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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第三章 火の精霊 編
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第二十九話 ~ルアンを出て~

 木の扉をゆっくりと開けて室内へと入っていく。

 部屋に設置されているベッドでうずくまり息を荒げ、顔中から吹き出す幼馴染の汗を、濡れたタオルで優しくふき取った。


 場所は、城下町隅にある小さな宿。想定通り流行っていないようで、他のお客は二人を除いて誰一人として存在しなかった。


 大きく咳込んだと同時に、可能ならば聞きたくない音が空間に響いた。顔を洗うために持っていた桶の中に、身体の中で一度消化を開始したものが再び口腔から吐き出される。刺激臭を放つ吐瀉物が、底の浅い容器を満たしていく。

 胃液で喉が焼けてしまって痛いので、差し出された清水も出来るなら飲みたくない。だが、可能ならば、一刻も早くここを立ち去らないといけない。


 体力の著しく低下しているジルの背中を優しくなでると、ジャンヌは立ち上がって旅支度を始めた。


 ――――


 城からの脱出後に時間は遡る。

 ジャンヌは宿のベッドで目を覚ました。裸のままだったけれど、シーツがかけられていたので寒くはない。すぐ傍には、下着とドレスが綺麗に畳まれて置いてあった。


 着せてくれないのは、ジルらしい。

 凄惨な体験をした、重たい頭に流れる小さな涼風だった。


 そういえば、そのジルはどこにいるのだろう。

 小さな部屋を見回しても、どこにもいなかった。口が乱暴に開けられ、中身が散乱している彼の麻袋はちゃんとある。

 状況がまだはっきりわからないので、とりあえず、いそいそと支度をしていると軋む音を立てて扉が開いた。


 「ジル!」


 小さくも嬉しそうな声をジャンヌはあげる。

 マントを羽織り、いつもの服を着ているジルがそこにいた。


 「ジャン……ヌ……」


 しかし、幼馴染の名を呟くとジルはふらりとバランスを崩して床にくず折れてしまった。

 声をあげるのも抑えて、慌ててかけつける。

 浅い呼吸と、止まらない汗。腕を見ると、少し雑だがしっかりと封印装具は巻かれていた。


 けれど、その位置は明らかにおかしい。宿を出る前は肘先までだったのに、今では二の腕の辺りまで伸びているのだ。

 これまで封印を解除した時であっても、見違えるほど突然に巻き幅が増えるなんてことはなかった。


 「……うぅ」


 うめき声と一緒に、彼は涙を流していた。

 腕の理由も、涙のワケも。とりあえず後で聞こう。まずは介抱をしなくてはならない。ジャンヌはジルの肩を担ぎ、ベッドへ連れて行った。

 口元を咄嗟に抑えて震えたので、直感でジャンヌは木桶を手にして差し出す。予想通りに、彼は嘔吐した。これは、かなり重症だ。すぐには動けまい。


 あの後、何があったかはわからない。けれど、あの時のジルは腕の封印を解除していた。そして、今自分はここにいる。助け出されたのは間違いないが、どうやって切り抜けたのかまでは知らない。もしかしたら、毒などを喰らっているのかもしれない。

 念のために、残り少ない風神の大樹の露を飲ませて落ち着かせた。幸か不幸かわからないが、特に様子の変化はない。何かをもらったわけではなさそうだ。頭の片隅では、封印を解いているジルがそんなへまをするわけないと思っていたので、別段驚くことではなかったが。



 心配している姿をちゃんと確認できているのか、背中をさすったり汗を拭いている最中に、ジルは状況の説明をゆっくりと掻い摘んでしてくれた。


 まず城を抜け出すまでのこと。

 使ったのは、闇魔法の最高等魔術ネインエスパルダ。

 肉体ではなく精神(こころ)を破壊する、禁忌の魔術。日単位で意識を失い場合によっては完全に人間でなくなってしまうけれど、多少の加減をしたので廃人になることはない。また、追加効果として被対象者の記憶も消せる。なので、きっとエドワードは、ジャンヌたちがここに来たことも覚えているかどうか怪しいそうだ。造反が起きたことも、忘れているはず。だからそこは安心していい、と。


 次に、このアグニのこと。

 アグニからは、腕の封印として灼炎(しゃくえん)鎚印(スティグマ)を授かった。

 無意識でも浸食停止できるので、効果中は存分に魔術が扱えること。ただし、副作用としてこのような身体への負担が、ノックバックしてくることを説明した。


 最後に、向かうべき場所は死滅の凍山(グリムリーパー)に住む地の精霊ガイアであることも同時に。


 息も絶え絶え話すことを話したジルは、体力の回復を図ることに専念する。喋らずに、まずはこの吐き気が収まるまで、なすがままにされることを選ぶ。全身に骨が軋むような鋭い痛みが走るけれど、それぐらいならまだ耐えられる。だから、心配しないで。待てば直るから、と苦悶の表情のまま言った。


