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勇者物語、その後に  作者: 背水 陣
第二章 水の精霊 編
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第十四話 ~そうであったら~

 「はい! はいっ!! そうです、渦流伊織でございます!!!」


 震える足で、震える声で。伊織は声に答えた。一瞬、安堵してしまい意識を失いかける。だが、それは今この時ではない。頭を振るい、言葉を続ける。


 「お願いです、海神様! どうか怒りを鎮めてください!!」


 ふと、ジルは遠くの空を見た。白い光を帯びている、龍神は動き止めてこちらを見ていた。ゆらゆらと身体をくねらせながら、長い髭を揺らめかせている。


 《……何故だ?》

 「え?」


 間を置いて、海神は答える。突然の質問に、伊織は戸惑いを露わにした。繋ぐように、声が響いてくる。


 《我を信じぬ者どもに、存在する価値などない。一方的に、ただただ欲のみを求める下衆に、恵みを与える必要などなかろう》

 「それは……」

 《そもそも、信仰を広めなかったお主たちも許せぬ。だから、滅ぼすと決めたのだ。必要ないなら、なくて良い》

 「ダメです! それだけはいけません!! それでは、海神様を災厄の神様にしてしまいます!!!」


 憎しみの込められた、海神の言葉。けれども、伊織はそれでも海神を信じていた。こんな大災害を起こしても、それでも。


 《……伊織、では、お主は我をどう思っておる?》

 「……わたしの、わたしたちの大切な守り神様です。いつだって、海神様が居たから、わたしは今まで健やかに過ごすことが出来たのです」


 いつの間にか雨脚は弱まっていた。伊織も叫ばなくたって、声が届いてるように思えた。


 《それは過言だ。我が結んだのは、恵みをもたらすことと、ミズホの国に守護結界を張ることだけだ。一人一人の生活まで、保障していたつもりはない》

 「いいえ。そんなことはないです。それだけで、わたしたちは豊かだったのです。……ですから!」


 伊織は遠方に見える、自分の唯一信じているものへ力強く言った。


 「お願いです、海神様。……わたしだけでは、ダメでしょうか? 力も小さく、心も弱い子どもですけど……それでも、わたしは最後まで、いつだって! あなた様を信じております。それでは、いけないのでしょうか!?」


 しばし、静寂が訪れた。緩やかになった風の音、波のせせらぎが一帯を支配する。


 《……そうだな。それでいい》


 豊穣神は、まるで笑っているかのように、優しい声で答えた。

 

