密会する幼馴染達を見るまでは信じていたのにバカにして裏で悪口を囁き合い浮気をしていたからやめることにした
王都の喧騒から離れた、緑豊かな辺境伯領に暮らす聖女候補のアイレンは幼馴染であり婚約者のキルドと、妹分で病弱な少女クシュリスと共に穏やかな日々を過ごしていると信じていた。
しかし、平穏は底の抜けた器のように脆いものだったと気付くまでは。
キルドは領主の嫡男であり、次代を担う騎士として期待されている青年。彼はいつもクシュリスの部屋から戻ってくると、疲れ切ったような甘やかな表情を浮かべている。
「アイレン悪い。クシュリスの容態が急変して。今日は婚約者としての約束をキャンセルさせてくれないか?」
そんな言葉を何度聞いたことだろう。アイレンはいつも「大丈夫よ、看病してあげて」と微笑んで送り出していた。聖女の加護を持つアイレンにとってクシュリスの病を癒やすことは長年の願いでもあったから。
だが、アイレンがクシュリスの病室へ見舞いに行こうとすると、いつもキルドが立ちはだかった。
「今は無理だ。眠っている。無理に起こすと発作が、ね」
アイレンはクシュリスに差し入れようと薬草を摘み、屋敷の裏庭を通りかかったそこで見てしまった。
「ねえキルド……アイレンがいると、私たちはこうして会えない」
月明かりの下、庭の東屋で密会する二人の姿を。日中「呼吸をするのも苦しい」と寝込んでいるはずのクシュリスが、キルドの首に腕を回して病人とは思えない艶やかで妖艶な微笑を浮かべていた。
「ふふふ。罪悪感はないの? 聖女の加護を独り占めにして疑いもしないあの子への」
キルドは冷笑を浮かべ、クシュリスの腰を抱き寄せる。
「だって退屈なんだ。自分の善意に酔っているだけの、お人好しな女なんてさ」
アイレンの足元で小枝が折れた。二人が振り返るとキルドの顔から血の気が引き、クシュリスはわざとらしく「うっ……!」と胸を押さえて崩れ落ちる。
「アイレン違う! クシュリスが苦しいから支えていただけで」
キルドの必死の言い訳が滑稽で、アイレンは喉の奥から乾いた笑い声を漏らした。手に持っていた薬草を二人の足元に投げ捨てる。
「あなたの言う通りお人好しだった。救いようのない。自分の婚約者が加護をクシュリスの病の偽装のために使っているとも知らずに」
アイレンの周囲に淡い聖光が渦巻いた。聖女の力は持ち主の清らかな心によってのみ維持される。心が怒りと絶望に染まった瞬間、王都から授けられた加護は音を立てて砕け散った。
「……これで終わりキルド。クシュリスの病? 好きにすればいい。偽りの病が、今から本当の災厄に変わるだけだから」
背を向けた背後でキルドの「待てアイレン!」という叫びと、クシュリスのヒステリックな「待って行かないで!」という喚き声が響く。
二度と戻る場所はない。アイレンの瞳には愛ではなく決別のみ。憎くてすぐに引き裂きたい心を抑えるので精一杯。
辺境伯領の空から、慈愛の光が完全に消え失せた。加護はアイレンの無垢な慈しみを糧に、領地の結界を維持していた。しかし、真実を知り、心が怒りで塗り替えられたときには結界は紙屑のように消滅。
キルドとクシュリスは呆然と空を見上げる。それまでの柔らかな陽光は影を潜め、どんよりとした瘴気が領地の外縁からじわりと浸食を始めた。侵した罪の重さのように。
「何をしたんだアイレン!?け、結界が消えた!」
キルドは怒鳴るがアイレンは振り返らない。
一方で、クシュリスの様子がおかしいことにキルドは気づく。これまで病弱 を演じるために、クシュリスはアイレンからこっそりと癒やしの力が込められた魔石を譲り受けていた。供給源であるアイレンが拒絶した今、クシュリスの身体に異変が起きる。
「あ……ぁ、あ……あが!」
クシュリスの肌に黒い血管のような紋様が浮かび上がる。
「な、なんだそれは!」
病などではなく健康な身体とキルドの愛を手に入れるために契約した、禁忌の代償。嘘は芝居ではなかった。嘘をつき通すために自身の寿命を魔族に売っていたのだ。
聖女の加護が消えたことでクシュリスの身体は契約の代償を求め始める。狂ったように掻きむしり、そのたびに皮膚から灰色の煙が立ち上っていく。
「キルド……助けて……!痛い熱い、身体が溶けそう……!」
「な、なんだこれは!医者だ!誰か医者を呼べ!」
キルドは必死に抱きしめようとしたが、クシュリスの身体に触れた彼の指先も黒く変色していく。加護のない領地には、アイレンの力で抑えられていた瘴気が容赦なく流れ込み、クシュリスの病を本物の死へと急速に引きずり込む。
アイレンはすでに遠く離れた場所から惨状を見下ろしていた。瞳に暖かさなど欠片も残っていない。フッと笑う。
「病は誰にも癒やせないっていうのに」
アイレンは呟く。加護を失った領地では作物が枯れ、魔物が群れを成して押し寄せている。人間たちはやがて衰退していくだろう。
キルドは看病のために騎士団の指揮を放棄し、クシュリスもまた歪んだ執着ゆえにキルドの命を吸い取りながら、見る影もなく衰えていく。
愛し合っていると信じていた二人を繋いでいたのは、純粋な愛ではなくアイレンという存在への寄生と互いへの依存という脆い鎖。
二度と振り返ることはない。聖女の務めから解放された一人の人間として領地の終わりを静かに見届けることが今すること。
最後に見るのは自分たちが足蹴にした聖女の慈悲が、いかに領地を支えていたのかという残酷なまでの真実が残った。
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