第03話 えっと、わ、私のために死んでください
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グシャ、肉を潰すような音が体の芯を貫いた。
その時の俺には何が起こったかは、全く分からなかった。
確か俺はいつものように学校に行こうとした。
いや、いつもどおりではないか。
その日俺は寝坊した。
普段よりも遅く起きてしまったため、急いで学校に行かなきゃならないと思い朝食を早めに済ませた。
朝食は昨日の夕飯として食べきれなかったシチューをメインにしたものだった。
それを食べ急いで学校に行こうとした矢先のことだった。
未だに脳が追い付かない。今起こった現実を信じられない。
ただ、肉の潰れる感触が体に残っている。
俺は・・・、
俺は・・・、
俺は、玄関を開けてすぐのところに倒れていた女の子を踏みつけてしまったのだった。
足の裏から人間を踏んだ感触が脳のてっぺんまで伝わってくる。
過去形ですらない。
今現在踏んでいる。
こんなところを誰かに見られたら俺の人生は色々と終わってしまう。
言い訳しようもない。
なぜなら、現在進行形で踏んでいるから。
と、ここまで考えたあたりで俺は急いで足をどけた。
勘違いしないでもらいたいのだが、回想から足をどけるまで1秒もかかっていない。
俺には女の子を踏み潰して喜び興奮するような特殊な性癖はないし、この場でそんなドSっぷりに目覚める予定もない。
むしろ踏んでいることに気が付いた瞬間に青ざめたほどだ。
まあ、足から伝わる変な感触と『もぐふぇ』などという断末魔じみたものを聞けば誰だって青ざめるはずだ。
なにはともあれ、声を上げたということは死んではいない・・・はずだ。
さっきは声の感じと髪の長さから勝手に女の子だと判断したが、うつ伏せに倒れ顔がみえないため確実に女の子かどうかの判断は出来ない。
近頃は男の娘っていうのが流行っているらしいからな。
髪型、声、服装でも性別の判断材料にはなりえない。
いや、まてそうしたら何で性別の判断をすればいいんだ?
○んこでも確認しろっていうのか?(○には好きな文字を入れよう♪)
落ち着け俺!
性別なんて確認しなくてもいいじゃないか!?
確認しなければならないのは生きてるか死んでるかだ。
「あのー、生きてますか? まさかとは思いますがお亡くなりにはなっていませんよね?」
「・・・」
肩のあたりをつついて声をかけてみたが返事がないただの屍のようだ。
ヤバい、俺の踏みつけで仕留めてしまったのかもしれない。
こんなことで前科者になるのは嫌だ。
明日の新聞の第一面に『路上生活女子、男子高校生に踏まれて死亡』なんていう文字が躍るのだけは避けなければならない(色々と間違っている)。
こういうときは、どうすればいいんだっけ。
さすがにコレを無視して玄関先に放置しておくのは世間体的によろしくない。
えっと、こういうときは東京湾に沈すればいいんだっけ?
いや、それじゃ完全に犯罪者だ。
とりあえず、息をしているか確認しなければ。
そして、俺は倒れていた推定女の子をうつ伏せから仰向けに裏返した。
その時、俺は初めてこんなに綺麗な女の子を見た。
銀色の長く綺麗な髪、真っ白な透き通るような肌、すっと通った目鼻立ち、ほっそりとした腕と足、そして『もぐふぇ』なんていうカエルの潰れたような声を上げたとは思えない艶やかで綺麗な唇。
少しの間みとれていた俺だが今やらなければならないのは生存戦りゃ…、ゴホン生存確認だ。
仰向けにした彼女(確定:なぜなら胸があった)の顔の前に手をかざす。
・・・、
・・・息してねえ。
マズイ、息が掌に吹き掛けられてこないぞ。
肺の辺りも上下に動いていないし。
こういうときは、心臓マッサージ、いや人工呼吸か?
