第四話 ~渓谷にて~
「風神の大樹って?」
ジャンヌがヴァーユへ聞いた。それは一体なんなのだろうかと。
「我々のご神木です。昔は、祀ろう為にこの集落の近くにあったのですが、戦いを重ねて被害が増えていったせいで、奥深くに安置されてしまったのです」
「それのねー、葉っぱから出てるー、露がねー、万病に効くー、お薬になるんだよー」
「とはいえ、あそこはまだ魔族の残党が出現します。我々も退治に向かっているのですが、未だ全滅とはまではいかず……申し訳ない」
「わかったわ。とにかく渓谷の奥を目指せばいいのね?」
「え、ええ、まあ……」
「そうとわかれば、さっそく行くわよ、ジル!」
「あ、うん。ありがとうございます、ヴァーユさん、ヴァータさん。また帰ってきたらお話しでもしま――――」
判断すると同時に、ジャンヌは飛び出していってしまった。その後の予定を、二人に伝えている最中だったジルの手を引っ張りながら、目にもとまらぬスピードで。
「あらあらー、相変わらずー、せっかちさんねー」
「ついていこうかと思ったんだが……まぁ、大勇者様に護衛なんて必要はないか。ジル様も一緒だし」
「んー……でもねー」
「どうしたの、姉さん」
ヴァーユは何だか煮え切らない言葉を言った。魔王を討伐した二人の戦士なのだ。むしろ、ヴァータ如きでは、足手まといになるのではないだろうか。何が心配なのだろう。
「うんー。ジルちゃんのねー、あの封印装具だけどねー。きっとねー、ジルちゃんのー、魔力自体もねー、封印してると思うのー」
「何だって? じゃあ、ジル様は今、ほぼ無力ということになるのか?」
「そうだねー。まー、ジャンヌちゃんにはー、風魔軽鎧があるしー、心配ないとはー、思うんだけどねー」
「むむ……やはり尚更、ついていった方が良かったか? 今からでも……」
「ダメだよー、ヴァータちゃんー。せっかくー、二人きりなんだからー、邪魔しちゃー」
「何を悠長なことを……そんなことより、命が大事だろう!」
「それでもー、二人の時間をー、大切にしてあげてー?」
「……何故だい? 封印装具を施しているのだから、焦らずにじっくり対策できるんじゃ……」
理解できない答えに、少しだけヴァータは苛立つ。言ったように、命が無ければ元も子もないではないか。まだ、あそこには上級魔族が居る可能性だって十分にあるのだ。
「んー、ジャンヌちゃんもー、ヴァータちゃんと同じことをー、思ってるだろうけどねー。あの呪術はー、そんな簡単じゃないんだよー。特にー、魔王ベルクのものだしー」
「……つまり、どういうこと?」
「んーとねー……ジルちゃんー、このままだとー、長くは持たないってことー」
「!?」
「どれだけ強い封印でもねー、混沌の輪廻はねー、時間経過でねー、どんどん強くなるんだー。特にー、使用者の魔力が強いほどねー」
「じゃあ……ジル様は、ジャンヌ様を心配させたくないと……」
「だろうねー。だから、そっとしておいてあげよーねー。風神の大樹様でもー、ダメだったらー、なおさらねー」
「……」
ヴァータは少し悩んだ。彼女たちは里を救ってくれた人たちだ。そのお礼はしてもしきれない。そんな人たちを、危険だとわかっている場所へ送り出してしまったのだ。特に、一人はほぼ一般人程度の戦闘力。不安だらけだ。
しかし、だからこそ、二人がどういう関係なのか知っているヴァータ達からしてみれば、気持ちを尊重してあげたい、ということもある。
結論、余りにも帰還が遅いなら救援をする、ということで、ヴァータは腰を落ち着けた。
一方、ジャンヌ達はというと。
「思ったよりは、風も強くないのね」
「うん。前は、里を護るために風の結界を張っていたからだと思うよ」
と、風の精霊が心配をしているにも関わらず、和やかな雰囲気で渓谷を進んでいた。
以前は、まるで台風でも起きているかのように、奥底からごうごうと吹いていた風は、いまやそよそよと心地よいくらい。
たいまつ代わりに、と里の蛍を数匹瓶詰にして持ってきているので明かりも十分だった。
「でも、まだ少しだけ……嫌な感じはするね」
「そうね、注意しましょう」
強力な魔族が居る雰囲気ではない。しかし、それでもその暗闇の奥からは何かが、舌なめずりをして待っているかのような気配が、確かに存在した。ただの錯覚であれば良いのだが。
