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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第四章 地の精霊 編
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第三十三話 ~行く手を阻むモノたち~

 汗が噴き出る。

 この距離で間に合うだろうか。

 ジャンヌは、氷柱の妨害に対して賭けに出た。剣を振るうから時間がかかるのだ。ならば、その無駄も省くことを決意する。


 風魔軽鎧(ヴァルハラ)の結界をブーストさせて、抉り取る様にして雪面を蹴った。黒い岩肌が見えるほどまで踏み込まれた地を起点に、矢が放たれるが如くジャンヌは飛んでいく。前に立ちはだかる氷柱を破壊しながら。

 まがりなりにも魔術によって生成されているそれらは、偶に風魔軽鎧(ヴァルハラ)の結界を破って、ジャンヌの肌を削る。

 傷がどれだけ付こうが構わない。今は、一秒でも惜しい。


 デスブリンガーの高笑いが聞こえてくるような気がした。これを狙っていたのだろうか。


 今、ジャンヌとジルにはとてつもない危機が迫っていた。


 地響きが鳴った時には、もう遅かったのだ。山頂の方向から、魔族を超える脅威が信じられない速度で降りてくる。

 デスブリンガーが魔術を解放し、一斉に高周波を吐き出すことで雪山へ刺激を与えていたのだ。それは、大地を震わせて、積もっている雪を分離させ、滑らせる。

 十メートル以上の高さの雪崩が、とめどなく、ぎっしりと詰まった状態で流れてきたのだ。横幅に至っては、確認するまでもない。視界に入る、すべての景色が動いている。


 「こんのぉおおお!!」

 「ジャンヌ!」


 手を伸ばし、抱え込むようにしてジャンヌはジルの下へ到着した。風の結界は緩めることなく展開されている。

 既に彼女たちは、大津波のような雪に飲み込まれてしまっていた。雪や(つぶて)や岩が、二人を起点に後方へ流れていっている。その勢いはすさまじく、一瞬でも結界への集中を解こうものなら間髪いれず餌食になるだろう。


 「……くっ!」


 魔力を全開のままで、ジャンヌは立ち上がる。とにかく、脱出することが先決だ。常時全解放も長くは持たない。大きく跳躍すれば、雪崩の範囲外に飛べるはずだ。

 力を込めた時だった。何かを察知したジルは、彼女の身体を引っ張って叫ぶ。


 「ダメだジャンヌ! 飛んじゃいけない!」

 「え? どうしてよ!?」


 轟音が響いているせいで、距離が近くても大声をあげなければ届かない。必死の形相でジルは続ける。


 「デスブリンガーは、僕らのことを観察してこの攻撃を仕掛けてきているはずだ! 君の跳躍力なんて御見通しだろうから、上に逃げたところで待ち伏せされている!!」

 「じゃ、じゃあどうすんのよ……!!」


 まだ雪崩は止まらない。こうして叫んでいる間にも、ジャンヌの魔術は消費されていく。彼女の魔力放出量は低くないが、持続力はあまり鍛えられていない。戦法も、瞬間的に全力を込める短期決着型だ。こうした事態には、あまり慣れていないのである。

 少しずつ、周りを覆う風が弱まってきていた。勢いと鋭さのついた小石が稀に、足元を掠めて過ぎ去っていく。場所によっては、致命傷になるほどの速度だ。


 「……」

 「! じ、ジル!」


 少しだけ、間をおいてからジルは行動に移した。腰元に引っかけている短いナイフを取り出したのだ。その小型魔剣を取り出すと、ゆっくりと右腕にあてがった。そして、包帯を断ち切ろうと軽く力を込める。


