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後編

[浜々原子力発電所占拠事件から3年 習志野駐屯地 9月某日]


 現役(実際には退職届を出しており、後追いで受理手続きされたので「元自衛官」であるが)自衛官による浜々原発占拠事件から3年が経過していた。自衛隊内では、一部の人間だけが知っている最重要禁忌事項として箝口令が敷かれ、話題に挙げる者は皆無であった。


 特殊作戦群第二中隊第二小隊副隊長 田中 一等陸尉は、所属している習志野駐屯地の食堂で昼食のカレーライスを頬ばっていた。選ぶのが面倒臭いので、迷ったら大体カレーであった。設置されたテレビに、臨時国会での委員会の中継が映っていた。



 自衛隊の取り扱いについて、熱を帯びて答弁する総理大臣から二つ離れた席に、元3等陸佐樋口防衛副大臣が鎮座していた。37歳で抜擢人事であった。あのメガネは伊達だよ、と妬みも含めた上官が呟きながら、食べ終わった食器を返却口に置いていった。それでも現役自衛官の中では羨望と憧憬の的だ。

 昨今の隣国による領海領空侵犯や、ミサイルの発射事件が頻回に発生していた。安全保障条約を結んでいる大国も、在国している軍隊の扱いについて齟齬が生じ始め、自国防衛を促すような政策を展開していた。諸島部から構成大国の基地が80%を占めていたが、極東の島の安全保障より自国防衛の内憂外患施策が台頭してきた。これまで何十年と、安全保障の名の元に相手先ののど元に匕首をあててきたが、その戦略もここ数年の世界各国のグローバリズムに、根本的な見直しを迫られていた。同盟国であるこの国も、その修正の渦に、必然的に巻き込まれた格好となった。前世紀で、威の張り合いは、お互いのバカらしさに双方が気が付いて収束したように見えたが、地域紛争によるガス抜きでは収まりがつかなくなってきた。恐らく歴史的な必然のようなものだろう。

 3年前の原発占拠事件は、マスコミは当然として、ネット通じて全世界に知れ渡り、かの国は先の原発事故のみならず単独テロまで許すとは、の風潮になっていた。国内外問わず様々な憶測を呼び、反対派はもちろんのこと、SNSで拡散するために真似をする輩がしばらく後を絶たなかった。

 国土東側沿岸地域での工作員の侵入は顕著となり、原子力発電所等の重要保護施設は度々、狙われた。先の反省から、自衛隊の投入も幾度となく検討されたが、左派の抵抗や歴史問題を外交手段している近隣諸国からはアレルギー反応もあって、しばらくは警察力で凌いでいた。が、次第に防御力の脆弱性が露見し、一般市民の犠牲者は増える一方で警察関係者においても殉職者が続出した。

 大きな要因は当初から分かっていた。ほとんどが重火器によるものだった。ロケットランチャーや重機関銃からみれば、SATのMP5といった機関銃も、名前の通り、サブマシンガンでしかなかった。そういった経過から、自衛隊以外に守れない、むしろこういった時こその自衛隊だろうと治安出動が本格的に国会の俎上で議論され、現状の重篤な状況で形骸化していた左派も実効的な意見提議もできず、与党はここぞとばかりに解釈論から各種法律改正と根幹である憲法の改正論議に、本格的に突入していた。

 並行して、自衛隊の位置づけも大きく変容し、防衛力の強化とともに費用対効果の側面から更なる積極的な国防のあり方が問われる事態となった。周辺事態に対処する為、同盟国の軍隊と行動を共にする集団的自衛権の議論が本格化するに連れ、自衛隊から退官者が増えていった。

 画して防衛出動は集団的自衛権の論議で慎重になってはいたが、治安出動についてはテロの未然防止の観点から積極的に運用されると同時に、特殊作戦群も特に要人警護については積極に活用されるようになった。

 国民が望むも望まざるも、自衛隊は軍隊として変容しつつあった。その先にあるのは先の大戦以降、一度も手をつけられなかった憲法への着手であった。



 御厨は、事件直後に退職していた。しばらくは休職扱いであったが、井上の謀反は知り得ても真相は知りえない第二中隊の部下たちは、こぞって退職を翻意するよう進言した。特に、小隊長だった上村1等陸尉と副隊長の田中2等陸尉は、変わる変わる官舎に日参して撤回を求めた。

 上村は、一度、御厨に命を救われていた。無線なしの単独行動訓練の際、故障した小銃を間違って持ち出しまい、そのまま使えば暴発してしまう所、狙撃で叩き落として事なきを得た。やり方が悪いと、御厨は処分をくらった。Jの3人は厳しいが面倒は良く見ていた。特に部下や後輩は、他の上官からみれば異様とも思えるほど、良くも悪くも手をかけていた。

 そんな御厨を打ちのめしたのは、井上の妻であった。事件の後、一度だけ遭遇した。



[浜々原子力発電所 占拠事件 2カ月後]


 井上はテロリスト、犯罪者だ。犯罪者に黙とうを捧げるなど、あってはならないことだ。ただ、戦友として。いや、それは嘘だ。ただ、自分が楽になりたいだけだ。贖罪として自分自身に言い聞かせたいだけだ。 そう自問自答しながら、御厨は曇天の空の下を、井上が眠っている場所へバイクを走らせていた。上官に聞いても教えてくれなかった。当然だった。結局、樋口に頼って教えてもらった。

 井上の事件は外交問題に発展していた。以前からアメリカを始め、IAEAからも原子力発電所のテロ対策については口煩く内政干渉されていた。あの事件で、杜撰というか拙さいうものが完全に露呈してしまった。 かたや、核・原発廃絶を唱える団体や文化人からは、稀代の英雄扱いとなった。あれだけの事をたった一人でやってしまったのだ。井上をだからこそできた理由を知っているのは、ごく一部の人間だけ。Jの存在が白日の元に晒されたらなったら、礼賛した人々はどう思うのだろうか。

 樋口の話では、最初は自分にいつ何があってもいいように買ってあった墓地に納骨されたが、原発推進派から墓石にペンキを撒かれたりと数々の嫌がらせ受けた。それを聞きつけた反対派が、稀代の英雄になにするものぞと勝手に管理を始め、墓地はさながら推進派と反対派の闘技場と化してしまった。墓地全体からもクレームが入り、やむなく場所は完全秘匿となり、苗字以外は石碑に刻まれることなく現在の墓地に移された。

 妻の葉子さんと6歳の娘の真奈美ちゃんは、人道的見地から帰国を許された。元々帰国を縛る法律もなかったが、生涯の生活保障を条件に、反対派を一定程度抑えるための道具として政の具として利用された。そのままイギリスに永住できたが、葉子さんは敢えて帰国した。

 ある立場の連中からは売国奴として、反対派からは稀代の英雄の妻として。

 これまでの功績を認められ遺骨は受け取れた。これらの裏工作に樋口は、ありとあらゆるコネクションを使った。

 

 多摩丘陵にある霊園に墓地はあった。駐車場でバイクを止め、詰所で花束を買い、徒歩で墓地に向かう。晴れてはいたが午前中の晩秋になりかけた風は冷たく、思わず手に息を吹きかける。案内板で確認しながら10分程歩くと、墓は見つかった。他の墓石と何の変わらない一般人として眠っている。

 両サイドの花立には、まだ新しく原色を保ちながら花を咲かせて、竿石に刻まれた井上の名前が隠れるほどに活けられていた。買った花は入る余地がなかった。花束を持ちながら、しばらく判然とせず墓を見つめる。供え物を狙ってカラスが上空を旋回し、カァと鳴く。

 どれぐらいの時間を過ごしただろう。防衛大学校で一緒の科になった頃から、いろいろと思い返さす。それでも、出てくるのはJとして共に過ごした3年間。遠征先は、必ずしも一緒ではなかったが、常に前線とバックアップの関係でやってきた。一緒になると、それだけで生き残る実感が得られた。

 だけど、なぜか涙が出ない。いつからか涙は出なくなった。いつからだろう。Jか、作戦群か、空挺団からか、防衛大学校からか。児童養護施設から泣き方を忘れていた。なぜ養護施設に入っていたのだろう。そうだ、母さんは自殺したんだっけ。病院の霊安室で会った後は記憶がない。あの時、僕は泣いていたのだろうか。

 Jメンバーは、全員なんらかの理由で両親がいなかった。事故死であったり、自殺であったり、虐待であったり。秘密部隊を構成する上で、身元不詳が単に都合が良かっただけだと思っていたが、奇しくも、お互いに妙なシンパシーの醸成に繋がった。井上も孤児だったが、里親に育てられ、そのまま養子縁組となった。樋口も肉親は弟だけで、僕とは別の児童養護施設の出身だった。樋口とは施設のあるあるネタで良く盛り上がっていた。

 井上は養父が自衛官だったので、幹部候補学校卒業と同時に、有無を言わさずお見合い結婚させられた。それが葉子さんだった。養父の眼力は確かなようで、才色兼備という言葉の例題になるような器量持ちであった。程無く、第一子真奈美ちゃんが生まれた。家族という感覚が欠落した僕たちに、井上の家庭は新鮮そのものであった。よく遊びに行った。家族とはこういうものかと。その家庭を、井上の自業自得とはいえ、任務という名のもとに全て剥ぎ取った。紛れもない事実だ。

 どれぐらいの時間、思いを巡らせたのか。これ以上、佇むのが苦痛になってくる。花束を置いて立ち去ろうと考えていると、園内の車道からつながる通路に、よく知った女性と手をつなぐ女の子が目に入った。

「葉子さん・・真奈美ちゃん・・・」

 判然としないまま、動悸が激しくなり、思わず視線を外す。臆する様子のなく、すたすたと向かってくる。紺色のワンピースをなびかせボレロをはおり、同色のセレスタイルハット。真奈美ちゃんの手を繋いでいる。手前で止まると、軽く一礼して、こちらを睨んだ。

こちらも顔も向き、目を合わせようとするが、瞳孔が焦点合わせを拒絶する。

「あ あの うん この度は何というか・・・」

 全ての憎しみを理性で強引に抑えつけている。そんな表情であった。目の周りは化粧はしていたが、明らかに荒れていた。涙のせいか、憔悴のせいか。戦場での一方的な憎しみを受けるのは慣れていたが、こんな表情を見るのは初めてであった。

「あ~ みくりやのおじちゃんだ。こんにちは~」

 空気など読めるはずもない。ぴょんぴょん跳ねながら邪気なく声をかけられる。どんな顔をすればいいのだろう。

「あぁ こ、こんにちは。久ぶりだね。真奈美ちゃん。元気・・かな」

「うん、元気。お父さん、いなくなったちゃったけど・・・」

 もう、許して欲しい。洋子さんの顔が見られない。

「主人の墓参に来て頂き、ありがとうございます」

 意外な言葉であった。罵声が来ると思い、ほっとするもつかの間だった。

「お邪魔にならないよう退散します」

 花束を置いて立ち去ろうとする。

「申し訳ありません。その花はお持ち帰り下さい。以後の墓参は結構というか控えて頂けないでしょうか」

しばらく無言になる。置きかけた花束を、元に戻す。

「本当 すみません。何をどうしていいのか、どう声をかけていいか分からない・・」

 母の只ならぬ様子に、真奈美ちゃんの顔が曇る。

「あなたは正しい。自衛官としての職責は果たしました」

 憔悴しきった顔を、更に歪めて、絞り出すように言い放った。葉子さんはJの事は知らないはずだった。今回の狙撃も知る術はないはずだ。なぜ、知っている?しかし、今はそれどこではない。

