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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第四章 地の精霊 編
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第三十七話 ~最後の場所へ~

「……あ」


 ゆっくりと目を開けると、そこには心配そうに顔を覗きこむジルが居た。

 座った状態で抱きかかえられたまま、頬に手があてられらている。どうやら、こちらでも涙を流していたようだ。


「大丈夫?」

「……ええ」


 短く返事をして、ジャンヌは上半身だけ起こした。どっと疲れるような感じはするが、痛みは特にない。

 しかし、体験したことを思うと身体は上手く動いてくれなかった。記憶が頭の中をかけめぐり、行動がそれ一点に浸食される。


 変化もなく、何事もなくジャンヌが戻ってきた時点で、ジルはわかっていた。ガイアは何も言ってくれなかったけれど、理解はしている。儀式に失敗した、と。


「……ガイア様」

「なんじゃね」

生成る死錬(デッドオアアライブ)って、また挑戦できるのですか?」

「……可能不可能で言えば、可能じゃ。ただ、精神体を飛ばす秘術だからの。特に、わかったと思うが死後の世界の住人は、仲間を強く求める。既に経験した以上、お主も顔を知られてしまっとるじゃろう。下手をすると、儀式の最中にお主自身が持って行かれるかもしれんぞ」


 ミイラ取りがミイラになる。それでは意味がない。自分も生きて、ライルを連れ戻す。それが最善で必然の策なのだ。


「ジル」

「なに?」

「ガイア様から、何か知恵は頂けた?」

「ああ……うん」


 歯切れの悪い返事をするジルが珍しく、ジャンヌは首をかしげた。

 隠し事の下手な彼のことは熟知しているので、少しの違和感があれば後ろめたい事実があったことがわかる。


 けれど、一度もなかったことじゃない。

 小さい頃、彼に服をあげたことがある。上等なものじゃなく、単にボロボロのをいつも着ていたので、寒そうだと思ったから。

 しばらくは、気に入ってくれたのか、そればかり着ていたがある日を境に、またボロボロの普段着に戻ってしまった。


 それを問うけれど、歯切れの悪い返事で誤魔化された。

 後になって知ったが、枝にひっかけて破いてしまったから着なくなった、とのことらしい。

 大事に着ていたつもりでも、自分の為に買ってもらった物を、そうやって不注意で壊したことにジルは大層後ろめたさを感じていた。


 でも。

 ジャンヌは、それを問い質しはしなかった。聞く必要もないと思っていたし、時期がくれば話すと知っていたから。

 考えていた通り、少し経った後にジルは衣服と、弁償するためのお金をもって謝罪した。

 最終的には断ったが、その律義さや真面目さに、今になって思うと惹かれていたのだとジャンヌは懐かむ。


「……そ。ならいいわ」

「……」

「さて、ではジャンヌも戻ってきたことじゃ。一旦、休むとよかろう」


 絶妙なタイミングでガイアが会話に入った。無言の空間にならずに済んだことを感謝しながら、ジルは耳を傾ける。


「お主らに、この寝具を渡そう。持ち運びも出来る、便利な魔術道具じゃぞ」


 頭上の光から、零れる滴のように丸い光球が下りてきた。

 ジルとジャンヌの前でパチンと弾けると、それはワイドダブルほどの大きさを誇る揺り籠だった。

 シーツも枕もあって、更に少しだけ浮いている。


「視覚と気配を隠蔽する効果もあるでな。外で使っても、安心じゃぞ。魔力を少し込めるだけで、手のひらサイズになる。使う時も同様じゃ。簡単じゃろ?」

「ええ、凄く助かりますね」

「うむ。……ところで、ジル」

「はい」

「……ワシは話さなければならないことは伝えるべきだと思うぞ。相手を大事に思うなら、なおさらじゃ」

「……そうですね」


 とりあえず、これに入れ。

 ガイアはそう二人を促す。綿で出来ているかのような、ふわふわの揺り籠に座り込むと、ジルは躊躇いつつも、しっかりジャンヌを見て話した。


「ジャンヌ、天恍(てんこう)の鎖って覚えてる?」

「ええ。魔界から出てきた後、ガイア様が冥府の外門(タルタロス・ゲート)を封じたアレよね?」


 命からがら魔界から脱出した二人。

 ベルクが倒れたことにより、魔族の力が少し弱まったおかげで、ガイアの声が届いた。


 ジルはまだどうしていいかわからず、腕の痛みに必死に耐えていた。

 その時、第零式帯状法具を最初に与えてくれたのがガイアだったのだ。


 さらに、地の精霊は門が開くことのないように、封印を施す。

 天恍の鎖、という白銀の結界法具だ。巨大なゲートを、がんじがらめにして二度と開門出来ないようにする施術だったのだが……。


「それが、どうやら壊れそうになってるらしい」

「え? どうしてよ?」

「ベルクが倒れ、魔族が増えることがなくなったのは間違いない。けれど、いなくなったわけじゃない。彼らの本能として、人間を抹殺する、というのがあるでしょ? 残党たちが、それを満たそうと門をこじ開けようとしているらしい」

