きっと聴こえるよ
煙を吸わないようにハンカチでも渡せれば良いのだが、この身体では物質を持ち運び出来ない。着ている制服もただのセルフイメージで、ポケットも見掛けだけで当然何も入ってない。
周りの煙はどんどん濃くなる一方で、それにつれて進む方向への友梨奈の確信は弱まって、前へ進む歩みはゆっくりになっていく。
(火元は別の部屋?別の階? まさかこの部屋?火事の中で逃げるのにあまりに情報が無さ過ぎる……。)
(前みたいにあかねと連絡を取ったら?……)
いや建物の透視が出来なければ、今友梨奈たちがいる階や火元の位置なんてわからないだろう。
あかねが透視力を持ってるなんて話は聞いたことが無い。
(もう! 助けに来たっていうのに、何やってんの、わたし。早くどうするか決めないと)
繋いだ手を見ると小さい手の指先が友梨奈の手の甲に少し食い込むぐらい強く握り返してきている。
(この子の手を一旦離して、自分だけであちこち探りに行って逃げ道を見つけたら? ……無理か、この煙の中で手を離して移動しちゃったら、もうこの子を二度と見つけられないかもしれない……)
そうなったら絶望的だ。そもそも助けを求める手を媒介にしてここに来ているため、その手を離したら実体の方の身体に戻ってしまう可能性だってある。
どれぐらい手を離していられるか、はこれまで実験したことが無く未知の領域だ。
覚悟を決めてさらに数歩進むと、ようやく廊下の終わりを示すドアがあるのが煙の合間から見えた。その先には希望があるかどうかまだわからない……。
その時右手の感触がさっきまでと違うことに気付き、慌てて繋いだ手の先を見る。
指の圧力を感じないと思ったら、男の子はぐったりして動かなくなっている。
煙を沢山吸ってしまったのかもしれない……。手に温かみはあるから命の危険はまだ無いと信じたい。
(こんな時私にもっと他の六神通の能力があれば、なんとか出来たかもしれないのに……)
普段は能力なんか要らないといつも主張している友梨奈だったが、この場では人を助けたい一心で矛盾に満ちたことを望んでしまっていた。
「マ、ママ……ママ……」
うなされるようにか細い声で繰り返し母親を呼ぶ男の子。
「……本当にゴメン、私に力が無くて」
友梨奈の身体は右腕を後ろに回し、中腰になってその場でゆっくり前に進むような動きをしている。
そういえば、あの日公園で友梨奈に説明してもらったことを麻由は思い出した。
霊体で動いたとおりに本体の方も連動して動いてしまうことがあるらしい。そのせいでエアー綱引きをしてた、という目撃談も出ている。
僧侶風の男が怪訝そうな顔で友梨奈の姿と動きを見つめている。
「こ、これはね、霊体側で動いてる動作に合わせて、リアルな身体も同じ動きで反応しちゃうわけで、頭がおかしくなっちゃったとかじゃないのよ」
焦った表情で身振り手振りな感じで説明するあかね。まぁ頭がおかしいっていうと言い過ぎで墓穴を掘ってる感はあるけれど。
そうで無くても友梨奈の動きはこの年寄りにとっては凄く都合が良い材料だろう。
予想通り、ニヤリとほくそ笑む僧侶風の男。
「どう見ても悪霊に取り憑かれた人間の動きだがな」
この男に限らず、人間のちっぽけな脳は、不可思議な事象に対して自分の都合が良い解釈を無理やり当てはめて安心したがるものだ。
その発言を聞いて、あかねは老人をキッと睨んだ後にぼそっとつぶやいた。
「くそじじい……」
その一言を聞いて麻由は、あかねに向かってその男には見えないように親指を立てる。
突き当たりのドアを開けると、煙で全体は見えないが広い空間が広がっている感じで、恐らくリビングだ。だとするときっと窓があってその外はバルコニーになってるに違いない。
もうそれは希望的観測を超えた祈りのようなものだった。
その時ガシャン、とガラスが割れる音が近くで響いた。
続いて複数の人が入って来たようなドタドタと言う足音が聞こえる。
「おーーい! 誰か部屋に残っていないか?」
煙が足音がした方向へサーーっと音をたてるように流れていく。
男の子の手を必死に引っ張って音がした方に全力で走る。つもりだったのだが、屈んだ状態から急に駆け出したため足がもつれて左右に大きくよろめいて、結果勢いをつけた感じで消防士の人の腕の中に男の子と一緒に友梨奈もろともで飛び込んだ。
友梨奈の姿が見えない状態ではそれがどう映ってたのか分からないが、受け止めた人と隣に立ってる人の両方の消防士がしばらく固まっていたから、きっとかなり不自然な動きにはなっていたのだろう。
すぐに我に帰り、声を張り上げる男の子を受け止めた方の消防士。
「リビングで幼児一名確保。早く酸素吸入と救急搬送を!」
その声を聞いて安心した友梨奈は意識が遠くなる中で男の子の声を微かに聞いた。
「お姉ちゃん、ありがとう……お姉ちゃん……。ねぇ、ママの声もお姉ちゃんの声みたいに聴こえるようになるかな?」
きっといつか聴こえるよ、と友梨奈は言いたかったが、男の子の手を完全に離したことで意識が遮断されてしまった。
突然あかねが友梨奈の身体の方にすたすたと近づいて行く。
そのタイミングにちょうど合わせたように友梨奈の瞳に生気が戻り、彼女はその場にぺたりとしゃがみこむ。
その様子を見て少しほっとしているように見える僧侶風の老人。
(うーーん、これはきっと私の気のせいだ。そんな優しい心を持ってるようには全く見えなかったし)
「なんと。悪霊に取り憑かれてあの世に行った後で無事に戻って来れたのか。運が良いことだ」
「あのね! 確かにちょっとあの世が見えかけたけども……。あ、わたしじゃなくてあの子が、ね。本当……助けられて良かった……」
ため息をつくように小さく息を吐き出して脱力して俯く友梨奈。
(そっか、今回もちゃんと助けられたんだね。さすが私の梨奈)
表情が乏しい、というかほとんど表情が無い友梨奈の顔が麻由には心なしか嬉しそうに見えた。
能力を使うと相当精神が疲れるとは聞いていたが、しゃがみ込んだ友梨奈はちょっとうとうとし出している。
「さすが梨奈ねーちゃん。今度もちゃんと助けられたね。あの子すごく喜んでたよ」
明るくはしゃぐあかねを目線だけで睨む友梨奈。
「もう! 簡単そうに行ってくれるけど毎回ギリなんだからね。そもそも火事だって分かってたんならもっと早めに情報よこしなさいよ」
「あと! あんたが来るたびに、あんたのママに、『娘を連れ出すな』っていつも私が怒られてるんだから。今回で最後、もうこういうのでわたしのとこに来ないでよ!」
ノロノロと起き上がり、足元をふらふらよろつかせながらその場から離れていく友梨奈。
毎回今度が最後と言いながら、あかねが来ると手伝ってしまう友梨奈なのだが。
くちびるを突き出した不満げな顔で後を追いかけるあかね。
「ねぇ、梨奈ねーちゃん、こっそりやってればママなんかにはバレないからさー。また一緒に人助けしよ、ねぇってば」
(ママなんか、か。あかねちゃんも言い方!)
意図的じゃないだろうが、発する言葉がキツいのは友梨奈とあかね、従姉妹同士でなんか似てる。
友梨奈の場合は家に怖い教育係がいるから、言葉を間違えるとすぐに厳しい指導を受けることになるのだけれど。