「どこで、そのことを・・・・」

「官房長官から聞きました。最初は信じられませんでした。信じなかった。親友のあなたが・・・そんな事はどうでもいいです」

 その先を自重したのは真奈美ちゃんが居たからであろう。真奈美ちゃんは、母の様子の変化から次第に不安な表情になる。

「どうすればいいんでしょうか・・・」

 覚悟はとっくに出来ていた。もし、望めば、その通りにしよう。それで少しでも溜飲が下がってもらえれば。

「・・・・」

「目の前から消えろというなら、そうします。この場所からという意味ではないです」

 葉子さんは無言のまま、真奈美ちゃんを一瞥する。泣きそうな顔になっている所に頬撫でながら「大丈夫よ」と声をかける。再び、こちらに顔を向けて口を開いた。

「生きて、苦しんで下さい。安易に楽な手段には絶対に・・・生きて苦しみなさい」

 最後の言葉は、か細いながらも殺意と思えるほどの力が籠っていた。打ちのめされた姿に弱い味方が援護する。火に油を注ぐとも知らずに。

「ママ!どうしてみくりやのおじちゃんをいじめるの。パパとおともだちだったじゃない!」

 殺した張本人と言いたいとは容易に想像がついた。それを躊躇っていたのは、僕への斟酌ではなく、娘の情操教育を考慮していたものだろう。

 真奈美ちゃんは、母親の手を振り切って、以前と変わらないように腰の所にまとわりついた。思わず反射的に頭を撫でようと手が勝手に伸びる ―

「触らないで!」

 まるで懇願するような叫びであった。不要物をみるような、あなたさえ存在していなければという憤怒のまなこが注がれていた。

 もう、どういう顔をしてどう振る舞えばいいのか分からなかった。どんな顔をしていたのだろう。呼吸さえも鬱陶しく、鼓動だけが全身に鳴り響いていた。諦める。もう僕は許されない。

 涙を流しながら見上げるこどもに、どんな顔をしていいのかわからない。大人の事情など知るよしもない無垢な存在に、精一杯の笑顔をつくって見せた。



[浜々原子力発電所占拠事件より3年経過 9月某日 午後 都内某アパート]

 

 あの日と同じく、残暑厳しい午後。唐突に呼び鈴が6畳一間に鳴り響く。敷きっぱなしの敷布団から立ち上がり、ズボンを履いてから出迎える。今朝まで、臨時の深夜バイク便の仕事をこなしていた。

「あれ、君は・・・」

 扉を開けると、関東テレビの笠井智子が、大汗をかきながら屹立していた。

「とにかく上がらさせてもらいます。一応、尾行は振り切ったつもりだけど、まけてなかったら勘弁してね」

 こちらの都合も聞かずに入り込む。

「ちょっと、尾行って」

「昔取った杵柄で、確認してくれませんか」

 ずいぶんとずうずうしい。あの時の初々しさは何処にいった。

 一応、カーテン越しに見張りらしき人物の哨戒に入る。とりあえず大丈夫のようだ。

「ふーん。今はこんな部屋で住んでるんだ~殺風景~」

 勝手に座布団の上にちょこんと座り、物珍しげに辺りを見回す。

「一体、何の用だ。確かに知った顔だが、そんな関係になった覚えはない。しかも、デリカシーがなさすぎじゃないか」

「あーごめんごめん。三十路前で、いろんな意味でガサツになっちゃいました」

あっけらかんと言い放った。

「そういえば最近、テレビに出てないな」

「ええ。メインの仕事からは降ろされている。あの事件で有名になったのはいいけど、完全に訳ありキャスターになっちゃて・・・話せない事だらけだし」

 笑顔に少し陰ができる。

「そうか。そうだよな」

「・・・・」

 しばらく無言が続いた。スーツスカートにブラウス。汗で白い下着が透けて見える。独身男性には目に毒だ。

「とりあえず」

「とりあえず?」

「何か冷たい飲み物もらえません」

 屈託ないの笑顔は3年前のままだった。冷蔵庫からペットボトルのウーロン茶を2本取り出す。

 それとなく、お互いのこの3年間の状況を報告しあった。彼女は、一喜一憂しながら聞き、そして喋った。気が付いた時にはあっという間に1時間経過していた。Jの事は井上に聞いて知っていたらしい。勿論、知った事は秘密にしていた。僕にとっては、Jの存在を気にせず、気軽に話せる貴重な存在になりそうだ。久しぶりに心地良い時間だった。改めて井上が気に入っていたのが良く分かった。天然の癒し系というか元気を与える天賦の才能だ。

 樋口も懸念していたが、智子はストックホルム症候群を疑われていた。犯人にシンパシーを感じて協力してしまうシンドローム。そのために、しばらく監視が付いていたらしい。

こちらも退官後は、一次監視体制で情報保全隊が監視していた。3年が経過し、特に問題がないと確認され、つい最近2次監視体制となった。

「さてと、まぁ 大体、御厨さんの状況は分かりました。まだ時間は大丈夫?」

 バイク便のシフトまで、まだ時間はあった。

「大丈夫だよ」

「それでは本題に入りたいと思います」

 智子は一枚のメモをバックから取り出した。受け取ると、貸金庫の支店名と暗証番号が記載されていた。

「3年以上たったら渡してくれと書いてあった。それにしても、あの後大変だったのよ」

 事件顛末後に間髪入れずに、健康チェックと同時に所持品検査から女性警官から身体検査を受け、素っ裸にされたらしい。さすがに民間人だった為、性器まではまさぐられなかったようだ。

 井上は、女性を指名したのも、そこまで見越した上だったのだろう。事前にカプセルに入れられていて、そこまでの行動指示はオブラートに書かれていたようだ。

 その後も、何か見られているとストーカーではないかと思い、興信所の探偵に依頼した所、政府機関からの監視が発覚した。興信所からは、護衛されていると思えば何てことはないでしょと軽くたしなめられたらしい。

「それにしても、あの時、私が請け負う保証なって何もなかったのに、何を根拠に」

「信頼に足らないと思ったら、別の人間を呼んでいたんじゃないか」

 井上は、関係者全員が共犯者として扱われないよう、全て除外したのだろう。とりも直さず自分も気を使われていた。隊で何度かすれ違う度に、ともにミッションを過ごした「阿吽の呼吸」を感じていたが、原発占拠など逡巡せざるえない。僕が逆の立場だった、やはり誘わないだろう。井上は、マスコミ関係者の適度な好奇心と、真実に対する責任感に賭けたのだ。仮に上司や政府に公表は握りつぶされても、その過程で何人かの目には入る。少なくとも全て消去されることなく、残滓だけはと算段したのだ。その思惑は形を成そうとしている。

 一通りの話が終わった。時計を見るまでもなく日が沈みかける。定時監視が来る時間だ。彼女に帰るように促す。

「とりあえず中身がわかったら連絡下さい」

「なぜ。君の役割は終わったのじゃないか」

「ただの使いっ走りだけさせられて、『はい終わり』じゃあんまりじゃないですか。3年も振り回されたんですよ。私だって」

と膨れっ面になる。確かに、言い分は最もだ。危険が伴うなんて、あの事件を最も間近で体験した彼女にとっては、あまり意味がない。

「一応、確認したいが」

「危険を伴うって、でしょ。分かっています。一応、大人ですから。それに」

「それに」

「井上さんから、『真実はなにか考えろ』と言われましたから」

しばし考えあぐねる。巻き込みたく思いもあるが、彼女のからの逃走は、再度、保全部の疑惑を呼び込んでしまう。これも井上の計算の内かと結論付ける。

「分かった。ただ携帯はまずい。君のは大丈夫だと思うが、僕のはまだ盗聴される可能性がある」

「えっと、じゃ、どうします」

「僕がこの場所から動き回ると、いろいろ面倒臭くなる。動かない方が賢明だな」

「じゃあ、バイトのシフト表下さい。仕事以外は大体ここにいるんでしょう?」

「あぁ ほとんどゴロゴロしてるよ」

「井上さんと同じ嘘が下手ね。そんな体で何言ってんの」

そうか。未だに、空き時間は条件反射でトレーニングが欠かせない。

「オフの時間に見計らって、来させてもらいます。いなかったら次にこれそうな日程のメモをドアの隙間から入れておきます」

「こんなITの時代にアナクロだけど、無難といえば無難だな」

「では、そういうことで。さようなら~」

 手を振りながら小走りで階段を下りて行く。昼過ぎに来たのに、夕方になっていた。幸い、今日は監視には引っかからなかったようだ。

 

 

 [翌日 午前 某銀行~某インタネットカフェ]

 

 彼女の機転により、物は別の貸金庫に移し替えられていた。元々は全自動金庫だったが身分照会に時間と手間がかかったらしいので、照会のいらない半自動タイプにしてくれていた。監視を意識しながら銀行に入る。半自動金庫の部屋をカードで開け入る。再び、別のカードで記載された番号の金庫を開ける。中には、A4二つ折りの封筒が入っていた。封筒を開けると電子端末とガラパゴス携帯電話、プラステックのケースにUSBメモリーが入っていた。端末経由でパソコンとインターネットに繋げろという事なのだろう。自宅でアクセスは、ログからハッキングされる。とりあえず傍のネットカフェに入って中身を確かめる。

 こんな事もあろうかと準備しておいた偽造保険証を使ってネットカフェの会員加入手続きをして、パソコン部屋を予約する。平日だが、数分待たされる。その間にドリンクバーでアイスコーヒーを準備していると、従業員に個室に案内された。部屋の使い方の説明は省いてもらう。一畳程度のスペースに、既に立ち上がっているパソコンに端末を繋ぐ。端末にはUSBメモリー差し込んである。

 パソコンのUSB電源で端末も起動ランプが点滅し、並行してUSBも点滅する。ガリガリと少し型落ちのデスクトップが懸命に動いていた。読み込みが済むと、「御厨へ」「いろは進行」「レポート」というアイコンがデスクトップ表示された。とりあえず「いろは進行」のアイコンをクリックする。パスワードの入力指示の表示。当然の事ながら、メモはなかった。これぐらいは予想して当ててみろという事か。いずれにせよ3つほどしか浮かばない。それを、最後に一緒の作戦で使った乱数表にあてはめる。最初はNG。2回目で開く。やっぱり子煩悩だ。君は。

 次第に、専用のアプリケーションが起動し、全画面を占有する。



F1の大から中項目「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」小項目「ち・り・ぬ・る・を」

F2の大から中項目「わ・か・よ・た・れ・そ」小項目「つ・ね・ら・な・む」

F3の大から中項目「う・ゐ・の・お・く・や・ま」小項目「け・ふ・こ・え・て」

F4の大から中項目「あ・さ・き・ゆ・め・み・し」小項目「ゑ・ひ・も・せ・す」

 


 判然としない。とりあえず、「いろは進行」はタスクバーに最小化し、僕宛てのファイルを開く。映像資料だ。圧縮ファイルを解凍する。解凍フォルダーが開く。その①その②とあり、その①をクリックすると画面が開く。サムネイルで井上の顔が映る。自宅のパソコンのハンディカムで撮影したもののようだ。ヘッドホンをかけて音量を調整する。久しぶりだな。何の用だ。この亡霊が。呟きながら再生のアイコンをクリックすると亡霊が生き返る。

「えーと。この映像を観ているという事は、俺はもうこの世にはいないな。そして多大な迷惑をかけてるな。うん。とりえあえず謝っておく。本当に申し訳ない」

机に手をつき頭を下げる。タグのタイマーで約10秒。頭をあげる。

「御厨が観ているならば、未だ見ぬ依頼人は約束を果たしてくれたという事か。改めてお

礼を言っておいてくれ」

 多分、君の予想以上の働きをしているよ。

「ざっくりと『いろは進行』について説明する。大項目1は、国際国内が極めて良好に情勢が進行した場合。『四―し―す』は、国内国外が混沌とした最悪の状況になった際の最後の選択肢だ」

何のことだ?

