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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第二章 水の精霊 編
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第十五話 ~必勝の一撃~

 「奪気衝円壁(スタンフィールド)


 短くジルは詠唱をする。風魔法、雷属性の高等魔術だった。

 黒く蠢く、彼の身体とは全く異質な右腕からは、紫色の細い光が飛び出す。瞬く間にそれは、砂浜の全域へ広がり、海の一部まで侵食した。

 そして、動きが止まった直後である。火花が弾けるような音が、一帯に響いた。雨や風に負けないほど、激しい音である。


 「…………」


 口を開けて驚いている伊織の目には、不思議ともいえる光景が広がっていた。先ほどまで威勢よく動いていた、全ての魔族が、一同に動きを止めている。ジルの手から放たれたものと、同じような稲妻が彼らの体中を、縛るように纏っているのだ。


 「蒼雲に蠢きし光刃……」


 ジルはすかさず、詠唱を開始する。黄色の魔方陣が、ジルの足元から発生する。風向きが横から真下に変わったかのよう、マントが浮き上がるようにはためいた。右腕を突出し、左手で抑えるように支える。ゆっくりとだが、彼の腕の呪いは範囲を拡大して見えた。


 先ほど使った魔術、奪気衝円壁(スタンフィールド)は相手を束縛する魔術である。しかし、一時的に抑えるだけのもの。殺傷能力はない。効果が切れれば、また動き出す。

 だから、彼は一気に状況を打開する魔術を唱えることにしたのだ。


 「数多穿つ清々なる神光を」


 先ほどと同じ、風魔法雷属性の魔術。海洋生物は、みな雷の攻撃に弱い。だから、彼は最も効果的なものを唱えているのだ。


 「活目せよ!」


 拘束ではなく、紛れもない攻撃に特化した大魔術。その名も、


 「ルーミナスブリッツ!!」


 突き出した手を、思い切り振り下ろす。詠唱に反応し、魔方陣が解き放たれるように拡散した。

 同時に、空から極大な光の柱が降り注いだ。

 鈍色に広がる雲を引き裂き、海神の起こしている稲妻の数倍も激しいそれは、海魔族たちへ一直線に落下する。

 けたたましい音と、まばゆい光を発しながら、魔族は身体を焼き裂かれる。きっと、その感覚すら覚える前に伝達が完了してしまうほどの、熱量と電力を持った大魔術は、ジル達の眼前を死屍累々へと変化させた。


 焦げた匂いと、そこに居たであろう場所から沸き立つ黒い煙。極めて頑丈な体骨を、塵ひとつ残さずに海魔族は全滅した。海中に居た魔族たちでさえも。


 しばらく待ってみても、もうシキ島に乗り込んでこようとする魔族は現れない。

 仮に試みた所で、奪気衝円壁(スタンフィールド)は効果時間の長い魔術である。しばらくは、この島に入ることは難しいだろう。


 一安心したジルは、腕を押さえつけるように膝を崩した。


 「ジル様!」

 「う……ぐ……ぅ……」


 絞り出すように声を漏らすジル。不規則に脈打つ黒い鼓動が起こる度、血脈に乗って魔王が体内を巡るような感覚が襲ってくる。自我を、身体を奪い取りそうなほどのその強固で邪悪な意志の力を、ジルは光の対抗魔術を使い、退ける。


 魔術の属性は、精霊が司る四属性の他にもう二つある。一つは、光の魔術。長い歴史の中で、人間が生み出した属性だ。対魔族効果が高い魔術が多い、基礎がまだ浅く扱いは非常に難しい。使用者は少なく、ジルでも完璧に極められたわけではない。

 もう一つは、闇の魔術。これは魔族特有の属性で、攻撃的な魔術が多い。人間の精神性では扱うことは出来ない。体質的なもので、いくら修練を積もうと身に着けることは不可能である。逆もまた然り。魔族は光魔術は使用できない。