「……つまり……魔界に残ってる魔族たちが、無理矢理封印を解いて、またこっちに来ようとしてること?」


 ジルが頷く。


「それなら、もう一度封印すれば……」

「ガイア様だって、出来るならばそうしてるよ。でも、あれほどの封印力を持った魔術儀式をもう一度やるには、流石の(つち)の精霊様でも、時間が足りないみたい」


 ジャンヌは肩を落として、少しだけ放心した。

 色々な思考が巡ってくる。まだ終わらないのか、やるべきことが残っているのか。いつになれば解放されるのか。


 けれど、それらを弾きのけて彼女は強く思う。

 自分たちがやらなければならない、宿命なのだから、と。


 次にジルを見る意志が籠った瞳を見て、彼は安心した。

 自分も正直、もうやってられないと思った節はある。だからといって、投げ出すわけにはいかない。


 ベルクを倒した時点で、自分たちは世界の意志を背負っている。希望の象徴である者が、ここで逃走をしてはならない。それが使命。運命。


「……いいわ。こうなったら、とことんやってあげるわよ!」


 頭を掻きながら、ジャンヌは言った。


「で、どうしたらいいの? 再封印出来ないなら……あたしたちは、何を?」


 そして至極当然の質問を投げかける。

 再度封印すれば良いだけなら、わざわざこんな話はしないだろう。

 何か、自分らがしなければならない役目があるはずなのだ。


「うん……それは、道中で話すよ。簡単なことだから、安心して」

「……わかったわ」


 ここまで折り入った話をしても、まだ少し躊躇している。

 心を通じ合わせた相手とはいえども、後ろめたい気持ちがあるのは当然か。

 悲しみよりも、まず強烈な眠気が襲ってきたので、ジャンヌは揺り籠に身を投げ出した。


「少し眠るわね。ちょっと疲れちゃったし」

「うん」

「ジルはいいの?」

「僕は魔術で回復していただいたから、大丈夫だよ」

「でも、先は長いでしょ? ここから冥府の外門(タルタロス・ゲート)まで結構な距離よ?」

「ガイア様が、転送魔術で麓まで送ってくださるって。だから、君が回復したらすぐに発とう」

「そうなんだ」

「そうなんだよ」

「……うー……」

「?」

「でもやっぱ、なんか寂しいからこっちおいで!」

「うわっ!?」


 ジャンヌはジルを抱き寄せ、転がり込む。彼の存在を確認するように、五感を目一杯使ってひたすら包み込む。

 胸元で窒息しかけたが、なんとか呼吸だけ確保するとジルはおとなしくなった。言い返したり、何をしたところで意味はない。大人しく従い、自分も体力ではなく精神の回復を図ることにした。


「のう、お二人さん」

「……あ、はい」

「ワシも寝るので、好きにしてて良いぞ」

「なっ!?」

「ほっほっほっ。お好きにの。わしはなーんも見ないことにするでな」

「ガイア様!?」

「ほっほっほっ」


 存在を忘れていたわけじゃないけど、居るようで居ないから頭から抜けてしまっていた。

 ガイアに茶化されたので、悶々としてしまった二人だけれど、すぐにジャンヌが寝息を立て始めたので、ジルも倣って目をつぶった。



 ――――。


 目を覚まして、体力も魔力も回復したことをジャンヌは確信した。先に起きていたジルは、何かをガイアと話していたようだ。

 深刻そうでもなく穏やかな顔で、湧き出る水の傍に腰を下ろして会話していた。声が小さくて聞こえないが、ジャンヌが起床したことに気付くと、ニコリと笑って手を振る。

 

「さて、準備は良いか?」


 揺り籠をコンパクトにして、旅袋の中へ。傷もない、体力も完璧。旅立つ準備は整った。

 顔を見合わせて頷き、ガイアへ願う。


「はい、お願いします」

「うむ。では……」


 二人の足元に白いの魔法陣が展開された。イメージした場所へ飛ばしてくれる、転送魔術だ。

 少し経てば、彼らの身体が光の球へと変化して、リンクした行き先へ転移される。もちろんだが、最高等に位置する究極ともいえる魔術だ。光属性なので、魔族の色が濃い場所へは上手に連結できる失敗に終わることも多い。だから、死滅の凍山(グリムリーパー)の麓が限度なのだ。

 

「では、ジル、ジャンヌ。頼んだぞ」

「はい!」

「……ジルよ」

「はい」

「どんな決断をするにせよ、わしはお前を否定はせぬぞ。精一杯、頑張ってこい」

「……ありがとうございます」


 確信のない会話に少し疑問が出るが、ジャンヌはやはり言葉を飲み込んだ。


 光が強くなる。身体の感覚が抜けて、意識が途絶える。


 気が付くと、そこは既に鬱蒼とした沼地だった。

 足場が悪く、太陽の光を遮るかのような瘴気が泡立つ沼から絶えず吹き出ている。

 チラリと振り返ると、死滅の凍山(グリムリーパー)が見えた。こんなに近いのに、もう全く寒さを感じないという異常気象は、やはり魔族の常軌を逸した拠点だからこそ、と言えよう。


