第二十一話 ~ルアン王国~
「……本当に、なんと言ったらよいのか」
次の日。村長だけではなく、ザイルも。そして、なんと子ども達も一緒になって、ジルとジャンヌの二人を見送りに、門まで村人総出で来ていた。
子ども達は、無理して起き上がったわけではない。身体の調子が良くなったから、もう病気の心配もないから出てきているのだ。
その理由は、ジル達の持っていた、とある薬のおかげである。
ザイルとの決着後、ジルはふと思い出したのだ。
この旅が始まり、一番最初に訪れたあの場所。風の精霊が住む、小さな里のことを。
結局、彼の呪いを解くに値する物や知識は得られなかったが、代わりの品は手に入っていた。ジャンヌの壊れたと思った、風魔軽鎧とジルの為に作ってくれた予備の第零式帯状封印装具。
そして、里の奥底で手に入れた……風神の大樹がもたらした神露。
大樹の神露は、毒などに対して効果が得られる聖水。呪術に対しては効かずとも、適応しているものに対しては効果覿面なのだ。
それは、毒だけではなく、体調にも発揮する。つまりは、グラスコ村に蔓延している疫病にも、しっかりと効果が出るのだった。
ジャンヌが風魔軽鎧を発動し、手にはデュランダルを握りしめながら、少しでも病に対抗できる武装で村へ入っていった。そして、高熱でうなされている青ざめた一人の子どもに、その神露を一含みさせる。
母親が見守る中、荒かった息や悪かった顔色は見る見るうちによくなっていった。数刻もすれば、熱もすっかり下がって、単に体力を回復するため寝付いている状態にまでなってくれたのだ。
「少し多めに持ってきておいて、良かったわね」
ジャンヌが言うように、なんとか村に居る子ども全員に配りきれるほどの在庫はあった。免疫力も増加させる薬なので、再度かかる心配もない。あとは、完全に落ち着くのを見守っていくだけ。脅威はもう去ったと言って差し支えないだろう。
けれど、薬を処方し終えて戻ってきた彼女の表情は満足そうではなかった。迎えるジルも、はにかんだような元気のない笑顔である。
「こんなことしかできず、申し訳ありません」
その夜、村長に夕食を招かれたジルとジャンヌはそういって頭を下げた。
ライルを失わせた責任は、二人にある。魔王ベルクがすべて悪いのはわかってても、もう少し、あと少しでも彼らの能力が高ければ、悲劇は生み出さなかったはずなのに。
せめてもの、ささやかな償いが出来たとは思っても陳謝してしまうのは、どうしようもない感情なのである。
「……」
そんな二人を見て、ザイルは拳を強く握りしめた。
自分よりも年下で、苦労も苦心も数えきれないほどしてきた上、魔王を倒す偉業を成し遂げた偉大な人ですら……こんな悲しみを抱えている。
なにより、彼らは大きな期待も背負わされているのだ。歴史に残る偉人故に、これから何をしても何をされても、きっとその足跡は残っていく。
どれほどの重圧なのだろうか。ザイルの想像の域を超えている。
辛いのは自分だけではないのに……。浅はかで、手前勝手な行動と言動をぶつけた自分は末代までの恥だ。そう思ったザイルは、持ち前の明るさや世話焼きで彼らを精一杯に持て成した。出来ることを、出来るだけしてあげたいのだ。
「そろそろ行きますね」
「お気をつけて」
食糧などを補充し、衣服も綺麗に洗濯した。後は、まっすぐルアン王国へ向かうだけ。
「また遊びにきてね!」
「おねーちゃん、今度はおれに剣術教えてよ!」
「ええ。また必ず来るから。その時にね」
「お兄ちゃんも、絶対だよ!? 魔術! 教えてね!」
「うん。もちろんさ」
純粋な笑顔と気持ちで、子ども達は二人に様々な要求をする。この時ばかりは、弱気な後ろめたさなど一切出さず、単に素直なままで応対する。
「では、失礼します」
「お元気で」
村長とザイルは、ジルとジャンヌの背中が見えなくなるまで、深々と頭を下げ続けた。また来てくれた時は、最初から精一杯の、贅沢な対応ができるように。そう誓いながら。
「……これで、良かったのかしらね」
「……うん」
会話が聞こえなくなる場所まで歩くと、ふいにジャンヌが口を開いた。
「アグニ様に会えば、ライルを生き返らせられるかもしれない。でも、それはただの可能性。安易な発言で、ぬか喜びをさせることは……残酷だよ」
「……そうね。そうよね」
世界を歩いているのは、単に慰安旅行という名目を伝えてある。だから深く言及もされなかった。させなかった。
本当は、まだ闘いが続いていることも。ライルに関して動いていることも伏せておいた。期待させるだけして、もし不可能だったとしたら?
