼女と居たいそんな気持ちが捻じ曲がり、善良ぶった行動をとる。そんな自分が嫌いだ。何をしようにも変なところで素直になれない。
「そうだ、後でコンビニ寄って良い?全然食べられなかったからお腹空いちゃって」
気分を変える為にどうでも良い日常会話を投げかける。返事が返ってくるとわかったのだ、これくらいは良いだろう。
「良いですよ」
にこにこと笑う少女からは素っ気ない返事が返ってくる。眼鏡を見てるから邪魔をするな。そんな意味合いが含まれていたら嫌だなと思いつつ。コンビニに向かう。
「そういえば」
今度は少女から話しかけてきた。多分眼鏡にだろうと思い片耳を立てるだけで深くは聞かない。
「まだ言っていませんでした。お弁当、ありがとうございました」
意外にも話しかけた相手は僕らしい。話しかけられていると意識していなかったからすぐに言葉を返せない。
「良ければ……その……」
「気にしなくて良いけど……足りた?」
何かを言おうとした彼女を遮り、詰まっていた言葉が出た。タイミングが悪いと自分を恨む。
なんて言おうとしたの? なんて聞くのも馬鹿らしいし、やめてしまった。彼女からふるふると首を横に振る返事が返ってくる。足りなかった、ということらしい。
微笑みながら、そっか。と呟いて会話は終わった。鑑賞を続ける彼女の邪魔をして気分を損ねたくないし、何より相手にされていないのだから、これ以上続ける必要も無いだろう。話せただけで、気分転換にはなった、それで充分じゃないか。これ以上、望んではいけない。自分が傷つくだけだ。わかっているから踏み出さない。おとなしく眼鏡を眺められるだけ。もう、それで良いのかもしれない。
気が付かないうちに着いたコンビニ。店内でも、眼鏡を見てくる彼女を他所に僕は菓子パンを買って会計を済ませる。彼女もいつの間にか菓子パンを手に取っていた。先に会計を済ませたので外に出て、彼女が出てくるのを待つ。しばらくして、彼女も会計を済ませ店を出てきた
。そうして、二人でコンビニの袋を提げながら帰り道を歩き始める。帰りがけの公園で食べて帰るという手もあったが、敢えてそれは提案しない。疲れているし、家で一人、ゆっくりと休みたいという気持ちもあったからだ。やはり、会話もなくひたすら歩くだけの帰り道、家までの距離はそう遠くない。だからこの時間もすぐに終わりを迎えた。家に着き、玄関の鍵を取り出す。本来なら彼女を家に送らなければいけない。だけど、今の僕にそんな元気はない。
「じゃあ、気をつけて帰ってね」
彼女に顔を向け、少しだけ目を合わせる。瞳の中はやはり眼鏡だけだ。それも気にせず、彼女に手を振る。
「はい……また明日」
少し名残惜しそうにしながらも、彼女は手を振って帰路につく。せいぜい、彼女の背中がなくなるまで見送ろう。そう決めて玄関の前で立っていた。彼女が振り向き、僕が居るとわかったからか、パタパタと走ってきて一言言った。
「道上君も、また明日、です」
顔を赤らめ、引き返して来た道を走りながら戻る彼女。
一瞬、何が起こったかわからなかったが、理解するのにそう時間はかからない。気がつけば、身体中が熱い。上がる口角も抑えられない。
名前を呼ばれた、それだけではない。
走り去る彼女の瞳の中には、眼鏡ではなく、しっかりと僕が映っていたのだから。
橋山 瞳、髪の毛はセミロング、身長は高校二年の平均より低めだと思う。顔は可愛い方、スタイルは普通より少し上ぐらい。学力は順位的には真ん中で。赤縁の細い眼鏡と、小さく輝く黄色いヘアピンが特徴。
今日一日でわかったことは、興味の無い僕には素っ気なく、好きなものには異常なまでの執着心を見せること。
そして何より、彼女はただの眼鏡好きだ。
僕は、そんな彼女のことが好きなのだ。