彼は日常を好む。しかし、日常は彼を好まず。 其の二
この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
朝のホームルームが始まる三十分前。いつも通り二年四組の教室に入ると、そのまま自分の席へと向かった。三十分前といっても僕よりも前に学校へ来ているクラスメイトは結構おり、彼らは思い思いに自習をしていた。とは言っても一部の例外は存在する。
それが彼、三叉栄多だ。
「よお、今日も不景気な顔してんなっ」
栄多は僕の机の上に腰掛けて無粋な挨拶をしてきた。
「誰が不景気な顔だ。これが普通だ、普通。それに朝の挨拶は『おはよう』だ、馬鹿野郎」
「相変わらずの真面目くん路線だな、雨兎は。もっと楽しく生きようぜ?」
「栄多はもっと真面目になるべきだと、僕は常々思っているよ」
本当にこの栄多という男は無節操である。何か流行りのものがあればそっちに行き、飽きれば次の流行りを探しに行くなど、趣味が多岐に渡り過ぎて留まることを知らない。
しかも見た目がいいし、結構身長もあるから女子の受けも良い。合コンとかほぼ毎日やってるとの噂も聞くが、彼の所属している部活が部活なので仕方がないのかもしれない。
合コン部。本来学業を重んじる学校ではありえない部活動なのだが、ここ樂陽高校ではそれが認められている。だがその部活には一つの鉄則がある。
「それで、彼女はまだ出来ないのか?」
僕がそう聞くと、栄多はニヒル(苛つくが似合っている)な笑みを浮かべると肩を竦めた。
「ああ、俺はまだ身を固めるつもりがないんでね。それに彼女が出来てしまうと退部しなきゃなんねえし」
そうなのだ。彼の所属する合コン部は男女の交流を最優先とした部活であり、決して乱痴気騒ぎに生じることを良しとしていない。つまり、節度を以て“楽しく”遊ぶ場なのだ。その中でこの人と決めた異性が現れて付き合うことになった場合、部員は退部を余儀なくされる。理由は簡単で、交際しているのであればもう必要ないでしょ? というもの。
まあ、これも黙っていれば分からないと思う人もいるみたいだが、人の情報網を侮るなかれ。二股や交際前の不純異性交遊が発覚した際には、その人物の社会的地位が失われ、退学処分となる。これは絶対だ。過去にやらかした先輩の名が校内新聞にて、その人物の行動とどのような容姿をしているのかが事細かに公開されたのだから、厳然たる証拠であることに違いはない。
尤もこの処遇に対して不満の声や、退学させられた人間から抗議がなかったかというと、それは否である。もちろんあった。だが、消された。もみ消された。かき消された。
誰に? 分かっているだろ、あの久我原美神にだ。過去に一度、合コン部に所属する部員全員が退部、退学になった際に多数のマスコミが駆けつけ彼女に取材した。そのときに一言だけコメントを漏らした。「因果応報」――と。
美神曰く、この学園にいる間、異性と付き合うのは構わないらしい。しかし、不義は絶対に許さないそうだ。つまり先ほど挙げた、二股だの交際前の不純異性交遊などはその対象となる。その上で言えば、対象者への個人のプライバシー保護というものは一切ない。
彼女自身、本当に付き合いたいと思った同士が付き合うことは大いに推奨しており、もしその先で別れることとなっても貴重な経験として次に活かせ、とも明言している。
だからというのも変だが、その結果として合コン部は正式な部活動として登録されている。誰が厳格たる処罰が待っていると分かっていて無茶、無謀をするのかという話だ。
「僕としてはね、栄多を真人間にしてくれる“いい人”が早く見つかることを祈っているよ」
「うるせえ、そう言うお前も早く彼女でもつくって浮かれやがれ」
しばらく僕らは無言で睨み合っていたが、いつものことなので切り替えも早く互いに肩を竦めるだけに終わった。
僕としては彼のようになりたいとは思わないが、友人の一人として付き合う分には気兼ねなく話せる相手であることに違いない。
その後、しばらく栄多と取り留めもない話をしていると、
「あ、アメはっけーんっ!」
後ろから誰かが抱きついてきた。まだ時期も夏服になる前なのだが、背中から後頭部にかけて肉感溢れる重さが伝わってくる。それも柔らかい二つの塊が首筋から後頭部にかけて。
擬音で表すのなら……………………いや、よそう。
「……重い」
「ひどい、ひどいわアメ! あの時は『お前って軽いな。このままずっとヤれそうだぜ。ぐへへ』って言ってくれたのにっ」
ありのままのことを言っただけなのに、抱きついたまま離れない人物は更に躰を押し付けると、あろうことか嘘八百を声高らかに仰言った。
「あのな、霧――」
「ひどいわ、雨兎! 私というものがありながら、こんな女とだなんてッ」
虚言を訂正するために発した言葉に、気色の悪い声が割り込んだ。
栄多、お前もか。
というか、あからさまに楽しんでいるだろ。お前の今の表情写メに撮ってやろうか。物凄くいい笑顔してるから、きっとお前のファンクラブが高く買い取ってくれることだろう。
「とにかく、早く離れてくれ霧華。それに僕はその様なこと、記憶にございません」
どこかの政治家のような弁明になってしまったが、記憶にないものはないのだ。
姿の見えない相手も満足したのか、あっさりと背中にかかっていた重さが消えた。振り返ると案の定、美少女と言っても過言ではない美少女が立っていた。