 「……ジャンヌ」

 「ダメよ、それは。あと二回しか使えないんでしょ? こんなところで……無理をする場面じゃないわ」


 いつの間にか、ジャンヌの手がナイフを掴んでいた。研磨されていないので、切れることはないが薄い金属の板でもあるので、激しく力を込めれば痛みを伴うだろう。

 籠手の内側で震える手を見て、ジルは困ったように笑った。


 「まだまだ先は長い。今はライルも居ないし、何より僕がこれじゃ魔術を使えない。君がたった一人で二人を守って闘うなんて……いくらなんでも無理だよ」

 「でも……」

 「悪いけど、僕は最初から鎚印(これ)を使うつもりだったよ。どう予想立てても、無事に登りきれる未来は見えなかったし」

 「……」

 「大丈夫。今から使って一時間。その間に到着算段ならついている。その後に、ガイア様に会って、ライルを生き返らせて、僕も腕を治す。ほら、大丈夫でしょ?」

 「…………うん」


 ジャンヌは全然納得していない顔で、受諾した。彼の言った予定は、どれも百パーセント遂行できるものではない。ただ、可能性があるだけの話。

 しかし、自分も限界が来ている。生き延びる可能性、切り抜ける可能性、二つを考慮した上ではやはりジルの推奨する作戦が最も現実的だったのだ。


 「あと少しだけ、頼むよ。さすがに、この雪崩の中で二重詠唱は難しいから」

 「ええ」


 自由になったナイフを包帯にあてがうと、ジルは思い切り引き抜いた。肘先まで伸びている帯状封印装具は、いとも容易く断ち切られる。裏地に書かれた呪詛がすべて消え去り、雪の上に軟着した。


 揺らめく黒い炎が、ジルの腕という形で顕現する。どす黒い瘴気が吹き起こり、ジャンヌは思わず口元を抑えた。ジルに対して無礼な行いではあるが、むしろ彼としてはその当たり前の反応が有難い。こんな悍ましいものを間近で見て、感じて、平然としていられる方がショックだ。


 「太陽宿す炎帝の御手よ、我が魔素を贄とし……万物を灰塵へと導け!」


 まだ流れる雪崩を、上から傍観していた司令塔のデスブリンガーは違和感を覚えた。彼の予定では、このまま巻き込まれてボロ雑巾のようになる姿を見届けるか、上に脱出してきたところを一斉攻撃で嬲り殺すか、どちらかを実行するはずだった。


 けれど、いつまで経っても出てこない。むしろ、何故だか異様な波動を感じる。

 何か大きな魔術が発生する前の魔力と……魔王様の波動?


 これは一体何事か、と考える間は彼に与えられなかった。


 「バーンプロミネンス!」


 流れていた雪崩も、積雪も、何より今まさに雲から生まれて降り注いでいるすら雪も。すべてが瞬時に溶解した。水へと変化する暇すらなく、蒸発してしまった。遅れて流れてくる凄まじい熱波が、デスブリンガーの身体を焦がしていく。寒冷地に住む彼らは、熱の耐性はほとんどない。何を打たれ、そしてどうしてそんなものが発生したのか。確認する暇もなく雲散した。


 瞬時に温度を爆発的に上昇させ、周囲を焼き焦がす熱線を放つ。それが火の最高等魔術、バーンプロミネンスだ。この状況を打破するには、これしかなかった。ジルの右手に宿る黒い炎は、上腕を登り切り、刻まれた印で停止している。


 「いくよ、ジャンヌ!」

 「ええ!」


 躊躇している暇などない。時間制限が切れる前にすべてケリをつけなければ。

 バーンプロミネンスを使ったからといって、全ての豪雪地域が払拭されたわけではない。常に雪雲は精製されるし、魔族だっていくらでも沸いて出てくる。まだ、入り口に差し掛かった辺りなのだ。気を抜いてる暇はない。


 「そりゃぁあああ!!」


 再び襲ってくるホワイトファングの群れを、ジャンヌは突撃をしつつデュランダルの一振りで駆逐した。フォーメーションを取られる前に、光の斬撃で編隊ごと消し去る。

 先ほどまでは徒歩と同程度のスピードだったが、今ではジルも全速力で走り抜けられる。不破雷同(ライトニングヒューズ)を用いて、ジャンヌの突貫に負けない速度で追従していく。