 ちなみに、混沌の輪廻ラグナロク・リバイバルは闇の最高等魔術である。人間には、決して使うことの出来ない秘術だ。


 雨に流される汗を流しながら、息も浅くジルは立つ。まだ、右手を封印するわけにはいかない。少しだけ緩和された、魔王の侵食を耐えながら魔術を唱える。


 「神秘の光鋼壁(シャイニングウォール)!」


 詠唱に呼応し、シキ島一帯に薄く光る壁が発生していく。奪気衝円壁(スタンフィールド)だけでは、時期に効果も消える。

 海神が居るからこそ、存在する防護結界がないままでは戦闘後が危ない。消耗したところに、先ほどのような海魔族が襲ってきては抗うのも難しいだろう。

 だからこその予防線だ。この壁は、大抵の魔族は潜り抜けられない。彼らの人間ならざる血液に反応し、弾き出すのだ。魔界に潜んでいるような、高度な魔族ならば可能だが、先刻退けた程度の魔族ならば近づくことは出来ないだろう。効果も、数日は機能する。


 「ジル様!」


 安心したジルは、再び膝を崩す。力の抜けたその動作を案じて、伊織が駆けつけた。どれだけ強い対抗魔術を使っても、魔術そのものを使用すれば侵食は早まるのだ。

 前腕部分すべてを覆ってしまうほど、拡大した魔王の呪いは再び封じられる。伊織に手伝ってもらい、呪詛を施した装具によって。


 「後は任せたよ、ジャンヌ……」


 未だに余韻の残る苦痛に、顔を歪めながらジルは遠くを見つめる。本当は手助けの一つでもしたいのだが、これ以上の魔術使用は危険だ。

 あとは、信じるしかない。魔王を討った、我らが大勇者を。


――――――――。


 「はぁあああ!!」


 海上を、小さな影が疾駆する。落下する稲妻の群集を、回避しながらジャンヌは飛び上がった。

 同時に、前面に広がる巨大な龍の腕が伸ばされた。鋭く尖った爪が、ジャンヌを暴力的に引き裂こうと鈍く光っている。


 「こんなもの!」


 ジャンヌは両手に魔術を込める。デュランダルが反応し、光を帯びていった。切っ先を覆い、更に更に伸びていく。通常の刀身の倍以上の長さになった光の刃を、思い切り振り払った。


 爪が身体に到達する前に、刃が触れる。一瞬だけジャンヌの手に強い反発が起こったが、すぐさまそれは解消された。海神の鋭爪は、見事デュランダルにより切り裂かれた。

 そのまま、手のひらから入り腕ごと真っ二つに切断しようと加速した時だった。


 「!?」


 違和感はあった。最初の反発に対し、一度切れ込みが入ってからが異様に柔いと感じたからだ。

 驚いたのは、その両断された腕が液状化したことだった。分岐点を作っているジャンヌは、その中心に位置している。感覚を遮断させたと思ったその手は、意識を持つかのように勇者を掴みこんだ。


 風魔軽鎧(ヴァルハラ)の防護魔術で、全方位を液体に包まれてもジャンヌの身体には触れていない。


 「なっ……」


 だからこそ、焦った。風魔軽鎧(ヴァルハラ)を徐々に握りつぶしていくかのように、液体が迫ってくるのだ。対抗しようと、魔術を開放するも進行は止まらない。


 ついには、溺れてしまった。幸いなことに、害のあるものではなく海水に近い液体だったようだ。

 しかし、纏わりつくような拘束力を持っている。泳ぐことも出来ない。

 打開策を練っていると、不意に液体が上昇していく。泳ごうにも、上手く動けない。そして予備動作の後に、ジャンヌは急降下していった。海へ一直線に叩き下ろされたのだ。水の中に居るにも関わらず、水へと落下する奇妙な感覚を身にしつつ、沈下していく。


 落下スピードは凄まじかったが、海の中だったこともあり、海底付近まで落ち込む頃には体勢を立て直すことが出来た。液体は、既に海と同化して身体から離れている。


 (……? なに、あれ……?)


