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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第五章 真なる終焉へ
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第三十八話 ~冥府の外門~

 ゆりかごを使って幾度かの夜を越しながら、二人は歩いた。

 外であっても十分な休息が取れるのは、ありがたいことこの上ない。


 ある朝のこと。警戒を続けながら足を進めていくと、目の前に海が広がって見えた。 


 だがミズホの国のような、真っ青な景色はそこにない。魔族に浸食され、汚されきって濁った海水が満たされているだけ。

 潮の香りもしない。というより、沼地から発する悪臭によって全てが台無しになってしまっているのだ。


 この海も、いつかは元に戻せたら良いな。

 きっと、出来る。やってみせる。


 視線を下ろして、ジルとジャンヌは海の前に広がっている洞窟……冥府の外門(タルタロス・ゲート)を見た。


 大きな口を広げ、暗黒を生み出すそれから流れ出ているのは、とてつもない瘴気。極地である死滅の凍山(グリムリーパー)の方が、まだマシと思える凶悪な禍々しさ。魔族の姿が見えなくても、暗闇の向こうに、それらがとめどなく蠢いていることだけは理解できた。


「ミッシングを簡単に説明すると、無属性魔法で、なおかつ防御や耐性無視の攻撃魔術なんだ」

「そんなものがあるの?」

「ある、というより……出来るようになった、が正しいかも」


「どういう理論なの? 見当もつかないわ」

「うん。魔術には六つの属性があるのは、ジャンヌも知ってるよね。おっと」

「ええ」

「それぞれが、対になってることも、もちろんだよね?」

「ば、バカにしないでよ! 火と水、地と風、光と闇でしょ?」

「あはは。ごめんごめん。その通り。あ、後ろ」

「はいはい」


 会話を交わしながら、進んでいく。ジルは松明を片手に、ジャンヌは完全武装をして。

 何度か、ドロドロに溶けた単細胞生物のような軟体魔族スライムや、吸血をしてくる蝙蝠魔族の奇襲に遭うが、難なく対処する。

 冥府の外門(タルタロス・ゲート)に生息する魔族は、強弱さまざま。魔界に近いからこそ、最弱と言われる魔族も、その反対の評価を受けている魔族も。ないまぜになって、生きている。


「互いの属性は、互いに反発し合う。それらが衝突した時に生まれるエネルギーは、計り知れないほど膨大なんだ」

「……」

「ついてこれてる?」

「うん」


「じゃ、続けるよ。普通は、対消滅すれば雲散しちゃうだけの余剰分を、魔術で操作可能なように固定させて、指向性を持たせるんだ。属性魔術じゃないから、耐性も意味を成さない」

