第三十六話 ~話したかったこと~
こちらを見ている緑色の瞳を、決して離すことなくジャンヌは立ち尽くしていた。
先ほどの落下によって、今度は腹部に痛みが走る。装甲が比較的薄いせいか、既に守るべき金属板はそこになく。無残にも塵を巻きながら、摩擦によって焼け焦げた肌を露見させていた。
魔力を解放し、再度鎧を纏う。壊れた箇所はすべて修復したが、装着者はそうもいかない。全身は軋むように悲鳴をあげているし、切り傷擦り傷は鋭さと鈍さ、両方の痛みを絶え間なく発し続けている。
(……反撃を考えるから……対処が遅れるんだ)
肩で息をしつつ、次の手を必死で思考する。
ライルの腕力、スピードは自分より何もかも上回っている。戦法に変わりがないことだけが、唯一救いだと思えるけれど、それを凌駕する先述の二点が大きすぎる。考えていること、やろうとしていることが全て無駄になってしまうのだ。
対処法を考えろ。
痛む頭を必死に稼働させて、勝ちへの一手を導く。
今持っているあらゆるモノを、出し切るんだ。
「……?」
ライルは少しだけ驚いた顔をした。
フラフラになりつつも立ち上がり、戦闘態勢に入ったジャンヌが急に剣を地面に突き刺したからだ。
杖代わりに利用していたのを、もう一度地面に差し込む理由がわからない。
しかし、その行動の意味を彼は即座に理解した。理解せざるを得なかった。
「ハァアアッ!!」
気合と共に、ジャンヌはそのままの姿で突進してきたからだ。無手の状態で、構えを取ると一足飛びで急接近を企んでくる。
ライルは驚きつつも、冷静に頭の中を闘争本能に受け渡して対抗した。
刃で斬るには、距離が詰められすぎている。最小限の動きで撃つには、これしかない。
逆手に持ち変えると、ライルは石突きの方で脳天を穿つように薙ぎ払った。
「!」
回避される。身体を横に倒しながら屈められ、攻撃は虚を捉えてしまった。
追撃を試みるが、取り回しが間に合わない。既にジャンヌは反撃に入っていた。
低くした姿勢のまま地に手をつき、鋭利な刃が施されているレガースで、胸を斬るように蹴り飛ばしたのだ。
軽装備なのが仇をなした。守られている部分は、強度が勝っていて傷つけられただけだが、対角線上に入った切っ先は、薄い布しか纏っていない腹部に朱色の線を描く。
(入った!)
勢いを利用し、前転をしながら振り返ってジャンヌが立ち上がる。
攻撃自体は当てられるのだ。ただ、筋肉が固すぎて、付属の刃程度では傷つけるのが精一杯。
確実に仕留めるならば、急所を狙うしかない。
構えを取って、ライルの攻撃を見極める。
無理に反撃をしようとするな。とにかく、見える一瞬の隙を見定めろ。
頭にやるべきことを叩き込んでから、迫る斧の猛攻を彼女は待った。
大地を砕くような垂直方向の斬撃を一歩下がることで、無駄とする。余波で体が揺れはするが、視線は揺るがない。
この後に繰り出されるのは、また柄を旋回させてからの殴打。だからこそ、それよりも先に横っ腹へ一撃、素早いブローを叩き込む!
