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「君が青木隆くんか、あの小説を書いた。川村君が言っていたことが本当になってしまったのか...」
一瞬の出来事だったが、博士の頭の中にはこれから起こる出来事が映像として流れ、博士が感じたショックは相当なものだった。
「だが、ま、待ってくれ、その装置は、私が人生の全てをかけて製作したものなんだ、破壊するなんて事はできない・・・」。
博士の表情は、絶望の中に一筋の光を必死で見つけているような、そんな表情だった。一筋の光とは、ブレインを破壊させない理由のようなものだろう。
「博士、それではあなたは、あなたの住むこの地球をこの機械で破壊なさるおつもりですか?未来がどうなるかを知っていてこの装置を完成させたら、あなたはこの世の破壊者でしかない!」。
タカシはそう言うと、爆破ボタンをセットし、博士の前に立った。
「爆破ボタンは博士が押してください・・・3分後に爆発します」。
博士は、二人の前にひざまずき、悲痛な表情で目を閉じた。
「もうすぐここには、貴方の部下や、ブレインを守ろうとする者が来ます。そうなったら、ブレインは一人歩きするでしょう、そしてあなたもブレインと一緒に、悪魔の階段を一歩ずつ上って行く事になる。でも、今の教授なら、そのボタンを押せるはずです・・・」。
教授は、全てを断ち切ったように体の力を抜いた。そして、安堵の表情を浮かべながら話した。
「君の言う通りだ。私は、このボタンを押さねばならない。そして、平和とは言えないが、今の地球を維持しなければならないのだな・・・」。
そう言い終わると、小さな赤いボタンに手をかけた。その時、
「まて!」。
扉ごしに、白衣を着た人の影が現れ、そう叫んだ。
「山田くんか・・・、君ならわかってくれるはずだ、このボタンは、押さねばならないのだよ・・・、ん、き、きみは?」。
そこに立っていたのは、教授本人だった。
「教授が二人!」。
教授は目を丸く見開き、もう一人の自分に話し掛けた。
「君は?私なのか?・・・」。
「そうだ、そのボタンを押してはならない!」。
ヒカルは腕にはめた装置でもう1人の博士を分析した。
「あっちの教授には生命反応が無いわ、あれはプログラムよ」。
「そうだ、私は確かに未来から送られたデータだ。そして体は機械で出来ている。サイボーグだよ。しかし、本物の川村タケシだ、川村タケシの脳で私は動いている。私は、そのボタンを押したばっかりに、こんな姿になった。そのボタンを押してはならない」。
「どういうことかね?」
真剣な表情で博士がもう1人の博士に聞いた。
「私は、この後ボタンを押した。しかし、ブレインが破壊された状態で、望みは私だけになり、科学者達は死にかけた私を何とか生かそうとしたのだ。そして、今の私になった…」。
「博士が死にかけた?…」。
「私はガンでね、長くない病なんじゃよ、医者はいつ死んでもおかしくないと言っている」
博士は、未来の自分を悲しそうな目で見ていた。やがてうつむいたまま考え込んでいた。そして、こう話した。
「命が短いことを知り、私はこの研究に没頭した、これだけは完成しなければ死にきれんと思ったよ。だが、未来にそんな影響を与えるとは...私は、余命を宣告されてから命の重さを考えるようになった、命を、時間を自由に使える当たり前の素晴らしさを身をもって感じることができた。このブレインも、人類の自由な時間が有意義に過ごせるために、そして、世界が平和の尊さを知るために利用できると信じていたが...もちろん不安もあった。ブレインが持つ力を、私たち人間がきちんと管理できるのだろうかと...自然に歯向かう研究になるのではないかと...」
少しの間、沈黙が続くと博士はさらに続けた。
「やはりこのボタンは私が押すべきだ!」。
そう言うと、ブレインがある研究所の重い鉄の扉のスイッチを押した。
「博士!」。
博士は、起爆装置のボタンを握り締めたまま、扉の中に入って行った。
「私が生きていては、何の意味も無いようだ!全ての書類を処分する、5分後にこのボタンを押す!君たちは遠くへ逃げてくれ!」。
そう言い残すと、博士は扉の奥に消えて、見えなくなった。
「ミネルバ博士…」。
未来の博士は、博士のその行動をだまって見ていた。
「こうなると私は予想していた。こうなることを私は望んでいたのかもしれない…君達も、早く逃げたまえ…」。
そう言うと、未来から来た博士は閉まりかけた扉の中へ入っていった。本当の自分の姿を追うように。
「行こう、ヒカリ!」。
タカシはヒカリの手を引いて、研究所の外へ走り出した。
二人は走りながら、同じ事を考えていた。
あとおよそ5分後の研究所の爆発は、同時に互いが一緒にいられる残り時間ということになるかもしれない。いや、きっとそうなるだろう。その事を頭に置きながら、タカシはヒカリの手を強く握り締めながら走った。研究所が消えても、ヒカリのぬくもりだけは消えないでくれ!そう願うかのように、強く握り締めていた。そしてヒカリも、タカの手を自然に強く握った。
「ヒカリ!俺、お前と一緒に生きたい!どんな世界でもいい!お前と一緒に生きたい!」。
タカシは精一杯走りながら、そう叫んでいた。
「わたしも!タカシがすき!いつまでも一緒にいたいわ!」。
二人は、手をつなぎながらいつしか笑顔で走っていた。こんな一瞬が、いつまでもつづけばどんなに楽しいか…そんな思いを二人は同時に感じていた。
