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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第四章 地の精霊 編
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第三十二話 ~死滅の凍山~

 アミリアは、比較的気温の高い大陸だ。ルアン王国のような精錬所の多い場所でなくても、少し歩けば額がにじむ。

 ジャンヌとジルが歩いている森林地帯も、草木によって少しだけ涼気効果が得られているが、生まれた国の平温と比べると、やはり暑いと言わざるを得ない。活火山などが近くになくたって、纏わりつくような空気が、ずっと身体から離れないのだ。


 しかし、ある一定の場所を過ぎるとそれは途端に反転する。

 開きっぱなしの汗腺は、急遽閉口する。代わりに、脳はもっともっと熱を求めて身体を震え上がらせるのだ。カチカチとなる歯と共に、縮こまりながら意識をはっきり保って進まないと、絶命してしまうほどのとてつもない寒気。


 世界最恐の山岳地帯死滅の凍山(グリムリーパー)に近づくにつれ、それは現実のものとなる。


 「風が強くなってきたね」

 「ええ。荷物が飛ばされないように、しっかり持つのよ」

 「わかってる」


 今までと全く変わらない格好の二人は、緑色の世界が積雪によって銀に染まっていくのを見流していく。

 懐に入れた保温の袋のおかげで、自分の体温は保たれるのだ。ただし、雪などが触れれば冷たさは感じるので過信は禁物。温かいからといって、冷気系の攻撃などが効かなくなったわけではない。

 特に死滅の凍山(グリムリーパー)は、凶悪な魔族がまだ多く生きながらえている危険地域だ。

 風が雪交じりになり、吹雪へと変わった。一切の油断をしないジャンヌは、そこで風魔軽鎧(ヴァルハラ)を纏う。

 ジルを後ろに歩かせ、飛んでくる氷の礫を弾きながら一歩ずつ、進んでいった。



 ――


 「以前、あんたたちはどういうルート通ったの?」


 時間は少しだけ遡る。ヴィヴィアンが、助言をし始めた頃だ。

 初めて死滅の凍山(グリムリーパー)を横断しようとした時にも、少しだけアドバイスはあったが、旅慣れしている上に三人組、中には高等魔術も難なく使いこなせる猛者もいる。とにかく迷わないことだけに気を付けて、といった漠然としたものだった。


 「普通に、谷間を通っていったわよ」

 「でしょーね。ルートは覚えてる?」

 「なんとか」

 「なら、話は早い。一応、念のためにだけど死滅の凍山(グリムリーパー)の構造を教えたげるよ」


 ヴィヴィアンは泉の湖面を指先で突いた。生じた波紋が、線となり何かの図形を描いていく。それはアミリア大陸の地図で、東側の部分だけが拡大されたものであった。

 今居る聖少女の泉を端として、右側に森があり、更に先には山を象ったであろう枠の群衆が描かれた。


 「山群だから、谷間っていうより山間? が基本的に、横断する場合のルートになるわね」

 「多分、ここを通って行ったよ」


 ジルは思い出すように、地図を指でなぞる 

 

 山の数は五つ。

 そのうち、まず三つが等間隔で一列に並んでおり、その間を二つが更に、通せん坊でもするかのような形で隆起している。

 前に通ったのは、その麓だけ。登るためではなく、単純に通過するためなのだから当然である。

 ヴィヴィアンは頷いてから続ける。


 「その中で、一番高いココ。穿天氷牙(せんてんひょうが)って言うんだけど、まあ名前はどーでもいいや。ここの山頂に行けば、ガイア様に会えるよ」

 「わかったわ。ありがと、ヴィヴィアン」


 と、ジャンヌは軽く流したがジルは、黙考していた。

 簡単には言うが、以前の万全すぎる状態で挑んでも苦労した危地だ。今は自分の魔術が使えない上に、横断ではなく登山。

 吹雪でほとんど見えない場所ではあったけれど、ヴィヴィアンの言った穿天氷牙の雲の先まで伸びる隆起具合は朧気ながらも驚いた記憶がある。

 果たして、登頂はできるのか。不安ばかりが残る。

 

 「まー、今日はいきなり来たもんだから、なーんも持て成せなかったけどさ。次来る時は、色々準備しとくから。またおいでよ」 

 「ええ。楽しみにしてるわ」

 「絶対だぞ?」

 「わかってるって!」 

 「よっしゃ。じゃー行って来い、おしどり夫婦!」


 ――


 手を振るヴィヴィアンの笑顔から見え隠れする、寂しげな表情を脳裏に浮かべながら二人は雪山を進んでいた。

 西から進む場合、幸いなことにすぐ穿天氷牙に足を踏み入れることは出来る。ミルク色の視界に映る、高く(そび)えた決してなだらかでない白銀の山肌。

 異様なスピードで雪が積もるので、大岩ですら雪化粧がされてしまっている。近づかなければ見いせいで、時折驚かされてしまうこともしばしば。

 