「ぐっ! のぉッ!」
ゆっくりな横薙ぎがジャンヌの頭上を掠める。ゆっくり、というが、先刻までと比べての話。直撃すれば、即死は免れない威力だけれど、当たらなければ意味はない。
ライルが次の攻撃に移る直前、息を吸ったその瞬間を狙っての打撃。呼吸が乱れるのは、死霊を携えている状態とはいえ、人間と同じようだ。
二人の身長差は頭二つ分はある。鎧の防御を破りつつ、足で仕留めるにはやや広すぎる幅だ。
なので狙うは一点、頭部。露出していて、一撃で倒せる場所。
かつての仲間を、殺すまで傷つけるのは心が痛むけれど……倒せば、帰ってくるのだ。躊躇するのは、今するべきことじゃない。
届かないと察知するや否や、ジャンヌはそのまま上昇する。伸びた肘先へ、刃を差し込んだ。筋を切断するには至らず、肉を割いただけ。それでも十分。
次に、肩を蹴って再び間合いを取った。本当は首に入ればいいのだけれど、自分のリーチの範囲外なのがひたすらに口惜しい。
後方一回転をして、直立着地する。
「お前、そんな戦い方も出来たんだな!」
「あら、知らなかったの?」
「だってオレ達、いつも! 武器を使って手合せしてたろ?」
「そうだった! わね! だって、必要ないと思って、たし!」
「そうかい! オレは今になって、やって、おけば、良かったと思ってるよ!」
「あたしは、あんたと、模擬戦重ねてたことに! 感謝してるわ!」
薙ぎ払いをかわし、拳を入れる。切り上げをいなして、蹴りを叩き込む。間合いをゼロにして、押し込むように掌底を撃つ。
舌を噛んでしまいそうな高速の攻防にも関わらず、二人は会話をしている。命のやりとりだというのに、楽しんでいるようにすら見えた。
今の状況を客観的に見れば、ジャンヌが優勢だ。もしもこれが有効な打撃数を競い合う場だったとするならば、判定勝ちできるほど多く攻撃を与えている。対するライルは、速度強度共に勝っているにも関わらず、技術の点で劣勢を強いられてしまっていた。
しかし、それでも。
実際に対峙しているジャンヌ本人は、その分析とは真逆の意見を頭に浮かべていた。
(前からタフだったけど……これじゃ……)
攻めている。相手のラッシュも回避できている。しかし、決定打には程遠い。
左手が痛む、流血が目に入りそうになる。腹部が緊張して、動きが鈍る。蓄積したダメージによって、完全なる動きが再現できないジャンヌが、先に見えているのは『根負け』という結果だった。
致命傷が負わせられない以上、ライルは最小限の動きでただ切り刻む斬撃を、軽い殴打を、ひたすらに耐えれば良いだけ。
あとは、長く続けたことによる疲労によって、動きに乱れが生まれたところに。
「ふッ!」
「ぅあっ!?」
今までにない攻め方をぶちかますだけ。
固く握っていた柄を離し、今度はライルの方が剛腕による鉄拳を、みぞおちにめがけて撃ち放った。
体が曲がると、続いて手と足が遅れてやってくる。身体がバラバラになったような錯覚を覚えながらも、無様に転がっていくジャンヌ。
手と足でブレーキをかけ、立ち上がろうとするが、激痛が走り、それを成すことができない。代替として、体内から口腔へ向かって凄まじい速さで何かが流れてくる。
こらえきれず、ジャンヌはそれを吐き出した。大量の血だった。
「相変わらず、一撃が軽いな。ま、並の魔族相手にゃ、十分なんだろうけどよ」
「……くっ」
「知っての通り、オレは耐久面に関しては相当だぜ?」
「ええ……知ってるわよ」
「いつまでも、チマチマやってるようじゃ! 絶対勝てねーぞ!?」
「わかってる……てーのッ!」
「!?」
遠くで、ジャンヌが手を広げた。まるで魔術でも撃ってくるかのように。
けれど、ライルは知っている。彼女が、上手に魔力をコントロール出来ないせいで、魔術を使えないことを。
だからこそ、何事かと思った。
後頭部に、強烈な衝撃が走ったから。
「ちぇっ。そう上手く入らないか」
「う……これは……」
痛む頭部を触ってみる。手は赤く染まっていた。
その攻撃は、まるで鈍器で思い切り殴られたかのような感覚。一体何をされたのか。
揺らされた脳で、回転する景色を映しながらジャンヌを見る。
彼女の手には、デュランダルがあった。
即座に理解する。
先ほど突き刺した剣を呼び寄せたのだ、と。わざと手放していたのは、布石だったのだ。
冷や汗が噴き出る。刃の部分ではなく、柄の部分が当たったからこれで済んだ。もしも、殺傷を目的とした白刃が当たっていたら、ひとたまりもなかっただろう。
けれど、もしもだ。
二度目はない。剣の居場所さえ注視していれば、対処は造作もないから。
眉間を指で押さえて、正常な状態に戻そうとライルは懸命に集中する。
その間に、ジャンヌも剣を構えていた。血を指で拭い、しっかりとデュランダルを握りしめる。
(……もう、後はないわね)
悟られないようにしているだけで、実際はもう立っているのがやっと。本来なら、先ほどの奇襲で倒しきるつもりでいた。上手く刃の向きが動かなかったのが誤算……いや、鍛練不足だった。
修復を繰り返したせいで、もう残りの魔力も少ない。砕けた装甲を直すことは、出来ないだろう。
だったら。
(次の一撃で)
(この攻撃で)
(決める!)
