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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第四章 地の精霊 編
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第三十五話 ~対処策~

「!」


 安らかな寝顔が、途端に苦悶の表情へと変化した。身体がビクンと跳ね、腕に亀裂のような傷が入り流血する。同時に、頭部からも金髪が染まるかのように朱色が広がっていった。

 腕で抱きかかえるようにしていたジルの表情に、深刻さを増した。


「……やっぱり」


 無理があるのだ。死後の世界に住んでいるという霊魂の力を、一矢に受けて強化されたライルに勝つだなんて。儀式が始まって間もないのに、こんな傷を負うなんてジャンヌには有りえないことだ。風魔軽鎧(ヴァルハラ)の加護も、デュランダルの強化もしている彼女が、こんなに大怪我をするのは極稀である。

 

「……」


 けれど、ジルは止めてください、とガイアには願わなかった。無理かもしれないし、無謀なのかもしれないけれど、不可能じゃない。アグニに見せてもらった文献によれば、かつて数度だけ、死錬を乗り越えて生還させた例もある。

 ジャンヌなら、あるいは。そう信じて待つことが、今のジルに出来る唯一のことだ。


「肉体の治癒ぐらいはできる。そんな心配そうな顔をしなさんな」


 ガイアはそういうと、再び回復の魔術を使用した。ジャンヌの身体が光に包まれて、左腕の治癒や頭部の流血を停止させた。けれど、これが根本的な解決になっていないことは二人とも知っている。


 精神体を異世界へ一時的に飛ばす儀式なのだ。現世の傷を治しても、あちらでの傷は癒えない。何より、もしも敗北し殺されてしまったら……ジャンヌは、二度と目覚めることがなくなる。


「さて、では。少しお主とお話をするかの」

「え?」

「ほっほっ。安心せい。成功すれば帰ってくるし、もしも降参する場合はこちらにもちゃんと伝わる。……もっとも、ワシの意志で止めることだけは出来んがね」

「……」

「なに、話と言っても、とても大事なことじゃ。ただの道楽による雑談ではないことは保証するよ」

「……はい」


 光の声は、少しの間をおいてから話を始める。その間もジルは、ジャンヌの手を心配そうに握ったまま

だった。


混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルについてじゃ」

「何か、御存じなのですか!?」


 思わず顔を上げて、ジルは問う。

 こちらから話題を振ることはあっても、今まで残念そうな顔を返されるだけだったから。表情が見えないけれど、その含みのある言い方は何かしらの希望を感じさせてくれた。

 だからこそ、ジルも今までにない反応を示したのだ。


「アグニですら、方法はないと言ってきたのじゃろう?」

「ええ。人知を超える頭脳のアグニ様でもダメなら、正直もう打つ手は……」

「じゃろうな。正直言えば、ワシもそれを消し去る魔術なんぞ一つも知らん。何より……言いにくいがの。お主の腕は、限界が来とる。それは他でもない、自分自信がわかっておることじゃろう?」

「……はい」


 腕の限界。

 ジャンヌには一度も話さなかったし、話したくなかったから隠していたこと。

 鎚印(スティグマ)によって、コントロールは出来るようになったが、浸食は進行してしまった。

 その結果、ジル自身も薄々感じていたのだ。もう、これは自分には切り離せないものになってきている、と。


 転がり始めた岩は、最初はスピードもないし、対象も大きいので停止させられるのは難くないだろう。だが、それを放置して、なすがままに転がすとしよう。落下速度はどんどん増していくし、地面に削られて岩自体が小さくなって、目視することも困難になる。地に紛れてしまえば、見分けすらつかない。


 既に、その段階にまで踏み込んでしまっていることを、彼は実感していたのだ。最大級の対滅魔術(スペルキャンセラー)を使える者がいたとしても、きっと既に効果は示さないだろう。


「……」

「じゃがの、何も消すことだけが方法じゃないんじゃ」

「え?」


 ガイアの残酷な答えに、一度は唇をかみしめたジルだった。その先に続く、従来では一度も聞けなかった逆接は、彼を大層驚かせる。

 もしも顔があれば、ニッコリと笑っているかのような穏やかな声でガイアは先を告げた。


「単純なことじゃよ。やり返すのじゃ」

「やり……返す?」


 混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルについて話していたのだから、きっとそれだろう。それしか有りえない。


