第五話 ~封印解除~
第零式帯状封印装具を解く方法はたった一つ。その見た目に反し、如何なる魔術も攻撃も受け付けない包帯は、小さなナイフによって切断が出来る。ソロモンの鍵、と呼ばれるその刃すらついていない解錠装具は、併用して使われるのだ。
パラリ、と結び目も、封印力をも失った装具は地面に落ちた。裏地に仕込んである、呪詛は力を失い消えてしまう。
それと同時に。溜めこんでいたすべてを開放するかのように、ジルの右手を中心に衝撃波が巻き起こった。
ジルの右手は黒く変色し、時折何かが蠢くかのように脈を打っていた。間違いなく、それが生きていることがわかる。
その時だった。一瞬だけだが、その衝撃波を受けたバイオレットローズは動きを止めたのだ。目はなく、敏感な触覚などを通じてこの魔族植物は対象を判別する。
だからこそ、驚いてしまった。こんな奥地に居ても、知っていた魔王の滅亡。しかし、目の前には紛うことなく、同じ魔力、同じ波動を持った何かがそこに居るのだ。
「……」
歯を食いしばり、ジルは耐える。封印装具がないだけで、一瞬にし魔王の意識に身体を乗っ取られそうになってしまうのだ。しかし、それは耐えれば良いだけ。今ならば、全力全開で魔術が使える。
停止していたバイオレットローズは、稼働を開始した。 何かの間違いだ、と。こんな場所に、魔王様が居るわけがない、そう判断したのだ。
相手は幸い、動きを止めている。今度こそ一斉に、無数の蔓を使えば拘束することが出来るはずだ。
前後左右に加えて、今度は地面からも蔓を伸ばして、ジルを捕まえにかかった。
はずなのだが、それは叶わない。ジルの身体に触れようと蔓を伸ばした瞬間、強烈な熱によって焼き切れてしまったのだ。
高熱の魔炎壁と呼ばれる、防御魔法である。
「わわ、ちょっと!? ……うぇ……」
突然の反撃にバイオレットローズは暴れだす。未だ拘束されているジャンヌも一緒に揺れてしまい、逆さまな上に大きく揺さぶられるものだから、ジャンヌはめまいを覚えてしまう。
「霊帝の狂演……魂の咆哮……」
ジルは魔術の詠唱を開始した。周囲には、懸命に近づこうと魔族の蔓が飛び交っている。
彼の足元には、光を発する空色の魔方陣が精製されている。しかし、攻撃を防いでいるのはそれではない。詠唱をしつつも、ジルは炎熱の防御魔法を使って接近を防いでいるのだ。
「ジル……あたしには当てないでね……」
「冷酷なる言の葉は死神の鎌!」
ジルは衰弱してしまっていたジャンヌへウインクをして、返事とした。詠唱を途中で止めるるわけにもいかないからだ。
「アブソリュート・ゼロ!」
魔方陣の発光が一層強さを増した。同時に、距離のある所に居たジャンヌですら感じるほどの冷気が周囲を包む。そして右手を突き出すと応えるように、彼の背後に冷たい豪風が巻き起こった。雪の礫をキラキラと反射させながら発生した、凍えるカーテンが晴れると、洞窟の縦横全てを覆い尽くすほど無数な氷の刃が発生していた。
ジルは次に、左手を対象へ向けた。先ほどは、指を揃えた手のひらを向けるようにしていた。今度の左手は、指を突き出し刃へ命令をするような仕草だ。もちろん、相違なくすべての刃が一斉に。まるで壁のようにバイオレットローズへと飛んでいく!