足を踏ん張り、ライルは武器を構えた。
腰を落として、ジャンヌは攻撃体勢に入った。
風が一陣舞う。
既に激闘によりえぐられて、鑑賞に値しないレベルの荒野になりつつある死の世界。
残った花の弁も、むなしくその風で散ってゆく。
ふと、見えた花が綺麗だと思った。
ゼイラムの真っ赤な花弁。
大好きな花。素朴で、簡素で、当たり前にあるからこそ美しい。
一枚の花びらがライルの前を横切る。
過ぎ去った後に見えたのは、かつて共に旅をした仲間の姿。
固く握った柄を持ち上げ、そして最善の間合いで彼は斧を振り下ろす。
渾身の一撃は空を切り裂いた。
懐にはジャンヌ。
絶好の間合いだ、と剣をもうそこまで伸ばしている。
聖剣の切っ先が首をめがけて一直線に迫ってきている!
「まだだ!」
ライルは身体を捻り、回りながら紙一重で潜り抜けた。少しだけ白刃がかすり血が飛沫するが、大事な血管に傷はついていない。
そのまま、柄尻をジャンヌ目がけて思い切り振りぬいた。真横から放たれた、死角からの薙ぎはジャンヌに間違いなく直撃した。
「!?」
けれど、それはライルの予想とは違う当たり方。
刺突の後だから、身体は伸びきっている。そう思ってたのに、いつの間にかジャンヌの身体は宙に浮いていた。
腰を曲げ、膝を畳んで、待ち構えるように足裏を垂直に向けている。待っていたと言わんばかりの笑みを見せると、レガースの底にライルの攻撃が命中した。
金属片が飛んで、具足が弾ける。同時に、とてつもない速度で、水平方向にジャンヌが飛んでいく。衝突の瞬間に、ポールシャフトを踏み場にして思い切り跳躍していたことを、ライルは知っていた。
「……くっ!」
躊躇した。
追いかけるべきかどうかを。しかし余りにも速すぎて、一体どれほどのスピードが出ているのか認知できなかった。
踏み込んだはいいものの、それでは追いつけないと判断するや否やライルは、手に持った斧を遠心力を使用しつつ、渾身の力で放り投げた。
目がけた先は、もちろんジャンヌ。
だが、しかし。
一手。たった一瞬の差。
判断を決めあぐねたライルに対して、最初からすべきことを全うしていたジャンヌに軍配が上がる。
地平線の先へ、音速で飛んでいくジャンヌから巨大な閃光の柱が飛び出した。
見たことがある。
いつも、勝利を導いてきた聖なる光の刃だ。
わかっていた。
それを狙うための時間稼ぎとして、あえて攻撃を受けて、わざと柄を蹴り、しっかりと距離を置いたことを。
次に彼が見たのは、一面真っ白の世界。
最高値に達した、最大速の、最強の剣閃。
勝利の聖閃光!
