第二十三話 ~向けられた違和感~
「しかし本当にお懐かしい。十年と三ヶ月ぐらいかな? まだあの頃は二人とも子どもでしたな」
「そうねー」
光を反射して、眩しさすら覚える純白のクロスが敷かれたテーブルには、色とりどりの食材が並んでいた。普段なら、大人数で食事をする席なのだろう。今はたったの三人しか着席していないので、空席がどうしても目につく。それほどまでに広く大きな空間と料理の数に対し、人数が少なすぎる。
食べ残った物はどこにいくのだろうか。バターのように力を入れずともナイフが入るステーキを、口に運びながらジルは思う。いくら何でもすべては無理だ。
ジルの正面にジャンヌが座り、上座にエドワードが座っている王室式の会食。周囲には、背筋のピンと張った初老の男性が複数名、給仕係として黙したまま待機している。
香りのよいワインを、飲料水のように嚥下していくジャンヌに対しても何も言わずにすぐさま補充する。決して弱くない度数のアルコールですら、今の彼女には効果がないようだ。
ジャンヌはがさつなところはあるけれど、マナーが悪い人ではない。王族でもあるし、それはそれとしてしっかり自分の中で消化して生きている人間だ。舌で食材を転がさないような速度で、料理を次々にたいらげていく様は、幼いころから共にいるジルにも珍しい光景に映る。
(……やけ食いなのかな)
それとも、わざとエドワードに素行の悪い姿を見せて幻滅させようとしているのだろうか。
チラリと上座に座る王を見るが、そこには満面の笑みで食事を勧める美男子が居るだけであった。暴飲暴食っぷりを、気にも留めずに、むしろ喜ばしい微笑ましい一面として受け取っているのであろう。
ぷるん、と肉厚な脂を主張する貝柱のソテーを口に入れながらジルは思う。
自分は、味なんて全然わからないのに。
別に、彼が味覚に障害を抱えているわけでもないし、決して料理が口に合わなかったわけでもない。
それは単純なこと。
王族と共に食事、という状況が味をわからなくさせているのだった。
いくら作法や知識を入れていても、経験だけは紙の上、伝聞では身に着くものではない。
ジャンヌとは並々ならぬ仲だし、交友も長いけれど……彼女の家で、つまりは城で食事をとった場面なんて、一度もない。もちろん、寝泊りもないわけだ。
きっと、ジャンヌも王も王妃も気にしないだろう。他ならぬジルならば、拒否もしない。
けれど、それだけはジル自身が気おくれしてしまう点であり、大きな境目でもあった。
王族と平民。誰が何と言おうと、どういう活動をしようとも、その差異は生まれた時に形成されている、いわば人種の違い。
それだけは踏み越えてはいけないラインだと、心に決めてジルは生きてきたのだ。
こんなにあっさり、その自戒を破ることになるとは思いもしなかったが、状況が状況だ。断っては逆に失礼であろう。
もちろん、当然だが。普段のことという認識であるジャンヌは、会食という場に対して違和感なんて一つも覚えていないだろう。圧迫感のような重苦しい雰囲気なんて、自分だけしか受け取っていないんだろうな……。そう心の中で独りごちて、ワインに口をつけた。ジャンヌと同じく、彼にも酒気は意味がなさそうだ。
「……エドワード」
「なんでしょう?」
金属と陶器の重なる音が小さく鳴る。手元に置かれたナプキンを口にあてがいつつ、ジャンヌは目線を動かさないで王に呼びかけた。
目の前にあった皿の中身はすっかり空。給仕がおかわりを用意しようと動き出したのを静止してまで、ジャンヌは話を続ける。
「さっきも言ったけど、あたし達はあなたに用があって来たの」
「そうでしたね。なんなりと、お伺いしましょう」
エドワードも食事の手を止め、しっかりとジャンヌを見据える。ジルも不思議な空気の動きを肌で感じ、次に口へ運ぼうとした山菜へフォークを刺す前に、皿へ置きなおしてしまった。
「あたし達、紅蓮の猛火山に入りたいの。許可が欲しいから、入れてもらえるかしら?」
「? ええ、構いませんが……」
腑に落ちないようにエドワードは首をかしげる。
なぜなら、それは奇妙な質問だったから。
紅蓮の猛火山は、確かに聖なる神が住まう山として知られている。