「世界の政情不安が決定的になりアメリカの安全保障の解消、核戦争核武装ができない若しくは間に合わないとなった時・・・全原発暴走、つまり意図的に全機メルトダウンさせ、この国の全土を放射能により焦土とする。国民の所在など一切関知せず。この計画の実現性については、パーセンテージが明示されている。現時点では実施確率0.009%。限りなく0に近い。絵空事だと思う。数字から見れば」

一呼吸置き

「ただ、0%ではない!」

このファイルは一体何なんだ。策謀者は誰だ。井上、君はこれをどこで入手した。

「ここまで観た所で、ともかくファイルを確認して欲しい。確認したらその②を観てくれ。

とりあえず以上だ」

指示通り、タスクバーに最小化したアイコンをクリックし、大画面にする。

 クリックすると4から「あさきゆめみし」までに分岐され、「し」のポイントをクリックすると「えいもせす」に画面がスクロールする。「す」をすると新しいタブが開く。この国の地図が画面一杯に表示され各地に点在する原発が名称入りで明記されクリックできるようなっている。各種カーソルがあり、時間や気象条件、人口、その他各センテンスがあり、数値やコマンドが選択ないし入力できるようになっていた。デフォルトデーターは自動入力されており、エンターキーで、そのまま自動的にシミュレーションが進んでいく。

 地図をスクロールするとメルカトル図法の画面が広がる。これも3Dに変更が可能であった。現在データのまま、シミュレートのアイコンをクリックする。進行時間のデフォルトは1時間が10秒のようであった。各原発のアイコンの下のパラメーターが、青から黄色そしてオレンジとレッドとなった。そしてMD~MS~の表示に関わり、そしてアイコン事態が紫紺に変わった。MDはメルトダウン、MSはメルトスルーか。時計のカウントともに次第に各原発から霧のドットが霧散し始め、さながらこぼしたコップから水が流れるように赤い半透明の霧が列島を侵食していく。次第に地図が大きく世界地図へスクロールし、ユーラシア大陸と太平洋、東南アジアを同様に侵食し始めた。否応なしに真賀陸の悪夢が惹起される。しかもこれは意図的な暴発だ。

 これはどういう事だ。意味が分からない。次第に事の重大性が脳のパルスとなって駆け巡った。ぶぁっと鳥肌が全身に広がる。慌てて入力データをデフォルトにしてアプリケーションを閉じる。観てはいけないものを観てしまった感覚に襲われる。

 映像その②をクリックする。再び、画面の井上は喋り出す。

「恐らくそれなりの戦慄は走ったかと思う。リアクションは目に浮かぶようだ。俺も少なからず動揺した。そして・・・」

この前振り。

「疑問が浮かぶはずだ。この進行表の立案者、策謀者は誰なのか・・・」

この悪寒。嫌な予感。最悪の人物が浮かび、聞くまでもなく確信に至る。


「樋口か」「樋口だ」声が被った。


「御厨。敢えて言うまでもなく樋口の実行能力について疑う余地はないだろう。3年後に渡すようにしたのは、進行状況が論拠になると思ったからだ。未来を変えてしまうと行動論拠を失ってしまう。その意味から言えば、どの進行群まで進んでいるか理解できると思う。」

 井上は続ける。

「あいつは本気で潜在的核抑止力を信じ、進めようとしている。別に大陸間弾道弾が必要になる訳ではない。自国民が他国からレイプされるならば、死なばもろともにするつもりだ。国民というより国という概念を、そして自衛隊が『守りたい国』にするつもりだ。その論理思考を理解はできる。同じ時間を共有した俺たちにしか分からない共時感覚だと思う。国防論としてはありえない考え方ではない。俺たちの存在自体が、現在この国が抱える国防の矛盾そのものだ。安全保障条約についても第一義的にはアメリカの極東拠点の保持という1点だけが、条約の有効性を保っている。集団的自衛権も強要されていくだろう。結局、本当の意味で独立国として認められるのは核武装しかない。国連の機能不全が、その事を体現している。そこは樋口の考えに同意する。ただ、俺の部下をあんな姿にした原子力を、その施策を推進し、リスクを看過したこの国は許ことができない。判断すべきは樋口が防衛省の幹部になった時だ。四の『あさきゆめ』のシナリオとなり、可能性として『えいもせす』の『す』の可能性が高くなる。その時の首相はどうでもよい。単なる傀儡か神輿に過ぎん。政権与党の官房長官を注視してくれ。憲法が改正され、首相公選制になったら、もう手遅れだ。国民の信託を盾に、実質三権分立が崩壊する。おそらく、9条も変更になるだろうが、裏の最終手段として原発焦土作戦は継続してしまうはずだ。それでも俺は、この国の言論の自由に一縷の望みを託す。今一度、真賀陸の悪夢を思いだしてもらう。ファイルは全マスコミにも送った。まあ、公表はしないだろう。一縷は本当に一縷だな。ただ、公表しないにせよ、情報は残るはずだ。来たるべき時に、生かす時が来るかもしれない。しかし、何処かで誰かが止めなくちゃならない。ほっといて誰かがやってくれる訳ではない」

そうか。そういう事か。理解したよ。

「最後にジョーカーを指名させてもらう。『し―す』は、0%でなければならない。絶対にあってはならない。この映像を記録する前に、俺は樋口と話し合った。話し合いというより追求だな。原発の占拠も打ち明け、それを交換条件に止めようとした。もし真賀陸の事故がなければ、この進行表に賛同したかもしれない。それでも、俺は理屈ではなく感覚として核兵器だけは何があっても、使ってはならない。誰に対しても。あの時、俺は樋口を殺すこともできた。ただ、何もしていない人間を、断罪はできなかった。弱虫ですまん。シミュレーションしてもらえれば分かると思うが、首相公選制により、初代内閣総理大臣が任命された時点で、『し―す』の可能性が0%に戻る可能が皆無になる。常に、最終手段のパンドラの箱として、すべからく今後の国防戦略として組み込まれ続ける。その時、樋口は防衛大臣になっているはずだ。VIPになった人間は、近接戦闘では暗殺できない。成功率が皆無だ。こんな事は釈迦に説法だとは承知しているが、改めて明言したい。遠距離狙撃が最も高い成功率になると判断した。俺を殺す事でお前の自責の念を引き出し、呪縛として未来を拝借させてもらった。信じていないが、地獄というものがあれば、そこで文句を言ってくれ。甘んじて、再び殺されよう。閻魔様にお前の弁護だけはやらさせてもらうよ」

 延々と好き勝手なことを言い続ける井上に、端末を画面に投げたく衝動を必死に押さえる。樋口も井上も、どいつもこいつも何を考えている。狂気の沙汰だろ。こんな事。今度は何をさせるつもりだ。

 思わず画面の前で、肘をつき頭を抱える。ドリンクバーから持ってきたアイスコーヒーの氷がせせらわるようにコップの中を溶け落ちた。いいかげんにしてくれ。

 再生を一旦やめ、レポートのフォルダーを開く。最も普及している文書作成ファイルだった。井上なりのこの国の分析レポートが記載されていた。これまでの過程をまるで観てきたように、この3年間の国際情勢、国内情勢、そして樋口が、入閣するまでの方法論と予測が綴られていた。まるで預言書だ。事実、実際に事件がセンセーショナルなるなればなるほど、世論は「絶対的な拠り所」を欲するようになった。火のない所に煙は立たない。マッチポンプと思われる政府の自作自演と思われる事件もいくつか見受けられていた。震災での災害派遣が土壌となり、自衛隊の更なる積極的な活用は国を二分する議論となり、それまでタブーで歯牙にもかけられなかった核武装論も、奥歯に挟んだものがすっかり消え失せ、公然と議論の遡上に乗る様になっている。

再生を再開する。

「この進行表は、既にCIA他各国の諜報機関は掴んでいる。樋口が意図的に漏洩させたのかどうか分からないが、荒唐無稽として理解されているかも知れない。お互いの思考が読めるというのは、ミッション遂行については極めて便利な代物だが、それ故に、迷いや決断まで感じ取れてしまう。事前に原発占拠の計画を相談しても、お前は絶対に乗らなかっただろう。相談すれば、何としても遂行を止めようしただろう。どんな罵声を浴びても。

俺にとって、お前が最大の敵だった。最大の敵を、最大に味方にするために、殺してもらった」

 これまでずっと考えていた。井上は、任務に恭順する戦士から人に戻りたかったのだろう。あの今際の涙は、解放された歓喜の涙だったに違いない。最後に一人の人間として生きたのだ。翻って樋口は、人である前に自衛官に拘った。「自衛官の前に~」という前提

自体が皆無なんだろう。それもひとつの正義だ。

 二人の信念は眩しすぎた。僕は単なる任務遂行の兵士でよかった。兵士としてスキルが上がれば上がるほど、喜びを感じた。それだけでよかったはずだった。僕は、今、Jでもない。ただの人にもなれない。Jとして井上を殺し、こんどは何者として樋口と対峙すればいいのか。

 天を仰ぐ。もう、樋口は防衛副大臣になっている。困難極まりない事案であると同時に、またしても戦友の命を奪うミッションであるからに他ならない。任務に恭順する強迫観念が蘇る。また、逃げられない。亡き親友、亡霊からの願い。誰か助けて欲しい。あの時祈った八百万の神は、僕を助けてはくれなかった。

 

 

[2日後 19:00 御厨アパート]

 

彼女は、イライラを抱えながら、腕を組んで座っていた。

「何、迷ってるんです。いい加減に、教えて下さい」

「うーん」

どうしようか散々迷っていたが、僕の都合も考えずに、シフトに合わせて勝手にやって来てしまった。最初からなかったことにして、姿を消すか、ごまかしながら上手く説明するか、全面的に話して協力を仰ぐか、の3つ選択で逡巡していた。

「やっぱり、話さなくちゃだめかな」

懇願する。彼女の眉間に皺が寄る。可愛さが半減する。

「そうですか。それならこちらも考えがありますよ。監視している人に言いつけちゃおう

かな。『あの人、何か良からぬことを考えてますよ』って」

とドヤ顔。完敗。

「分かった。言うまでもないけど」

「他言無用。一蓮托生!」

ここまで来たら、変に解釈されないように、樋口暗殺だけは伏せて、他は事細かく説明する。彼女は、要所で驚きつつも真剣に話を聞いていた。説明には1時間近くを要した。

「でも、ありえないですよね。いくら何でも」

「ああ。ありえない。1%にも満たない不確定要素だ。井上の杞憂に過ぎないだろう」

杞憂ではない。事実だ。しかし、この場では杞憂に過ぎない。

「だから、気にしない。これはこれとして胸にしまっておくよ」

「それで、御厨さんはどうするんです」

いきなり核心に入る。

「実際にやるとは思えない。それこそ一人ではできないはずだ」

「なら、皆さんの所属したJみたいな組織があるんじゃないですか」

思わぬ洞察に素直に舌を巻いた。

「そうか。核武装を推進する裏集団が存在しているのか。背広組か官僚か・・・」

全ての合点がいった。

「いずれにせよ問題は・・・」

「で、どうするんです。まさか、井上さんのいう通りにするんじゃないでしょうね。中心

人物を何とかしようと・・・」

「まさか。大体、手段がないよ。今や善良な一般市民。ほとぼりが冷めるまで、つつまし

く生活しております」

深々と会釈する。

「そうですね」

笑顔が微妙に歪む。

「とりあえず、この話はここまでだ。もう、いいだろう。関わるのもやめたほうがいい」

「うん、そうだね。これ以上、関わっちゃいけないです」

その日は、素直に帰った。

 三日後、バイトから帰ると、夕方に降り注いだ秋の驟雨に濡れたまま、彼女は玄関でしゃがんで待っていた。こちらの姿を確認すると、力なく微笑み、何も言わなかった。互いの溢れる感情を我慢する理由は、もうなくなっていた。癒えない傷を少しでも癒すのか、虚空を少しでも埋めようしたのか、どちらからともなく寄り添った。

 この時間がいつまで続けばいいと思った。それが叶わないと分かりきっていても。



[同年 10月某日  某湾岸倉庫 ]


 北の某国から、発射実験のミサイルが直接本土に着弾した。スカッドミサイルで迎撃できず、幸いにも森林地帯で不発に終わったので、人的にも物的にも被害はでなかったが、東側海域の住民の不安は最高潮に達した。政府は、具体的な防衛体制の再構築を余儀なくされた。専守防衛とはいえ解釈や関係法令の運用だけでは国際的理解を得るにも限界が来ていた。