ライルは目を閉じ、四肢の力を抜く。
そして、慈愛の籠った斬撃をその体に受けると、崩れ落ちるように倒れこんだ。
――――。
目を開ける。
見えているのは、真っ青な大空。
ズンと痛む頭を押さえながら、何故だかやたらと重く感じる身体を、懸命に水平に保ちつつ立ち上がった。
そして、ゆっくりと歩いていく。
あちこち傷だらけなのだが、流血していないのが不思議な感覚だ。
足も損傷が激しい。折れているように思えるが、痛みはない。
ずりずりと引きずって、けれど確実に一歩ずつ。
自分がいた場所から少し横に外れた場所で、真っ直ぐに引かれている、土色の軌道をなぞっていく。
ふらつきながら、転びそうになりながら。
遂にたどり着いた。
先ほどの自分のように、天を仰ぎ見ているジャンヌの所へ。
「……よう」
「……」
ジャンヌは、普段着に戻っていた。もう風魔軽鎧を纏う魔力も残っていない。
右腕を目元に当てていたので、ちょうどライルから手の平が見えた。菱形の聖十字が刻まれている。デュランダルも、収めてしまっているらしい。
「……ライル」
「なんだ」
「立ち上がるのも無理だから、このままでいい?」
「……おう。いいぞ」
掠れた声でジャンヌは続けた。表情を見せようともせず、でも淡々としない様子で。
「あたしね、この前ジルとやっと結ばれたのよ」
「そうか」
「これからずっと、一緒に生きていくの。あたしはジルのモノで、ジルはあたしのモノなの」
「良いことだな。おめでとう。オレとしては、今更かって感じだが」
「それ、ヴィヴィアンにも言われた」
「当然だろ。お前らの仲の良さ知っていれば、逆にそうじゃないことの方が不自然だったよ」
「腹立たしい、ルアン王国の王様ともう絶縁するって決めたしね。交易だけは続けさせるけど」
「何かあったのか?」
「そりゃもう。言うのも嫌なくらいのことされたのよ。だから、二度と口利いてやらない。顔も見ない。あっちは覚えてないかもだけど、あたしは絶対忘れないから!」
「はは。おっかねーな」
「あとね、水の精霊様にも会ったのよ。龍、っていう、翼のない蛇みたいなドラゴンの化身と戦ったの」
「ほー。精霊様とはまた。伝説上の存在だと、てっきり」
「当たり前でしょ。あたしの風魔軽鎧だって、風の精霊から譲り受けたって話したじゃない」
「そっか、そうだったな。忘れてた」
「…………ライル」
「ん。」
「……ごめんね」
掠れた声は徐々に徐々に、震えていっていた。
ライルは何も気にしないように、優しく微笑みながら答えてくれる。
「なんだ、いきなり」
「本当はね、この話。あんたが生き返ってからするつもりだったの」
「……そうか」
「……でも。…………でも……っ!」
立ち上がれない。一歩も意地を通せない。
勝利の聖閃光を放ったせいで、魔力も枯渇している。傷も酷く、本当はすぐにでも気を失いそうなほど。
だから、必勝の一撃は外れてしまったのだ。万全の状態じゃないから。身体のバランスが崩れ、命中するべき一閃は対象から逸れてしまった。
風魔軽鎧は装備できない、デュランダルを握る力だって、もうない。
だから、既に……ジャンヌは生成る死錬の儀式を、ガイアに頼んで解除していた。
無理だった、と。
だけど、どうしても。
これが……最後になるなのら。
話しておきたいことを、伝えておくのだ。
「良いんだよ。もともと、オレは死んだ身なんだから。お前が責任を感じることじゃない」
「……けど……」
「あえて本音を言うなら、な。オレだって、そりゃあ死にたくなかったさ。お前みたいな、綺麗な嫁さんでも見つけて、平和な世界でぬくぬくと暮らしたかったよ」
「…………」
「でも、良いんだ。オレはオレの人生に満足していた。あの村から出て、お前たちと旅をして……楽しかったんだ」
いつの間にか、ライルの目も潤んでいた。鼻をこすりつつ、ジャンヌを見下ろしたままの状態で続ける。
「もしも、って考えることは有るけど。後悔は微塵にもしてねーよ。だから、そんな泣くな」
「……うう……っ!」
流れていく涙をせき止められずに、ジャンヌはただただ感情に身を任せる。
ライルの身体が、少しずつ少しずつ薄れていくのが、あんまりにも悲しくて。
「……大丈夫さ。また、いつか会えるよ」
「……いつかって……いつよ」
「そりゃあ、お前が婆さんになって、死んだ時だよ」
「なにそれ。嫌よ、あたしだけおばあちゃんとか」
「はは。そーか。……でも、オレは……次に会うなら、お前が年老いた姿の方が安心するぜ」
「もー……あんたって……」
「……さて、そろそろらしい。元気でな。ジルと、幸せになれよ」
「ライル!」
もう風景と同化しそうになっているライルへ。
届いてくれたと信じて。
「ありがとう! 本当に、ありがとうね! いつか、絶対! また……!!」
最後の力を振り絞って、そう叫んだ。
光に消えていく、最愛の仲間が見せた最後の表情は……安らかな笑みだった。