 《たが……それが、お主だけではなく……国の人間……すべてが……そうで……あったなら……良かったのに……な》


 突然、途切れ途切れの音になった。ノイズが混じるように、まるで何かに邪魔をされているかのように。


 「海神様!?」

 《すまんなぁ……それでも……もう……我は我を止められぬのだよ……》


 たった一人の、小さな少女の叫びと想いだけでは、もうどうにもならない。今の海神自身を形成しているのは、紛れもなく国民の、悪しき感情なのだから。

 止められる方法は、もう存在しない。


 《我を滅することが出来れば……。いや……それはきっと……叶わぬことよの……》

 「そんな……」

 《願わくば……無事に逃げ延びてくれ……渦流の巫女よ。またどこかで会えれば……我も嬉しいぞ!》

 「海神様ぁッ!」

 「危ない!!」


 伊織は叫びながら、波打ち際で一歩進んでいた。そこを、ジャンヌが後ろから抱え込むようにして、後方へ飛ぶ。

 突如巻き起こった風と波が、伊織を浚おうとしていたのだ。


 「ジャンヌ様! 離してください!」

 「……離したらどうするの」


 暴れる伊織へ、ジャンヌは静かに言う。髪も衣服も乱れきった伊織は、手足をじたばたさせて抗議していた。


 「海神様と、もう一度お話をするのです! それしかありません!!」

 「あの姿を見ても、まだそんなことを言うの?」


 風も雨も雷も、全てが先ほどまでの穏やかさを捨てていた。少し前の、荒れ狂う天候へ戻ってしまったのだ。

 言葉も、既に通じない。叫んでみようと、何をしようと、海神は返事をしてくれなくなっていた。

 既に、理性はないのだろう。先ほど会話が出来たのだけでも、きっと奇跡に違いない。


 「それでも、わたしは……!」

 「こんな暴風雨の中で海に近づいたら、伊織ちゃん、死んじゃうわよ」

 「構いません! それで、海神様が何かを感じ取ってくだされば!」


 確かに、唯一心を許してくれた伊織が死ねば、何かしら起こるかもしれない。自分の過ちに気づくかもしれない。

 けど、それはあり得ないだろう。海神の話し方から察するに、もう二度と元には戻れないのだ。

 きっとそれは、伊織が命を賭したとしても。


 「伊織ちゃん、良く聞いて」


 ジャンヌは怒鳴るのではなく、優しく伊織を抱きしめながら言った。


 「どれだけ立派なことをしてもね、死んでしまったらおしまいなの。もし本人はそれで満足してもね、残された人は……悲しいのよ。その人と、親密であれば、あるほどにね」


 話しながら、ジャンヌが脳裏に浮かべていたのは、ライルであった。

 彼は、それが必要だと信じて魔王に挑み、そして散った。


 素晴らしい功績だった。

 けれど、大切な仲間を失ったジルとジャンヌは、深い深い悲しみを負ったのだ。


 「格好悪くても、卑しくても良いの。それでも、あたしは大切な人だからこそ、生きてほしいと思ってる。海神様だって、同じことを思ってるんじゃないかしら」

 「…………」

 「良いのよ。あなたは、力は弱いかもしれないけど、心は強かった。恥じることはないわ。きっと誰も責めやしないから。胸を張りなさい」

 「……うぅ……ジャンヌ様……!」


 堰を切ったかのように、伊織は泣き始めた。震えていた足腰は、既に力を無くしている。ゆっくりと抱き直し、ジャンヌはジルの所へ飛んだ。


 「伊織ちゃんをお願いね」


 ジルへ伊織を受け渡すと、ジャンヌはくるりと二人に背を向けた。その視線は、海の方へと向いている。


 「ジャンヌ、まさかキミは……!?」

 「ええ。海神様だって言ってたでしょ。止めるなら、倒すしかないみたいだし」

 「む、無理です、ジャンヌ様! あの方は、水の精霊様ですよ!? 海の神様なんですよ!?」


 これほどの規模の、魔術を無尽蔵に使用できる者を、倒すと言った。無茶で無謀でしかないように思えるその言葉に、今度は伊織が言及する。

 濡れた髪を後ろで束ねると、ジャンヌは振り返って笑顔で言った。


 「なーに言ってるのよ」


 そして、再び向き直し、右手を空に掲げる。


 「あたしは、魔族の王に喧嘩を売ったのよ。たかが海の神様一匹相手、なんてことないわ!」 


 デュランダルが顕現される。まばゆい光と共に、風魔軽鎧(ヴァルハラ)の結界魔術にブーストがかかる。

 ジャンヌの身体を中心に、まるで円形状になるように風が覆ったのだ。纏わりついていた水が、斥力ですべて消し飛んでいく。


 「行くわよ!」


 砂浜を思い切り蹴り飛ばす。大きなクレーターが出来上がると、ジャンヌは海原へ飛び出していた。

 風の魔術結界のおかげで、彼女は海の上を歩ける。水の方が受け入れを拒否するかのように、しっかりと水面に足を踏み込めるのだ。


 ジャンヌが、風魔軽鎧(ヴァルハラ)とデュランダルを同時装備した場合。

 常時付与される身体強化の加護により、駆ける速度は名のある駿馬すらをも超える。全力で跳躍すれば、小さな山程度ならば一足飛びで越えてしまえるほどなのだ。

 また、長時間は難しいが風魔軽鎧(ヴァルハラ)の効果によって、中空での停止、移動も可能になる。地上よりいささか俊敏性は劣るものの、今回のような天空の相手に対しては重宝される恩恵であった。

 

 ジルは黙って、幼馴染の背を見届けていた。

 しかし、表情は険しく、眉をひそめて歯を食いしばっている。


 あぁ、同じように自分も飛び出せればよかったのに。右腕を感じ取りつつ、彼は動き出す。


 「じ、ジル様!」

 「……これは困ったね……」


 伊織は青ざめた表情で海を見た。ジルは、大雨に紛れて冷や汗を垂らす。

 そこに居た者は、彼らにとっては最悪の災厄であった。


 伊織が何となく知っていたように、海神の防護結界で三角島(デルタアイランド)の頂点で結んだ海域には、魔族は一切出現しなかった。

 しかし、今の暴走状態に陥ってしまった場合。その結界は解除されてしまう。

 もともと、様々な生物が海流によってやってくる資源の豊富なこの海域。魔族が餌を求めるには、格好の場所であったのだ。


 ただ、今までは入れなかっただけ。その扉が開いたと知ると、魔族はこぞって海域に乗り出していたのだ。

 

 二人が見たのは、その海に潜む魔族の群れであった。


 暴れている海神の付近は危険と判断したのか、三角島(デルタアイランド)の中心部には一切よりついていない。ジャンヌが集中して戦える状況というのは好ましいが、そのしわ寄せは間違いなく島の人間たちに来るのだ。

 沿岸部にも関わらず、全長数10mもある大イカの魔族や、鋭い牙を無数に並べた鮫魔族がズラリと海際にやってきていたのだ。

 少し遅れて、魚人型海魔族が陸へ上がってくる。魚のような光をともさぬ黒くて不自然に大きな瞳、頭頂部から腰にかけて伸びるヒレ、口には不揃いな大漁の犬歯をのぞかせている。しかし、シルエットは人型なのだ。海水の滴る指先は、研がれたかのように鈍い輝きを放つ長い爪がある。