しかし、博士が持っているスイッチは、未来を変える希望と同時に、彼女をこの世界から抹消するボタンでもあるだろう。そうなったら、彼女は未来に帰ることができるのだろうか。彼女は一体どうなってしまうのだろうか…。
「ありがとう・・・私も貴方が好きだったわ・・あなたと、こんな形で会わずに、もっと楽しいことしたかった・・・でも、今の私は幻でしかないのよ・・・そして、私は死ぬ訳ではないわ・・・、死ぬもんですか!きっと何処かで目が覚めて、違う未来で、貴方に出会い、幸せに暮らせるわ・・・」。
しばらく静かな時が流れた。時間にして1分ほどのその時間は、二人にとってとても大事な時間だった。そんな時間を二人は、言葉を交わす事よりも静かに寄り添う事に使った。
「そろそろ時間・・・」。
ヒカリはそう言ってタカシを見つめた。
その瞬間、研究所から爆音が響いた。
「ありがとう・・さよなら・・・」。
そして、ヒカリはタカシの胸に飛び込んだ。
ヒカリの体をタカシはしっかり抱きしめた。
強く抱きしめれば、いつまでも自分の胸にいるかもしれない・・・。そんな思いで力いっぱい抱きしめていた。
「あなたの存在を感じる・・・温もりも・・・振動も・・・確かに感じる・・・」。
ヒカリの頬には、爆発の炎で光る一筋の涙があった。それは、冬の空に輝く流れ星に似ていた。とても美しく夜空を彩り、そしてあまりにも短い輝きだった。気がつくと彼女の体はタカシの腕の中で、消えそうに輝いていた。
「ヒカリ・・・」。
タカの胸から、彼女の温もりが除々に消えていく。
彼女は、薄れていく体の中、タカシに最後の笑顔を見せた。
そして、声は届かなかったが、彼女の口がゆっくり動き、それは一言、彼女からタカシに投げかけられた最後の言葉だった。
口のかすかな動きで、しかし彼にははっきり読み取ることができたその言葉は、タカのはりさけそうな心にやさしく響き、それはヒカリからタカシへ、最後の思いやりのようにも感じられた。
燃え盛る炎に照らされたタカシの腕には、すでにヒカリを抱いた感覚だけが、消えずに残っていた。燃え盛る研究所から伝わる光りと熱が、タカシの腕に残る彼女のぬくもりをいつまでも残してくれているようだった。
「お客さん、ご注文はお決まりですか?」。
最初にコーヒーを頼んで2時間が過ぎた頃、またウエイトレスが声をかけてきた。
「コーヒー1つ!」。
いつものパターンだった。最近のウエイトレスは、俺の長居を認めたのか、特にイヤミな態度はとらずに2時間ごとに注文を聞きに来る。可愛いいもんだ。
俺はあの事件の後、相変わらず貧乏生活をしながら小説を書いていた。
ブレインマスターはその年の「SF小説大賞」の佳作に選ばれ、まあまあ売れた。その印税で俺は会社を辞め、小説一本でなんとか暮らしている。
あの事件から2年、もっぱら、“ほんとうの愛とは何か“を追求した小説を書きつづけている。
最近ふと考える事がある。
俺があの未来でしてきたであろう事は、本当に間違っていなかったのだろうか・・・と。俺の行動が若い二人の意思を動かし、そして今、この世の中が時を刻んでいる。
俺は、かけがえの無いものを失った。その代償は、人間という生命の長い歴史の中で、ほんの少しの間、時を修正しただけじゃないだろうか・・・。
この先、そうならないためにも、俺には責任があるのだろうか。
そんな考えが、また、かけがえの無い者を失う切欠になりはしないだろうか・・・。
俺は、ヒカリの笑顔と、最後の言葉を信じて、もくもくと小説を書きつづけている。たまにパチンコに行ったりして小遣いを稼ぎながら…。
「そろそろ帰るかな…」。
席を立ち、840円をテーブルに置いて店を出た。
「お客さん!忘れ物です!」。
いつものウエイトレスさんが、テーブルに忘れていったライターを持ってきてくれた。
「あ、ありがと」。
「いえ…、毎度ありがとうございました」。
そう言って頭を下げる彼女に、俺は好きなこの言葉を言った。
「またね!」。
そう言って、ヒカリの笑顔を思い出すたびに、彼女が旅立っただろう未来は、きっと輝いていると思うことが出来た。
それは、さらに未来に向かって、ずっと、ずっと…。
人の魂が不滅のものならば、その魂はどんな世界でも生まれ変わり、新たな人生を作って行くことだろう。そして強い絆で結ばれた魂は、やがて長い年月をかけて再びめぐり合い、偶然の悪戯として互いに向かい合う。
”時の流れ”
という出来事の中で、それはほんの一瞬だが、共に歩んで行く・・・。
「あ、はい、また、おまちしています…」。
タカシの言葉に拍子抜けしたように、ウエイトレスはそう言った。彼女の頬が少し赤らんでいる事に、鈍い彼が気付くはずもなかった。
ー2027年 15年後ー
「博士、とうとう完成ですね」
その巨大な機械の塊を見上げ、長い道のりを振り返っていた。
赤とグレーの入り組んだデザインは、あの日見た威圧感と同じだった。
「ああ」。
結局、ブレインボックスは、私が中心になり作る事になった。名前は
ー先駆ー
未来を造り上げていくのは現代を生きる人間の責任だ。私は、政治、メディア、世論、あらゆる情報をコントロールし、平和な世界を作り上げていく責任がある。この機械は、そんな平和の先駆けになって行くことだろう。
あの時、最後にミネルバ博士が言っていた
ーブレインの持つ力を管理する力ー
これを確実に行い、世界にはいい影響だけを広めていく。それを成し遂げねばならない。
「青木博士、記者会見の用事が整いました、あちらへどうぞ」。
「わかった」。
歩き出すと、目の前にすっと一人の少女が表れた。
少女は真剣な表情で青木を見つめていた。
「き、君は・・・(また、会えたね)」。
End