迎撃を、防御をしようと魔族植物は無数の蔓を、飛んでくるそれらへ伸ばした。
バイオレットローズとしては、砕いて砕いて凌ぎ切ろうと思っていたのだろう。しかし、それは出来なかった。
触れたと同時に、その部分は凍結してしまったのだ。驚く暇もなく、攻撃は続く。二発、三発とその緑色の肌と、紫色の花弁に凍結刃が命中していく。
数えるのを諦めるくらい、着氷したその後に残ったのは、まるで巨大な氷像だった。しかも、驚くべきことに、綺麗に一つたりともジャンヌにだけ、当たっていないのだ。
「早く降りてきなよ」
「全く、無茶するわね。ヒヤヒヤしたわよ、二つの意味で!」
冷気に当てられて少しだけ気分が改善したのか。持ち上げられた姿勢そのままで固まった四肢を動かして蔓を砕き、ジャンヌは空中へ投げ出される。
「さ、お仕置きよ! くらいなさい!」
クルリと身体を回転させて、落下するいきおいそのまま、ジャンヌはバイオレットローズへ蹴りを入れた。ヒビが入ったのが見えたと同時に、それは瞬く間に崩壊をしてしまった。
まるで雪のように、舞い散る氷の破片を見ながらジャンヌは着地した。ついでに、突き刺さったまま活躍の場面を無くした、聖剣デュランダルを聖印へと戻す。
そして、自分を助けてくれた幼馴染に対して、嬉しさを込めてニッコリと笑った。
つられてジルも笑う。だがそれは、苦笑いという言葉がしっかり当てはまるほど弱弱しく……彼は眩暈でも起こしたかのように、バランスを崩した。
「ジル!」
急いで駆け付けるジャンヌ。ジルは浅く息をして、顔色も悪い。その元凶は、誰か見ても明らかだ。右手を抑えてうずくまっているのだから。
「ど、どうしたらいいの!?」
「……僕の……旅袋の中……。包帯があるから……それを右手に……巻いてくれないかな……」
絞り出すような声で指示を出したジルの、言葉通りの行動をジャンヌは迅速に行う。綺麗に丸め込まれた、何だか不思議な雰囲気のある真白い包帯を袋から出し、ぐるぐると手慣れた手つきで黒く脈打つ魔王の残留を隠していく。
「最後に……これで……包帯を切って……」
ジルは、先ほど封印を解除するのに使った、ソロモンの鍵を取り出した。指示に従い、ジャンヌはそれで包帯を切る。刃はついていないはずなのに、驚くほど簡単に包帯は切れてしまった。
最後に結び目を作ろうとしたのだが、それは必要なかった。切れた端が、自然と先に腕に巻いてある包帯群に触れると、同化するように青白く発光しながら消えていったからだ。
「ふー……」
その作業を終えると、ジルは息をついた。どうやら、安定状態になったらしい。むくりと上半身のみを起こして、ジャンヌを見る。
「ありがとう、ジャンヌ。助かったよ」
「ううん。助けられたのは、あたしの方よ。ありがとうね、ジル」
いつもみたいに、屈託のない柔らかな笑みをするジル。しかし、その視線はすぐに右手の封印装具へと移る。
「……」
「どうしたの?」
ジルは気づいた。その変化は小さく、他人では気づかないほどに。
封印を解除する前より、一巻き。たった一巻きだが、装具を多く巻いていたのだ。
つまりは、侵食が行われてしまったということ。封印を解除していたのはせいぜい数分だろう。やはり、原因は魔術の発動に違いない。
バイオレットローズは、非常に生命力の高い魔族植物だ。生半可な攻撃では倒しきれない。それを知っていたジルは、先ほどの魔術を使った。
魔術は、下等、中等、高等魔術と三段階にランク付けがされている。ランクの通りの難易度になっており、高等魔術が自在に使えれば騎士の一個師団相手でも勝利をつかめるほどだ。故に、使用可能者はもちろん少数になる。
だが、実は更にその上の段階に坐する魔術あった。それが先ほど使用した、『最高等魔術』というものだ。使用者によっては、魔術発動に身体が耐え切れず、命を落とすこともあるほど危険なもの。高い集中力と、強い魔力が必要とされる。十全にそれを扱えるものは、世界でも片手で数えられる程度だろう。