「死の間際に放たれる、転生の秘術が混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルじゃ。つまりは、お主もそれをやれば良いだけのこと。闇魔術は使えるんじゃろ?」

「ええ……そうですが」


 出来るなら使いたくはない。

 ……という、信念はきっともう今更のこと。何にせよ、鎚印(スティグマ)も残り一つ。腕の封印を解けるのは、後一度きりが限度。


 肩の部分まで昇ってきたとして、例え最後の鎚印(スティグマ)が残っているうちに封印装具を巻いたとしても、解除した場合は制御は効かないだろう。闇に飲まれて、呪いは完成してしまうはずだ。

 自意識が残っているギリギリの内に、混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルを使うのならば今度の、最後の一回だけ。


「ワシが考えうる最善の手じゃ。魔族のみが使える秘術を、お主のような普通の人間が使って……果たして完遂できるかどうかは、正直わからん」

「ですが、可能性はゼロじゃないと」

「そうじゃ。諦めないという強い心。それが人間の持つ、どんな種族にも負けない最強の力なんじゃよ」

「……わかりました。考えてみます」

「うむ。それと……まだ少しあるのじゃが、良いか?」


 何だか申し訳なさそうな声色で、ガイアは言った。


「はい」

「……実はの……」


 それから告げられる事実は、今後の彼らが向かうべき道を示すものであった。

 しかし、決して明るい未来への導きでは決してない。いうなれば、背負ってしまった定めと対峙する、とても大事な使命に関することだったのだ。




 ――――。


 左拳を握って、感覚を確かめた。激痛が走るが、我慢できないほどではない。支える分には問題はないはずだ。

 ジャンヌはすぐに、籠手を再生成した。破壊されようが、生きている限り何度だって装い直せる。

 次に、右手に力を込めて聖剣を呼び寄せた。どこに転がっていようと、彼女が呼べばデュランダルは手に収まってくれる。


 籠手内側の金属で覆われていない部分を用いて、目にかかりそうな流血を拭う。それから、剣を構えた。


(……もともと、ライルにはパワー負けしていたから、真っ向勝負をしちゃダメよね)


