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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第四章 地の精霊 編
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第三十六話 ~話したかったこと~

 こちらを見ている緑色の瞳を、決して離すことなくジャンヌは立ち尽くしていた。

 先ほどの落下によって、今度は腹部に痛みが走る。装甲が比較的薄いせいか、既に守るべき金属板はそこになく。無残にも塵を巻きながら、摩擦によって焼け焦げた肌を露見させていた。


 魔力を解放し、再度鎧を纏う。壊れた箇所はすべて修復したが、装着者はそうもいかない。全身は軋むように悲鳴をあげているし、切り傷擦り傷は鋭さと鈍さ、両方の痛みを絶え間なく発し続けている。


(……反撃を考えるから……対処が遅れるんだ)


 肩で息をしつつ、次の手を必死で思考する。

 ライルの腕力、スピードは自分より何もかも上回っている。戦法に変わりがないことだけが、唯一救いだと思えるけれど、それを凌駕する先述の二点が大きすぎる。考えていること、やろうとしていることが全て無駄になってしまうのだ。


 対処法を考えろ。

 痛む頭を必死に稼働させて、勝ちへの一手を導く。

 今持っているあらゆるモノを、出し切るんだ。


「……?」


 ライルは少しだけ驚いた顔をした。

 フラフラになりつつも立ち上がり、戦闘態勢に入ったジャンヌが急に剣を地面に突き刺したからだ。

 杖代わりに利用していたのを、もう一度地面に差し込む理由がわからない。


 しかし、その行動の意味を彼は即座に理解した。理解せざるを得なかった。


「ハァアアッ!!」


 気合と共に、ジャンヌはそのままの姿で突進してきたからだ。無手の状態で、構えを取ると一足飛びで急接近を企んでくる。

 ライルは驚きつつも、冷静に頭の中を闘争本能に受け渡して対抗した。

 刃で斬るには、距離が詰められすぎている。最小限の動きで撃つには、これしかない。

 逆手に持ち変えると、ライルは石突きの方で脳天を穿つように薙ぎ払った。


「!」


 回避される。身体を横に倒しながら屈められ、攻撃は虚を捉えてしまった。

 追撃を試みるが、取り回しが間に合わない。既にジャンヌは反撃に入っていた。

 低くした姿勢のまま地に手をつき、鋭利な刃が施されているレガースで、胸を斬るように蹴り飛ばしたのだ。


 軽装備なのが仇をなした。守られている部分は、強度が勝っていて傷つけられただけだが、対角線上に入った切っ先は、薄い布しか纏っていない腹部に朱色の線を描く。


(入った!)


 勢いを利用し、前転をしながら振り返ってジャンヌが立ち上がる。

 攻撃自体は当てられるのだ。ただ、筋肉が固すぎて、付属の刃程度では傷つけるのが精一杯。

 確実に仕留めるならば、急所を狙うしかない。


 構えを取って、ライルの攻撃を見極める。

 無理に反撃をしようとするな。とにかく、見える一瞬の隙を見定めろ。

 頭にやるべきことを叩き込んでから、迫る斧の猛攻を彼女は待った。


 大地を砕くような垂直方向の斬撃を一歩下がることで、無駄とする。余波で体が揺れはするが、視線は揺るがない。

 この後に繰り出されるのは、また柄を旋回させてからの殴打。だからこそ、それよりも先に横っ腹へ一撃、素早いブローを叩き込む!


「ぐっ! のぉッ!」


 ゆっくりな横薙ぎがジャンヌの頭上を掠める。ゆっくり、というが、先刻までと比べての話。直撃すれば、即死は免れない威力だけれど、当たらなければ意味はない。

 ライルが次の攻撃に移る直前、息を吸ったその瞬間を狙っての打撃。呼吸が乱れるのは、死霊を携えている状態とはいえ、人間と同じようだ。

 