 「光粒子の斬波(フォトンウェーブ)!」


 左手を薙ぎ払うと、横一直線に光の刃が放たれた。遠くにいる、ヘルプラントという魔族植物が両断される。木の根っこを伸ばし、相手を拘束して吸血をしてくる禍々しい魔界生物だ。野に咲く花と同程度の大きさなのが厄介で、見つけられずに気が付けば血を吸われていることも多い。


 「!」


 雪の中を這って進んでくる、リッパーワームという巨大ムカデがジャンヌの目の前に突如現れた。気配を遮断して、相手に近づき急襲を仕掛けることで、鋭い顎を使い瞬時に頭部をかみ砕くことを得意としている魔虫だ。

 横から来ていたホワイトファングに一撃を加えた時に、リッパーワームは飛び出してきた。相手の攻撃直後に発生する一瞬の隙をつくという、手練れのような動きを本能的に知っている非常に厄介な魔族。


 けれども、ジャンヌは慌てることなく身体を沈めた。これで、かみ砕きは回避できる。

 しかし、次に待っているのは夥しい数の歩肢。体長十数メートルにもなる巨大魔族から延びる多足は、初手を避けられた場合に、すぐさま拘束して再攻撃をする役割を持っている。

 ジャンヌもそれを知らぬわけではない。だが、彼女は落ち着いて身体を前かがみにしていた。


 風の結界に、真っ黒な血液が触れて吹き飛んでいった。

 リッパ―ワームの頭部が、何か透明なもので貫かれていたのだ。原因は、絶圧水線(アクアシュート)と言う水の魔術。指先から放たれる、超高圧の水がレーザーのように敵を穿つのだ。

 発生源はもちろんジル。合図も掛け声もしないで、周囲の状況を判断するだけで、彼はそのアシストをやってのけた。

 

 凄まじいスピードで駆け抜け、今や高度は既に雲の中にまで突入するほど。経過時間はジルが腕を解放してから三十分程度だろうか。敵を容易に倒せる実力、便利な移動法の二つを兼ね備えている冒険者は、世界にもそうはいまい。この二人だからこそ、驚異の速度で登山が出来ているのだ。


 「……」

 「どうしたの、ジル?」

 「ああ、いや、なんでもないよ」


 赤い瞳が虚ろに見えて、ジャンヌは思わず声をかけた。すぐに自我を取り戻したジルは、何事もなく進んでいく。

 山の斜面は既に、直角に等しいくらい険しくなっていた。僅かに見える突起に足をかけ、大きく跳躍をする形で二人は昇っていく。

 ここまで来ると、出てくる魔族も限られてきた。植物タイプのように、岩肌に寄生できるものならまだしも、空を飛ぶことの出来ないタイプの種類はもう出現しない。高度もあるせいか、いくら彼らとて生活するには、いくらなんでも不便だからだろう。


 「……はは。いるもんだね、こんなところにも」

 「そうね。ま、今更驚きやしないわ」


 ふいに鳴り響いたその声に、ジルは思わず笑ってしまう。戦闘本能が暴走に近い状態で解放されているせいで、恐ろしい敵に対峙したとはいえ、まず先に嬉しいと思ってしまうのだ。だから笑みがこぼれる。

 ジャンヌは少しだけ冷や汗を流していたが、同じように笑っていた。負けるわけがない、という絶対の安心から。


 彼らの前に現れたのは、巨大な怪鳥だった。リッパーワームが子どもに見えるほどの、超巨大な猛禽類。キラーホークという大鷹の魔族は、羽を広げれば全長百メートルをゆうに超える。固い岩石も微塵に砕ける鋭い嘴と、金属の鎧などお構いなしに切り裂く上に、神経毒も分泌する鉤爪を備えているのだ。