 凶悪な腕力と、強烈なスピード。けれど、全く見えなかったわけではない。

 ライルの戦術は、斧というより槍に近い使い方で攻めるタイプだ。死後の成長などがないと仮定するなら、手の内は見えている。


 だったら、やるべきことは一つ。

 動きを見切り、受け流し、そして反撃を喰らわせる。それだけだ。


「流石は風魔軽鎧(ヴァルハラ)だな。正直、この力なら初撃で終わると思っていたよ」

「でしょうね。あたしも油断してたら、多分そうなってたと思うわ」


 軽口をたたいた矢先だった。


 目の前に居たライルの気配が動いていることに気付く。けれど、双眸に映る景色には何も変化はない。斧槍を構えた彼が、立っているだけ。


「ぐっ!?」


 集中しているおかげで、ギリギリそれは受け流せた。傷もない。

 動いた気配は間違いなく、背後に回っていたから瞬間的に振り返ったのだ。そこには、既に攻撃体勢に入っているライルが居た。


 目に残っていたのは、彼の残像。速すぎる動きが、それを作り上げたのだ。混乱しかけたが、実像に比べれば気合も存在感もまるで感じない。だから、察知は可能。


 振り下ろされた刃が、ジャンヌの首に当たる直前に聖剣を挟む。押し寄せる垂直方向の大雪崩の如き力を、受け止めるのではなく滑らせるようにそのまま、地面へ落下させた。

 それでも損傷した左手に激痛が爆発したように巻き起こるが、歯を食いしばって我慢する。


 綺麗な花は一瞬にして雲散した。斧が大地に触れると、地割れでも起こったかのように巨大な亀裂が入り込む。どこか一部に直撃したら、無事では済むまい。

 冷や汗を垂らしながら、ジャンヌは一足飛びで距離を取る。


「!?」

「甘いぞジャンヌ。お前はオレの戦法を熟知しているようだが、オレだってお前のことぐらい」


 いつの間にか間合いを詰められていた。感情の籠っていない冷たい瞳が、焦燥と恐怖の入り混じったジャンヌを捉える。


「十二分に承知している!」


 ポールシャフトによる一閃がジャンヌの腹部へ襲い掛かった。風魔軽鎧(ヴァルハラ)の加護により、例え空中でも動けるジャンヌだが実際に地面を蹴るに比べれば、速度はかなり劣化する。

 故に、ジャンヌが取れる防御動作はただ一つ。剣で遮ることだけだった。


「こんのぉッ!」

「おらァ!」


 触れると同時に、聖剣に角度を入れて威力をすべて虚空へ逸らす。体勢を維持するのに風の結界を利用するが、ライルはさらに追撃を加えてきた。まるで、それがわかっていたかのように流れる動作で半月刃を振り下ろす。

 ギリギリの所で見切ったジャンヌだったが、凄まじい刃圧に当てられて露出している頬が裂けてしまう。サークレットや胸部装甲は甲高い音を立てて、抉り取られるような傷跡を残した。


 反撃に出ようとするものの、この距離では上手く剣も振るえない。とにかく、間合いを取らなければ意味がない。

 一瞬で判断をした後、今度は上へ飛んだ。上空ならば、まだこちらに分がある。自由に稼働できるし、停止も可能。戦法を考える隙も出てくる。


「!?」

「やはりな」


 そう考えていた矢先だった。

 ライルは既にジャンヌの上空で、斧を振りかぶっていたのだ。先ほどまで彼が居た場所は、隕石でも落ちたかのような窪みが出来ている。

 得意な空へ逃げる。わかっているんだよ、そんなこと。言わんばかりの、余裕の笑みに対して懸命に威力をそらすことしか、ジャンヌは出来なかった。


 反応が遅れ、受け流す前にとてつもない衝撃が体を襲う。デュランダルを割って入れたけれど、透過した推進力は漏れることなく全身を強かに打ち付けた。

 たまらずジャンヌは地面に一直線で飛んでいく。落下時に風の護りを最大限に、腕を足を背中をすべてくまなく駆動させ、受け身を取って攻撃を分散させる。


 とった回避行動は、大した意味をなさなかった。想像を超える力によって、結局は初撃と同様に威力を逃がしきれず花々を削りながら、埋まっている石で削られながら無様に転がっていってしまった。


「…………」


 着地したライルは遠巻きにジャンヌを見据える。

 これほどまでに圧倒的な力量差があるとは、彼自身も思っていなかったから。

 けれど、だからといって、彼は彼自身を止めることは出来ない。


 魔術儀式によって、本来はこの死後の世界で穏やかにゆるやかに過ごすはずだったライルは、戦闘をするための傀儡のような存在として今は再臨している。


 意識とか、想いとか、そういったレベルとは全くの無縁の領域。

 呼吸しなければ死ぬのがわかっているから、心臓が動かなければ死んでしまうから。理屈ではわかっていても、それらをコントロールできる人間など存在しない。脳が勝手にその指令を出すのだから。

 彼の現在は同じく、無意識の状態でジャンヌと戦っている。戦わされている。生成る死錬(デッドオアアライブ)という不可能の儀式によって。


 かつての仲間を手掛けるのに、慈悲も何も感じない。感情よりも、先に体が動く。


 奴を倒せ。

 お前がやるのだ。

 現世には還さない。

 力をやろう。

 だから、勝て。


 幻聴のように、頭の中を反響する言葉だが戦闘において、邪魔になることはなかった。むしろ、本能が刺激されて、次々に攻め手が浮かぶ。


 この状態だったなら、魔王なんて余裕で倒せたのにな。

 戦う本能とは別の、一欠けら残った理性はそう考えると再び斧を構える。


 よろめきながら、血を流しながら、傷を負いながらも。

 決して弱気にならず、何度でも立ち向かってくる勇者に対して。

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