 二人の身長差は頭二つ分はある。鎧の防御を破りつつ、足で仕留めるにはやや広すぎる幅だ。

 なので狙うは一点、頭部。露出していて、一撃で倒せる場所。

 かつての仲間を、殺すまで傷つけるのは心が痛むけれど……倒せば、帰ってくるのだ。躊躇するのは、今するべきことじゃない。


 届かないと察知するや否や、ジャンヌはそのまま上昇する。伸びた肘先へ、刃を差し込んだ。筋を切断するには至らず、肉を割いただけ。それでも十分。


 次に、肩を蹴って再び間合いを取った。本当は首に入ればいいのだけれど、自分のリーチの範囲外なのがひたすらに口惜しい。

 後方一回転をして、直立着地する。


「お前、そんな戦い方も出来たんだな!」

「あら、知らなかったの?」

「だってオレ達、いつも! 武器を使って手合せしてたろ?」

「そうだった! わね! だって、必要ないと思って、たし!」

「そうかい! オレは今になって、やって、おけば、良かったと思ってるよ!」

「あたしは、あんたと、模擬戦重ねてたことに! 感謝してるわ!」


 薙ぎ払いをかわし、拳を入れる。切り上げをいなして、蹴りを叩き込む。間合いをゼロにして、押し込むように掌底を撃つ。

 舌を噛んでしまいそうな高速の攻防にも関わらず、二人は会話をしている。命のやりとりだというのに、楽しんでいるようにすら見えた。


 今の状況を客観的に見れば、ジャンヌが優勢だ。もしもこれが有効な打撃数を競い合う場だったとするならば、判定勝ちできるほど多く攻撃を与えている。対するライルは、速度強度共に勝っているにも関わらず、技術の点で劣勢を強いられてしまっていた。


 しかし、それでも。

 実際に対峙しているジャンヌ本人は、その分析とは真逆の意見を頭に浮かべていた。


(前からタフだったけど……これじゃ……)


 攻めている。相手のラッシュも回避できている。しかし、決定打には程遠い。

 左手が痛む、流血が目に入りそうになる。腹部が緊張して、動きが鈍る。蓄積したダメージによって、完全なる動きが再現できないジャンヌが、先に見えているのは『根負け』という結果だった。


 致命傷が負わせられない以上、ライルは最小限の動きでただ切り刻む斬撃を、軽い殴打を、ひたすらに耐えれば良いだけ。

 あとは、長く続けたことによる疲労によって、動きに乱れが生まれたところに。


「ふッ!」

「ぅあっ!?」


 今までにない攻め方をぶちかますだけ。

 固く握っていた柄を離し、今度はライルの方が剛腕による鉄拳を、みぞおちにめがけて撃ち放った。


 体が曲がると、続いて手と足が遅れてやってくる。身体がバラバラになったような錯覚を覚えながらも、無様に転がっていくジャンヌ。

 手と足でブレーキをかけ、立ち上がろうとするが、激痛が走り、それを成すことができない。代替として、体内から口腔へ向かって凄まじい速さで何かが流れてくる。

 こらえきれず、ジャンヌはそれを吐き出した。大量の血だった。


「相変わらず、一撃が軽いな。ま、並の魔族相手にゃ、十分なんだろうけどよ」

「……くっ」

「知っての通り、オレは耐久面に関しては相当だぜ?」

「ええ……知ってるわよ」

「いつまでも、チマチマやってるようじゃ! 絶対勝てねーぞ!?」

「わかってる……てーのッ!」

「!?」


 遠くで、ジャンヌが手を広げた。まるで魔術でも撃ってくるかのように。

 けれど、ライルは知っている。彼女が、上手に魔力をコントロール出来ないせいで、魔術を使えないことを。

 だからこそ、何事かと思った。


 後頭部に、強烈な衝撃が走ったから。


「ちぇっ。そう上手く入らないか」

「う……これは……」


 痛む頭部を触ってみる。手は赤く染まっていた。

 その攻撃は、まるで鈍器で思い切り殴られたかのような感覚。一体何をされたのか。

 揺らされた脳で、回転する景色を映しながらジャンヌを見る。


 彼女の手には、デュランダルがあった。

 即座に理解する。

 先ほど突き刺した剣を呼び寄せたのだ、と。わざと手放していたのは、布石だったのだ。

 

冷や汗が噴き出る。刃の部分ではなく、柄の部分が当たったからこれで済んだ。もしも、殺傷を目的とした白刃が当たっていたら、ひとたまりもなかっただろう。


 けれど、もしもだ。

 二度目はない。剣の居場所さえ注視していれば、対処は造作もないから。


 眉間を指で押さえて、正常な状態に戻そうとライルは懸命に集中する。

 その間に、ジャンヌも剣を構えていた。血を指で拭い、しっかりとデュランダルを握りしめる。


(……もう、後はないわね)


 悟られないようにしているだけで、実際はもう立っているのがやっと。本来なら、先ほどの奇襲で倒しきるつもりでいた。上手く刃の向きが動かなかったのが誤算……いや、鍛練不足だった。

 修復を繰り返したせいで、もう残りの魔力も少ない。砕けた装甲を直すことは、出来ないだろう。


 だったら。


(次の一撃で)

(この攻撃で)


(決める!)