 「いろは進行」のネット接続による更新デフォルトデーターは、進行表のフェーズは「三―う」に突入していた。佐藤内閣総理大臣は、憲法改正の発議し、既に決められた改正手順に則って、粛々と進められた。衆参合わせて与党は3分の2を占めている。後ろで樋口が先導しているのは明白だった。いきなり9条への着手はせず、発議したのは「首相公選制」の導入であった。大統領制ではないが、まずは国民が、国のトップを自らの手で決めることから始まった。政情不安で、保守的な社会情勢も最高潮に達していた。先の震災で、旧野党連合の付和雷同ぶりに嫌気がさしていた国民は、消去法で現政権に依拠した。首相公選制の動議は、国民の有効投票数の半分を確保した。首相の能力云々よりも、これから変わる社会への根拠のない期待、半分はやけくそに気味になっていた。幕末に「ええじゃないか」運動というものがあったみたいだが、おそらくこんな雰囲気だったのだろう。人間、最後のやけくそというのが怖い。

 その勢いで、公選制の初代内閣総理大臣に立候補した佐藤総理大臣は、程無く再びの国民投票で有効投票率の五割近い信託を受け、他候補に圧倒して勝利した。そして初代公選制首相として大々的な就任式典の開催を宣言した。場所は、国会近くの公園に設定された。日時は11月11日の日曜日午前10:00開始。

 本来、野外で演説など、セキュリティーを考えれば愚行以外の何物でもない。ページェントとして強固にするため、アメリカの就任式に倣ったのであろう。SPの労苦は、館内に比較すると洒落にならない。今回も国際テロリスト対策という名目で、自衛隊の治安出動は閣議決定されていた。国際テロリスト対策部隊である特殊作戦群の元上官、同輩や後輩も警備にあたる。おそらくSATとの棲み分けに苦労しているのが用意に想像できた。内調や公安外事課の連中もフル動員で事変対応に備えているはずだ。外国諜報員は一体どれだけ入国しているのか。敢えて暗殺やテロの危険に晒す目論見は読めていた。マッチポンプも設定しているに違いない。ターゲットは内閣総理大臣ではない。再任直後の防衛副大臣、樋口徹雄だ。御厨は、着々と準備を進めていた。

 準備の良い事に、井上がアメリカの人脈を使って狙撃銃はあつらわれていた。M24にしたのは、少しでも慣れた銃でという配慮だろう。相当の金を使ったはずだ。某所の空き倉庫をねぐらにできるよう準備されていた。一式が保管されていた。全て、最近に装備、準備されたものであった。本当に亡霊のようだ。

 スコープは距離に合わせて3種類。弾薬は7.56m弾を中心に、308ウインチェスターや30-06他9種類準備されていた。ハンドローディングの機材も一式揃っており、火薬調整も可能だ。好きなようにカスタマイズせよとの事か。訓練用に消音器まで着いている。騒音場所なら練習できるが、深夜にできるのはありがたい。レティクルはオーソドックスなクロスヘヤー。距離に合わせて照準距離を合わせるボアサイティング行う。今回の狙撃距離は1000m以上が基準になる。以内の狙撃ポイントは、押さえられるはずだ。

 夜な夜な洋上に向けて、射撃を繰り返し、塒で銃の微調整を繰り返し、使用薬きょうや火薬量もハードローディングで調整し、最良の組み合わせを模索する。 決行日は、首相の就任演説日と決めていた。

 狙撃銃手入れをしていると、の井上から託された携帯電話が鳴る。知った番号であったが、そのまま相手先の番号だけ見つめる。15回なった所で止まる。もう一度、番号を確認する。そのまま電源を落とす。次の電源を入れるのはいつにしようか。



[同年 10月 某日 就任式典 2日前 防衛省 防衛大臣室]


 就任演説を翌日に控えた樋口防衛副大臣は、ワイシャツスーツのまま、執務室のソファーで横になっていた。執務机に転がっている数台の携帯電話には着信を知らせるランプ一斉に点灯している。明日に向けての仕事に忙殺され、おしぼりを目に当てて横たわっていた。



[浜々原子力発電所 占拠事件発生前  防衛省 地下室]


井上と樋口は、殺風景な部屋の中で、折り畳み机を挟んで向かいあっていた。

「なんだ。やぶからぼうに。よりによってこんなところに暗号まで使って呼び出すな」

樋口は呼び出しの理由は知っていながら投げかけた。井上は、イラつきながら問い詰めた。

「大切な部下の所在が不明で、いろいろと調べてみたんだ。調べていくうちに、芋づる式に妙な輩の思惑がずるずると出てきた。別に権謀術数の世界だ。そういった事も必要だと重々承知もしている。ただ―」

「ただ―」

「『いろは進行』とはなんだ。」

 樋口は、敢えて動揺する素振りを見せた。

「答えたほうがいいか」

「その返答は、知っているんだな」

「ああ、よく知っている。仮定された事案に対するシミュレーションだよ。要は新様式のデフコンだ。意図的に画策したものではない。情勢に応じた防衛指針の羅針盤みたいなもんだよ」

「首謀者は」

「首謀者とは、心外だな」

「お前か?」

「作成に関わっているのは事実だ」

「現場で戦う俺たちにとって防衛指針なんてどうでもいい。与えられた任務をこなすだけだ。御厨だってそうだろう」

「それでいいじゃないか。元々、私たちは、おのおのの得意分野がある。私は戦術。お前は近接戦闘。御厨は狙撃。至極、単純な話だ。それこそ、そんなマクロな話には興味はなかったはずだ。任務の恭順するのが自衛官と口酸っぱく、部下達にも教育していただろう」

「別のお前と弁論するつもりはない。理屈なんか何とでもなる。俺が知りたいのは『も-す』の事だ」

「ファイルは全部みたのか」

「プロテクトを外すのに結構骨が折れたが、直属の部下にこういった事案に長ける奴もいてな」

「服務規程違反だな」

「何とでもしろ。別に前3項目については、どうでもいい。四項目の前半もだ。ただ『も―す』あれはなんだ。どういうことだ。どうやったらあの発想になる。狂気の沙汰だ。どこの政治家か官僚か。シミュレーションしているというどういうことなんだ!」

それまで大人しく座っていた井上は、怒りに任せて立ち上がる。何かを思いつき、顔つきが変わる。

「まさか、樋口、お前」

「まさかじゃないだろう。白々しく動揺するな。お前は分かっていたはずだ。私の考えることぐらい容易に想像できたはずだ」

 


 確かに、分かっていた。樋口はあらゆる可能性を忌避しない。戦略の為ならば、あらゆる禁忌も辞さない。そうやって武勲を立てた。戦場で手傷を負って行動不能になった者はことごとくその場に残置した。Jメンバーでも。あまつさえ自決さえ許さず、痛み止めのモルヒネも与えず指一本動くまで戦えと、可能な限りの手りゅう弾と弾薬を渡した。その戦術を徹底させたのも樋口だ。しかし、おかげで俺も御厨も生き残ったのも事実だ。それでも俺は納得できない。



「お前は、あの事故さえ利用しようと言うのか」

「ああ、利用しない手はない。これだけ甚大な被害だ。生々しいデータが集結している」

「ならば、再びあの地獄を再現してやろうか。原発の電源室の占拠ぐらいなら俺一人だけでも十分だ」

「確かに朝飯前だろう。お前なら。Jの暗黙の了解だ。おのおの自律的行動は関与せず。

好きにすればいい。私は、任務を受ければそれを阻止する。ただ、それだけだ」

井上は、恫喝にならないと分かっていたが、それでも進行表の真意を知りたかった。

「俺たちは、任務のために女だろうがこどもだろうが厭わず殺戮を続けた。来る日も来る日も。3年間だ。凄惨な場面に何度も立ち会ってきた。戦争で人が死ぬのはあたりまえだ。爆撃で死のうが、銃で死のうが、死は死だ。誰にでも平等に与えられてしまう事実だ。だが、あれだけは許せない。生きてきた尊厳なんてこれっぽっちもない!」

「あれとは、放射線障害か?」

「ああそうだ。秘匿にするなら、なぜ安楽死させない。生き地獄以外何物でもない!」

「核兵器の有用性を示す、素晴らしいデータだよ。戦場で幾多の屍を乗り越え、修羅場をくぐった君でさえ、それだけ狼狽している。医療従事者でさえも、精神状態に相当、影響を与えているよ。70年以上前の戦争以来だぞ。生かすチャンスは今しかない」

「狂気の沙汰だ。いつからお前はそうなった」

「最初から狂気の沙汰だよ。この機会を逃す手はない。核兵器が生まれてから、いや原子力が発明されてから、世界の国々は、その狂気の沙汰に魅了されている。他国で作られた憲法の上で、この国が合法的に核抑止力を持つには、原子力発電所は―」

樋口は、少し興奮している事に気が付き、大きく息を吐き落ち着かせる。

「絶対に必要だ。それには原子力ムラの利権構造は、この進行表にとっては極めて都合の良いシステムだよ。目くらましには最適だ」

「そんなに核兵器が大事なら、俺たちは何のため存在している。自分の平穏な日々を抹消して、この手を他国の民の血で染めてきたことはなんだったんだ」

「お前は、イラク戦争で参加した爆撃作戦後の有様を見たのか。死体だけが転がっているあの惨状を!」

「あぁ、見たよ。最初だけ。以降は確認する必要はなかった。戦果報告で全てが理解できたからな」

「何の罪のない民間人が、女こどもも巻き込まれていた。少なくとも俺たちは加担したんだ」

「任務の一環だよ。私たち3人だけで何ができる。」

「有形無形で伝え、育てればいい。その為のJだろう。俺たちJは海外の連中にも一目置かれている。それで十分だ。一つの形じゃないか」

「所詮、個人の力などたかが知れている。気にいらなければ、この場で私を始末しろ。お前なら、素手でも私を殺すことはできるだろう。ただ、私がいなくなっても、進行表はただの進行表だ。そのまま状況に応じて進むだけだ。時計の針は戻せない。それに」

樋口は、一度躊躇うもそのまま続ける。

「確定していない未来をお前は断罪するのか。神にでもなったつもりか」

「神じゃない。人だ!」

「人殺しの感覚を得る度、技術が向上する度、剣技が実戦となる度、お前もたぎったはずだ。自分自身の兵士としての能力が成長する事に喜びを持ったはずだ」

井上は確信を突かれたように、黙り込む。

「なぜなら・・・私もそうだったからだ。立案する作戦に、部隊が思うよう動き、味方の損害を極力少なくし、敵の掃討に如何に時間も物量もかけず、効率的に行うか。予想より時間も物量も少なかった時には、愉悦さえ覚えたよ」

樋口は自分に言い聞かせる。

「お前の部下が、あんな有様になっても任務のためと納得できるのか」

井上は、絞り出すように反駁の言葉をかける。

「お前は、どこまで見たんだ。あのホスピスの6階の全部の部屋を確認したのか」

「いや。1つの部屋しか見ていない。もう、あれ以上確認する気にもならなかった」

「ならば、通路向かって右側の部屋は覗かなかったのか」

「そうだ。それがどうした。」

「私に弟がいたのは知っていたよな」

「ああ、両親に捨てられて、児童養護施設から二人で手を取り合って生きてきたって。確しか4年下で防大自衛官だったんだよな」

「所属は第一空挺団だ」

「第一・・・!?」

井上は、統合幕幕僚長の言葉を思い出す。「第一空挺団2名」

「もう、察しはついたみたいだな」

「あのもう一つに部屋に収容されていたのは」

「そうだ。私の弟。すぐるだ。無論、病院では偽名だがな」

井上は、全身の力が抜け行くのを感じた。

「もう、全て処理班に任せてある。生死も知らない」

「そんなんでいいのか」

井上は、まるで自分の事のように懇願した。

「いいんだ。任務にあたる以前に、こうなる覚悟はさせていた。そして本人も納得している」

井上は愕然として、無意識に膝をついた。樋口は続けた。

「こんなどうしようない国だろう何だろうが、守るべき国だ。人体実験だろうが何だろうが肉一片血一滴も捧げる。尽くす。何がおかしい ― 」

「お前のいう事は正しい。正しい過ぎる・・・」

井上は、失意のうちにゆらりと立ち上がった。目の生気が失せていた。

「俺は俺なりの始末をつけたい。迷惑がかからないよう、しかるべき時に退職願いは出しておく」

「私たちに、そんなものに意味はないだろう。死ぬまで・・・」



 ドアをノックする音で、我に返る。数分の間、眠っていたようだ。森田が持ってきた書類をデスクに置く。ぼっーとした表情だったのか心配された。

「お疲れですか。それは、お疲れですよね」

 おしぼりを取って上体を起こす。

「ああ、さすがに疲れたな。体力的にはどうという事はないんだが、官僚が気持ちよく働いてもらうには、戦術立案以上に神経を使うな。自衛官たちは即答してくれるが、不確定要素が多すぎる・・・」

