みっしょん・いんぽっしぶる
しばらく友梨奈が無言になったと思ったら力尽きて寝てしまったようだ。
麻由は念の為確認すると小さく胸が上下して微かな呼吸音がする。
もう大分友梨奈の家に近いから幸い運ぶ残り距離は短い。
ただ難点は友梨奈の部屋は家の二階にあることだ……。
担いで階段を登る作業を頭に浮かべてゲンナリする麻由。
(まぁでっかい借りがあるから頑張りますけど。今後も力尽きた梨奈を運ぶ機会がありそうだから、なんか楽で安全な方法考えなきゃ)
古い趣のある家が前方に見えて来て、思わず安堵のため息がでた。
自分の体力のこともあるが、一番はやっぱり碧に早く友梨奈の状態を診てもらって安心したい。
友梨奈を載せたまま自転車を家の前に止め、何とか彼女を背中におぶって玄関の呼び鈴を押した。
「あぁ、麻由ちゃん。悪いけど入って梨奈を部屋のベッドまで運んでもらえる?」
インターフォンから碧の声。
(流石だわ。やっぱ全てお見通しなのね)
麻由が説明する前に今まで起こったことを全て把握しているような端的な指示。
碧の凄さは体験済みだったが今回は鳥肌ものだ。
声に慌てた様子は一切無いところから友梨奈のことは心配無いらしい。
あとは最後のひと頑張りで階段を登るか。
「麻由……羂索……隠さないと……瞑想の間……」
寝言みたいな友梨奈の呟きが背中から聴こえる。
(ん? 『羂索』? それってあかねちゃんが勝手に持ち出したのを梨奈が引き受けたんだっけ?)
で、どうやら友梨奈からの文字通りノールックパスが麻由に来たらしい。
(いやいや片付け場所わかんないし。どうすんのこれ? そういえば『瞑想の間』って梨奈が前になんか言ってたような……)
『……麻由は入ったことないから知らないだろうけど、実は瞑想の間って玄関から一番離れた家の奥にあって……』
(あーー、思い出した。生き霊君の話の時か)
かなりざっくりだけどなんとなく場所はわかった。けど、あの碧の目を盗んでこっそり返せる未来は麻由には全く想像できない。
(これってト◯•クルーズも真っ青のミッションインポッシブルじゃないの、絶対。まぁ、でもあの二人のためだし、凡人のわたしがどこまでやれるか、やるだけやってみるか……)
友梨奈が左手でぎゅっと握っている羂索と言われてる投げ縄状のもの、その持ち手から友梨奈の指を一本ずつ開いて引き離した。
投げ縄とはいうが縄の部分は鈍い光を放っていて一見して素材はよくわからない。
藁ではなくなにかの金属を編んだようにも見えるがその割には重さが軽く感じる。
そういえばお寺の仏像とか観音像は沢山の持物を持ってることがあるが、ひょっとするとこれ以外に実用性がある持物が部屋に置いてあったりするかもしれない。
完全受け身な頼まれごとから、ちょっと個人的な興味が湧いてきた。
色んな持物に合った能力があるとすると、今後麻由が知らない能力で友梨奈が人を助けたり出来るようになったりするのかもしれない。
(うわー、なんかその部屋って捉え方によっては意外と宝の山なんじゃない?)