あらかじめ、ただの可能性ということを話していても……期待はしてしまう。希望を持つだろう。そして、失敗した時の絶望は胸を高鳴らせた分だけ重くのしかかる。だったら、最初から言わない方が良い。
「少し急ごうか、ジャンヌ」
「ええ」
自分の身や世界のことではない。偏に、自分たちが結果を知りたい。それだけの理由で、二人は普段より足早に地面を踏みしめていった。
――――ルアン王国
産業の盛んな貿易都市。常にどこからか煙が出ており、大量の金属類を製錬している。魔術も応用した工場もあり、魔力の不得手な戦士型の人間でなくても、それぞれ適応した仕事につける社会構造が整っていた。
また、素材を作るだけではなく加工も同時に行っている。なので、あらゆる国や地域へそっくりそのまま売込みにも行ける。問屋も介さないので、利益は一方的にルアン王国へ集まるほど。
それを言及する国ももちろん多く存在するが、製錬技術は国家機密であり漏れることがないように、知る者には特殊な魔術で制約すらかけられている。
たとえ、技術者を捉えて拷問しようが決して口は割らない。逆に、管理されている人間が死んだとすれば真っ先に、国を挙げての捜査が行われてしまうことだろう。
純度も高く、質も良い。模倣できない唯一無二の技術。魔族が残っているうちは、ルアンに頼るしか対処できるほどの物資を得られない。結局は、爪を噛んででも出資するしかないのだった。
「相変わらず、金属臭い街だこと」
「蒸し暑さもね」
グラスコ村を発ってから数日後の昼下がり前である。
羽織っていたマントを腕にかけ、ジャンヌははしたなくスカートをパタパタさせながら街中を歩いていく。当然のように街中に精錬所があるので、熱気は凄まじいものだ。激しい運動なんてしなくても、自然と汗はじんわりと流れてくる。爽やかに流すのではなく、まとわりつくような鬱陶しい発汗だが。
「さて、これからどうしたものかしらね」
水で濡らせたハンカチで顔をぬぐいながら、ジャンヌは言った。現在地は、少し外れにある小さな宿の一室。初老の女性が営んでいる、さびれた店だった。
痴呆が始まっているのか単純に知らないのか、ジャンヌやジルを見ても何の反応も示さない店主は、二人には好都合であった。他の客も存在しない、まさに穴場と言える場所。都合のよさに比例して、質素さが増しているのが唯一の難点か。天井部に蜘蛛の巣はついているし、床は激しく軋む上に、ベッドシーツを叩けば見過ごせない程度には埃が舞った。
「とりあえず、あそこに行く許可をもらわないとね」
ベッドに腰をかけたジルは、顔を窓の外へ向けた。
立ち並ぶ屋根と屋根の隙間、灰色の空の奥に見える大きな活火山が、そこにはあった。
町並みがないと仮定した場合、きっと今のジルの視界からだと空と火山が半々に見えるだろう。言いようのない恐ろしさを覚えるほど巨大だが、火の精霊の住処とわかると、何故だか逆に神聖さを感じてしまうのであった。
紅蓮の猛火山。火の精霊アグニの住まう霊山。
活発に動くマグマの胎動により、地震も多発している。けれど、噴火をしたことは過去に一度もないという。そのエネルギーは一体どこへいっているのか。生み出された溶岩はどうしているのか。
実は、それらはすべて、アグニの栄養源となって吸収されている。
テティスのようなまどろっこしい契約とは違い、単なる山の自然活動をエネルギーに変換するという点に関しては流石の精霊としての発想力と言うべきか。
ただし、知識に関してはテティスやヴァーユを凌駕するものの戦闘能力はからっきし。なので、国の上層部の一握りの人間にのみに託されている、アグニの護衛任務が存在する。
製錬の技術も、彼からの賜物なのである。繁栄の技術を授ける代わりに、国に守ってもらっているのだ。
「……やっぱ、どうしても行かないと……ダメよね?」
「そんなにイヤなの?」
「……」
複雑そうな顔をして、黙り込む幼馴染の表情をジルは困ったように見る。
理由はわかっている。彼女は、許婚のエドワード王子にどうしても会いたくないのだ。
「だって会ったら絶対、歯が浮きそうなあっまーい台詞を言われるのよ?」
「政略結婚とはいえ、愛情を育むのは大事だよ」
「第一声は『ちょうど君のことを考えていたんだ! ああ、これはやはり運命かな!?』ね。間違いないわ!」
「詩的で素晴らしい台詞だと思うけど」
「そんで、仰々しく膝を折り曲げてあたしの手にキスするのよ!」
「紳士らしいふるまいだね」