「おはよう、霧華。相変わらず朝からテンション高いな」
「もちろんだよ! それが私、久我原霧華なのだから!」
霧華はそういうと、美神に勝るとも劣らないプロポーションを近づける。今度はこっちが前を向いているので、より大変なことに。目線を合わせるためなのか、霧華の躰が前屈みになっていて、その、色々とヤバい。彼女が来ている制服の胸元が開いていて……あ、今日は黒――記憶消去。
「だから近いって。テンション高いって」
「もう、相変わらずアメはガードが固いですなあ。これはアレだよ? 普通の男子高校生なら狼くんになっちゃうシーンだよ?」
「ごめんなさい、僕は今流行りの草食系なんです」
「またまた。羊の皮を被ったジャバウォックなくせに。……ぷっ」
霧華は自分で言ったことがツボだったらしく、一人でお腹を抱えて笑いだした。しかし何故、狼を飛び越して幻想の魔物になってしまうのか分からない。僕ってそんなに飢えているように見えるのか? 横から栄多が「それをいうならジャブジャ、ぶッ」と余計なことを言いそうだったので、とりあえず黙らせておいた。
久我原霧華。僕らのクラスメイトで、姉にこの学園の理事長である久我原美神をもつ。年の差は不明。姉に似てと言うべきか、久我原の血筋がそうなのか非常に美少女である。髪はロングのストレートで明るい茶色。これは別に染めているわけでなく、自毛なのだそうだ。そして頭脳明晰にして、運動神経も抜群の現役女子校生。これで生徒会長という僕たちを束ねる役職にでもついていればテンプレートそのものなのだが、そうではない。
ぶっちゃけてしまえば僕と同じ帰宅部なのだ。その変わり僕とは違って、霧華は暇さえあれば色々な部活の助っ人をやっている。そのため、校内問わずで知り合いも多いし、皆から頼りにされる女子高生である。
前に一度どうして生徒会長に立候補しなかったのかと聞いたところ、霧華は微笑んで「だってそんな面倒な仕事についたら好きなことできないでしょ? 青春は無駄にできないのよ。だから今日の放課後、デートしましょ!」と彼女らしい返答をしてくれた。もちろん、彼女からの提案には丁重にお断りをさせていただきました。
不思議な話だが、僕は何故か霧華に好かれているようだ。理由は不明。一年の頃はお互いに接点がなかったし、顔を見たといってもすれ違った程度。それが二年で同じクラスになってからひと月でこのような状態になっている。意味が分からない。
別に彼女のことは嫌いではないが、なんというか『友達』という枠から外すことができないのだ。そんな僕を見て、軽薄男の代名詞でもある栄多は『ヘタレ』と罵るが、こっちにだって事情があるんだから仕方がないじゃないかと心の中で反論する。
「おーい、ホームルーム始めるよー。みんなー、席についてー」
教室の出入口に、担任の嬉々歌美火ちゃんが立っていた。もうそんな時間かと思って時計を見ると、時間は他の教室がホームルームを行う十分前になっていた。これもいつも通りの時間だ。
担任である美火ちゃんはとにかくゆったりとした性格と言動をしている。そのためか、他人よりも早めに行動を信条としている。それでも他のクラスより遅くにホームルームなどが終わるのはご愛嬌というものだろう。
見た目は女子高生といっても通用するくらいに若々しく、クラスのみんなも親しみから『美火ちゃん』と呼んでいる。僕としては先生に向かって『ちゃん』付というのは若干の抵抗感があったりするのだが、それが普通みたいだしもう慣れてしまった。
ちなみに彼女が着ている服装は大抵が落ち着いた系統の服装が多い。色合いもそうだけど、清潔感があってゆったりした服装を好むようだ。
「これで胸が大きかったらなぁ……」
欲望をそのままにした発言が僕の机の上から聞こえた。
「三叉は分かっていないな。あれはあれで需要があるんだぞ。なあ、アメ?」
「知りません。というか、僕に話を振らないで」
「馬鹿、そこは喰いつくとこだろ。いいか、巨乳というのはだな――」
「痴れ者が、巨乳ばかりに目を奪われては真の乳探求者には――」
「待って! 何その新しい言語!? ソムリエとかけたの!?」
巨乳推奨派である栄多は置いておいても、霧華は女の子なんだからもう少し恥じらってほしい。男のロマンについて熱く語れる女子高生ってどんだけシュールなんだよ。
「? はいはーい、早く席についてー。三叉さんも久我原さんも、早くー」
「「了解しました、美火ちゃん」」
名指しで注意されてまでこのコントを続けるつもりはなかったようで、二人はさっさと自分の席に戻っていった。
栄多がどいて、やっとのこと机が空になったお蔭で見晴らしがよくなった。教室全体からみると僕の席は窓際の最後方にある。つまり一番目立たない、いい位置にある。後ろの空間も広く空いており、妙な圧迫感とも無縁だ。やったね!
……結論から言うと、そう思っていた時が僕にもありました。美火ちゃんの次の言葉を聞くまでは――
「ではー、転校生を紹介しまーす。ほらー、入ってきてー」
虫の知らせというのだろうか、この時の僕は未来予知にも似た諦めを感じていた。さようなら、最後方の席。こんにちは、名も知らない転校生。そこはいい場所だよ。僕が身を以て保証する。
色々と人物紹介で埋まった話になってしまいました。
次からあと一人ほど紹介して色々と登場人物を遊ばせたいと思います。
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