命の恩人、見つけた!
「わたし、みんなは助けられない。ごめんなさい……」
まさか麻由に対して助けられないと謝罪しているのだろうか。その少女に確認すべき優先事項はその点に決まった。
「え? それってどういうこと?」
麻由の質問には答えず、その少女は小さい身体からは想像出来ない強い力でしゃがんだ麻由の手を引いて立たせると、無言のままその手を引っ張り部屋のドアへ向かった。
その子がドアを開けると、外の通路にはかなりの水量が流れ込んでいて、まるで川のようになっていた。
その通路をまるで全く水の抵抗が無いかのように、麻由を引っ張ってずんずん先へ歩いていく紅い瞳の少女。
「ねぇ、なんで泣いてるの? どうして謝るの? 水は怖く無いの?」
どうやら自分を助けてくれる気らしいと分かって、麻由は他の疑問点を矢継ぎ早に少女にぶつけてみた。しかし何を聞いても少女は相変わらず無言で通路をただただ進んで行く。
さらに周りが傾き、水量は二人の胸のあたりまできている。
少女は急に振り返って、紅い瞳で麻由を見つめる。
「いーっぱい息吸って鼻と口から水が入らないようにしてて」
その子が言いながら実演してくれたとおり、麻由は大きく深呼吸して空いている左手で鼻を摘んだ。
通路が続く先は水で一杯になり、真っ暗で行く手に何があるのか全然見えなくなっている。
暗闇の世界に吸い込まれそうで凄く怖かったが、その子は全く躊躇なく麻由の手を引いてその先に進んでいく。
恐怖と水の冷たさでしばらく気を失っていたのだろう。次に気づいた時は前後左右上下に見境なく荒れ狂う水の流れの中に麻由はいた。
船の中ではなく海の中にいるのは一瞬でわかったが、麻由の手を強く握っている少女はまるで地面の上にいるかのように普通に海中を歩き、その手を引っ張っていた。
(なんでこの子水の中を普通に歩けるの?)
そんな疑問と共に唐突に息苦しさが麻由を襲って来た。
気が遠くなっていた時間も含めると、息を止めてから結構な時が経っていたから当然だろう。
「もう少しだから」
海の中でその少女の声が聞こえる。
不安を打ち消したいがための幻聴だろうか、それとも……
(まさかずっと私の頭の中で話してたの? こっちの声も聴こえる?)
頭の中で問いかけてみる麻由。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……」
麻由の質問に対する応答なのかどうか、ただタイミングが合ってるだけで、内容は噛み合っていないため、どちらとも判断がつかなかった。
この少女にはさっきから聞きたいことだらけだが、今はもうただただ息が苦しくて、空いてる手と両足をバタバタさせ、苦しみに堪えるだけでやっとの状態に陥っていた。
その時、頭上の方から人の声が聞こえて来た。
「そこの海面に今度は女の子が浮いてるぞ。こっちに流されてる」
「あっちだ、早く向かえ!」
「さっきから子供が次々と何人もこのボートに向かって流れてくるけど一体何が起きてるんだ?」
「おい! さっき助け上げた頭から出血してる男の子の意識がないんだ。早くドクターヘリを呼んでくれ!」
ここまでの話を聞いている友梨奈の反応を見ると、全般的に無反応でそこからは何もわからなかった。だが逆にこの話の内容は友梨奈にとって特別ではなく驚きもないものだから無反応であるとも言える。
「あの時、その子が救助船まで手を引っ張ってくれたお陰で私助かったんです。その手の温かさと力強さの安心感からか、私『この子は何で海の中で普通に歩けるんだろう』、『何で助けてくれてるのにずっと泣いて謝ってるんだろう』って妙に冷静に考えてました」
「着いた救助船の上で御礼を言おうと周りを探したんですけど、もう姿が見えなくなっちゃってて。今までずっと後悔してたんです」
「しかし随分と荒唐無稽な話ね。今まで誰かに話したの? 信じてもらえた?」
俯いて首を左右に振る麻由。
両親には自分が助かった経緯を力説したけれど、低い水温と酸欠状態の中で夢か幻覚を見たのだろうという医者の説明に納得して、まともに取り合ってくれなかった。
それでもずっと諦めずに探し続けて、麻由のあまりの粘り強さに両親もとうとう折れて協力してくれるようになったのだった。
「で、その時の女の子が梨奈だと思って今日確認しに来たのね。どうしてそう思ったの?」
「たまたま彼女を学校の廊下で見かけた時に顔にちょっと当時の面影があるなって思って、いろいろその子のことを調べてみたんです。集まってきたのは『瞳が吸血鬼みたいに紅く染まってた』とか『霊が見える子』とか『誰もいないところでなにかに話しかけたり、エアー綱引きとかエアー握手をしてるとこを見た』とか、どれもほんとかどうかわからない噂レベルの情報だったんですけど、その噂のイメージがあの時の女の子のイメージとわたしの中でなんか重なったんです」
「なるぅ……。しかしそんな色々噂になっちゃってるとは……。本人は普段から地味に『普通』に生きたいって言ってるくせに。まったく何やってんだか……。まぁ、あかねちゃんに巻き込まれたり、わたしもたまに使ったりしちゃってるけども……」
大きなため息をつく碧。
この時今までずっと麻由の話に無反応だった友梨奈に反応があった。とはいえ表情からは何も読み取れないので直球で聞いてみる。
「何か思い出した?」
「ううん、何も。ただ麻由がそんなに色々変な噂を聞いてたんだっていうのが、ちょっと……。しかも転校してきて大して日にち経ってないのに……」
「あ、それは違うの。あの時は初対面から変な子だと思われたくなくて、たまたま学校で会ったのがキッカケみたいに言ったけど、本当は長い間ずっとそういう情報をあちこちから沢山集めてて、一番可能性が高かったから今の中学に転校して来たんだよ」
「え?!」
変な噂が転校生まですぐに流れるほど校内で行き渡っている、って友梨奈に誤解されると良くないと思い、つい本当の転校の経緯を言ってしまった麻由。
これはこれで友梨奈にとって重いかもしれないが、なり行き上しょうがない。これ以上その話題が続かないようにあの日の回想に戻ろう。
「やっぱり! わたしを助けてくれたのは友梨奈さんで間違いないんですよね?」
碧の応答に興奮して前のめりに近づく麻由。
しばらく無言で至近距離にある麻由の顔を見つめる碧。
「まぁ、あなたには下手に誤魔化してもしょうがないか……。直接体験しちゃってるし、かなり下調べしてからここに来たみたいだし……」
その言葉を聞いて、身体の力が抜けたように正座から床にぺたんと座り込む麻由。初めて訪ねた家で行儀が悪いのだが、麻由は本当に力が抜けて、所謂腰が抜けたような状態だったから勘弁して欲しいと思った。
「良かった。あの時ちゃんと御礼が言えなかったのがずっとずっとずっと気になってて……。あ、でも本人に記憶ないから感謝がちゃんと伝わらないのは変わらないか……」
「でもいいんです。命の恩人が誰かわかって、命を救ってくれた御礼が言えれば今はそれだけで。友梨奈さんに助けてもらわなかったら、あの時わたしはこの世からいなくなっていたから」
そう、今本人が覚えてるかどうかなんてどうでもいいことだ。あの日麻由が善意で助けてもらった事実は何も変わらない。ちゃんと御礼を言った後に本人が望むことであの時の恩を返していこう。