城下町の端から、均された街道が続いており、それはいつしか山道へと変遷する。いくら整備しても、常に動き続ける火山相手では手におえない。最小限の、道しるべが存在するだけの険しい道を進んでいくと、次はぽっかりと空いた洞窟が出現する。
迷うこともない一本道を歩くと、次には広間がお出迎え。火の精霊を象徴とした、不死鳥フェニックスの石造が鎮座しているのだ。そこで、祈りを捧げると健康や安全の加護が得られる、というもの。
確かに、行くことは難しい場所だけれども、別に封鎖などしていない。国民でなくても、誰だって入ることのできる開放された地域なのだ。
どうして、許可を取る必要があるのだろうか。
「……祈りの間じゃなくて、その奥に行きたいの」
「奥……といいますと」
「居るんでしょ? 火の精霊、アグニ様が」
そう。祈りの間の奥には、特殊な結界で保護された通路が存在するのだ。高度な防護結界で、そうとうな手練れでもない限り、破壊は不可能な代物。
けれど、きっとその先に居るはず。城へ向かう途中に集めたこれらの情報を頭に置きながら、ジャンヌは問うていたのである。
「ははは。面白いことをおっしゃる。ジャンヌ王女ともあろうお方が、火の精霊様なんてお伽噺を信じてらっしゃるとは」
「茶化さないでくれる? 別に隠すことでもないでしょ」
ムスッとした顔のままジャンヌは言い放つ。おどけた感じで誤魔化したエドワードも、冗談ではないことをしっかりと受け取った。
「失礼。そういえば、噂に聞きました。あなたは、風の精霊様の加護を受けてらっしゃるんでしたね」
「風の精霊、水の精霊、魔術による映像だったけど火の精霊も……全員、しっかりこの目で見たわ。会話もした」
「それは素晴らしいことですね。……ですが」
「?」
「一体、どうして火の精霊様に直接会わなければならないのでしょう? 映像、とおっしゃいましたが、それでは事足りないのですか?」
ジャンヌと言えども警戒を怠らないのは、王として当然の態度であった。
ルアン王国は、エドワードのはるか昔の代から火の精霊と契約を結んでいる。
アグニは、自ら戦闘するすべを持たない。代わりに、技術や知識に非常に優れた精霊なのだ。だからこそ、魔族との戦争が激化を始めた頃、彼は人間たちと接触を図った。
自分の知恵や技術を授ける、だから代わりに自分を守ってくれ、と。
不死鳥に対して祈りを捧げれば加護を受けられる、というのは誇張でもなんでもなく事実であり、そういった大小さまざまな結界を、彼はルアン王国に付してくれているのだ。
製錬技術も、元はアグニのもの。国の発展、いや存亡に関わる最重要事項に位置しているのだから、心を許している相手であっても、勘繰りを入れるのは当然である。
「……」
ジャンヌは少し悩む。これは、話してもよいものなのだろうか。
世間では、魔族の王は倒され今後平和への一途を辿っていく、と皆は安心しきっている。無論、エドワード王だって、その一人だ。
無用な混乱は避けるわけにもいかないけれど、だからといって国家機密に近づくほど上手な嘘はつけそうにもない。
そもそも、嘘をつく必要などあるのだろうか。下手なことを言うよりは、真実を伝えて助言や援助をしてもらう方が、今後の為にもなるはず。しかし、それは残酷な現実を教えるということになるのであって……。
葛藤の末にチラリと目の前に座る、幼馴染を見た。
よほど困った顔をしていたのか、泣きそうだったのだろうか。少なくとも、助けを求める顔をしていたに違いない。
いつも見せてくれる、包み込むような温かさを感じる笑顔で小さく一度頷いた。
「……エドワード。人払いをしてもらえるかしら」
「承知しました」
エドワードの指が高らかな破裂音を放つ。合図を受け取った、周囲に佇立している給仕役たちは一礼すると、ぞろぞろと部屋を出て行った。
しばらく待ち、完全に気配がなくなった頃になるとエドワードは、もう話しても良いとジャンヌに促した。
「これから話すのは、全部真実よ。心して聞いてね」
「はい」
一息吸って、心と情報を整えてからジャンヌは語りだす。