「何か飲み物をお持ちしますか」

 森田は、きょとんとしてこちらを凝視していた。

「どうしたんですか。目にゴミでも・・・」

 自分に何が起きているのかしばらく分からなかった。分かった途端、結果を知るのが途方もなく怖くなった。

「何でもない」

おしぼりで、瞼を拭う。



[同年 11月 就任演説 1週間前 午後 御厨アパート前]


 御厨は、後輩の田中一等陸を呼んでいた。昔を懐かしむためではない。不要になるバイクを引き取ってもらうためだ。そして少し情報を探りたかった。

 


 突然の申し出に多少、困惑していた。バイク好きがバイクを乗らなくなるのは、よほどの理由があるからだ。

 「バイク便の仕事、やめることにしてね。買い取りセンターにでも出そうかと思ったんだが、君もバイク乗るのが好きだったと思い出して」

御厨さんが、部下達の趣味を把握している事は知っていた。

「確かに御厨一等・・御厨さんほどの方が、なぜバイク便など、と言っては失礼ですが、もっと相応しい仕事があると思っていました」

「職業に貴賤はないよ」

「はい。失礼しました」

「ごめん、上官でもないのに説教してしまって」

「とんでもありません。今でも、御厨1等陸佐は私の上官です!」

御厨さんはくっすと笑った。

「ありがとう」

「ありがたい話なんですが、なぜ自分にこんな大切なものを」

「僕が一緒に歩んできたのは自衛隊の生活だけだ。その他には、このバイクしかない」

「確かに自分も買うつもりではおりましたが、車検も1回しか通してらっしゃらないんですよね。タダで頂いても宜しいのでしょうか?」

「もらってくれるとありがたい。君だったら、大切に乗ってくれると思うから」

「恐縮です。ありがたく頂戴致します」

「申し訳ないが、名義変更は君の方でやってくれ。三文判の印鑑はメットインに入っているから」

「もう、バイクは乗らないのでしょうか」

「また、機会があれば」

 余計な詮索をやめよう。何かしら企んでいる。本来なら、元自衛官の挙動不審は情報保全部に通知する義務がある。それも折り込み済みで譲ろうとしてくれている。しかし目の前の元上官は、そこまで斟酌してくれるだろう期待も投げかけている。

 退職の理由を知ろうと、上村隊長と一緒に、独自に調査していた。そして「J」の存在を知り、浜々原発の顛末をおぼろげながら把握し始めていた。「いろは進行」なるものが、現在の国政に少なからず影響している事も。この状況もとある機関から監視されている。

「とにかく、新しいお仕事、頑張って下さい」

そういってバイクに跨り、持ってきた自前のヘルメットを被ろうとしたが、御厨さんが遮った。

「ひとつ教えてくれないか」

一旦、ヘルメットをタンクに仮置きする。

「何でしょうか。差し支えないことであれば何でも」

「今度の首相就任演説、君たち第二中隊も駆り出されているのか」

「申し訳ありません。その質問にはお答えしかねます」

毅然と即答する。

「そうか。そうだよな。すまなかった」

「御厨元一等陸尉殿。ただ今の質問は、情報保全部の規定に抵触する恐れがあります。聞いた以上、私には上官に報告する義務があります」

御厨さんは、優しく微笑み、敬礼する。

「そうだよな。田中一等陸尉殿。報告、宜しくお願いします」

合わせて敬礼する。

「それでは引き取らせて頂きます。失礼します」

ヘルメットを被り、キーを回しセルを回すが、なかなかエンジンがかからない。

「あれ、おかしいですね」

わざとエンジンをかける前にアクセルを回していた。今一度、セルを回すと、一気に吹き上がり、あたりが騒音と異臭が立ち込めた。その後も、何度もエンジンを吹かす。

「暴走族じゃあるまいし。せっかくの静音マフラーが台無しだよ。どれ・・・」

御厨さんはたまりかねて近寄った。

「おい。君もバイク乗りなら」

アクセルをとあるリズムで吹かし、顔を向けると、御厨さんに思わず笑みがこぼれた。

「懐かしいな」

そのまま走り出す。ギアチェンジも妙に不規則に。

『ト・ウ・ホ・ク・ト・ウ』

モールス信号。東北東エリア。伝わったはずだ。ミラー越しに、手を振る御厨さんの姿が少しづつ遠くなる。

 交差点を曲がり、国道に出ると信号に引っかかった。気が付くと、クリーニングしたばかりのシールド越しの景色が歪んで見える。次会う時は、もうただの元上官という立場ではないだろう。









[同年 11月 首相就任式典 前々日 未明 御厨アパート]


 目を覚ますと、部屋を暖めるエアコンの音が聞こえる。体を重ねたはずの相手は窓から外を観ていた。日を追うごとに、眼光が鋭くなっていくその眼は、何を観ているのだろう。

「いつも私が起きる前に起きるよね」

「あぁ 起きたのか」

「何を観てるの」

「いや 特に何も。夜空は、見え方は分かるけど、紛争地域にいっても空は空だ。ぼーとして観るのはちょうどよくて」

「ふ~ん 臭いセリフ」

布団から出てTシャツだけをはおる。冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、口に含む。

「明後日、首相の就任式典だよね」

夜空を見上げていた顔が気持ち上向く。

「それが何か」

「やっぱり行くの」

「何処に」

「樋口さんを殺しに」

「知ってたのか。いつから」

「進行表を知らされた時から。あなたの負担にならないように、ずっと知らないふりをしていた」

「そうか。ごめんな。気を遣わせていて」

「私は井上さんの面影を、あなたに」

「それもお互い知った上だったね・・・」

沈黙の帳が部屋を包む。我慢しても勝手に涙が溢れ出てくる。

「ねえ このままって、やっぱり無理だよね・・」

「無理 ― ・・・だな」

 ためらってくれた。即答だったら余計に悲しい。

「だよね」


これ以上言葉は交わせなかった。最後の逢瀬だった。











[某年 11月11日(日曜日) 夜明け 就任式典会場周辺]

 

 演説開始は午前10時予定。夜明けの朝日は好天を予見させる。演説会場につながる主要道路には、昨晩から検問所が設営され、警察と自衛隊がタッグになって1週間前から周辺警備にあたっている。特殊作戦群も、僕のいた第一中隊が前線、井上のいた第二中隊がバックアップで待機している。

 

 前日から、狙撃ポイントに設定したこのマンション屋上に忍び込んでいる。ポイントは地図上でいうSAT管轄と作戦群管轄のエリアが被る部分に設定した。組織が違う通しでは、阿吽の呼吸ができず、お互いの縄張りを意識して、どうしてもエアポケットのような個所が出やすくなる。まさに、いまここはその場所だ。時間まで、体を冷やさないよう毛布をはおり、今しばらく様子を伺う。

 8時あたりから、次第に人だかりが増えてくる。主要道路を完全封鎖した検問所では、金属探知機と持ち物検査でごった返している。一体、何人の警官と自衛隊が動員されているんだ。

 この国で初めての憲法改正。首相は、直接自分たちで選んだ指導者だ。盛り上がりは必至だ。良くも悪くも、停滞していたこの国に活気が出てきたのは事実だ。樋口のやっている事は、決して間違いではない。甘いマスクと若さ、鈴木防衛大臣を脇で支える敏腕副大臣。佐藤内閣の人気の何%かは、樋口の潜在的な支持率だと彼女は分析してたっけ。

 狙撃ポイントから一番近くで警備にあたっているのは、北エリア担当の第二中隊第二小隊の10名。今は上村が小隊長やっているはずだ。指導していたのが懐かしく感じる。できは悪かったが、とにかく底意地を張るやつで、血尿が出ようが吐きすぎて喉が傷つき血反吐を吐いても弱音は吐かなった。いずれは指導者になると思ったが、もうなったのか。

半径1200mの範囲の目ぼしい狙撃ポイントは全て抑えられていた。1km+2割増しという計算だったのだろう。防御策も立てられているはず。それ以上の距離は警備予算が追い付かなかったのだろう。

 演説の場所は国会議事堂に隣接する公園。特別に設置させる演台は、明らかにアメリカの大統領就任式を意識したものだ。公会堂やパブリックビューイングで敷地内ある公会堂や音楽堂にも同時配信されるようになっていた。

 溢れる返る人込みの中に、テレビ局スタッフとして道行く人にインタビューをしている智子の姿も伺えた。彼女は彼女で、自分の本分を全うようとしている。



[同日 10:00 就任演説開始]


 狙撃の準備は、全て整っていた。後は、その瞬間を待つばかりだ。北東1200m離れた10階建マンションの屋上。ビル群が折り重なり、狙撃着弾点までの仰俯角は2度、水平角1度しかないが、これで充分だ。監的スコープで覗く。時報同時に、舞台袖から佐藤初代公選制内閣総理大臣は、威風堂々と胸を張り、演説台へと歩いていく。その後方には、樋口を始め、官房長官他主要大臣が列をなして着座していた。SP連中は、レシーバーで連絡を密にしながら、人ごみから遠方まで視界を伸ばしている。ワンセグで、放送も確認する。

「あー 初代公選制内閣総理大臣 佐藤 晴彦です」

 佐藤内閣総理大臣は、お得意の抑揚の効いた口調から、憲法改正から公選制内閣になった意義、そして先の震災による真賀陸の原発の事故、浜々原発の占拠事件に触れ、国防論を熱弁する。先のミサイル着弾事件に及び、9条論議に入った。

 レティクル越しに、樋口を捉える。丸見えだ。

 テレビ画面に映っていた佐藤首相の画像に、突然に蜘蛛の巣が張った。1張2張。首相前演壇の前に張り巡らされていた透過率の高い防弾ガラスが銃弾を防いだ。サイレンサーを使っている。狙撃だ、の声と同時にSPが一斉に佐藤首相に群がる。会場には悲鳴と怒号が飛び交い、パニック状態になる。瞬時に狙撃ポイントをサーチする。南西の方角。5階建てビル屋上。距離はおよそ300m。銃は豊和M1500。ギリースーツを来た狙撃手の姿が見える。あすこはSAT隊の管轄だったはず。マッチポンプか。

 監的スコープに切り替えて演台周辺を確認する。黒服が1か所にわさわさと集まる様子はまるで砂糖に群がる蟻の様相だ。会場周辺で、場発音が響きく。3か所、同時爆破テロが起こり、黒煙があがる。そちらはマッチポンプなのか、それともの国内外のテロリストの所業なのか、少し考えを巡らせたが、直ちに考察を停止させた。予定通りだ。目標は佐藤首相ではなく樋口だ。既に、シナリオ通りに事態は進捗している。

 

 

 厳重に警備網が張り巡らされた演説会場は、御厨の狙撃ポイントではなかった。

 公園に隣接した国会議事堂へのエスケープルートとなっている建物と建物の間、5メートル程の継ぎ目こそが、狙いであった。あらゆる要素を考慮すると、このルートしかなかった。

