3冊目「フィオーレ」
「……そんな馬鹿な」
彼は一輪の花を持ったまま唖然としていた。
3冊目「フィオーレ」
時をさかのぼること十分前。
いつも通り本の管理をしていた最中にノックの音が聞こえてきた。
「ごきげんよう」
穏やかな雰囲気と共に入ってきたのは、見た目17歳位の少女。
緑のふわりとした長髪と、花冠をかぶったその「お姫様」のような姿は、この古びた空間の中では少々 異質だった。
「こんにちは、何かご用ですか?」
「えぇ、お花の…」
花に関係する本を頼まれると思った俺は、記録帳を開き探そうとしたが、次にきた彼女の発言にその作業を中断することになる。
「このお花のお世話をお願い致します」
「…はい?」
この発言には、流石のルツも聞き直してしまう。
それもそうだろう、いきなり訪れた他人に花の世話を任されるなんてことは聞いたこともない。
それにここはヴィブリオだ、花の世話をするような場所ではないと、見れば分かるはず。
彼女は、唖然としていた俺に一輪の花を手渡すと足早に扉まで行き、去り際 更にとんでもないことを言い放った。
「そうそう言い忘れてました、その花を枯らせるとこの町が滅びますので、気を付けてください」
そして現在に至る。
空いた口が閉まらないとは正にこの事、予想の遥か斜め上をいく出来事に思考すら止まってしまう。
「ど、どうする?」
数分の沈黙を破ったのはルツの質問、血の様に赤いその花を見つめ直し、やっとの事で思考が動きだした。
「と、…とりあえず、水?」
何故か疑問形、どうするにしろそのまま放っておく訳にはいかない。
ルツが水を汲みに行っている間に、俺は記録帳を開き、この花について調べる準備をする。
しかし彼奴、何のつもりだったんだ、花の世話を頼むまでならまだ分かるが、町が滅びる?。
どういう意図でこの花を渡したか知らないが、明らかに俺たちを「選んだ」としか思えない、………今度会ったら拷問にでもかけるか、それとも八つ裂きに………。
「ごとん」と鈍い音、水を汲み終わったルツが戻ってきたようで、透き通ったガラス製の花瓶がそこに在った。
俺は赤い花をそこに生けると、そのまま額に手を当て、ルツに先程考えていたことを打ち明けてみる。
「彼奴、拷問にかけるか、八つ裂きにしようと思っているんだが、どう思う?」
それと同時に顔面蒼白になるルツ、数秒の沈黙の後にきた答えは、以外にもシンプルなものだった。
「………やめてね?」
ただ、声は驚くほど小さかったのだが。
一冊の植物図鑑にて答え。
「…マンドラゴラ?」
問いかけるようなルツの呟き、その本にはあの赤い花に似た花が写っていた。
マンドラゴラとは特殊な花で、人には聞こえないような高い音を出す花らしい。
ただ、その音は魔物には聞こえるんだそうで…完結にまとめると魔物が寄ってくるということだ、それはそれは大量な数の。
とはいえここは室内、壁に阻まれているため音は外には聞こえないようだ。
が、勿論ここの扉を開ければ外に音が漏れるわけで、迂闊に外出も出来ない。
しかもこの花は枯れる瞬間に、いわゆる「断末魔の叫び」をあげるそうだ、それも大きな音で。
となるといくらここが室内でも、外に音が漏れてしまうだろう。
この状況を説明すると、詰んだ。
「…ルツ、何とかしろ、俺には無理だ、もう考えるのも面倒だ」
流石にここまで来るともはやどうでも良くなってしまう、さっきまでの彼奴への殺意も消えてしまった。
「あ、諦めないでよ」
そう言うルツもほぼ諦めムードのようだ。
「お困りのようですね」
「殺すぞ、貴様」
前言撤回、殺意は残っていた。
後ろに何食わぬ顔で立っている少女に鎌をかけるが、それですら彼女は驚かない、むしろニコニコ笑っているぐらいで…。
「あまり怒っていらっしゃると、ハゲますわよ?」
奴の冗談すら耳に入らず、そのまま鎌を振り切ってしまう。
ただ、切った感触というのは無く、辺りに響いた風の音と同時、机越しに奴は現れた。
「これで鎌を振り回せるなら合格ですね」
「… 合格?、どういうことだ」
合格は合格です と奴は和かに、けれど何処か淡々と言い、目の前のマンドラゴラを掴み、それに手を寄せながら俺を視る。
「そうですね、一つだけ教えて差し上げましょう」
微かな音と目の前を舞う一枚の紅、俺はそれの意味することを考えていた。
「この花はマンドラゴラではないんです、品種改良によって生まれた別の花、元はマンドラゴラなんですけれどね」
二、三枚と俺の目の前を舞う花弁、嫌な予感と奴の晴れやかな笑顔、この辺りで気付くべきだった。
「この花の音は人の感覚に作用するんです、勿論今も鳴っているんですよ」
「ルツっ!、奴を止めろ!」
もう既に遅かった。
奴の手から抜け出た最後の紅、見えたと同時に聞こえた大絶叫によって、俺の意識は暗転した。
[次の日]
ぼんやりと聞こえくる音、おそらくルツが作業している音だ、彼奴は人間じゃないから影響無かったのだろう。
鈍痛、未だに頭が痛い…あぁ、今考えるのは止そう。
後日談だが、彼奴の名はイリスというらしい。