友梨奈の将来の成長を先にチラ見するような予告編の材料がそこには色々あったり。彼女は自分の能力についてほとんど関心が無い、というか存在自体を否定しているため、自分からは全然話してくれないし、知識もあまり無いようだ。これは考えようによっては千載一遇のチャンスかもしれない。
麻由は大きく深呼吸して気を落ち着かせた後、部屋のドアを慎重に開けて廊下へと出ていく。
「麻由……瞑想の間には結界……絶対……一人で入らないで……」
友梨奈の寝言は麻由には届いていなかった。
抜き足、差し足、忍び足で階段を下まで降りて、一階の廊下を左に曲がり、家の奥へと進んでいく麻由。
片足ずつ廊下にそっと着地させ、相当慎重にじわじわとそれに体重を移しているが、年季が入った家の階段や廊下はそれでも木がギシギシ軋む音が響いて、その度に心臓がバクバクする。
このペースで廊下の端まで行くにはかなり時間と精神力を消耗しそうだ。
ここまで慎重にゆっくり体重をかけても完全に音の発生を抑えられないが、これ以上はどうしようもない。
「そうなのよ。古い家だからあちこちガタが来ちゃってて。いつどこが崩れるのかわからなくてヒヤヒヤするわ」
突然背後から耳元で碧に囁かれ、驚きのあまり心臓が口から外に半分くらい出かかる麻由。
(ちょっと待ってよ。あれだけ足音に集中してたのに、碧さんが背後に来るまで全く気付けないなんて、一体どうなってるの??)
この廊下を物音一つ無しで背後を取るなんて……絶対ありえない。
今までもそうじゃないかと薄々思っていたが、碧は絶対人間じゃない別の生き物だと感じた。
「それ、あの二人に頼まれたんでしょ? 全く……勝手に持ち出して困ったものね」
碧は、麻由の手元の羂索を見て呆れた表情を一瞬浮かべた後、その横をすり抜けて廊下を奥に向かって音もなく進んで行く。まだドキドキが止まらない麻由はぼーーっと碧の動きをただ眺めてしまっていた。
「ほら、麻由ちゃんこっちよ。それの片付け場所教えてあげる」
廊下の奥で振り返って手招きをしながら麻由に声を掛ける碧。
(もうバレちゃってるし、後は碧さんの処分を甘んじて受けるしかないか……。ごめん、梨奈、あかねちゃん。わたし一応やれるだけ頑張ったんだよ。相手が格上過ぎて全く歯が立たなかったけれども……)
廊下の一番奥の左手にある引き戸を開ける碧。
「実はね、この部屋は木花家の人間しか入れないように強力な結界が張ってあて、もし麻由ちゃんが一人で入ろうとしていたら危なかったんだよね。手前で止められて良かったわ。危うく親御さんに顔向け出来ないところだった」
(え、ちょっと待って。梨奈そんな重要なこと一言もわたしに説明してなかったよね。危なかったってどのレベルで危なかったんだろ……)
親御さんに顔向け、などという大袈裟な表現を使うのは明らかに軽症レベルじゃないことは分かる。
けど麻由には怖すぎて危険レベルの詳細を聞く勇気が無い……
「大丈夫、大丈夫。常人だったら一瞬で脳神経が全て焼き切れて心臓止まって逝っちゃうレベルだから。痛さとか苦しさとかは全く感じなかったはずよ」
碧の説明を聞いた瞬間、足がガクガクして下半身にまるで力が入らず、立っていられなくなる麻由。
これこそが俗にいう『腰が抜ける』って体験なのかもしれない。
JCで腰が抜けた体験するってかなり貴重かも、SNSで呟いたらいいねが沢山……と一瞬考えてそれを頭の中で振り払う。
いやいやそんなこと言ってる場合じゃない。
これはきっとリアルな命の危険があったことに向き合うのを脳が拒否して現実逃避してるのだろう。
大きく深呼吸を数回して少し平静を取り戻すと、頬から首元までが生暖かく濡れているのを感じ、さっきから涙が止まらなくなっていたことに初めて気が付いた。麻由にとってそれほどの恐怖だったのだろう。
「わたしが入った時点で結界は一時解除されてるから大丈夫よ。ほら、そんな怖がらないで早く入って」
笑顔で麻由においでおいでをする碧。
麻由にはもはやその笑顔が何かを企んでいる邪悪なものにしか感じられなかった。
逃げ出したいのをグッと堪えてゆっくり一歩を踏み出す。




