第三話 ~風の里~
真っ黒に塗りつぶされた背景達が、色を持ち始めた。青白く染まっていく木々を眺めていると、ふいに強い閃光が目に届く。
思わずジルは目を細めた。
朝陽だ。夜が明けるようだ。
念のための警戒として、交代で寝ていた彼は安堵の息を漏らす。結局一晩経っても、魔族は一匹として現れなかった。
魔王を倒したことで、魔界と地上を繋ぐ門は封印され、地上に存在している魔族たちは駆逐されつつあった。増えることがないのだ。誰もが、しらみつぶしに討伐に向かっているのである。
まだ手の届いていない場所などたくさんあるが、サウスグリーンは比較的人が通りやすいこともあって、魔族は少ないらしい。
「ジャンヌ、朝だよ。起きて」
「んん……」
目の前で眠る勇者様を、ジルは優しく揺すって起こす。朝陽はとっくに、彼女の整った顔を照らしているのに、目覚めてくれなかったからだ。
「あー……おはよー、ジル」
「おはよう、ジャンヌ」
とても一国の王女とは思えない、その隙だらけの表情を見てジルはクスリと笑う。いつも通り、寝起きは悪いようだ。
警戒体制の順番として、ジャンヌを最後にしたのはこれが理由である。
彼女はいつも、目を開いてから脳が覚醒するまでの時間が非常にかかる。夜更けにそんなことでは、警戒も何もあったものではない。だから、ジルとライルで夜中を警戒して、朝方の比較的安全な時間にジャンヌを寝かせることにしていたのだった。
「結局、出てこなかったよ。魔族」
「そうねー……あたしの時も……見なかったわ。あ……でも野犬が……一匹通ったわね。ふわぁ……。お腹空いてたみたいだし……骨あげたの」
「うん。そうなんだ」
「……ねむたい」
「別にもう少し寝てても良いけど……。まだ朝だし」
「やだ……」
「どっち?」
「おきる……」
「じゃ、支度しようか」
「おこしてー……」
「はいはい」
寝ぼけ眼で、座ったまま両手を広げて差し伸べる仕草をするジャンヌ。ジルは仕方ないなぁ、と言いつつも嫌がる様子もなく、その手を握って身体を持ち上げてた。
「おっと」
「んー……」
引き上げた勢いで、そのままジャンヌがジルにもたれかかる。同じように野宿をしているにも関わらず、いつもみたいにジャンヌの体からはまるで香水のような匂いがしていて、ジルは驚く。自分は大丈夫だろうか。
「相変わらずいい匂いねー……ジルはー……」
「え、そう?」
「うんー……落ち着くー……」
「……あ。もう、いい加減に起きてよ。重たいよ」
「こらー。乙女に向かって重いとはなんだ、重いとはー……」
「ごめんごめん。ほら、ちゃんと自分で立って」
「うー……」
自分から異臭のしていないことを安堵しつつ、寝覚めの悪いお姫様を叱るジル。
昔から、彼らはこういう関係だった。しっかりしていると思いきや、意外と隙の多いジャンヌ。ポケッとしていると思いきや、面倒見のいいジル。
兄妹のようで、でもそれ以上のような関係に、名前はない。該当するといえば、まだ『幼馴染』といったところだろう。お互いがお互い、自分の気持ちがどういうものか、言葉にしたことはなかった。関係が壊れてしまうのが、どうしても怖くて。
「後は西に歩けば、見つかると思う。もう少しだね」
「そうね。ふわぁー……。あー、やっと目覚めてきた」
「今さら?」
「何というか、緊張感ないのよね。今後、夜は一緒に寝てもいいかも。結構起きてるの辛いし」
「そもそも、野宿するのが問題だよね」
「あんたが言うな、金無し」
「ごめんなさい」
他愛のない会話を交えながら二人は歩く。ジルが地図と太陽を見ながら先を、その後ろをジャンヌが。
森が深くなってくると、方位磁石が反応しなくなる。だからジルは太陽の動きを見て、今自分たちがどちらを歩いているかを判断したのだ。
ちなみに、この知識は初めて森に入った時にはなかったもの。様々な状況に備えて、ジルはジルなりに生存術を色々な場所学びながら、経験しながら旅をしていたのだった。
「あ、見えてきた」
ジャンヌがふいに声を上げた。