 「伊織さん、出来るだけ僕から離れないで」

 「は、はい!」


 恐怖に表情を浮かべながら、伊織はジルの後ろへ隠れる。腰にある戦闘用のナイフを抜き、庇うようにしてジルは対峙した。

 間髪入れず、魚人型海魔族……エビルマーマンと呼ばれる敵はジルに襲い掛かってきた。


 大きく振りかぶった爪が届く前に、ジルは間合いを詰めて腕を切り落とした。エビルマーマンの腕は、細く、いとも簡単に斬れてしまうが、生み出されるパワーは人間の数倍とも言われている。

 緑色の血液を噴出しながら悶えているうちに、追撃を入れる。正確に、首下に刃を突き立てて思い切り、振りきる。豪雨に逆らうように飛び出す血液をまき散らし、一匹のエビルマーマンは絶命した。


 「凄い……」


 伊織は思わず感想を漏らす。魔術師と聞いていたが、ナイフによる武術も手練れであったことに驚いたのだ。

 これは、ジャンヌやライルの指導の下に培われた戦闘技術である。

 もし、魔術を封じられた場合、または使うことの出来ない場合に備えて、彼女らが施してくれた処置である。元々、不得手ということもあり魔術の訓練以上に時間をかけて、いっぱしの戦士に見劣りしない程度には鍛えられたのであった。


 「……けど、数が多すぎる」


 エビルマーマンは、海魔族の中ではそれほど脅威ではない。特に、陸にあがった場合は戦闘力は落ちる。だから、ジルでも討伐できるのだ。

 しかし、海からはぞろぞろと同じような容姿をした個体が出現し始めていた。


 たった一匹、倒しただけでもジルは若干息切れを起こしている。技術はあれど、基礎体力までは屈強な戦士達と比べればかなり劣っているのだ。眼前に見えるだけでも、十数匹。相手に出来るだろうか。

 何より……今ここに居るのは自分だけではない。後方には、気を失ったままの伊綱と……


 「ジル様……」


 ふいに、雨ではためくマントの内側。上着の端を握られる。気を抜かない程度に、一瞬だけジルは後ろを見た。

 不安そうに、けれど自分を信じて恐怖に耐えている伊織の顔が見えた。


 ジルは歯を食いしばり、その隙を狙ってきた半魚人の魔族を迎え撃つ。爪の攻撃を回避し、今度は心臓部にナイフを突き刺した。瞬時に引き抜かれた胸部からは、同じように人間とは全く異なる血液が溢れ、水分を過剰に摂取した砂の上に溜まっていった。


 伊織の表情と、今の状況を見てジルは考えた。

 腕の封印を開放してしまおうと。


 けれど、心に引っかかる言葉が彼を葛藤させる。


 『格好悪くても、卑しくても良いの。それでも、あたしは大切な人だからこそ、生きてほしいと思ってる』


 この腕を開放すれば、活路は見いだせるだろう。

 けれど、自分の死は確実に近づく。下手をすれば、それは一瞬でもあり得ることだ。


 「うっ!」


 悩んでいるうちに、噛みつくように大口を開けて襲ってくるエビルマーマンへ、再びナイフを突き立てた時だった。

 口腔は脳にも直結する弱点部位。狙って攻撃をしたのが仇となった。

 エビルマーマンの、体内で精製されている強烈な酸が死にぎわに放たれてしまい、ジルの唯一の武器であったナイフが溶けてしまったのだ。


 瞬時に引き抜いたものの、わずかな刀身と柄が残されただけであった。これでは、まともに戦えない。


 後ろからやってくる魔族へ、ジルは使えない武器を投げつけた。一瞬だけ怯み、残された刃が眼部を切りつける。しかし、それは致命傷にはならなかった。


 「…………」


 ジルは悩む。

 伊織を逃げるように促し、自分は急いで伊綱を抱えるか。いや、自分の筋力ではどこまで逃げれるだろうか。迅速に、彼を運ぶことが出来るかも保証はない。


 徒手空拳で戦いを継続するか? それも、ジャンヌ達に仕込まれている。多少の時間稼ぎにはなるはずだ。

 しかし、倒すに至るほど自分は筋肉を持ち合わせていない。更に、今は一対一の状況でもない。伊織を背中に、伊綱を守りながら戦うなど不可能だ。


 「…………ごめん、ジャンヌ」


 悩んだ時間は一秒に満たない程度だろう。それでも、まるで何時間もかけて考えたかのような結論をジルは導き出した。


 「僕は、現在(いま)を切り開くために……未来を消費する!」


 引き抜かれた、刃のない短剣――――ソロモンの鍵は、正確にジルの右腕に矯められた零式帯状封印装具を両断した。


 同じ海を拠点にしつつ、言葉も通じない。容姿も千差万別。思考形態も全く異なる。

 ただ快楽を求めるため海を荒らし、人を襲う。

 更には、陸上にすら揚がり始め、拠点を広げるよう進化も可能とする。

 そんな、バラバラな海魔族たちが、その瞬間。


 初めて一つになったかのよう、身体を震わせ、戦慄した。


 「時間がない。一瞬で終わらせるよ」


 苦悩ではなく、こんどは苦痛に顔を歪めながらも、力強い瞳でジルは魔族を睨んだ。

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