 単純な大きさもさることながら、その攻撃力も十二分に注意すべき危険生物。だが、もっとも警戒しなければならないのは……。


 「大土の躍動(アースブレイク)!」


 唱えた魔術は、岩や地面を変形、伸展させて槍として相手を貫くもの。速度も凄まじく、発生タイミングもつかみにくいので、普通ならば直撃して串刺しになるだろう。

 キラーホークは、ゆっくりに見えてしまうほどの動体視力をもっている。さらに、抜群の移動速度も兼ね備えている。防御面においても、完璧すぎるほど完全な魔族なのだ。


 しかし、キラーホークは既に頭上を捉えられている。ジルの魔術は回避されることを前提に放たれていたから。ジャンヌは風魔軽鎧(ヴァルハラ)の結界で空中を歩行し、旋回しながら移動した怪鳥の死角へ入りこみ、剣に力と強い魔力を込めていた。


 鋭さを持った丸い瞳は、それも視界に収めていた。ジルの攻撃の後に、ジャンヌが飛び出したことも見えている。だから、すぐに下降動作で凌いで反撃をするはずだった。


 「残念だったね」


 だが、キラーホークの身体は動かない。足がガッチリと掴まれてしまってから。

 慌ててみると、そこには奇妙な形の岩が纏わりついていた。先ほど、撃たれた地の魔術は不発に終わったわけではなかったのだ。

 意識がジャンヌへ向いた際に、瞬間的に伸びた岩の形を変えてさらに伸ばす。ロックして、動かないようにしたのだ。


 「終わりね!」


 チャージの完了した聖剣は大きな光を放つ。通常の斬撃では倒しきれないと判断したジャンヌは、勝利の聖閃光オラクル・ヴィクトリアを発動させる。

 真っ白な宙の中でニコリと笑うジャンヌが、彼の見た最後の景色だった。


 「さ、いくわよ」

 「うん」


 声をかけあうと、二人は上昇していった。死滅の凍山(グリムリーパー)で最強と謳われるキラーホークすらも、絶妙なコンビネーションでいとも容易く退治できた。もう、怖いものは何もない。


 その後は、何もなかった。

 一帯のボスである巨大怪鳥がやられたのを見て、あれは獲物ではなく自分たちにとっての脅威だと悟ったのか。魔族は一匹たりとも襲ってこなかった。


 「……ここが山頂かしら?」

 「みたいだね」


 風魔軽鎧(ヴァルハラ)の加護で呼吸に問題はない。ジルも、空気を集めて普段の酸素濃度を保っている。

 雲を突き抜けた先にあった山頂は、真っ黒は岩肌が広がっているだけ、というなんともそっけない場所であった。

 普段見上げる浮雲が、今は下にある。その普通では見られない絶景を堪能するような余裕は、彼らに残されていなかった。


 「……ジル」

 「うん」

 「これが入口なのかしら?」

 「多分ね」


 広がっている山肌に、一つだけ。光を見つけた。時間帯は夕方なので、傾いている太陽光とは全く毛色の異なる発光。

 ゆっくりと点滅するようなそれは、魔法陣だった。アグニの所でみた五芒星と全く同じ。


 「……どうしたらいいのかしら?」

 「乗ればいいと思う。何か鍵を使うタイプじゃないし」

 「わかった。じゃ、あたしからいくね」

 「うん。一応、気を付けて」


 唾を一度飲み込んだジャンヌは、完全武装したままの姿でその魔法陣に足を付ける。

 身体に何かが流れる感覚が走ると、次の瞬間には目の前の景色が変遷していた。


 「……ここが……」


 そこは大きな空洞だった。アグニの居た場所から、入口と本棚を無くしたような簡素な洞穴のような構造。

 雪解け水がところどころから流れており、真ん中で湖を形成している。どこからかはわからないが、天井付近は光が漏れていて辺りを優しく照らしていた。


 「ようこそ、勇者ジャンヌよ」


 低くくぐもった声が聞こえた先をジャンヌは振り返る。

 後ろからだと思ったが、そこには何もなかった。黄土色の壁が広がっているだけ。周囲を見渡しても、何もない。

 聞き間違いかと思い、湖に歩き出す。


 「こっちじゃよ、こっち」


 再度聞こえて、幻覚ではないことを確認する。

 

ああ、そっちだったのか。

 経験を積んで、大抵のことでは驚かなくなったジャンヌは、ゆっくりとその顔を上へと向けた。

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