 足を踏ん張り、ライルは武器を構えた。

 腰を落として、ジャンヌは攻撃体勢に入った。


 風が一陣舞う。

 既に激闘によりえぐられて、鑑賞に値しないレベルの荒野になりつつある死の世界。

 残った花の弁も、むなしくその風で散ってゆく。


 ふと、見えた花が綺麗だと思った。

 

 ゼイラムの真っ赤な花弁。


 大好きな花。素朴で、簡素で、当たり前にあるからこそ美しい。


 一枚の花びらがライルの前を横切る。

 過ぎ去った後に見えたのは、かつて共に旅をした仲間の姿。


 固く握った柄を持ち上げ、そして最善の間合いで彼は斧を振り下ろす。

 渾身の一撃は空を切り裂いた。


 懐にはジャンヌ。

 絶好の間合いだ、と剣をもうそこまで伸ばしている。

 聖剣の切っ先が首をめがけて一直線に迫ってきている!


「まだだ!」


 ライルは身体を捻り、回りながら紙一重で潜り抜けた。少しだけ白刃がかすり血が飛沫するが、大事な血管に傷はついていない。

 そのまま、柄尻をジャンヌ目がけて思い切り振りぬいた。真横から放たれた、死角からの薙ぎはジャンヌに間違いなく直撃した。


「!?」


 けれど、それはライルの予想とは違う当たり方。

 刺突の後だから、身体は伸びきっている。そう思ってたのに、いつの間にかジャンヌの身体は宙に浮いていた。

 腰を曲げ、膝を畳んで、待ち構えるように足裏を垂直に向けている。待っていたと言わんばかりの笑みを見せると、レガースの底にライルの攻撃が命中した。


 金属片が飛んで、具足が弾ける。同時に、とてつもない速度で、水平方向にジャンヌが飛んでいく。衝突の瞬間に、ポールシャフトを踏み場にして思い切り跳躍していたことを、ライルは知っていた。