「ジャンヌ、風魔軽鎧くらいは顕現しておいたら?」
「ん? あー……それなんだけどね」
「?」
「ベルクと戦った時、ボロボロにされちゃったでしょ? あれから、何でか知らないけど顕現出来ないのよねー。ちょっと壊れた程度じゃ、いつも勝手に直ってたんだけど」
「え、そうなの!? じゃあ、デュランダルは!?」
「そっちは大丈夫」
とジャンヌは右手を中空に差し出した。その平に描かれているのは、聖なる刻印。天下無双のその聖剣を手に入れたと同時に、使用者と認められ刻まれた、証だった。ひし形の紋章が四つ並び、十字架を作っているような形である。これがあれば、いつでも自在にデュランダルを出すことが出来るのだ。
それは、ジャンヌの魔力発動と同時に発光する。そして、光の粒子が周囲に溢れだすと、彼女の手に収束していき、大きな剣を象っていった。
発光が止むと、彼女の手には白い大剣が握られていた。長さはジャンヌの身長ほど。白銀の柄と、金色の鍔。刀身は広く、切っ先まで同じ幅である。剣の根本部分には、金色の装飾が施されいた。
「ね?」
「それなら良いけど……」
「ま、これが使えるなら、簡単には負けないでしょ?」
ウインクするように笑ってから、ジャンヌはデュランダルをしまった。魔力を発動させ、再び右手の聖印へと戻したのだ。二人で歩くには、少し邪魔だからだろう。
「あんたが魔術を使えないみたいに、あたしも防具を失ったって感じね。困ったことに」
「でも、風魔軽鎧がないのは痛いよ。防御力も、身体能力もかなり下がるんじゃ……」
「デュランダル自身も、少しはその恩恵があるのよ? 大した魔族がいないなら、これ一本あれば問題ないわ」
風魔軽鎧は、使用者の身体能力を格段に上昇させる加護がある。また、軽鎧というように見た目は、万全の守りとは言えない。白金の胸当てと草摺り、蛇腹の籠手、鋭利な刃にもなるレガースのみ。唯一物理的に防御力が高そうなのは、やけに装飾の凝ったサークレットぐらいなもの。全身重鎧と比べれば、様々な部分での防護が足りない。
しかし、それを補う加護が更についている。風の防御魔術が、自動でかかるのだ。物理、魔術両方の攻撃を遮断してくれる素晴らしいものなのだ。ジルが言うには、並の魔術師がかける魔術の数倍は強いものらしい。
動きやすさも防御力も備えている、まさに最高の鎧なのである。
「ところでジャンヌ」
「ん?」
「いつまで手を握ってるの?」
たいまつ代わりの蛍瓶はジルが持っている。空いているもう一つの手は、風の里を出るときからずっと、ジャンヌの左手と繋がれていた。
「ん? イヤ?」
「イヤではないけど……いや、やっぱりイヤ。僕、子どもじゃないんだよ」
「そうね。でも魔術も満足に使えないあんたが、私は心配だもの」
「それは……そうだけど……」
ジルは、ジャンヌと初めて出会った頃を思い出していた。
元々、身体が弱く、気も小さいジルはよくいじめられていた。本人としては、いじられていた程度の感覚らしいが、傍から見れば無抵抗な人間によってたかって無理難題や、暴力を振るっているようにしか見えない。
その時、城から勝手に飛び出してきたジャンヌがジルを見つけた。彼を取り巻く仲間の傍若無人さに腹が立ち、ジルを心底可哀相な人だと思い、持ち前の気丈さでジルを救いだした。
それから、ちょくちょく町に来てはジャンヌはジルを気にかけて、遊んだり、小さな冒険をしたりして幼少期を過ごす。
時が流れても、地上は平穏になっていなかった。世界は相も変わらず、魔族との戦いを続けていたのだ。
正義感溢れる熱血漢のジャンヌは、立場として世界情勢が見えているからこそ、その苛立ちが解消できなくて、遂には城を抜け出してしまう。世界の平和を取り戻す旅に出ることを決心し、行動に移したのだ。幼馴染であり、魔術の才能が開花しつつあった、ジルの手を引いて。
今の状況は、まるであの頃に戻ってしまったかのようだ。せっかく、強くなったと思ったのに……。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だから」
「そー? なら、良いんだけど」
ジルは無理やりその手を放した。不満を顔に表していたけれど、ジャンヌは気にする様子もなく進んで行く。
そして、それはジャンヌが段差に乗りあがった時に起こった。