学校で習った救命講習の内容を全力で思い出す。
確か、気道確保つって頭を後ろ側に倒す感じで、『ゴッ』、・・・あれ盛大に(倒れていた女の子の)頭をぶつけた(ぶつけさせた)気がする。
更にヤバい!
なんかピクピク痙攣しはじめた!
さっきより俺の犯罪レベルが上がった気がする。
このままじゃ、犯罪経験値が上がってジョブチェンジ、そして殺人犯になってしまう可能性も・・・。
それは困る。
で、でも取り敢えず、気道確保はできたはず。
次にすることはなんだっけ?
・
・・
・・・ん~、どう頭を巡らしても答えが人工呼吸しか浮かばない。
ああわかってるさ、次にしなきゃならないことは人工呼吸だってことくらい。
ただ、悪いことは連鎖するっていうし、人工呼吸をしようとした瞬間に女の子が目を醒まして襲われたと勘違い、そして警察沙汰と言うこともあり得そうで怖い。
考え過ぎか?
だ、大丈夫だよな。
人工呼吸はファーストキスには含まれません!
よし、大丈夫だ。
それに命の危機だもんな。寧ろ放置した方が問題だ。
俺は覚悟を決めて女の子の顔に自らの顔を近づける。
顔を近づければ近づけるほど心臓がバクバクする。
だって、睫毛とか超長いし、肌は真っ白できめ細かいし、少し開いている唇が艶かしいし、神秘的な雰囲気はより鮮明に感じられるし、今顔を離したらこの位置まで顔をもってこれないかもしれない。
決意を揺るがしたくない俺は彼女に吹き込むために大きく息を吸う。
神宮寺悠哉一世一代の初人工呼吸だ。
そして俺は、銀髪の美しい少女と唇を重ねた。
一瞬が永遠にも感じられようだった。
ただ、その永遠は驚きによるものだった。
パチッ、その瞬間彼女の目が開いたからだ。
「! !」
時間か止まったかと思える程に真っ白になる思考。
少女も目覚めていかなり口付けされていたことに驚き目を見開いている。
冗談キツいって、キスした状態でどんな言い訳ができるっていうんだ。
これじゃあ、前もって考えていたことの方がましじゃないか。
少なくとも考えていた方はキスする直前で相手が目を覚ますんだから、未遂。
しかし、今の状態は事後。
つまり、アウトだ。
さらに今俺は何をしようとしていたか思い出して欲しい。
それは人工呼吸、つまりいきを吹き込もうとしていたわけだ。
息を吹き込もうとして唇を重ねたのだ。
そこでいきなり相手が目を醒ましたからといって最初に行おうとしていた動作が止まるだろうか。
いや、残念ながら人間の体はそこまで咄嗟の判断が出来ない。
結果として俺は目を醒ました少女に向かってキスした挙げ句口移しで息を吹き込んでしまったのだった。
「むぐぅうぅ」
銀髪少女は、いきなり息を吹き込まれ苦しむようなくぐもった声をあげる。
まあ、口を塞がれているのだからくぐもった声しかあげられないのだが。
いきなりの出来事に頭がついていっていなかった少女も目の前の現実に顔がみるみる真っ赤に染まった。
これはリアル警察沙汰ではないだろうか。
そして、俺は息を少女の口にたっぷり吹き込んでしまったあとに飛び退いた。
少女は顔を真っ赤にしてうつ向いてしまっている。
それを見た俺のすべき事は一つしかなかった。
「す、すいませんでした! でも悪意はなかったんですよ。 あなたの息が止まっていたので人工呼吸をしたんです」
The土下座。
俺は土下座しながら謝罪と言い訳を早口で言った。
土下座して地面を見つめる時間が酷く長く感じられる。
自宅の前で女の子に向かって土下座。
これはこれで世間体的に最悪の光景だった。
少しの間気まずい沈黙が俺と少女の間に流れる。
そして、その沈黙を先に破ったのは、俺にキスをされ気が付いた時には純潔を奪われていた少女だった。
「あ、あの神宮寺悠哉さんですよね? えっと、わ、私のために死んでください」
◆