「……くっ!」


 躊躇した。

 追いかけるべきかどうかを。しかし余りにも速すぎて、一体どれほどのスピードが出ているのか認知できなかった。

 踏み込んだはいいものの、それでは追いつけないと判断するや否やライルは、手に持った斧を遠心力を使用しつつ、渾身の力で放り投げた。

 目がけた先は、もちろんジャンヌ。


 だが、しかし。

 一手。たった一瞬の差。

 判断を決めあぐねたライルに対して、最初からすべきことを全うしていたジャンヌに軍配が上がる。


 地平線の先へ、音速で飛んでいくジャンヌから巨大な閃光の柱が飛び出した。


 見たことがある。

 いつも、勝利を導いてきた聖なる光の刃だ。


 わかっていた。

 それを狙うための時間稼ぎとして、あえて攻撃を受けて、わざと柄を蹴り、しっかりと距離を置いたことを。


 次に彼が見たのは、一面真っ白の世界。

 最高値に達した、最大速の、最強の剣閃。


 勝利の聖閃光オラクル・ヴィクトリア


 ライルは目を閉じ、四肢の力を抜く。


 そして、慈愛の籠った斬撃をその体に受けると、崩れ落ちるように倒れこんだ。









 ――――。



 目を開ける。

 見えているのは、真っ青な大空。


 ズンと痛む頭を押さえながら、何故だかやたらと重く感じる身体を、懸命に水平に保ちつつ立ち上がった。


 そして、ゆっくりと歩いていく。

 あちこち傷だらけなのだが、流血していないのが不思議な感覚だ。


 足も損傷が激しい。折れているように思えるが、痛みはない。

 ずりずりと引きずって、けれど確実に一歩ずつ。


 自分がいた場所から少し横に外れた場所で、真っ直ぐに引かれている、土色の軌道をなぞっていく。


 ふらつきながら、転びそうになりながら。

 遂にたどり着いた。


 先ほどの自分のように、天を仰ぎ見ているジャンヌの所へ。


「……よう」

「……」


 ジャンヌは、普段着に戻っていた。もう風魔軽鎧(ヴァルハラ)を纏う魔力も残っていない。

 右腕を目元に当てていたので、ちょうどライルから手の平が見えた。菱形の聖十字が刻まれている。デュランダルも、収めてしまっているらしい。


「……ライル」

「なんだ」

「立ち上がるのも無理だから、このままでいい?」

「……おう。いいぞ」


 掠れた声でジャンヌは続けた。表情を見せようともせず、でも淡々としない様子で。


「あたしね、この前ジルとやっと結ばれたのよ」

「そうか」


「これからずっと、一緒に生きていくの。あたしはジルのモノで、ジルはあたしのモノなの」

「良いことだな。おめでとう。オレとしては、今更かって感じだが」

「それ、ヴィヴィアンにも言われた」

「当然だろ。お前らの仲の良さ知っていれば、逆にそうじゃないことの方が不自然だったよ」

「腹立たしい、ルアン王国の王様ともう絶縁するって決めたしね。交易だけは続けさせるけど」

「何かあったのか?」

「そりゃもう。言うのも嫌なくらいのことされたのよ。だから、二度と口利いてやらない。顔も見ない。あっちは覚えてないかもだけど、あたしは絶対忘れないから!」

「はは。おっかねーな」

「あとね、水の精霊様にも会ったのよ。龍、っていう、翼のない蛇みたいなドラゴンの化身と戦ったの」

「ほー。精霊様とはまた。伝説上の存在だと、てっきり」

「当たり前でしょ。あたしの風魔軽鎧(ヴァルハラ)だって、風の精霊から譲り受けたって話したじゃない」

「そっか、そうだったな。忘れてた」


「…………ライル」

「ん。」


「……ごめんね」


 掠れた声は徐々に徐々に、震えていっていた。

 ライルは何も気にしないように、優しく微笑みながら答えてくれる。


「なんだ、いきなり」

「本当はね、この話。あんたが生き返ってからするつもりだったの」

「……そうか」

「……でも。…………でも……っ!」


 立ち上がれない。一歩も意地を通せない。

勝利の聖閃光オラクル・ヴィクトリアを放ったせいで、魔力も枯渇している。傷も酷く、本当はすぐにでも気を失いそうなほど。

 だから、必勝の一撃は外れてしまったのだ。万全の状態じゃないから。身体のバランスが崩れ、命中するべき一閃は対象から逸れてしまった。


 風魔軽鎧(ヴァルハラ)は装備できない、デュランダルを握る力だって、もうない。


 だから、既に……ジャンヌは生成る死錬(デッドオアアライブ)の儀式を、ガイアに頼んで解除していた。


 無理だった、と。

 

 だけど、どうしても。


 これが……最後になるなのら。


 話しておきたいことを、伝えておくのだ。


「良いんだよ。もともと、オレは死んだ身なんだから。お前が責任を感じることじゃない」

「……けど……」

「あえて本音を言うなら、な。オレだって、そりゃあ死にたくなかったさ。お前みたいな、綺麗な嫁さんでも見つけて、平和な世界でぬくぬくと暮らしたかったよ」

「…………」


「でも、良いんだ。オレはオレの人生に満足していた。あの村から出て、お前たちと旅をして……楽しかったんだ」


 いつの間にか、ライルの目も潤んでいた。鼻をこすりつつ、ジャンヌを見下ろしたままの状態で続ける。


「もしも、って考えることは有るけど。後悔は微塵にもしてねーよ。だから、そんな泣くな」

「……うう……っ!」


 流れていく涙をせき止められずに、ジャンヌはただただ感情に身を任せる。

 ライルの身体が、少しずつ少しずつ薄れていくのが、あんまりにも悲しくて。


「……大丈夫さ。また、いつか会えるよ」

「……いつかって……いつよ」

「そりゃあ、お前が婆さんになって、死んだ時だよ」

「なにそれ。嫌よ、あたしだけおばあちゃんとか」

「はは。そーか。……でも、オレは……次に会うなら、お前が年老いた姿の方が安心するぜ」

「もー……あんたって……」

「……さて、そろそろらしい。元気でな。ジルと、幸せになれよ」

「ライル!」


 もう風景と同化しそうになっているライルへ。

 届いてくれたと信じて。


「ありがとう! 本当に、ありがとうね! いつか、絶対! また……!!」


 最後の力を振り絞って、そう叫んだ。

 光に消えていく、最愛の仲間が見せた最後の表情は……安らかな笑みだった。

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