 「……ジャンヌ」

 「わかってるわ」


 そんな岩の先には、気配があった。外気温は氷点下を超えている。並の生物ならば、生体活動が停止してそのままゆっくりと、彫像のように固まってしまうほど。


 しかし、どんな場所であろうと適応して命を紡いでいる生き物は多数存在する。


 ジャンヌとジルの正面にいる岩陰に隠れている、ホワイトファングという三つの眼を持つ狼魔族の群れ。

 彼らは団体行動を好み、獲物が一匹だとすれば必ず三匹以上で挑むという戦術をとってくる。例外なく、ジルとジャンヌに対しても、多人数戦法を選んでおり、その数は既に二十匹を超えていた。


 進路先の斜面にも、連携攻撃を使って集団で攻めてくる魔族が居た。

 役割分担がはっきりした習性を持ち、敵対生物、または食糧となる生物を発見すると人間には絶対聞こえない高周波を出して、仲間を呼び寄せる。

 司令塔となる一匹が、戦闘専門の仲間にその音波による指示を事細かに出して、正確に、しかも残酷に嬲り殺すのを趣味とする。罠なども仕掛ける狡猾さも備えており、例えば石を道端に置いただけでも、それは何かの意味を成す行動になるように仕向けるほど。


 ケープを羽織ったような容姿なのだが、胴体や顔と呼ばれる部分の存在しないその魔族は、デスブリンガーと呼ばれていた。


 「出来るだけ離れず行くわよ。目指すのはとにかく現状の突破。無駄な戦闘で体力を失いたくないわ」

 「うん、わかってる。背中は任せるよ」

 「任されるわ」


 (まだら)のかかる様な世界が、突然、変化した。金色の三目狼、ホワイトファングが強襲してきたのだ。

 前を見るジャンヌの上部から二匹、両脇に地を滑らせるような動きで二匹ずつ、後方のジルに飛びかかってくる二匹。一糸乱れぬ連携行動は、瞬間決着を挑んでくる素早さであった。


 「しゃがんで!」

 「うん!」


 チラリと背後も確認したジャンヌは、デュランダルを顕現すると回転するように切り払った。緑色の血液が、純白のキャンパスに落とされた絵の具のように塗りたくられていく。

 前後の敵は一掃できたが、剣撃線上外の狼は無傷。反応速度、振り返りの角度を考えたジルは、まずは一匹の首を霧雨丸で切り落とすことに成功する。

 しかし、戦士ではない彼に正確無比な動きは出来ない。本来なら、同時に襲ってきていた二匹目も簡単に倒せるはずだった。予想を超える動きをされて、刀で歯牙を食い止めるのが精一杯となってしまっている。

 

 だが、幸いなことに彼が背中を預けているのは魔王を倒す実力を持つ大勇者。攻撃を受けなければ、すぐに打破してくるのだ。

 いつのまにか、もう片方から攻めてきていた二匹も死滅しており、ジルの首を食いちぎろうと涎交じりで迫ってくる魔族も、また同様に身体を剣で貫かれて絶命した。

 

 「ジル、足を止めちゃダメだからね!」

 「わかってる。ジャンヌこそ、足元には気を付けるんだよ」

 「りょーかい!」


 ジャンヌの素早さならば、一瞬で抜け出せるけれどジルを抱えつつとなるとそれは別。敵の攻撃もあることを考えれば、風魔軽鎧(ヴァルハラ)の結界に彼を収めながら進むのが最も安全な手になる。

 敵をしりぞけながら、着実に一歩ずつ二人は進んでいった。


 突然飛んでくる氷の刃をジャンヌが弾き、発生を感知したジルが合図を出して落雷を防ぐ。その先で待っていたホワイトファングの猛襲も、難なく切り抜ける。烈風が巻き起こり、ジルが足を取られそうになるが、むしろ盛大に転ぶことで体を寝転ばせる。デュランダルの、光の刃による一線で近づいて生気を吸おうとしていた、デスブリンガーを消滅させた。


 歩いた場所は、すぐに積雪で見えなくなった。

 噴出した血液も、温度差により融解させるがすぐに新たな氷の礫で隠されてしまう。山であるおかげで、角度があるから進むべき道が見えるものの、これが平地だったとすれば、遭難してしまうことは必至であろう。


 だが死滅の凍山(グリムリーパー)で死亡者が出る場合、もっとも確率が高いのは土壌による遭難ではない。特殊な磁場も形成されていないおかげで方位磁石も反応するし、そも軽装で来れる場所ではないから、皆が万全の用意をして挑むのだ。