森の中だというのに、急に出現する大地に入る巨大な亀裂。うっかり足元を気にせず歩き続けていたら、まっさかさまに落下してしまいそうなほど、唐突に現れる。
直接降りるには高さがありすぎるので、迂回をして入り口を探す。木の葉に隠れて、洞穴があった。
腰を屈めないと入ることのできないその先は、非常に薄暗い。少し歩けば、すぐに外と繋がっている小道に出るのだが、そこまで行くのも至難の業だ。
「……たいまつとか」
「持ってないわ」
「だよね。焚火作った時の火種、持ってこれば良かったよ」
「ちょっとだけだから大丈夫でしょ。ほら、行くわよ」
そう言ってジャンヌはジルの手を握り、ぐいぐいと前に進んで行く。魔術が使えれば、火の一つくらい簡単に起こせるものだが、今はそうはいかない。
ジャンヌはジャンヌで、魔術が全く使えないわけではないが……調整が非常に不得手なのである。炎の魔術で葉っぱを燃やそうとするものなら、枝ごと燃やしつくすか、煙を出すのが精一杯か、というぐらい極端なのである。今みたいに、微調整が必要な状況では役に立たないのだ。
魔力の含有量だけならば、ジルに匹敵するものはあるのだが。
滴の垂れる音を響かせる洞穴を、二つの足音が進んで行く。
まるで見えているかのように歩くジャンヌだが、その実大して見えていない。それでも、少しでもジルの役に立てるならばと勇んでいるのだった。
何食わぬ顔をしていたが、彼女はジルが旅立ちの時や、昨日も言った『一人で行くつもりだった』という言葉を気にしていた。
少しでも力になり、救ってあげたい。ジャンヌは、あの決戦後にずっとそう思っていた。
だって、そうだろう。
魔王が混沌の輪廻で標的にしていたのは、自分だったのだ。その肩代わりを受け持って、呪いの運命を課すことになったのは、ジャンヌ自身みたいなものだ。
ずっと引け目を感じていた。それでも、ジルは一人で解決しようと考えていたらしい。
そんなに、自分が信用ならないのか……。
長い付き合いと、苦楽を共にした自分を置いていこうとするジルが、ジャンヌは悲しくて悔しかった。どこかで、心配かけたくないからだろう。ということはわかっていても、確信が持てない。
だからこそ、今はこうして。彼が恐れることを自ら引き受けて、少しでも苦しみを、不安をやわらげてあげたい。そう思っているのだ。たとえ強引であろうとも。
「とうちゃーく!」
暗がりを抜けて、渓谷の端の小道を進む。それから再度、洞穴に入って最深部へ。
陰鬱な地形を抜けた先が、風の里……風の精霊の住まう集落だった。
一日中、蛍のように発光を続ける虫が飛んでおり、光源の代わりとなっている。洞窟内にも関わらず、大地は草で覆われており、奇妙な姿の花もたくさん見受けられた。
ところどころ、大きな木が生えており、そこがシルフの居住区となっている。
くりぬいた大樹を家屋としているのだ。
「あれー、ジャンヌ様にー、ジル様ですかー?」
入り口に入るや否や、一人のシルフが彼女らを迎えた。
背丈は人間の自分たちより、少し低い。ジャンヌは女性にしては背が高めでだし、ジャンヌより少し背が高い程度のジルでも、その目線が胸の高さを越えることはない。
耳が丸くなく、尖っている点以外は人間と外見は同じだ。ただ、肌はみんな透き通るように白くて、腕も足もスラリと細い。背中に、虫類のような羽が生えているのだが収納可能なので、普段歩くときは展開していない。ゆったりとした緑色が基調のドレスを、みな着用している。
更にだが、シルフ族は女性しか存在しない。どうやって、繁殖しているかは種族の極秘事項らしい。
「久しぶりね。ヴァーユは居るかしら?」
「はいー。いらっしゃいますよー。ご案内しましょうかー?」
「いいえ。居るならそれでいいわ。ありがとう」
この語尾を間延びをする癖は、シルフ独特のものらしい。癖発しないで話すのは、勇敢なシルフの戦士のヴァータくらいだろうか。とはいえ、先天的なものらしく、彼女も気が抜けると、間延びしてしまうそうな。