ジルは、そんな最高難易度の魔術を中等魔法である高熱の魔炎壁を張りつつ発動した。というだけで、彼がどれほど優れた魔術師なのかがわかるだろう。
しかし今は、それだからこそ……魔王の呪いが活性化してしまうのだ。
先行きが不安になるのは当然であった。一度解除した封印装具は二度使えない。もしもまた、こんな事態に陥ったとして、それを繰り返すとなるならば……圧倒的に、装具の数が足りない。特殊な封印をするこの装具は、高等魔術を使える人でないと作成できないものなのだ。どこかで補充しなければ、絶対に足りなくなってしまう。
思い詰めているジルの顔を見て、まずしなければならないことがあったと気づいたジャンヌが、頭を下げる。
「……そうだ。ごめんなさい。あたしの不注意で……」
「ジャンヌが謝ることじゃないよ。あの気配遮断能力は、いくら僕らでも見破れないよ」
「でも……」
「良いんだ。ジャンヌが無事だったなら、それで」
「……うん」
ジルを護るために、と一緒についてきたはずなのに……いきなり、彼を困らせる結果になってしまった。わざわざ、封印していた右手の装具まで解除させて……。
「本当に大丈夫だから。そんなに気を病まないでよ」
「…………わかったわ」
そう言われてはこちらも応えるしかない。ジャンヌはため息をついてから、少し不安に思っていたことを口に出す。
「で、よ」
「ん?」
「……あんた、見たでしょ?」
「何を?」
「…………あたしの……下着」
「あ……えー……と……」
「……ま、あんな色気のない水色なんか見せても別にいいけどね」
「え? 白だったような……」
「……」
「いや、待ってよ。ちょっと待って。だって、キミがいつもそんな恰好をしてるのが、そもそも悪いんじゃ?」
「動きやすいんだもん。あと、普段は風魔軽鎧で固定されるから、あんな風にひっくり返ったぐらいじゃ、スカートめくれないもん」
「それは…………そうだろうけど……」
「……ま、あんたに見られても、別にいいけどね」
「あぁ……そう。複雑な意見をどうも……」
「よし、じゃあ先に進みましょうか!」
「うん、そうだね」
差し伸べられたジャンヌの手をつかみ、ジルは立ち上がりつつ思う。
以前の旅の途中、ライルと何度も何度も話した内容なのだが……ジャンヌは運動量の激しい戦い方をいつもする。風魔軽鎧は、スカートを固定してはくれるが、隙間まで埋めてくれているわけではない。角度によっては見えるものは見えるのだ。
いつもいつも、彼らはジャンヌが高い跳躍をするたびに、ドキドキしていたのだ。集中している時は気にならないが、視界に入っていたという記憶までは消せない。
もしこれを話したら……いい加減、あんなスカートを履かなくなってくれるだろうか。
しかし、そうだった事実を伝えるだけで、どんなことをされるか不安になってくる。気弱な彼はやっぱり黙っておくことにした。ライルなら、ズバッと言いそうなのだが……。
薄暗い渓谷の先を二人は進んで行く。
ジャンヌは自分の不用意さを猛省し、今度はしっかりと。デュランダルを握りしめて、進むことにした。
しかし、それも徒労であった。以降、大した魔族は現れなかったのだ。
小さな悪魔のグレンデルや、血を吸ってくるケイブバットなど、デュランダルを一振りするだけで死滅する程度の弱い敵ばかりだ。
バイオレットローズも、実際はデュランダルを万全に使える状態ならば苦戦しないはずだが、それはあえて黙っておこう。
ジルが後ろで、蛍瓶を持っているだけで何もしなくて良い。その状況が作れただけで良いのだ。
そして二人は、やっとたどり着いた。
渓谷を支えているのではないか、そう思えるほど巨大な大樹の所に!