 ……けれど、じゃあ。


 「どうして……泣いているの?」


 痛みは耐えられると言った。

 なのに、彼の目じりには止まらない涙が絶えず流れている。嘔吐による生理反応とは違う、滲むのではなく溢れる涙。

 問うたところで、ジルは返事をしてくれなかった。黙って、息を整えているだけ。


 少し落ち着いたところで、いつでも旅立てる準備をジャンヌはしていた。なるべく音を立てずに、けれど素早く慎重に。

 城での出来事が、いつどこで漏れるかはわからない。目撃者は居ないはずだが、用心に越したことはない。何より、もう二度とエドワードに会いたくないと思っているから。一刻も早く、ここを出よう。


 散乱していたジルの旅袋をしっかり整えると、次は自分の袋。ふと思い出し、ジャンヌは城に置き去りにしっぱなしだった風魔軽鎧(ヴァルハラ)を解除した。


 その動作をしただけで、あの出来事が現実だったと再度確認させられてしまう。歯を食いしばり、頭を殴打して忘れようとするけれど、簡単にはいくわけもない。

 今しなければならないことを、とにかく脳内に満たすことでショックを和らげることにして、重い足取りで動き出す。


 宿の人に、一言いうべきだろうか。でも、あまり接触を図るのはよくないな。

 悩んだ末、ジャンヌは本来の代金以上の金銭をベッドの上に置くと、歩ける程度に回復したジルの手を引いて、ルアン王国脱出を実行した。


 「お待ちください」


 全身の毛が逆立つ思いだった。人々はすっかり寝入ってしまう時間帯のはずだ。気配だって確認して出てきたはず。

 宿の扉を開けた途端に、聞こえたその老婆の声へジャンヌは反応する。


 「こんな夜更けに、いかがされたのでしょう?」

 「……急用が出来たので。突然ですが、これで失礼いたします。代金は使わせていただいた部屋に置いていますのでご安心ください」


 饒舌に話すのにはちゃんと理由があった。その老婆は、世話になった宿の主だからである。物音は立ててしまっていたので、それに気づいて出てきたのだろうか。

 なんにせよ、警戒する人ではない。話をさっさと打ち切って、先へ進もう。


 「……どちらへ?」

 「東へ行こうかと」

 「そうですか」


 それだけ言うと、老婆は言葉をつづけなかった。余計な詮索をしないのは、非常にありがたい。

 軽く頭を下げて、歩き出そうとした時だった。


 「あの……」


 焦っているせいで少し苛立ちを覚えながら振り返ると、老婆はよろよろと近づいてきていた。ジャンヌの傍まで近寄ると、空いている手の平を持ち、中に何か冷たい物を置く。

 外灯として設置されている松明の光で確認すると、それは古びた金属の鍵だった。高そうな装飾とかがされているわけではない。宝箱や、立派な住宅の施錠を外すものではなさそうだ。


 「これは……?」

 「理由はわかりませんが……何かお困りのようでしたので。東に進むのであれば……川を渡ると森林地帯に出ます。入ってすぐに、南東へ向かっていただくと、そこにございます」

 「何がですか?」

 「魔族討伐の為に兵士の方が使っていた小さな塹壕です。向かわれる先には、もう街も村もありませんから。もしも、旅に出るのでしたら、そこを休憩所として使っていただければ、と思いまして。何分古いものですが、たまに清掃していますので、夜を越すには十分かと」

 「……どうして……こんな……」


 対して会話もしていない。

 この人は、自分がジャンヌ王女ということも、大勇者であることだって知らないはずだ。

 なのに、どうしてここまで親切にしてくれるのだろう。


 「夜に焦って出ていく方には、並々ならぬ事情がございますことでしょう。それに、何故かあなた方には、何かしてあげたくなるんです。実は私も、そうやって今は亡き主人と夜に飛び出したことがありまして……ふふ」

 「……!」


 ああ、この人は何か勘違いをしている。駆け落ちだと思っているんだ。昔の自分と、何か重なるところがあって、ついついおせっかいを焼きたくなったのだろう。

 けれど、不都合ではない。今は好意に甘えよう。ジャンヌはお礼を言うと、言われた通りの道を辿り始めた。


 街道を進むと、川が見える。夜にも運搬業者が通るために、まだここは均されている動きやすい道だ。


 けれど、言われていた森林地帯が見えるころにはすっかり真っ暗な上、道も砂利や岩だらけで荒れ放題だった。ここを超えると、すぐに死滅の凍山(グリムリーパー)に入る。以前ほどではないが、凶暴で非常に醜悪な魔族が生息する地帯なのだ。道を作ったところで、誰が通るというのだろう。


 魔王亡き今でも、ひしひしと感じる魔族の気配を受けながら、ジャンヌは先へ進む。歩いていく中で、外気を吸ってか時間の経過か、少しずつジルも元気を取り戻してきた。

 襲ってきた魔族に対処はできなくても、松明で周囲を照らして警戒する程度には回復している。


 そうして順調に進めたおかげで、夜が深くなる前には塹壕にたどり着いた。

 地面と一体化しているから暗がりの中ではわかりにくいが、鉄製の大きな蓋がどっしりと構えている。ジャンヌはその薄汚れた蓋の上に散る土を払い、施錠穴を見つけると鍵を差し込んだ。