 ふと、ジャンヌが何かに気付いた。深い海の底で、ひときわ目立つ人工物。いくつも立った支柱と、なだらかな屋根のみの、祠のような建物。それがある事にも驚きだが、何よりそこが淡く光を放っていることが、驚愕すべき点だった。

 光も満足に届かない、こんなところで一体何が……。

 自ら発光する生物はいるが、それにしては光が強すぎる気もする。


 と、そんなことを考えている余裕はない。今は、目の前の敵を倒さなければ。

 再び、風魔軽鎧(ヴァルハラ)に魔術を込めて空気の層を周囲に発生させる。そのまま、海の底を蹴り飛ばしてジャンヌは上昇した。


 「うあっ!?」


 海上に飛び出したと同時に、(いかずち)がジャンヌに落下する。だが鎧のおかげで、直撃しても痺れと熱を感じる程度で済んだ。


 「狙っているのかしら……あたしを」


 闇雲に、海神は嵐を巻き起こしているだけだと思った。降り注ぐ雷も、風も雨も。何も考えず、感情に身を任せているだけだと考えていた。

 しかし、島から海神まで近づこうとした時でも、実は何度か落雷を受けそうになっていた。偶然だと思ったが、動きを見る限りやはり違う。


 更に厄介なことがあった。


 「とりゃあああ!!」


 海上で一歩、空中で更に一歩。大きく跳躍して海神へ接近する。肥大した剣で、今度は爪ではなくがら空きの胴体を狙って、斬撃を浴びせた。

 結果は、同じ。淡く光を帯び、強固に見える鱗の群れに刃を立てているにも関わらず、手ごたえはない。

 切り口は、損傷を確認するとすぐさま再生してしまうのだ。これでは、攻撃の意味がない。


 「これならどう!?」


 大きく予備動作を取り、横に一回転しながら剣を振るう。今の距離では、それは届かないはず。

 しかし、海神の身体は斬撃を受けた。光の刃になって伸展した部分が投擲されたのだ。再装填も、ジャンヌが魔力を込めるだけですぐに可能。

 何度かそれを繰り返して攻撃を試みるが、やはりダメだった。直接切りつけるより、威力の劣るその斬撃では、再生させる時間を作ることしかできない。


 ただの斬撃では倒せない。特殊な攻撃でも、決定打にはならない。

 魔術も得意ではない。そんな魔術は、ジルでなければ無理だ。

 では、残されているたった一つの可能性は……


 勝利の聖閃光オラクル・ヴィクトリアだ。


 デュランダルに最初から付与されている、物質変換魔術。使用者の魔力供給を感知すると、光魔術が発動する。基本的には、攻撃力(剣の鋭さや威力)とリーチを増加させるものだが、先ほど使ったように、射出することも出来る。

 そしてその最たる使用法が、勝利の聖閃光オラクル・ヴィクトリアである。最大限に刀身を伸展させ、攻撃力を最高潮にし、最高速で斬撃を射出するのだ。消耗していたとはいえ、魔王を一撃のもとに切り伏せられる、絶対勝利の秘術。


 欠点があるとすれば、発動までの時間だ。対魔王戦でも、ジルに時間を作ってもらわねば使うことは出来なかった。

 集中力ももちろん必須だが、魔力を込めるのに一番労力を要する。ジャンヌ自身が、魔術を不得意とするのもあって、装填時間はざっと五秒。短く思えるかもしれないが、戦闘時に無防備な数秒を作るのは非常に難しい。

 特に、海神のように荒れ狂う敵が相手の場合、不規則な動きは予知することも出来ない。隙を窺うのは無理だろう。

 

 ならば、作るしかない。


 落雷を回避しながら、ジャンヌは考える。海神の動きを止める方法は、現在では一つ。攻撃を浴びせること。それでも、三秒程度しか時間は作れない。残りの二秒を如何に捻り出すか。そこが問題だった。