 


 SPを数十人侍はべらながら、肉体カーテン越しに佐藤首相が運ばれて行く。何か滑稽に見えてしまう。当事者たちは文字通り命がけなのだか、命がけだからこそ滑稽なのかも知れない。樋口は一緒に行動している。佐藤首相は成されるがままだが、樋口はJの眼力で周囲を確認している。繋ぎ目の危険性も重々承知しているだろう。既に、照準は合わせてある。一行は一旦建物に入り込む。しばらくすると建物を通り抜けた継ぎ目の所に、最初のSPが周囲を確認しながら姿を現す。肉体の壁はより一層悲壮感をまして身構える。樋口の姿はかけらも見えない。

 

 

 樋口は、SPのサンドイッチに辟易していた。

 

 

 とにかく暑い。暑苦しい。狙撃は予定通りだ。爆発は本物。恐らく、北の某国の攪乱だろう。あちらは囮で、こっちにはどう出てくる。携帯で森田に指示を送る。本来なら、防弾車で逃走が基本だが、ロケットランチャーでも使われると防ぎ切れない。建物の出口が近づく。唯一の脆弱ポイントだ。御厨は、ここを狙って来るだろう。どうする。素直には殺されない。

 唐突に携帯が鳴る。着信音はお気に入りの映画音楽。導かれるように懐から取り出して画面を見ると、ふっと笑いが込みあがった。

「そう来たか」

携帯を握ったまま、おもむろにSPを掻き分ける。止めようするSPたちを難なく振り切り、空を見上げる。

「そうだな―」



 1200m先の御厨は、これ以上のないタイミングで引き金を引く。

 銃声が鳴り響く。弾道という空気の螺旋の渦が生まれ、消える。

 7.56mmNATOカスタム弾は、銃身の形状により螺旋運動となって樋口に進む。風と地球の自転が複雑に影響しながら、上下左右に地軸に対し弧を描いて樋口の胸部正中に着弾し、心臓を打ち抜いく。貫通した弾丸は後方のSPの防弾チョッキを貫く事なく、慣性のエネルギーを消失させた。

 樋口は何の戸惑いもなく膝から崩れ落ち、肉体の壁に埋もれていく。怒号を挙げもう意識のない樋口を運んでいく。その姿を見た佐藤総理大臣は、表情を変える暇もなく扉の奥へと奥へとSPたちに運ばれていた

 御厨は、監的スコープで確認すると、踏み荒らされた赤い足跡が幾重にも重なり不連続な幾何学模様を浮き出していた。狙撃は成功した。生死の確認は必要なかった。全ての状況証拠が目的の完遂を示していた。

 

 

 ヘッドショットはできなかったよ。井上。

 佐藤初代公選制内閣総理大臣殿。おめでとう。あなたの総理としての地位はより強固なものになるでしょう。テロに屈しなかった指導者として。樋口の死は、その礎となるでしょう。願わくば、そのままのあなたでいて下さい。臆病なままで。一介の為政者として職務を全うして下さい。


 

 御厨の傍らには、井上から預かったガラパゴス携帯が転がっていた。「送信しました」の画面になっていた。

 

 

 この携帯の持ち主は、樋口卓。斥候任務の時に、井上の部下が預かっていた。処理に困っている所に、たまたま井上がその話を聞いて、預かっていた。偶然の産物か必然か。この携帯で2回電話をかけ、2回空メールを送った。直ぐに出られない状況を見計らって着信だけ残した。3回目は、何があっても取ると踏んでいた。こちらの罠と分かっていても。

 抱えていたM24を丁寧に床に置く。もう用は済んだ。必要ない。暗殺の記念品として接収してもらおう。その他の機材も同様である。間もなく、狙撃ポイントは割り出され、特殊部隊の連中が駆けつけて来るだろう。できれば特殊作戦群に先着してもらいたい。このまま逃走する事は可能だ。Jとして身に着けた資力はそれを担保する。しかし存在理由はもうない。井上との約束も果たし、第1次J小隊は、僕の存在の抹消で終いだ。人殺しの出来ない兵士などいらない。人殺しができる兵士も、もういらない。

 頸動脈を人差し中指の第1関節より先で押さえる。ぷっくりと弾力を帯びて、血液の流れを確認する。検死結果だと下顎ラインからおよそ35mmあたりに左頸部に銃創との記述だった。概ね、その位置を確認し、警備警察から拝借したH&KP2000の銃口を当てる。頭に浮かんだのは、彼女の泣いている姿だった。



 再び、喧騒に銃声が響く。

 その音源に特殊作戦群第1中隊第2小隊は、上村隊長を先頭に以下10名の隊員を引きつれて、その銃声が響く前から目標を定め、自動小銃M4カービンを両手で携え走っていた。



 怒号と軍靴の音が次第に近付いてくる。予想より早かった。さすが見込んだ部下達だけあって狙撃ポイントの割り出しは迅速だ。しかしながら、容疑者として蘇生措置を受ける訳には行かない。

 次々と現着する隊員は、皆知った部下達だ。最後に現着した上村が、僕の姿をまじまじと観察する。そうだ、敵のダメージをしっかり観察するんだ。息を切らして、ヘルメットの防弾シールドが呼吸の度に白く濁っては消える。そのシールドに、あの時の井上と同じように首筋から鮮血が流れ出て悶える自身の姿が映っていた。無様だった。Jではなく作戦群第1中隊隊長として鍛え上げた隊員たちがそこに屹立していた。副隊長の田中は、今にも泣きそうにしわくちゃな顔になっていた。馬鹿野郎。任務遂行の場で、泣く奴があるか。上村を見ろ。元上官の、この有様を見ても顔色ひとつ変わっていない。だが、こんな

上官ですまなかった。できればこのまま苦しみもがいて死にたい。井上の苦しみを味わいたい。どうか生き恥だけは晒さないで欲しい。

 僕が知らない隊員―衛生員のバッチを付けた隊員が近づいて来る。そのまま持っていた銃を上げようとした刹那、上村の号令が劈いた。

「目標の死亡を確認。全員、現場保全。SAT他については他テロリスト探索の障害になると思われる。一切この屋上に入れるな!」

 田中がシールドをあげ目を袖拭い、はっとして続ける。

「現場保全。屋上入口を確保、制圧。蟻1匹入れるな!」

 その時、第二小隊全員が上村の意図を酌んだ。僕に向かって田中は敬礼しようとした。

その行動に他の隊員も倣い手を挙げかける。

「馬鹿者。テロリストに敬礼する防人が何処にいる。現場保全を徹底しろ!」

 上村の怒号がとび、一瞬で行動が反転する。田中だけは食い下がる。

「隊長!しかしながら目標、いや御厨元1等陸尉は、我々の先輩で上官であった方です。ここにいる全員、薫陶を受けてきた。せめて見送るだけでも・・意見具申を!」

「だめだ。命令違反で現場の離脱を勧告するぞ」

 田中は声に出そうと思った言葉を飲み込み、引き下がった。ぽつりと、貴方の命も守った上官でしょうに・・・と歯噛みしながら元の位置についた。上村は正しい。田中に言ってやりたかった。僕はテロリストであり、思想犯であり実行犯だ。未来永劫、犯罪者として記録される。井上と同じように。いや違う。死線を一緒に乗り越えた戦友、親友、同僚、同胞を二人も殺している。ただの人殺しだった。

 僕も井上のように人になりたかったのだろうか。自衛官という枠を外れた途端に、それまで培ってきた価値観は、何もかも不要に思えた。僕が守りたかったものは何だったのだろう。守るべきものに値するものだったのだろうか。

 何分たっただろう。もう血の味で溺れ、呼吸ができない。体も自分の意志では動かない。不随意反射だけが生命の存続を主張していた。完全に気道が塞がれた。こんな苦しい思いさせてしまったのかと後悔していた。自爆テロをやろうとしたあの子のように、ちゃんとヘッドショットを決めてやればよかった。体は仰向けになったままだ。

 目に映るのは、雲ひとつない青空だった。都心で空気は澱んでいるはずなのに、やけにきれいだ。世界の紛争地域でも空の色はかわらない。まぶしさのせいか、ただ、気道の損壊による反射的な反応だったのか分からない。目元に少し滲んだので涙だと思った。国の為とか何かいろいろな理由があったはずだった。頑張ってきた。我慢できた。ただ、今際に浮かんだのは、目の前に広がるこんなきれいな青い空があれば、何も要らなかったと思った。井上も見えていたのだろうか。

 そうだ見えていたんだ。人に戻ったから見えたはずだ。もしかしたら樋口は、この青さを分かっていたのかも知れない。分かっていたからこそ、その下で、見上げる事を敢えて拒絶したのだ。僕だけでなく、人はこれ以上を望み、その罰を受けたのだと。それに気づき、確信となった今、その空の光りは眩しすぎた。次第に、累々と闇になってきた。



 副隊長の田中は、屋上につながる階段から再度、軍靴独特の鈍い音が不連続で響いてくる事に気が付いた。SATも狙撃ポイントに気が付き、一段下の屋上に1個小隊程の人数がドカドカと駆け上がってくる。田中は思考を巡らせた。

 

 

 伊達に特殊部隊を名乗っているだけの事がある。こちらが先着も先刻承知済みで、副隊長と思われる先頭の隊員には、先駆けに至らなかったバツの悪さが表情ににじみ出ていた。こちらも隊長の命令に従い、屋上に至る通路を完全に遮断している。目の前で一斉に停止、後方から隊長と思われる人物が前に出る。見た顔だ。愛知県警SATの田辺。何度かテロ対策の合同訓練をした間柄だった。

「ここに樋口防衛副大臣を狙撃したと思われるテロリストがいるのは明白です。治安出動の命は出ていますが、本来、犯人の検挙は警察庁の管轄です。直ちに特殊作戦群小隊一同は現場を放棄し、我々に一任願いたい。これは、明らかに越権行為という範疇を超え、違法行為にあたります」

 そうだ。元々、そんな事は想定されていない。

「田辺隊長殿。そちらの進言はごもっともです。区割りとしても私たちは東北東エリア。そちら北北東エリアで、そちらの担当区域でした。しかしながら、自衛官にとって命令は絶対です。現在、我が小隊長により現場の保全を命じられております。既に容疑者と思われるテロリストは死亡が確認されております。隊長は、仲間のテロリストによるテロ行為の危険性があり、まだ治安出動の範疇内であると判断、現場の保全を最優先として行動しております」

目標はまだ悶えていた。私の肩越しに田辺は声高に叫ぶ。

「上村隊長殿。聞こえているでしょう。早く、現場移譲の命令をお願いします。こんなことが看過されると思っているんですか。」

 不意にこれまで聞いた事のない音が、いずこからか響いた。肉が裂けたの骨が砕けたのか鈍い音が晴天に重く響いた。その場にいた全員がその音に気がついたが、音源は辿れなかった。

 抜けるような青い空の下で、報道関係のヘリが近づいてくる。目標以外の時間がとまったように、うめき声と体をよじり服とコンクリートがすれる音だけが時間の存在を思い出させる。完全に静止できない各自の揺らぎをお互いに感じ取っていた。

「我々にとって上官の命令は絶対なんです。その命令が、たとえ死地に行く事でも、戦友を殺す事だって絶対なんです。もし、要求を通したいのであれば、隊長より上位の官から上位命令をさせて下さい。中隊長でも大隊長でも。幕僚長、いや佐藤内閣総理大臣でも構いません ― 」

田辺はいら立ちを露わに、最終手段に打って出てくる。

「どうしても放棄して下さらないのなら、実力行使に出ます。公務執行妨害を適用し、これを排除します。これは警告です。この会話は録画、録音しています」

田辺が号令を下す。

「全員構え。目標、前方公務執行妨害者に狙いを・・・」

 反射的に作戦群も全員、銃を構える。ベルトやカラビナ、安全装置のシフトを外す音。不連続に機関銃に纏わる音が至る所で鳴り響いた。3メートル程の至近距離でM4カービンとMP5A2の銃口を向けあう。互いに5.56mm弾がマガジンで引き金を引かれ射出されるのを待っている。既に命令は出ているのだ。

