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wind zone

作者: ゆきあき

 スタートはほぼ同時。

 スタート合図の鉄砲の音と同時にクラッチングの体制から一気に足を前に踏み出す。

 静から動へ。

 距離百メートル、約十二秒の肉体の爆発。

 体制を持ち上げて真っ直ぐに前を見る。

 開かれた視界の左前方に彼女の背中が見えた。

 スタートそのものには差がないはずなのに、顔を上げればいつも彼女はわたしの前にいる。まるで過程をすっ飛ばしたみたいだ。

 走りながらわたしは不思議な感覚を覚えていた。

 周りの雑音は消え、音が体の内部から聞こえた。

 必死に手足を動かすことを考えていたいつものわたしはどこかにいなくなり、地面を蹴る足音と筋肉の振動だけが体の中で響いていた。

 意識は体から切り離され、そのすぐ後ろを飛んでいるようだった。

 恐ろしいほどに体が軽く、自分動きの感覚に自身で鳥肌がたつほどスムーズに前に進めた。

 それはまるで夢の中にいるようだった。

 気がつくともうレースの終盤だった。

 この辺りから前を走る彼女はまるで見えない力でゴールに引き寄せられているかのように加速する。わたしはいつもここで離されてしまい、レースを諦めてしまう。

 だけど、今日は違う。

 知らない風を肌が感じている。

 今までの風を追い越した新しい風。たぶん彼女と同じ風。

 その風に身を任せてわたしもまた加速するー


 ゴールラインを通り過ぎ、わたしは夢から覚めたように我に返った。周りの音が復活し、体にずっしりとした重さが戻った。

 結局、彼女との差は縮まらなかった。離されていないけれど、彼女の背中はまだまだ遠かった。

 でも、気分は悪くなかった。

 感じたことのない高揚の余韻が体の中にしっかりと残っていた。

 わたしはゆっくりと歩きながら深呼吸をした。そこに後輩の一人がスゴい勢いで駆け寄ってきてわたしの手を取った。

「園田先輩、インターハイ優勝おめでとうございます」

 不思議に思ってわたしは左前方を見た。そこに前を走っていたはずの彼女の姿はなかった。

 レースの順位が電光掲示板に発表された。決勝進出八名が順位順に並んでいて、わたしの名前はその一番上にあった。

 そしてエントリーした選手の中に彼女の名前はない。

 当たり前だった。今、彼女はここにいないのだから。

 他の陸上部のメンバーやコーチがワイワイとわたしの周りに集まってきた。皆口々に「おめでとう」とわたしの勝利を賞賛してくれた。

 わたしは電光掲示板に表示されたタイムを見た。練習でも出したことのない自己ベストだった。

 わたしはそのタイムを眺めながら少し笑って言った。

「やっぱり有田さんは速いわね。まだ、かなわないわ」

 みんなが一瞬キョトンとした表情になったのが面白かった。



 三日後、わたしは部活に出るため学校に足を踏み入れた。

 インターハイに感じたあの不思議な感覚は、極限まで集中した際に訪れるという「ゾーン」に入っていたのではないかと思う。だからこそあんなにも速く走れたのではないかと。

 でも、そんなゾーンの中で彼女の幻覚を見たというのは、こっ恥ずかしいというか、なんというかだった。

 うまく言葉に表せない。

 学校に入ると大きな垂れ幕が屋上から掛かっていた。わたしは足を止めて上を見上げた。

「祝インターハイ優勝 陸上女子100メートル 園田未来」

 わたしの名前が書かれている。その仕事の早さに、用意がいいなと少し感心した。

そして視線をすこし横にずらした。そこにはわたしのものより、さらに倍くらい大きさの垂れ幕がでかでかと吊り下がっていた。

「祝オリンピック準決勝進出 陸上女子100メートル 有田玲子」

 いつも一緒に練習していた、同じ学校、同じ学年、同じ競技のライバルは、わたしの遙か先を走っている。

 だけど負けてばかりじゃいられない。いつかあの背中に追いつき、そして追い越すのだ。あの日それまでの風を追い越せたように。

 わたしは「おしっ!」と気合いを入れて、部室に向かって走り出した。気持ちのいい爽やかな風が髪を揺らした。


(了)

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