 更に、闇雲に思える雷も回避しなければならない。風や雨はまだ良いが、雷の魔術だけは必須だ。魔力充填中に、受ければ気が逸れてしまう。やっかいなことに、それらは海神が再生中でも自動で発動する。


 風の結果によって、眼前で避けていく雨の奥。自意識を持たなくなった水の精霊を睨みながらジャンヌはとにかく思考を練る。

 雷の回避方法。光ると同時に、すぐ落ちてくるのだ。動き回らねば、直撃してしまうだろう。強固な盾を持っているわけでもない。風魔軽鎧(ヴァルハラ)を最大限に発動すれば、防ぐことはできるだろう。しかし、そうしてしまうと今度は剣に魔力を込められない。


 どうする……。


 「………………そうか」


 ふと、考えに光が射す。風や雨まで一緒くたに考えるから、思考がこんがらがるのだ。雷は、一点。空から降ってくるだけなのだ。だったら、簡単じゃないか。

 デュランダルを信じれば、いける!


 「たぁあああ!!」


 作戦を思いついたジャンヌは、光の刃を乱射する。それが、海神の身体に到達する直前に、思い切り真上に跳躍した。

 鈍色の空が、一瞬だけ純白の光を放つ。落雷が来る、一瞬の予備反応だ。ジャンヌを狙って落ちてくるのだろう。

 だから、ジャンヌは腕を振り上げた。聖印の刻まれていない、右手には何もない。左手も同じだ。

 本来あるべきその剣は、中空を舞っていた。落雷と同時に放たれたそれは、ジャンヌの頭上部にて回転しながら電撃を受け止める。

 雷は防げた。攻撃も放って海神の動きも止めた。しかし、ジャンヌは空手。これでは、勝利の聖閃光オラクル・ヴィクトリアを放つことは出来ない。


 「デュランダル!」


 ジャンヌが叫ぶ。天下無双の聖剣の名を。雷を肩代わりした武器は、呼びかけに応えると光の速度で、自らが選んだ持ち主の手中に納まる。

 海神が遂に再生を始めた。しかし、既にジャンヌも魔力供給を開始している。その差は、いったい何秒か。

 軟体動物のように、ぐにぐにと蠢きながら傷口がふさがっていく。今までと同じように、海神は全快していた。


 目の前に飛んでいる乙女は、その姿を見て笑った。

 高く掲げられた、両手で握る刃は天まで届いている。次に雷が落ちてくるより早く、彼女は必殺の斬撃を、気合を込めて叫んだ。


 「勝利の聖閃光オラクル・ヴィクトリアァアアアア!!!」


 空中で、大地を踏み込む代わりに風の床を使っての、隙だらけなほど豪快な振り下ろしだった。

 曇天が裂ける。海が割れる。底まで見えてしまうのではないかと思うほど抉れた海面の正面には、海神が居た。

 切り裂かれた隙間から、ジャンヌは海を見る。数秒、事態を理解できなかったかのように割れていた水面が、轟音を立てながらぶつかり合うように元に戻る。波同士が、更に大きな水しぶきを上げていた。


 しかし、同じような動きをしていた海神は動かない。液状化するより早く、瞬きよりも刹那に、両断された肉体は、もう再生できなかった。

 停止した水の精霊は、片方ずつゆっくりと、溶けていくように落下していく。再び、海面を揺らして着水すると、海は静けさを取り戻していた。


 空は徐々に晴れていき、風も涼やかに。雷など微塵も感じさせない、青空を確認すると、勇者は大きく拳を振り上げて喜ぶ。


 勇者ジャンヌ・ド・アークは、見事、単身で海の神を討伐したのだ。


 遠くに見える島で、その勇姿を見届けた幼馴染のジルも、嬉しそうに笑う。伊織は、泣きながらジルに抱きついていた。その後目覚めた伊綱が、起きたことを理解するのに時間を要したのは言うまでもない。


 被害は大きくとも、敵は魔族ではなくとも。それでも、勇者はまた、平和を勝ち取ってくれたのだ。

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