「ちょっ……何?」
一人では登りにくいだろうと、協力して進むためにジャンヌが先導した段差に乗り上げたと同時だった。
周囲に地響きが沸き起こったのだ。
振動でバランスを崩しかけたジャンヌが、ジャンプをして段差から降りようとしたその時。
「え!?」
「ジャンヌ!」
彼女の足を、何かが掴んだ。中空で突然の停止運動をされては、ジャンヌであれど重心が崩れる。
だが、幾多の戦闘経験を重ねてきた彼女は、その程度では慌てない。先ほど出した、デュランダルを顕現して、抵抗を試みた。
「なっ!?」
顕現自体は成功した。だが、その白銀の柄を彼女は掴めなかった。すり抜けた聖剣は、そのまま地面に落下して突き刺さってしまう。
何故、そうなってしまったのか。それは彼女の、手も何かが拘束して動けなくしてしまったからだ。
「な、何なのよ!?」
「まさか……バイオレットローズ!?」
ジルが推測したと同時に、その全貌が見えた。大地に擬態化し、気配を遮断する魔族植物バイオレットローズ。自在に動かすことの出来る無数の蔓を持っているのが特徴だ。
その本体は、紫色のバラの花弁。中心には、ぎらぎらと輝く鋭い牙が蓄えられた巨大な口がついている。植物だが肉食であり、こうやって擬態しては動物をひっかけて食すのが生体だ。
「くそっ!」
幸い、蔓の範囲外に居たジルはまだ補足されていなかった。しかし、戦力の要であるジャンヌが行動不能なのは非常に痛手であった。
ジャンヌは逆さまにされ、両手両足をビッチリと蔓が覆ってしまっている。
彼女の身体能力ならば、通常の魔物の拘束力程度ならば余裕で引きちぎれるだろう。
だが、バイオレットローズはやっかいであった。蔓に、魔力を吸収する成分、身体を強張らせる毒針を持っているのだ。風魔軽鎧のない彼女が、今それを防ぐ術は持たない。
きっと、まともに身動きも出来ないだろう。ゆっくりと、その体は中心のバラ口へと運び込まれている。
ジルは急いで腰のナイフを抜き取り、ジャンヌの救援を試みる。
しかし、数多の蔓群はジルすらも補足しようと襲い掛かってくるのだ。前後左右から、わらわらと触手のように伸びてくる。それを回避し、切り抜けるだけでも困難であり、前進することすら適わない。
地に突き刺さるデュランダルをジルは見た。彼女の魔力があれば、これは自在に使用者の下へ飛んでいく性質を持つ。だが、現状のジャンヌにそれを実行する力はないだろう。それが歯がゆい。
「ジル……! 後ろ……!」
「え! うわッ!」
ジャンヌの弱った叫びに反応して後ろを振り向いた。しかし考え事をしていたせいで一瞬反応が遅く、飛んできた蔓の一撃を食らってしまった。
鍛えていないことはないが、戦士たちのそれに比べると圧倒的に劣る魔術師の身体は、たった一度の攻撃で無様にも吹き飛ばされてしまう。はずみで、ジルの手にあったナイフすらも落としてしまった。
「う……」
取るに足らない攻撃のはずだ。ジルは想像していたよりも、大きなダメージを受けてしまった自分に驚く。
そういえば、今まではずっとジャンヌの風魔軽鎧と同じ、風の防御魔術を使っていたんだっけ。ほとんど無意識だったから、忘れてたよ。本当、魔術ってのはないと不便だ。
悠長な感想を頭で述べつつ重い身体を持ち上げて、ジルは立ち上がった。
ジャンヌはもう時間の問題だ。ここで進みあぐねていては、絶対に間に合わない。
「…………」
ジルは冷や汗を垂らした。想像しただけで、勝手に出てくるのだ。
あの時の、痛み、恐怖、違和感、嫌悪感。憎悪にも似た感情達が一緒くたになって襲ってくる。
嫌だ、とか、無理、などという言葉だけでは片づけたくないほど否定したい現象。
でも、それでも……!
「ジル!!」
目の前で、自分の大切な人が失われてしまうかもしれないのだ。
もう二度と、ライルのような犠牲は出させない。ジャンヌは、自分が必ず守るんだ。幼い頃から、そう誓っているんじゃないか!
ジルは腰に刺さっている小さなナイフを取り出した。戦闘にすら使えないほど短く、そして刃は研がれていない。
しかし、この妖しげな光沢を放つ小型魔剣は、ある物に対して絶大な切断力を誇るのだ。
それは……。
「第零式帯状封印装具……解除!」
彼の右手を、彼の魔力を、彼の命を繋ぎとめている零式封印装具を切り裂き、無力化させるものだったのだ。