「あらあらー。ジャンヌちゃんとー、ジルちゃんじゃないー。久しぶり―?」
くりぬかれた大樹の家屋。集落内で最も大きなその一室が、族長――――風の精霊ヴァーユの家である。
風の精霊の証である、金で出来たサークレットと、他の者より質の良いドレスを着ている。見た目は少女みたいだが、年齢でいえばジャンヌやジルの数倍である。
「そんなに言うほど時間経ってないでしょ、ヴァーユ。元気だった?」
「ええー、おかげさまでねー。それにしてもー、急でびっくりしたわー。あの大勇者様がー、いらっしゃるなんてー」
「あなたまでそんな呼び方するのね。やめてよ、恥ずかしいから」
「ううんー。二人のおかげでねー、私たちもー、何とか手を取り合ってー、戦い抜けたんですものー。もしもねー、ジャンヌちゃんたちがねー、来てくれなかったらー、私たちー、もうダメだったかもー、しれないのよー?」
「こちらとしても、感謝しきれません。改めてお礼を言わせてください、ジャンヌ様、ジル様」
「あ、ヴァータさん」
ゆっくりおっとりとヴァーユが話している間に、どうやら噂を聞きつけたであろうヴァータが来たみたいだ。話を肩代わりするかのように入ってきた声は、シルフにしては低いだ。
以前は、シルフの戦士という名に相応しく鎧や帯剣をしていたが、平和な今では彼女も他の仲間と同じく、ゆったりとしたドレスを着こんでいた。少し眼光がキツイのは、歴戦の勇士ならば仕方ないことであろう。顔の造形自体は、ヴァーユと同じなのだが。
「あらー、ヴァータちゃんー。いつの間にー?」
「今しがただよ、姉さん。して、お二方はどういったご用件で? よろしければ、私が承りましょう。もし、療養でいらっしゃったようでしたら、最高の御もてなしをご用意いたしますが」
「ええー、いいのよー、ヴァータちゃんー。私がやるからー」
「その話し方では、聞きだすのにも日が暮れてしまうでしょう。急用であったらどうするのです」
「うー、それはー……」
「大丈夫ですよ、ヴァータさん。まあ確かに、急用といえば急用ですけど……」
「ジル、とりあえず現状を教えたら? ヴァーユなら、すぐわかるんじゃない?」
「うん。わかった」
ジルは一礼してから、前へ進んだ。そして、ヴァーユの前に、跪いてからその包帯の巻かれた腕を見せた。
「なぁにー? ジルちゃ…………あらー?」
戦士としての素質が優れたヴァータと違い、ヴァーユは魔術の素質が抜きんでていた。そして、それは目の前の帯状封印装具を見ただけで、どういったものかを見抜いたのだった。
「最高位のー、帯状ー、封印ー、装具ー? 零式ー、だよねー? どういうことー?」
「はい。これは、混沌の輪廻を魔王より受けた際のものです。それを封じるために、封印装具を纏っているのです」
「ええー!? ほんとー!? うそー!? …………あー、つまりー、ジルちゃんがー、ここに来たのってー、それを解く方法がー、ないかー、ってことー?」
「そうです。どうか、何か知恵を授けてくれれば、と」
どれだけのものか理解できない戦士型のヴァータに、ジャンヌが知っている限りの説明をする。そうしているうちに、ヴァーユはジルの要件を受け入れ、対策案がないか考えていた。
ヴァータはヴァータで、事の重大さを飲み込むと落胆した。まだ、完全に戦いは終わっていなかったのか、と。
「…………ジルちゃんー、ゴメンねー」
「はい」
「現状でねー、多分ー、その呪いをー、解く方法はねー、ないのー」
「そう……ですか……」
あからさまに肩を落とすジル。人外ならざる者の、神秘的な種族の知識をもってしてもダメなのか……。
「あー、待ってー。もしかしたらー、って可能性はねー、あるのよー?」
「それは!?」
ジルが聞き返す前に、ジャンヌが出てきた。何かあるなら、なんでも試す。そのつもりで、彼女たちはここに来たのだから。
「うんー。この渓谷のねー、奥にあるー、『風神の大樹』ってー、いうねー、ご神木がー、あるんだー。それをねー、使えばー、何とかーなるかもー」