「うん」

「上の空だね」


「ま、まだいけるわ」

「……まあ、要すると。属性概念のない、純粋な魔力砲なんだ」

「なる……ほど」


 魔族植物の茎を刈り取りながら、ジャンヌは苦い顔をして納得する。全く新しい技術、理論なのである程度の魔術知識がある彼女でも、混乱してしまう。


 ジルだからこそ、ガイアから教わったことを頭の中に吸収し、自らの力として昇華することが出来たのだろう。

 学習能力の高さこそが、彼の持つもっとも優れた部分。故に、あらゆる属性の魔術を万遍なく扱うことが出来るのだ。


「……ねえ、ジル。ちょっと今思いついたこと聞いていいかしら」

「なに?」

「……ミッシングで、その腕を壊すことは出来ないの? 耐性も関係ないなら、出来るんじゃ……?」


 腕の呪いは切り落としても、再憑依する。魔術攻撃も受け付けないから、局部破壊も不可能だった。

 しかし、その常識から逸脱した魔術なら、もしかしたら可能性があるのでは? そう思い、ジャンヌは尋ねる。

 だが、ジルの返答は首を横に振ることだった。


「もし、僕が万全の状態で……ありえないけれど、ミッシングを扱えるなら出来るかもしれない」

「どうして……?」

「調整が利かないんだよ。上手くコントロールも出来そうにないし」

「……そっか。そもそも、修練が出来ないものね……」

「既存の魔術なら簡単なんだけど、これは、あらゆる点で新しい術式だから。予定の範囲で言うなら、真っ直ぐ打ち放つのが限度だと思う」

「……」


 目の前に飛びかかってきた、顔の半分が白骨化している狼を両断しながらジャンヌは落ち込む。

 腕を失うことにはなるが、魔王の完全消滅とジルの生還を同時に実行できる、良い案だと思ったのだが。

 肩を落とす彼女の横顔を、岩と同化するこぶし大の鉱物魔族に霧雨丸を突き刺しながら、ジルは案ずる。


「!」


 何か声をかけようと手を伸ばした時だった。

 突然、地響きが巻き起こり天井が落盤する。

 しかし、それは自然現象とは異なる局部的な落下現象。とてつもない巨大な塊が降ってきた後は、目視で回避できるほど乱雑な岩の群れだけ。

 不自然さを感じる前に、目の前に立ちふさがる強烈な存在感を二人は感じ取った。


「ケイヴロップスか」

「そうね」


 今まで横や下に向けていた顔が、今度は上を向いた。こういう巨大生物が難なく活動できるように、途方もない高さを持つ天井の、ギリギリまでそれは聳えている。


 浅黒い肌と人間に似た五体の存在する身体のつくり。筋肉の比重が、どれだけ鍛えた人科生物よりも異様なほど多いのが特徴だ。目はぎょろりと血走った物が一つだけ。耳や鼻は穴だけで、口だけは不快さを覚えるほど広く作られていた。

 陸生魔族の中でも、トップクラスの巨大さをほこる巨人種のケイヴロップスが、突如現れたというのに二人は冷静だった。


「任せるね」

「ええ、わかったわ」


 高度がありすぎて、妖しく光る単眼しか見ることは出来ない。だから、ジルは松明や拾った小枝へ着火すると上空へ無数に投げつけた。

 もちろん、火力で傷を与えるためではなく、ジャンヌの道を照らすため。

 一歩巨人が動くだけで、大地が揺れ動くのでジルは非難する。邪魔にならないように。


 投げ込まれた火種を拾いながら、目配せしながらジャンヌは上昇する。途中、伸びてきた腕で拿捕されそうになるがデュランダルの切れ味には及ばない。

 魔力を込めて光刃を精製して、幾度も切りつける。指が弾け、肉が飛び、骨が切れる。無残に黒い血液をまき散らし、隻腕となったケイヴロップスが叫びながら怒りをぶつけてきた。


 もう片方の腕で掴みにかかるが、ジャンヌは空中で慣性や跳躍とは違う直角移動をすることにより、難なく避ける。

 そのまま二の腕に乗ると、肉をえぐりながら踏み込んで一気に距離を詰める。途中で、聖剣が強い光を放った。


「じゃあね!」


 洞穴のような黒目が見たのは、不敵な笑みを浮かべる勇者が巨大な光の剣を振るう姿。

 次に回転しながら、天井と床と、そして自分の身体と……首を視界に移す。轟音を鳴らせて着地する頃には、ケイヴロップスは絶命していた。

 バランスを失った頭部のない巨人は、膝を折ることなく真っ直ぐに倒れこむ。噴き出る黒血は、まるでコールタールのようにドロドロとした粘度を持っていた。


 距離を見定め、血しぶきを浴びないようにしていたジルが陰からひょっこり出てくる。同時に、降り立ったジャンヌが険しい顔をした。


「……魔族の気配が集まってきてるわ」

「これだけ音を立てちゃったら、そりゃね」

「どうする?」

「一旦隠れよう」

「どこに? 来た道からも行く道からも、どっからでもゾロゾロ来てるわよ!?」

「多分、静かにしてれば大丈夫だよ。ほら、お願い」

「……ああ、そっか」


 ジルの差し出した小さな揺り籠を受け取ると、ジャンヌは安心したように笑った。


 ――――。


 数えるのも面倒なほど、魔族を見送っていった。人狼型も、植物型も。時折、すぐ傍を節足虫型の魔族群が通り過ぎて行ったが、何事もなく通過していく。

 少し知恵のあるデスブリンガー系の幽霊魔族は、ケイヴロップスの死体を検めていたが特に成果が得られなかったのか、すぐさま散り散りになって消えていった。

 最後に、肉を主食とする鳥獣型魔族が巨人の身体を無慈悲に啄んでいくと、あとには静寂が訪れた。


 少し離れた場所、中空に浮かぶ揺り籠の中で二人はやっと一息つく。


「これ、ガイア様からもらってなかったら危なかったわね」

「そうだね。安眠用の隠蔽効果が、戦闘でも役立つとは思わなかったよ」


 安全確認をして、地面に降りる。ジャンヌが魔術を込めると、手のひら程度に縮小した揺り籠は、旅袋の中へ収納された。


「そうだ、ジル。もう一つ、聞いておきたいことがあるんだけど」

「何かな」

混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルは、いつやるの?」

「……それは」

「今すぐやっちゃダメなの? そうしたら、ミッシングだって!」

「…………そうしたいのは僕も同じだよ。でもダメなんだ。僕が魔王の身体を取り払う、ということは闇魔法が使えなくなる、ということ。今の、このままじゃないとミッシングは使えないんだ」