「離れないようにね」

「わかってるよ」


 出来るだけ魔族を刺激しないよう、細心の注意を払って二人は歩き出した。毒を孕んでいることもある泥炭地を、風魔軽鎧(ヴァルハラ)の護りで進んでいく。


 死滅の凍山(グリムリーパー)ほど、極地ではない為、血肉に餓えていない魔族が多いのが幸いだった。むしろ、自然とこの溢れ出る凶悪な魔の気があれば、他の方法による栄養摂取など必要もない。

 人間を見つければもちろん殺しにかかってくるが、逆を言えば血眼になって探してはこない。だから、静かに、ゆっくり、穏やかな歩調で気配を殺して進めば良いのだ。前回も、そうやって歩いた。


「……ジャンヌ」

「ん?」


 魔族の気配が薄い場所を歩いている時だった。ふいに、ジルが口を開く。小さな声だけど、はっきりとした決意の表れている口調で。


「ガイア様との会話を、君に伝えておこうと思う」

「うん」


 何気なく返事をしたつもりだったが、ジルは察知していた。微妙にジャンヌの声が弾んでいたことを。

 それを耳にし、やはり話をして失敗にはならないな。そう彼は思った。


「まずは、腕のこと。難しいことなんだけど、方法が一つだけ見つかったんだ」

「え? 本当!?」

「うん。それは、混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルを僕自身が唱えることなんだ」

「ジル自身が……?」

「成功するかはわからないけど、無理じゃない。ガイア様はそうおっしゃってくれたよ」

「……そう。そうなの」


 ジャンヌは歩みを止めた。連られてジルも止まる。

 急に俯いて、無言になったジャンヌが不思議で、ジルはどうしたのかと顔を覗きこんだ。


「良かった……本当に……」


 吸い寄せるように、彼女はジルを抱きしめた。

 今まで、どこを言っても何をしても、無理と言われ続けてきた。それが、今回初めて、希望的な方法を授かったのだ。

 それが嬉しくて嬉しくて、ジャンヌは本能的に彼を抱擁してしまった。


「ジャンヌ、苦しいよ」

「……」

「……まったく」


 愛情をいっぱいに感じながらも、ジルは少しだけなすがままにされた。

 しばらくそうした後、まだ残っている告げなければならないことを話すため。優しく腕を解き、手を握ったまま、目線を逸らさずに言う。ジャンヌは少し涙が滲んで、目が赤くなっていた。


「天恍の鎖のことだけど」

「ええ」

「時を待って、ガイア様に再度封印してもらうことは出来るかもしれない。けど、今は時間がないんだ。僕自身も、封印能力自体も」

「そう……ね」

「だから、根源を断つ。それが、僕らの使命なんだ」

「……? つまり、何をするの?」

冥府の外門(タルタロス・ゲート)を……破壊するんだ」

「え?」


 特殊な魔界の鉱石で出来た、巨大な門。どんな魔術でも、武器でも傷一つ付かない強固無比なる最硬の大扉。それが冥府の外門(タルタロス・ゲート)だ。

 また扉には転移魔法陣が刻まれており、それが人間界と魔界を繋ぐバイパスとなっている。死してなお発動を続けるほど、複雑で強力な魔術は魔王ベルクにしか使えない。

 

 故に、門を破壊してしまえば二度と人間界へ魔族が侵略しに来ることは、不可能なのだ。


「それはそうだけど……一体、どうするの? 勝利の聖閃光オラクル・ヴィクトリアでも、あんなの無理よ?」

「わかってる。それは僕がやるんだ」

「ど、どうやって? そんなことできそうな魔術、聞いたこと……」

「ないだろうね。僕も知らなかったし、書物を漁っても……うん、アグニ様でも絶対に知らないはずだよ」

「どういうこと?」


「つまりは、ガイア様が理論を組み立て、そして実行法を編み出した最新式の究極魔術。それを、授かったってわけなんだよ」

「なる……ほど」

「僕にしか出来ない、僕だけの秘法」


 生唾を飲み込んだジャンヌへ、彼は強く言った。絶対の自信と、強い意志を伝えるように。 


「滅閃魔術……ミッシング!」

「ミッシング……」


 二人は既に、洞窟の前まで来ていた。

 ここからは、長い長い迷路が海底まで続いている。

 その最深部に存在するのが、冥府の外門(タルタロス・ゲート)だ。

 魔族と人間を繋ぐ、因縁の外門を破壊し、ジルが混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルを成功させる。二つの目的が成せる唯一の場所。



 再び始まった冒険譚の終わりは、もうすぐそこまで迫っていた。

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