 錆びているのか、若干重さを感じるもののしっかりとシリンダーの回る音が聞こえる。取っ手と思わしき突起を引っ張ると、そこには階段があって中に入れる仕組みとなっていた。


 注意して中に入り、内側から施錠する。深さはないのか、数メートルも進むとすぐに地面に到達した。


 手の灯りで室内を確認する。

 壁には白い布が飾られていて、土中だけれどあまり圧迫感は覚えない工夫がしてあった。

 小さな棚や、タンスなどもあるし、簡素なテーブルや椅子も置いてある。大人でも足を延ばして眠れるベッドも完備されているので心配なさそうだ。シーツなどを手に取ってみても、あまり経年劣化は感じられない。定期的に掃除をしているおかげだろう。


 高さは、二人の身長より少し高いぐらいで奥行もそこまでないけれど、野宿とは比べるまでもなく良い環境だった。


 「とりあえず、落ち着けるようになったわね」


 肩に背負う荷物を全部置き去り、一時の安全を確保したジャンヌは、床に置いてある蝋燭に火をつけていった。

 ジルも荷物をおろし、力なく体をベッドに預ける。大きく息を吐いてから、無言で天を仰いだ。


 ひたすらに、ボーっと天井を眺めていると急に視界が暗くなって、いつも見ている幼馴染の心配そうな顔が入り込んできた。

 

 「……大丈夫?」

 「うん。もう大分落ち着いたよ」

 「なら良かったわ。あ、水あるけど、いる?」

 「さっき川で汲んだから、良いよ。ありがとう」

 「うん」


 ジルがベッドの端に腰を掛けると、ジャンヌもその隣へ座った。


 「……」

 「……」

 「……ねえ、ジル」

 「ん」

 「あたし、あんたに聞きたいことが、それなりの数あるんだけど」

 「そっか。奇遇だね、僕も君に聞きたいことが、いくつかあるんだ」

 「そうなんだ。じゃ、どっちからいく?」

 「こういう時、いつも君から聞いてたじゃないか。いつも通りでいいよ」

 「……うん。わかったわ。いつも通りね」


 その響きが何だか嬉しくて、ジャンヌは少しだけ顔を綻ばせながら質問に移った。


 「あたし、魔術のことってあまり詳しくないけど、基本ぐらいは知っているつもりよ」

 「うん」

 「ベルクが使ってきたのを、ジルが相殺してくれたから特によく覚えてる。さっき言ってた、ネインエスパルダって、闇の最高等魔術で間違いないわよね?」

 「そうだよ」

 「けど、闇魔法って人間には……」

 「そうだね。人間には使えないものだよ、普通は」


 ジルは目を細めながら、右手を摩りながら言う。


 「この腕があるから、使えるんだ。今の僕はその実、魔王と人間の半々の存在といったって過言じゃないからね。……でも」

 「でも?」

 「いくら、激昂してたとはいえ……使いたくはなかったな、あんな外法。人間の所業じゃないよ」

 「……あ、じゃあ次ね」


 悲しげな眼が見ていられなくて、ジャンヌは話題を変える。

 今までも多分使えたのだろう、闇魔法は。けれど、それを使うことは人間を辞める証でもある。なので、決して使おうとはしなかったのだ。

 ジャンヌには闇魔術の使用に対して、慰めることも褒めること出来ない。だから、目をそらすしかなかった。


 「どうして、あの時来てくれたの?」

 「言われた通りのことをしただけだよ。アグニ様に、水影投映(アクアコール)を使ってもらったんだ。不得意な属性らしいから不完全でね。君の方へ映像も、声も届かなかったみたいだけど……僕はちゃんと確認できたよ」

 「……そうだったの」

 「飛び出そうとしたら、そりゃあアグニ様に怒られてね。この鎚印(スティグマ)を授かった直後だっていうのに、いきなり使う奴があるか! って」

 「……」

 「でも、僕は後悔してないよ。だから、心配しないで」

 「……ええ」


 沈黙が流れる。

 謝ればいいのか、礼を言えばいいのか。よくわからない。

 ジャンヌは揺らめく火を見て、再考していた。


 そして、何度か言おうと口を開くけれど、上手く言葉にならない。

 チラリと横を見ると、ジルは黙ってこちらを見てくれていた。悲しいような、寂しいような。でも、じっと、ひたすらに優しく、ジャンヌの言葉を待っている。


 下手な遠慮をする方が、よっぽどジルの為になっていないな。心の中でひとりごちると、ジャンヌはどうしても聞きたかったことを、視線を逸らさないで口にした。


 「なんであの時、泣いていたの?」


 質問は予想通りだったのか。驚きもせずに、ジルはじっと言葉を溜める。

 心の中で、うごめいている様々な気持ちを、少しだけ時間をかけてまとめると、彼もまた視線を外さないで口を開いた。

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