 誰一人入れるな。その目的の為には手段を選ばない。人員はSATの方が倍近くいる。銃の性能はこちらの方が上だ。お互いに十八番の武器と装備を抱えながら、本来なら「国民の公共の福祉を守り、国益に付する者」同士が、一人のテロリストを巡り、向けてはいけない銃口を向けあっている。

 にらみ合いが、何秒、何分続いたか分からない。テロリストがのた打ち回る姿とヘリの音だけが交錯する。さらに後方から足音が聞こえる。遅ればせながら機動隊も近づきつつある。知った外事課の連中も来ていた。ヘリで事態に気がついたマスコミも押し寄せているようだ。

 これ以上は、もう無理だ。

 気が付くと元上官で元先輩のテロリストは完全に静止していた。不随意運動もせず血液もあまり流れなくなっていた。衛生担当の隊員が取る必然性のない脈を取り、隊長に一瞥をした。上村隊長は何もしゃべらなかったが、副長である自分には、全てが終わった事が理解できた。

「隊長の指示により、現時点で仲間と思われるテロリストの存在については忌避されました。現時刻を持って、現場保全を特殊急襲部隊に委譲します」

 同時に階段の前に立ちはだかった作戦群隊員が構えていたM4カービンを下ろすと、迷彩色でできたパッチワークの壁は崩れ、隙間にSAT隊員たちの黒い物体がなだれ込んでいった。

 すれ違い様にSATの隊長は、鬼の形相で上村隊長を睨みつけていたが、隊長はその視線など何もなかったように鉄面皮のまま、登ってくる人波をかき分けて階段を下っていった。SATの副隊長から囁かれる。

「完全に警察機構のメンツをつぶしましたよ。いくら作戦群の小隊長といえども、ただではすみません」

そのまま、少し同情も含めた苦笑いを浮かべながら

「うちの隊長は受けた屈辱は、必ず返す人なんで」と付け加えた。

思わず、こちらも苦笑する。

 振り返りざま、絶命したテロリストはSAT隊員の無意味な心臓マッサージと首の治療を受けていた。AEDや強心剤と思われる注射器も用意され、これまでの静寂が嘯いているかのごとく、怒号とざわめきがその場を満たしていた。

 自衛官としてではなく、ただのテロリストとして裁かれたのだろう。あの時、私たちが敬礼し、目を閉じたならば、自衛官としての晩節を汚すことになったかも知れない。元上官は、犯罪者として扱われることを望んだのだ。目は見開いたままだった。見上げる青空が惜しいように慈しむように。




















[防衛大学校 卒業式 講堂]

 

 長期政権となった佐藤内閣総理大臣の訓示が終わり、いよいよマスコミ垂涎のセレモニーが始まる。卒業生代表の訓示の後、合図と共に軍帽が一斉に宙を舞う。幾重にも重なりながら、歓声とともに。毎年の恒例とはいえ壮観の極みだ。百花繚乱という言葉が相応しい。どの学生も苦しい4年間を凌いだ充実感を携え満面の笑みを浮かべて館外へ走り出してくる。ほとばしる若さは何者にも代えがたい特権だ。ひと段落すると陸上グランドに、陸海空それぞれ、幹部候補養成校に進む面々が、部隊ごとにトラックを行進してく

る。

 ここ数年、あれだけ張りつめた近隣諸国の緊張関係は、樋口防衛副大臣の暗殺後、徐々に氷解し始めていた。単純にタカ派の大臣が、というだけではなかったはずだ。それ以前は、ここの卒業式もかなりの警戒態勢が敷かれていた。昨年あたりから、雰囲気は一気に和やかになっている。

 保護者の観客席から離れた所で、それらの行進を上村教官と二人で見つめる。取材に来ていた智子さんが、私たちの姿を見つけ、近寄ってくる。浜々原発占拠事件と防衛大臣暗殺事件に少なからず関わった人間が、今年も集まった。

 私たちを遠目でみていた、一人の男がすっと近づいてきた。近づく姿を確認すると森田防衛大臣秘書官。殺された樋口防衛副大臣の時の秘書官だった人だ。

「すみません。上村教官はお久ぶりです。」

上村教官は敬礼する。

「防衛大臣の秘書官をやっております。森田と申します。私もここのOBです」

思わず向き合う民間人二人。

「ちょっとお時間宜しいでしょうか。あれから3年経過したのでお伝えしたいお話があります」

森田秘書官は、行進でざわめく喧騒をBGMにして話を始めた。



[同日 防衛大学校 校庭 一角]


「実は、毎年、皆さんの同窓会も片隅で確認はしておりましら。お話したかったのは山々でしたが、樋口さんから『3年』ときつく申し送りされていたので・・」

「それで話って」

智子さんがせっつく。

「実は、樋口さんは御厨さんに暗殺されることは承知、いや願っておりました。就任式典の何日か前に、お話を聞かされました。SPも外して普通の居酒屋チェーン店に行ったんです」


森田秘書官は、樋口から伝え聞かされた事を淡々と語った。

 


 原発によるこの国の焦土作戦など愚の骨頂だ。どう考えてもありえない。誰もが、普通はそう思う。しかし、可能性は0%ではない。人が扱う以上、常に可能性は0にはなりえない。威嚇のみ成立する核の脅威は、その信憑性がなければ担保されない。その担保として、私はもっともの大切な戦友を騙し、その信憑性の担保になってもらった。あの二人が進行表を企んだ戦友を、本気で殺しにかかり、そして殺した。それだけ事態は切迫した証拠になる。真実性が輝きを増す。

 

 それこそが私が考えた、この国で唯一の幻による核武装だ。


 少なくとも核保有国の各諜報機関とその分析機関に、コールタールを擦り付けるぐらいのインパクトは与え、こびりついて剥がせなくなったはずだ。この国の情勢を読み解く上で、基礎データとしては永遠に残存し、先の大戦で吹き荒れた「カミカゼ」は、再度世界の軍事バランスを席巻する。これだけの事件が表と裏と、駆け巡ったのだ。各国の情報部は、無意識にこの国なら遣りかねないと必ずどこかで考えるはずだ。中東情勢に欧米が手をこまねいているのも、通底しているのは「カミカゼ」という思想だ。アメリカは9.11以降、「特攻テロ」へのアレルギー状態に陥っている。祖国の為に何をするか分からない概念は、現在の電子ネットワークによるグローバル戦術においては、リバイアサンのような巨大な怪物へと変貌させてくれる。

 暗殺に成功した暁には御厨も生きてはいまい。私たちは、掲げた大義のために、全ての憎悪を飲み込んで、死地に向かおう。わが祖国に咎のない人命を、実戦の研鑽の為に消費し続けた悪魔たちは、この命を持って贖うしかない。悔恨も慚愧もない。

 それにしても、あの時と同じく、ジョーカーは最後まで御厨だった。本当にすまない。どうせ落ちる先は地獄だろう。閻魔様の前で、御厨の弁護だけはしてやらないと。

 Jよりずっと前から、核武装集団は発足している。その存在に気が付いた時、戦慄とともに義務感も生まれた。放置できない。ならばいっそ入り込み、イニシアティブを握ろう。そう考えた。集団の扱いはJと一緒だ。もう、発端は誰も知らずの連綿と自動システムが継続している。真賀陸の事故の時、尋常ならないスピードで集団は暗躍した。ただ、頼り切っていた牽引役がいなくれば、多少は進捗の歩みは遅くなるだろう。悪魔の使う兵器だ。こちらも悪魔になるしかあるまい。この国ならさしずめ鬼か。鬼でも何でもなってやろう・・・

 また別の樋口が何処ともなく現れて、進行表は進むかもしれない。それでも、また別の井上と御厨が現れて、カウンターとなって止めてくれるはずだ。物事の慣性の法則があとは何とかしてくれるものと信じている。

 総理が暗殺されても、暗殺未遂で終わっても、無事平穏になっても憲法の更なる見直しは変わらなくなった。核武装論が台頭すればするほど、この国の民は、否応なしに進むべき方向性を真剣に考えるはずだ。

 

 

[就任式演説 数日前 夜 某居酒屋]


 滔々とビールを飲み、とんでもない内容を語る樋口に、森田軽いパニックに陥っていた。

二人用の個室とはいえ、辺りは学生コンパで、はしゃぎまわってやかましい限りだ。

「SPなしで大丈夫ですか」

「これまでの話を聞いて、私にSPが必要だと思うのか?」

「確かにそうですが・・あと、誰かに監視されていませんか?」

「もう私の所に監視はつかないはずだ」

「なぜです」

「Jにとって尾行の有無など本当はどうでもいい話だ。その気になれば、いくらでも撒けるし、存在自体を消してしまうのも可能だよ。ただ、おのおのの不文律に則ってやらないだけだ」

樋口の軽い口調の裏腹に、言葉の強さに森田は戦慄を覚えていた。これも計算なのかと思いつつも、森田は恐る恐るどうしてもしたい質問した。

「本当に弟さんの件は、割り切ってらっしゃるのですか。」

「卓の事か。肉親だから割り切れた。仮に、もしお前だったら、井上と同じ、いや、もっと別な効果的なやり方で復讐したと思う」

「えっ?」

森田は予想外な答えに、素直に驚きを隠さなかった。その反応に、樋口も反応する。

「なんだ、意外そうな顔だな。いや、これは人というか生物行動学の観点から考察すれば、根本的に血族だけは大事にするが」

といった所で残りのビールを飲み干した。

「私たちJにとっては、血族以上に『自分たちが育てたもの』に対する愛着、いや執着といってもいいかも知れない。大事なんだよ」

しばらく会話が途切れる。森田が黙ってしまった。

「だって、それしかないんだよ。何百何千もの命の犠牲の上に築いたものだ。形はどうあれそこから得た力を後身に伝え、育む義務がある。論理破綻しているは承知している・・・お前も自衛官の端くれなら分かるだろう」

少し酔っているのか、と森田は思った。

「申し訳ありません。端くれですが、切ったはったの世界がダメで秘書官になったものですから。ただの軍事オタクだったんです。今でも、こんな情勢では胃が痛い毎日です。樋口さんがいるから何とかやっているし、モティベーションも保っているんです」

樋口は、思わず噴き出した。おしぼりで口を拭う。

「そんな人間だから、いいんだよ。現場上がりのたたき上げ人間が政府要職に就いたりしたもんならば、内情知った途端にクーデターでも起こすんじゃないか。そういった所で、君は現状の分析がしっかり出来ている。前例や慣習に囚われずに何が最善かを見極める力がある。必要以上の事はしないし、必要なことは2割増しでやってくれる。自信を持ちたまえ」

「相変わらず褒め上手ですね。そんな風に言われると頑張るしかないですね」

「だからこそ、蔑ろにされたくない。申し訳ないが、足りうる理由で殉職するなら、それは自衛官にとって本望であり当然の結果だ。たとえ使い捨ての任務であろうと。だから命がけの信頼関係が必要になる。同僚と同僚。上官と下士官。小隊と中隊、中隊と大隊・・・そして国と、だ。その国に命が預けられない、守るべき国でなくなった時に・・・」

持っていた空のコップを置く。

「井上はそう判断したのだろう。御厨は、井上の意志を継いで動いている」

「御厨さんが?」

「私が一番嫌いなカンが騒いでいるのと、この1カ月、機関が何日か行動をロストしている。決断をしたのだろう」

「怖くないんですか」

「やはり怖いよ。自分の死が間もない確信が誰よりも理解できる。御厨に狙われたら、現在の要人警護の予算は倍にしないと難しいだろうな」

「であれば、演説会は中止したら。テロ計画が発覚したとか」

「それこそ本末転倒の話だ。政権は一気に崩壊するぞ。それに、私の計画まで頓挫してしまうよ。井上の時と違ってきっちり殺してくれるだろうか。今度はしっかりと脳天なり心の臓をきっかりと打ち抜いてほしい ― 」