魔王は実は、まだ完全に消滅していないこと。ジルの腕に、呪いとなって生きながらえていること。そして、今は慰安ではなく解呪の法を探るために、旅を再開していること。
風の精霊や水の精霊のことを踏まえたうえで、どうして火の精霊に会わなければならないのか。その理由を、順序立てて一切おどけたりせずにつらつらと話す。
エドワードは遮りも、驚嘆もせずにただひたすらに聞きに徹していた。目をつぶったまま腕を組み、相槌を打って集中している。
「……というわけなの」
「なるほど」
話し終え成果をあげられたジャンヌはふぅ、っと安堵の息をつく。同じようにエドワードも息をついたが、その中身はきっとジャンヌと逆なのだろう。
「…………」
こういう説明は普段ジルがしていたものだから、慣れないことをして汗をかいてしまうジャンヌは、ドレスの胸元をパタパタさせて火照った体を冷やした。
その間も、ひたすら沈思黙考するエドワードの動向を、何よりも心配していたのはジルだ。世界のため、みんなのためということもあるが、自分自身のことである。
反対でもされたとなれば、多少強引な策でも……。
「良いでしょう。わかりました。そういうことなら、協力は惜しみません」
「ホント!?」
「ええ、もちろんですよ。すぐに、手配書を作成します。鍵もお渡ししましょう」
良かった、と心安の吐息を漏らし、ジルは背中が丸くなるのを感じる。ジャンヌは、あれほど嫌がっていたエドワードを、多分この日初めてしっかりと見て笑っていた。
しかし。
その直後であった。弛緩したジルの背筋は、凍るような冷たさを覚えて再び緊張した。
一瞬。ほんの瞬きをする間の出来事。給仕の人たちがいても、きっと誰だって気づかないほどの刹那の間。
エドワードから、憎悪と侮蔑染みた視線を向けられたのだ。
無論、ジルに。
どうしてなのかわからない。失礼なことをした覚えもない。張りつめた空気が融解した際に、息をついただけ。
善悪問わず全ての人間に慈愛を持って接する人ではないし、厳しさなどもジョージ王より弁えた人物であることは知っている。
しかし、そんな些細なことが原因なのだろうか。あの、魔族に汚され腐敗した川のような、どす黒い感情をもった瞳は一体……。
「というわけですので、ご安心ください。ジル殿」
我に返ったジルの視線の先には、いつもと変わらないエドワード王がいた。
疲れからくる幻覚だったのだろうか?
ジルが疑問に思いながらも、生返事を返す傍でエドワードは続ける。
「しかし、一つ提案があるのです」
「提案?」
「ええ。というより、単なるお誘いなんですがね」
「どういうこと?」
「今夜、私とお話をしませんか? ジャンヌ姫」
「…………は?」
屈託も下心も感じない純真さの籠った誘い文句に、ジャンヌは身をたじろがせて聞き返す。眉を顰めた表情など意も介さず、その理由を告げる。
「ジル殿がいくら旅慣れしていたとしても、あの火山から一日で帰ってくることは難しいでしょう。なので、その間にジャンヌ姫とは少しお話をしたくてですね」
「な、なんでよ? 別にそんなことしなくても! というか、あたしも一緒に行くつもりだったんだけど?」
「お話を聞く限りでは、解呪の法が必要なのはジル殿のみですよね? 紅蓮の猛火山は、道は険しいですけど魔族は出ません。用心棒も必要はありませんよ」
「で、でも!」
嫌なものは嫌。ジャンヌの表情はそういっている。
けれど、わざわざ話がしたいということは、きっと国の今後に関わることなのだろう。これからの交友だとか、経済の話など。多分、そこに自分は居てはならない。そして、ジャンヌには少しでも経験を積まないと困る事柄。
ならば。
「行っておいでよ、ジャンヌ。僕は大丈夫だから」
背中を押してあげよう。必要なことなのだから。
先ほど向けられた、奇妙な視線は少しひっかかるけど……それは、自分に対するもの。ジャンヌには関係ない。
「えー? ジルまで……」
信頼しきっている彼にまで言われると、やはり心は動く。
腕を組み、額に指を当て、天を仰ぎ、それから俯き、一度ジルを見てから、小さく唸りながら答えを導き出す。
「……はぁ」
口から洩れた返答は、誰しも理解できる諦念のため息だった。