 死因のトップは、当然魔族による殺人。極地には、まともな草も生えていないし、動物だって種類が限られている。脂のたっぷりのった俊敏な草食動物とも違う、珍味ともいえる人間。食べ飽きた頃に放り投げられる、その極上の嗜好品は、誰もかれもが欲しがる。


 「ジル、大丈夫?」

 「まあ、なんとか」


 息が弾む。懐に入れた保温袋が熱く思える。一歩踏み出せば、頬を伝う汗も瞬時に凍結してしまいそうなほど、吹き付ける雪は凄惨さを増していた。


 狩りの基本は、衰弱した獲物を最後の最後まで油断せずに追い続けることである。誰に教えられるのでもなく、単なる本能として備わっている生きる術。

 魔族にもそれは当然存在する。ホワイトファングなんかはそれが顕著であろう。


 しかし、その中でも異彩さを放っているのがデスブリンガーだった。

 彼らの目的は、栄養補給が第一ではない。もちろん、殺せば貪るように生気を啜る。

 けれども、デスブリンガーが真っ先に本能として働くのは『殺すこと』なのだ。


 それも、単に魔術によって倒すとかそういう類ではない。出来るだけ楽に、手際よく、順序立てて、舌なめずりをしながら、いびる様に殺すのが好きなのだ。


 司令塔のデスブリンガーは、一旦指示を停止していた。観察力も長けているので、これ以上の戦闘は駒を減らすだけだと判断したから。


 しかし、見えてきたものもある。

 空洞にも関わらず、顔があるべき部分で視認した獲物の習性。

 二人は決して離れない。

 また、魔術攻撃を防ぐことは有っても、自分から放つことはない。剣撃による攻撃力は凄まじいものがあるが、離れていれば脅威には感じられない。また、女の方があの吹雪を弾く鎧を形成していることもわかっていた。


 それ(・・)は考える。 

 男性と女性という個体差も確認しているからこそ、頭に浮かぶ最高の殺し方を。

 泣き叫びながら、けれど懸命に生きようとする姿。それを跡形もなく消し飛ばして、自分の糧にしたい。

 

 「……?」


 作戦が思いついたデスブリンガーは再度、指令を出した。自分の近くに仲間を集めて、横一列に並ばせている。

 やっとのことでホワイトファングの群れを殲滅しきったジャンヌは、その光景に違和感を覚えた。


 一斉攻撃をしかけてくるのだろうか。しかし、デスブリンガーの性質上、真っ向勝負を挑んでくるとは思えない。やろうと思えば、ここから攻撃を放つこともできる。全滅は無理でも、痛手を負わせることは可能だ。

 意味のないことは決してしない魔族。ジャンヌの心は、異様な焦りを覚えていた。 


 「え……?」

 「なっ!?」


 身構えようとした時だった。

 攻撃専門のデスブリンガーが数体、突如飛び出して風魔軽鎧(ヴァルハラ)の結界内へ入ってくきた。余りのことで、ジャンヌは咄嗟に反撃する。一体のデスブリンガーを倒せたが、捌き切れてはいない。

 ジルも当然抗ったけれども、遂に掴まれてしまった。


 何もない、ケープの隙間からぬぅっと出てくる細い腕。人間のものと同じようだが、触れば折れそうなほどか細く、指は異様に長い。なによりも、体温を微塵にも感じない、氷のような冷たさが全身に走る。


 なにをされてしまうのか、と覚悟するより早く。

 ジルは放り投げられた。ジャンヌが手を飛ばそうとするが、それも阻まれてしまう。

 固まった雪面に着地したジルは、何をされたのか理解するのに時間を要した。


 雪? どうして? 投げられた? なぜ、あの距離で殺そうとしなかった? できたはず。あえてしなかったのだ。


 それは、なんで?


 保温袋のおかげで凍死はしないだろうが、吹雪は息も出来ないほど激しい。急がなければ、命が危険だ。 

 急いで駆け寄ろうとするジャンヌとジル。それを阻むかのように、司令塔のデスブリンガーは氷柱による壁を地面から発生させた。

 ジャンヌにとっては、こんなもの紙に等しい幼稚な妨害。剣を振りかぶって、薙ぎ払えばそれで消え去る。進行方向にジルが居るので、光の斬撃を飛ばすことは出来ないけれど、突破は容易だ。ちょっとした時間稼ぎにしかならない。


 しかし、その『ちょっとした時間』を設けるだけで狩人たちの目的は完遂された。

 

 いきなり鳴り響いた地響きが、二人の頭を冷たく凍らせる。

 

 分離させたのは戦力を削ぐためなんかではない。

 彼らにとって、楽しい楽しい私刑を演出するだけの遊び心だったのだ。

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