「……そう……よね。わかったわ」


 それからの会話は、ほとんどなかった。急に飛び出る、仮面をつけた道化師のような魔族の奇襲を注意したり、足元で眠っているライオンとドラゴンの合いの子のような魔族を起こさないよう呼びかけたり。

 つまるところ、必要最低限の話だけを交わして、すいすいと進んでいった。


 難なく進めるからこそ、心にも余裕が出来る。

 しかし、ジャンヌはその余裕を不安と焦りに変えて足を進め、剣を振っていた。


 本当に、大丈夫なのだろうか。

 ジルは、こちらを安心させることばかり言ってくれているけれど。心配で不安なのは、彼自身のはず。

 ミッシングも、まだ理論を聞いただけの、未実施の未知な魔術。混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルのやり返しも、彼の嫌悪する闇の魔術。


 魔術は、魔力だけではなく確実に発現するための精神力も大きな要因である。いくらなりふり構っていられないから、と言って早々簡単に割り切るのも難しいだろう。


 確実に成功できるよね?

 あたし達、絶対一緒に帰れるよね?


 そうやって問うことだけは、後ろを歩く恋人にはどうしてもできなかった。



 ――――。


 気配がビリビリとしてきた。毒や麻痺を受けているわけではない。強烈な攻撃の余波による衝撃波のような、全身に打ち付ける悪裂な瘴気。


 二人は、一つ角を曲がった。

 悪しき波動が凄惨さを増す。風があるわけでもないのに、身体が押し戻されそうになる。

 風魔軽鎧(ヴァルハラ)の護りを強めて、しっかりと前を見据えた。


 青銅色の大門がそこにはあった。巨人が楽に通れるほど強大さ。意匠のように、表面にはありとあらゆる魔族の姿が掘りこまれている。その上に、紫色の六星魔法陣が点滅するように刻んである。


 そして、閂のように真一文字に展開されている白銀の鎖がそこにはあった。


「あの時は、もっとあったわよね」

「少なくとも、あの法陣が見えない程度には絡まってたよ」


 外に居る魔族の仕業でもあるだろうし、内側から開けようとする力でもあるだろう。まだ数か月程度の出来事なのに、ここまで封印が剥がれているとは、聞いてはいてもやはり驚かざるを得なかった。


「さて」

「ええ」

「……それじゃ、始めないとね。魔族が少ない、今のうちに」

「そうね」


 ジルは右腕を捲って歩みだした。隙間なく二の腕まで矯められた包帯は、痛々しくさえ思える。

 近すぎず遠すぎず、適当な距離を測り終えると腰の小さなナイフを抜いた。

 包帯にあてがおうとした時、彼は何かに気付いたかのように動きを止める。


「ジャンヌ」


 離れた場所で周囲の警戒をしていた恋人の名を呼ぶ。何事かと、事態が呑み込めないジャンヌがジルの下へ近づくと、何かを手渡された。

 驚くような顔をしながら、ジャンヌはジルの表情を伺った。柔らかい笑顔を向けて、ジャンヌを見返している。

 

 ゆっくりと手を開くと、そこには刃の研がれていない小型魔剣があった。


「ジル……?」

「これで最後の解放になる。泣いても笑っても、怒っても悲しんでも。これで、最後なんだ」


 握りしめたソロモンの鍵を見ながら、ジャンヌは言葉を待つ。


「それで……僕の封印を解いてほしい」

「あたしが?」

「うん。この先に待つ結果が、どうなるかはわからない。けど、後悔だけはしたくない。……だから」


「……だから?」

「ジャンヌにやってもらえるなら、上手く出来るような気がして」

「なにそれ。おまじないかしら?」

「あはは。そうかも」


「……いいわ。わかった。あなたの力に少しでもなれるなら。あたしは、なんだってするわ」

「ありがとう、ジャンヌ」

「お礼は、全部終わってから言いなさい」

「そうだね」


 優しくジャンヌは右腕を握る。

 脈を打っているその部分は、魔王ベルクの物。けれど、不思議と温かさがある。嫌悪感は微塵も覚えない。

 いくら浸食されているとはいえ、これは彼の物。

 大好きな、ジルの物。だから怖くない。


 他の物は決して断裂出来ない刃が、包帯に触れた。


「いくわよ」

「うん!」


 引き抜かれたソロモンの鍵が効果を発する。繊維を壊さず、美しいまでに断裁された包帯が効力を失って地面に崩れ落ちていった。

 次に噴き出るのは、目の前で鎮座する獄門と同等の邪悪な瘴気。聖剣も風魔軽鎧(ヴァルハラ)もあるジャンヌですら、思わず口元を押さえたくなる劣悪な波動。


 それを携える世界最高峰の魔術師は、真っ赤な瞳で迷うことなく前を見据えると、最初で最後の秘術を唱えるべく精神を集中させた。

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