森田は、これまで幾度となく見せつけられた樋口の決意の顔を垣間見た。

「それでも私は・・・」

そんな顔はみたくないと森田は俯く。

「もし願いが叶うなら、こんな思いをした先人に会って話がしたいよ」

樋口は自虐的に微笑んだ。こんな風に笑えるのだと初めて森田は思った。



[現在 防衛大学校 校庭]


 田中は、森田の話を聞いて、昨今の緊張緩和の大きな要因は、樋口の思惑の結果だと理解していた。

「だとしたら、3人のおかげで周辺諸国が自重し始めたと・・・」

「そうですね。更に世界の特殊部隊でも有名な二人が為虎添翼いこてんよくになりました。なにせ東洋人差別を超えてSASやデルタフォースにもスカウトされた3人ですから」

森田はさらりと答えた。

「こんな重要な話を簡単にしちゃっていいんですか」

智子が目を丸くして言う。

「ええ、樋口さんから『あの二人に纏わる人間だったら構わない。それに、お前の判断も信頼している』とおっしゃっていました。今、こうして話してみて、確信になりました。皆様だからお話できたんです。田中さんが、あの3人の事をずっと調べていたのも知っていました。少しでも裨益になればと・・・」

森田は続けた。

「私は思うんです。あの方たちは、大勢の人を殺しました。もちろん、純粋に戦闘という絶対的な状況下においてです。当たり前だと思いますが、想像を絶する筆舌しがたい自責の念に苛まされていたとは思います・・・この国では、人殺しは司法か人の悪意のフィルターがかけられます。前者はその根拠を国が担い、後者は非合組織や犯罪者たちです。でもJの方々はどうでしょう。国を守るために、対象者の善悪に関わらずこれを斃す。そんな経験をされた先人は、殆ど残っていなかったでしょう。3年間の実践を経験し、生き残った3名は、もう存在しなくなりました。元々、裏側の施策でしたが、縮小の方向のようです。やはり、

諸刃というものは扱いにくいと偉い方々は痛感したようです」

 表情はそのままだが、黒縁のメガネの奥から、どっと涙が溢れている。童顔も相まって、転んだこどもが痛みにやせ我慢しているようだ。

 智子は、排気塔での井上を思い出していた。自衛官って、実はものすごく純粋で繊細なのだろう。

「調べれば調べるほど繙けば繙くほど、どうして樋口さんたちは死ななければならなかったのでしょう。井上さんだって、ああいった手段に出るしかなかった。御厨さんも、自分の任務と友情に恭順しただけです。樋口さんだって・・・」

次第に鼻水も出て、声が裏返ってくる。

「あの人たちが望んだこの時この場所に、あの人たちがいないのが理不尽というか納得できないんです。でしょうがないんです。どうして国のために、あれだけ働いた人たちが。悲しい。ただただ悲しいです・・・」

 今更ながら、自分が泣いている事に森田は気が付き、慌ててハンカチ取り出して拭った。

 

 しばらく沈黙が続いた。ブラスバンドの喧騒だけが時間の経過を認識させる。

 

 田中が、うんと頷きながら口を開いた。

「月並みで陳腐な言い方になってしまいますが、大勢殺した事によって、誰よりも命の尊さ、尊いというより貴重さという方が正解かもしれません。反面、架空の世界で死は氾濫、横溢しているといってもいい。これだけの命を奪った。国防の礎として。森田秘書官は、ここ以外は事務職だけですか?」

「そうです。実戦訓練はこの学校のみで、あとは事務職」

「かの震災で津波被害の復旧作業任務は。啓開作業とかには?」

「行かさせて頂きました。短い期間でしたが」

「では、森田秘書官もご存じですね。お恥ずかしい話ですが、特殊部隊に居ながらもう30過ぎていたにも関わらず、ああいった災害で亡くなった方を見たのは生まれて初めてでした。祖父や祖母は大往生でしたから。至る所から発見される遺体。何十何百と。それも五体が揃っている訳ではありません。首がない臨月のお母さんが小さな我が子を庇うように抱きしめていた遺体も発見しました」田中は、何かを思い出すように歩きまわる。紡ぐ言葉を探していた。

「何が言いたいというと、あの時、多くの自衛官が、初めて理不尽な死と対峙したんです。あいまって、己の死、自国民の死もさることながら、武力をもって戦えば、この手であのような惨状を生み出さなければならない。自分たちの死より、相手を殺せるか。任務であれば、必要があればたとえ女こどもであろうとも、攻撃されたならば制圧しなければなりません。『殺される』より『殺す』覚悟があるのか。あれ以来、現場の自衛官は常に自問自答しているんです。もし、他国から兵士が国土侵略してくれば、間違いなく対峙するのは彼らです。殺される前に、手にした小銃で相手を殺さなくてはならない。相手にも家族

がいる。母、父、息子、娘、祖父、祖母、友人・・・そんな事は考えずに引き金を引かなくてはなりません。祖国防衛の為に。それでも、未だこの国の自衛官は、Jだった人以外はその手を血に染めた事はありません。己を捨てて、生き残るために、ただひたすら功罪も知らない人たちを斃す3年間というのは・・・だから絶対に、無駄にできないという事。ずっと相応しい死に場所を探していたのだと思います。井上さんが、あの原発事故の怒りの大きさを示したのでは。樋口さんは、少しでも未来に利用したかったのでは。あらゆる憎悪を受けても、自分の信じる未来の為に、あれだけ憎まれるべき事故でさえも利用しようとしたのでは。正直、今考えてもあの時の判断の正当性など私には判断つきません。ただ、己の信念に殉ずるということは何ものにも代えがたい幸せなのかも知れません。立ち会えたことは僥倖でした。私は、どんな憧れを持っても、あのような生き方はできません・・・」

 

 田中は、淡々と自分の思いを綴り続けた。



[同日 防衛大学校 駐輪場]


 式典は続いていたが、仕事場に戻ることにした。またアーカイブすべき記録とかけがえなのない人の思いが発掘された。森田秘書官は、防衛省に戻ると言ってその場で別れた。また会う約束と握手をして。智子さんは、本来のマスコミとして再び式典に向かった。上村教官は駐輪場まで見送ってくれる。駐輪場から門までの道は、閑散としていた。 別れ際に、上村教官に尋ねる。

「上村さん」

「なんだ」

「樋口さんは、どうして森田秘書官だけに話したんでしょうか」

教官は、青い空に仰ぎ、熟考する。

「やはり、樋口さんも人になりたかったんじゃないか。何もかも呑み込んでは恰好良すぎる。恰好良すぎて息がつまるよ。襷を受けた方はたまらん」

「樋口さんは、そこまで計算しましたかね」

「そうでないと願いたい ― 」

「もう、現場には戻らないんですか?」

 上村教官は、あの時の責任を取らされていた。それでも、資質を考えればいつでも戻れたはずだった。

「ああ、もう戻るつもりはない。良くも悪くもあれ以上の現場は私にはない。今更戻って晩節を穢したくはないよ」

「あの出動の記録を改めて読み返しました。御厨さんの姿を発見してから、死亡確認、SAT隊との折衝まで、記録上はたったの5分足らずでした」

バックから用紙を渡す。


10:36 狙撃者発見。既に自決を敢行。頸部左側に創傷。大量の出血が見られる。

小隊長より目標の死亡と判断。他テロリストの検索及び現場保全の為、出入り口

の死守。

10:37 現状の維持

10:38 SAT隊の到着。現場の指揮権について折衝。警察指揮権の優先度の主張あり

10:39 均衡状態

10:40 均衡状態

10:41 衛生士、他テロリストの存在を忌避。第2小隊の作戦行動を解除。指揮権を

SATに移譲。


 上村教官が思わず吹き出す。

「なんだ。衛生士が危険性の忌避とは」

「それは・・」

「いや、私のせいだよな。分かっているよ」

 あの時、何回、M4カービンのハンドルを持ち直しただろう。ヘルメット越しに汗も拭えず、バカみたいに安全装置の確認と、いるはずもない敵のサーチングで首を振りますことだけだった。やることはそれぐらいしかなかった。上村教官は直立不動で、屹立していた。全体を常に見回して。

 上村教官は、目線を遠くに外した。そんなに短い時間だったのか、と思ったはずだ。あの場所を共有した人間は、皆、同じリアクション。あの時を思い返す。

「あの時、あの場所に居合わせた人間は、何を思い、何を感じていたのだろうと、今になって痛切に感じるんです。月日が経てば経つほどに、思いはますます強くなってきています。今時分で、一つの解はでているんですが・・・」

「今時分は?」

「意味を探り続けているんです。無意識に。無駄にしていけない。命がけで先輩方や先達が連綿としてこの国の在り方を示そうとしてくれた。それこそ、もったいないおばけがでてきますよ」

 めったに笑わない上村教官が、失笑する。緩んだ口元に白い歯がこぼれたが右側の隙間は暗がりしか見えない。

 あの時響いた鈍い音の正体は、歯を噛み砕だいた音だ。教官は、自らの右の下あごの奥歯3本と上顎3本を食い縛り砕いていた。顎も骨折していたと思う。相当量の出血と痛みだったはずだが、あの瞬間は誰も気にする余裕もなく、誰一人悟られていなかった。全ての理不尽を己の歯に集約したのだ。現場のマンションから降りたあと、隊長はほんの数分であったが物陰で隠れた。聴いていない事で皆と示し合わせていたが、何と言えない嗚咽と慟哭を全員が耳にしていた。佇んだ場所には歯と血痕は踏み潰し土に埋められていた。私たち下士官が只々感情的に狼狽している時に、誰より悔しい思いをしていたのだ。

 部隊長は何があっても感情を制御せよ。3人の先輩が異口同音に伝えた薫陶であった。その恭順こそが教官の最後の返答だったのだろう。

「君から『おばけ』なんて言葉が出るとは思わなったよ」

「実際の戦場に立ったとしても、あれ程苦しい事はないと思いました。まだ、生きるか死ぬか、という単純明快な理屈だったら、もっと割り切れたと思います。誰にも大義があり正義がありました。上村さんとっても同じように上官であり、大学校の先輩であったんです。まるで家族同士で殺しあっているのに、指を咥えるしかないこどもみたいな・・・」

「嫌なたとえ方だが、まさにその通りだったな」

「こどもにとっては、辛辣この上ないですよ」

語気が強まってしまった。

「我々の正義は祖国防衛と伴う命令遵守だ。死地に飛び込めと言われれば飛び込む。これが任務であり、絶対だ。もう民間人の君には縁のない話だが」

「もし、何かしらこの国を脅かす不届き者がいましたら、昔とった杵柄。勿論、戦いますよ。差し違えても」

「ありがとう。何よりも有難い言葉だ。俺は育てるよ。新しい防人たちを。それが育ててくれたあの人たちへのはなむけなんだと信じている」

「私も、青臭く正義というもの正体に、付かず離れず迫ってみようかと思います」

「何を残していったのだろう・・・」

独り言のように上村教官は呟いた。

私は確固たる意志で返答する。

「自衛官として」

数秒の間をおいて訂正する。

「人としての矜持を持って、この国を守ったんです」

上村教官は、見上げた空が眩しそうに帽子をかぶり直す。


「そのバイク、まだ乗っているのだな」

 教官は懐かしそうに跨った私に目をくれた。

「御厨さんから頂いたものですから」

「そうだな。大切なバイクだな」

「ええ、大切なバイクです」

 フルフェイスのヘルメットをかぶり、そのまま一礼。キーを回し、スタートスイッチを押すとエンジンが鼓動にも似た拍子で律動する。もうむやみにふかしたりしない。

 後方の安全確認。再度敬礼し、クラッチレバーを握り、シフトを1速にいれ、ゆっくりと門を出る。

 学生時代、休みの日に歩いた歩道を横目に、ギアあげてスピードをあげる。丘の上から見える横須賀湾が青空を写し、眩く輝いていた。


                                         了

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