第一話 ~再び始まる旅~
世界最高位の軍事国家オルラン。
そこでは、楽しげに祭典が行われていた。
武器も兵士も、本来の役目から少しだけ手を休めている。
国の民は、みんな酒や食べ物を持って、一日中笑って過ごしていた。
――――しかし、この風景は少し前まで考えられることがなかったのだ。
古来より、この世界では人間と、魔族と呼ばれる異形の者たちとの戦争が繰り広げられていた。
魔族の目的は、人間たちの駆逐。そして、地上の征服だった。
長きに渡るその戦いの最中、ある若者の一行が魔界への入口へたどり着く。
先頭を進むのは、オルラン王国の次期女王でもある、聖剣の使い手ジャンヌ・ド・アーク。
彼女の幼馴染であり、あらゆる属性の魔術を使いこなすジル・D・レイン。
旅の途中で出会った、屈強な戦士ライル・ジャロワの、計三名であった。
暗く邪気の蔓延する魔界を、ゆっくりとけれど確実に進んでゆき、たどり着いた最深部。
そこで出会ったのは、魔族の王であるベルクであった。
鋭い爪、漆黒の肌、尖った紅の瞳。体毛に覆われた強靭な肉体の上には、覇王の証のように黒い布が羽織られている。人型に近い造形だが、得も言われぬ醜悪さが全身から溢れ出ていた。
人を人とも思わぬ極悪の親玉。
しかし、彼は非常に知性に溢れる性格をしていた。
「なんでこんなことをするの!?」
常套句をジャンヌが口にすると、諸悪の根源であるベルクは低くくぐもった声で答える。
「この闇に閉ざされた世界が余は嫌いなのだ。だからこそ、光溢れる地上を欲するのだ」
破壊や殺戮が目的と思われた魔王らしくない返答に戸惑う一行。しかし、それでも説得は無駄だった。
交渉決裂した彼女らは、最終決戦を開始する。
鋭利な爪による攻撃、口腔より吐き出される悪烈な瘴気、繰り出される秘術の数々。
今まで経験したことのない、圧倒的力量差に彼女たちは苦戦を強いられる。
だがその時、捨て身の覚悟で戦士ライルが懐に飛び込んだ。
体躯を活かした強烈な斧による斬撃は、魔王の剛腕を中空へ吹き飛ばすことに成功した。
が、しかし。
魔王は動じなかった。わかっていたかのように、そのまま残った腕でライルの心臓を貫き、彼は絶命した。
編成が崩れ、更に劣勢になるジャンヌ達。
絶望の最中、ジルがある提案をする。
『勝利の聖閃光』を使え、と。
それは、ジャンヌの必殺の剣撃であった。
彼女の持つ、唯一無二の神造兵器……聖なる大剣デュランダル。
持てる全魔力開放し、穿つ光の斬撃が『勝利の聖閃光』だ。
海が割れ、山を薙ぎ、天を斬り裂くとされる必殺剣だが、放つまでに時間を要する。
更に、隙の多い秘技でもあるので、俊敏な魔王相手にそれを当てるのは至難の業であった。
「それでも、僕が必ず隙を作る。だから信じて待っていて!」
大人しく、弱気勝ちな性格であったジルが、強くそう言った。ジャンヌはその言葉を信じ、予備動作を開始する。
剣を上段に掲げ、ひたすらに自身の魔力を聖剣にゆだねる。ただそれだけだ。
ジルは決死の覚悟で、単身挑んでいく。
魔術の始祖と言われる魔族の王を相手に、ひけをとらない果敢な攻防を繰り広げた。
氷の山から放たれる刃を、炎の超熱線で消し飛ばし
強大な雷を、大地の大穴で打ち消され
光の大閃光と闇の衝撃波の衝突は、五分の結果に終わる。
精根尽き果てそうになったその時。
倒れていたはずのライルの方向から、刃の一閃が飛んできた。
彼の命は絶たれている。
だが、何かを感じたのだろうか。それとも、聖なる斧フランシスカの効果なのか、わからない。
しかし、誰もが予想しなかった事態をジルは逃さなかった。
魔族の苦手とする光属性の大魔術を放つ。
結果的にそれは致命傷に至らなかったが、ベルクの態勢をほんのわずか、崩すことに成功した。
一瞬の隙。まさしく瞬き一度程度の隙を、ジャンヌは逃さなかった。
十二分に蓄えられた聖なる力は、真っ直ぐ魔王ベルクに振り下ろされた。
彼は避わすこともできず、防ぐこともできず。
地上を脅かした闇の世界の統率者は、その閃光によって消滅していった……。
――――。
「う……」
そんな最終決戦の模様を思い出していた、
王家選定最高等聖魔術師である青年、ジル・D・レインは右手をおさえた。
決戦時とは違い、動きやすい布の服を着て黒いマントを羽織っている。秘術の施された特殊な戦闘服は、魔王により破壊されてしまったからである。また、その手には、中身の詰まった大きな麻の袋が携えられていた。
今、彼が居るのはオルランの国境だった。
平和になった世界だというのに、彼は旅を始めようとしていたのだ。
故郷である、この国を捨ててまで彼は何を求めるのか。
それは、彼の右手に関することであった。
勝利の聖閃光によって、魔王ベルクは倒された。