「あんたは、そこまであたしがされるのわかってて、何にも思わないわけ!?」
「そういうお方でしょ、エドワード王子様は」
「……そうじゃなくって……」
求愛としか言いようのない振る舞いを、あたかも自分が……まるで既にエドワード王子の伴侶と認められたような行為を目の前で繰り広げられると知って、何故黙っているのか。
許容するかのように、むしろエドワードを擁護する言葉にジャンヌは焦燥感のような、複雑な不安を覚えずにはいられない。
止める気はないのだろうか。国家間の問題だし、もしも無碍にすればどれほど影響が出てくるかはわからない。でも、簡単にあきらめていて欲しくない。
「それに、話すのはエドワード王子じゃなくて、ジョージ王だと思うけど?」
「……あんた、物知りだと思ってたけど変なところは疎いのね」
「え?」
「ま、あたしも知ったのは最近だけど」
そういって、ジャンヌは一枚の紙をジルへと見せつけた。文字だらけの情報量がたっぷりつまった用紙。内容に関連する絵もついていた。写実魔術を、活版印刷の技術で刷り込んで大量生産したものだ。いわゆる新聞である。
一面記事に貼られている絵は、ジョージ王がエドワード王子に王冠を授けているシーンであった。日付は、ジルたちが到着するより少し前。ちょうど、ミズホからシーサイドに向かう船の上で起こった出来事らしい。
「……ジョージ王、もしかして」
「そうよ。ジョージ王って呼び方はもう出来ない。もう隠居しちゃって、ただのおじいちゃんなのよ」
「そう……だったんだ。たしかに、昔からお体が心配ではあったけど……」
細身で身長の高いスラッとした体躯。王位の証である赤いマントを羽織っているので目立たないが、その身体をなぞる線の繊細さは、やせ型の人間と称する以上のものであった。
もとより、戦線に参加するような王ではなく武術よりも知力で民を支える信頼の厚い人であったが、病には勝てないらしい。息子のエドワードも、もう国政を任せても問題ないほど成長したと判断(魔王が倒されたということも考慮に入れて)し、王位を譲ったのだ。
「だからこそ、イヤなのよ。王様の許しが要るんでしょ? あの火山に入るのって!」
「パワースポットとしても有名だから、一般人でも入れるけど……多分、アグニ様の口ぶりからすれば、そこまで行くのには国の許可がいるんだろうね」
「この国の兵士って、頭固いから無理矢理はダメだろうし……ううー!」
「諦めて、素直に会いに行こうよ。凱旋として、顔合わせしても良いんじゃない?」
「…………じゃ、ジルもついてきてくれる?」
「え?」
ムスッとした顔で、乱暴にジルの隣に座るジャンヌ。
確信はないけれど……ジャンヌは、このままだと一人で向かうことになりそうだったから、少し強引にでも誘うことにした。
ルアン王国は規律に厳しく、許可や申請を出さなければ王に謁見などできない。さらに、平民では簡単に許可も下りない。さまざまなチェック項目をクリアしなければ、城に近づくこともできないのだ。
そういう融通の利かなさが、機密保持に繋がり国を発展させた要因なので、誰かが指摘することも口出しされることもないのである。
ジョージ王は比較的、それに関しては少しズボラな所があり、家臣にたびたび叱られていたそうだ。勝手に、街で子どもと遊んだり。若者に国の在り方を語ったり、などなど。
「でも、僕は」
「ジル。前も言ったと思うけど、あんたは貴族よ。それは誰にも否定させないし、あんた自身が拒否することもあたしは許さない」
「……」
「本当に、あたしやお父様お母様、ううん。オルランという国が好きなら、そこは……それだけは認めてちょうだい」
「…………うん。ごめん」
手を握り、じっと見ながら真剣なまなざしを向けられると、ジルは自分の中の劣等感がどれほど恥ずかしいものなのかを認識した。
そうなのだ。いつまでも、自分は平民と言う気持ちを抱えるのは良いことではない。認めて、授けてくれた貴族の証を自分が拒絶することは、期待や望みを裏切ることになる。
それは出来ない。
ジルだって、オルランが、国王が女王が、何よりもジャンヌが大好きなのだ。
「僕も行くよ」
「うん、ありがとう!」
「わっぷ!」
心底嬉しそうな笑顔を見せたかと思うと、間髪入れずにジャンヌはジルに抱きつく。思わず、女性の身体で特に柔らかい部分が顔に押し付けられてしまい、呼吸が苦しくなる。城に行く前に窒息して気絶してしまいそうになった、ジルなのであった。