ジャンヌも、ジルも、間違いなくそう思っていた。
だが、魔王は秘術を使用していたのだ。
その名を混沌の輪廻と言う。
体が消滅する、際の際。
瞬時に禁術を唱えた魔王ベルクは、意識のみを残し肉体から解放される。
そして、近くに居る生命体へ憑依して、意識を乗っ取り、最後には身体そのものを、元の姿へと戻し復活するのだ。
魔王はそうして、何度も何度も復活を繰り返し、君臨を続けていたのだった。
その輪廻転生を繰り返す魔王ベルクが、次の標的にしたのはジャンヌであった。
再び生まれ変わるため、ベルクは彼女目掛けて精神を飛ばす。
が、それは寸前で叶わなかった。
なんと、ベルクとジャンヌの間に、ジルが割って入ったのだ。
咄嗟に出したその右腕に、ベルクの精神は入り込んでいった。
そこで侵食は止まる。
魔力の非常に高いジルが、渾身の光魔術で侵食を一時的に止めたのだ。
もし、それがジャンヌであったら、きっと一瞬で再臨は完成していたであろう。彼女は魔力はあっても、魔術をコントロールすることを苦手としていたから。
今、ジルの右腕には封印の魔術を施した聖なる包帯が巻かれている。それがあれば、侵食を食い止めることができるらしい。
だが、それは一時的な手段だ。
彼の腕に課せられた呪いは続いている。強力な封印とはいえ、相手は最強最大の魔族の王。抑えることは出来ても、完全な封印にはなっていない。
もし、腕を切り落としたとすれば、腕が再び精神化して、他の者に取りついてしまうらしい。
また、ジルが魔術を使うだけで、魔王の力が活性化して侵食が早まってしまう。
魔術師にとって致命的であった。いつか、魔王になってしまう恐怖。まともに戦闘すら出来ない不安。
それでも、ジルは諦めなかった。
平和になったこの世界を、ずっと続けていくため。先人たちの、仲間の犠牲を無駄にしないために。
彼は、この呪いを解く方法を探すために、旅を始めるのだ。
再びここに帰ってくるときは、笑顔が良い。哀愁の瞳は祖国を捉える。
国境を越え、慣らされた街道へ足を踏み入れたその時だった。
「待ちなさい」
聞きなれた声が、ジルを引き止めた。
振り返ると、同じように動きやすい布の服と、短めのスカートを履いてる女性が居た。
長い金髪を後ろで適当に結んだ、蒼く美しい瞳を持つその人は、紛れもなく……『勇者』の称号を与えられたジャンヌ・ド・アークであった。
「どうして……?」
ジルは驚いた顔で質問をする。
この旅立ちは誰にも言っていない。決戦後に『王家選定最高等聖魔術師』などという大層な称号をもらったが、城に仕えることはしなかった。
平民の出の彼にとって、今後は王家と近しい貴族となる名だが……彼とっては逆に重荷だったから。
こんな身体では、迷惑をかけてしまうだけだ、と。
幼馴染であり、今やたった一人の死線を乗り越えた戦友であるジャンヌにすら、伝えていない。
何故、ここに居ることが……また、どうして今日、旅立つことを知っていたのだろう。
「当たり前でしょ。あたしとあんたは、仲間なんだもの」
「でも、キミは王家の人間だ。こんなところに居てはいけないはずじゃ……」
「そうね。でも、それはずっと先のことよ。お父様もお母様もまだまだ元気だもの。あたしが表舞台に立つのは、頬っぺたに皺が出来た頃じゃない?」
指で口の端をグイッとあげながらジャンヌは笑う。
王家の人間らしくない、少し雑な言葉遣いや表情に、ジルは何度も助けられた。
でも、今は違う。
「ごめん、ジャンヌ。僕は独りで行くと決めたんだ。だから」
「冗談じゃないわ」
間髪入れず否定が入ってきて、面を食らうジル。
「あたしの身代わりとして、あんたはその呪いを受けてしまったのだもの。それを解くのならばなおさら、あたしはあんたの手助けになる理由がある。義務があるわ」
力強く、そして優しく、ジャンヌは笑顔で言った。
「だから、あたしもついていく! そう決めたの!」
丸くなった目を細めながら、ジルはため息交じりに笑う。
強引なところは、昔から変わらないな、と。
「わかったよ。ありがとう。伝説の勇者様がついていれば、安心だよ」
「やめてよ、その恥ずかしい肩書で呼ぶの。大体、まだ生きてるわよ、あたし」
「僕だって恥ずかしい肩書を、君のお父様からもらったんだ。おあいこだよ」
「むー。お父様、こういうセンスは微妙だもの。仕方ないわ」
「国王様に向かって何たる言い様だこと」
「あんたも似たようなこと言ってるでしょーが!」
こうしてたった二人の、勇者と聖魔術師は故郷を後にする。
まずは、城で集めた情報を手掛かりに、彼らは大陸の南へと向かうことにした。
平和になった世界で、平和を保つための、終わりの見えぬ険しい……命がけの旅が、再び始まったのであった……。