第6話
そして、物語は冒頭に戻る。
ミハロが操縦桿を握り、エレノアが指揮を執る全翼型爆撃機は、広い海を越え、連合国本土に迫りつつあった。
機体は全て正常。
進路のズレも、誤差の範囲に収まっている。
管制塔との最後の無線連絡を終えたミハロは、ステルス性能を最大限高めるため、無線の送信機を停止した。
やがて、水平線の向こうに、広大な陸地が見えてくる。
陸地は海と空の境界線に、黒の線として現れた。
沿岸には人が少ないらしく、ほとんどが自然のままとなっていたが、目を凝らせば、小さな家々が海岸沿いに並んでいるのが分かった。どうやら漁村があるらしい。
海岸沿いの漁村の奥には小高い丘があり、低空飛行しているミハロの爆撃機から、その向こうを見ることはできない。
だが、その先に連合国の重要な工業地帯が広がっていることは間違いなかった。
離陸から一時間半。
彼らは、ついに目的地へと到達した。
全翼型爆撃機は、上空を驚いた様子で見上げる連合国民たちの頭上を駆け抜け、小高い丘を越えて、煙突の立ち並ぶ工業地帯の上空へと侵入する。
いくらレーダーに映らないとは言っても、工業地帯の上空を低空飛行すれば、工場の労働者や警官、現地に駐屯する軍部隊から、目視で発見される。
だが、彼らに最新鋭の爆撃機をどうこうする能力はない。
申し訳程度に設置された対空砲が散発的な射撃を行うものの、時速900kmの高速で飛行する全翼型爆撃機にはかすりもしなかった。
あとは、迎撃戦闘機が上がってくる前に爆弾を投下するだけだ。
ミハロは操縦パネルのスイッチを操作する。
爆弾倉のハッチが、大きく開いた。
中には大量の焼夷弾がぶら下がっている。
ミハロは眼下に広がる工場地帯を見た。
多くの作業員たちが、空を見上げながら防空壕へと駆け込んでいく。ジェットエンジンの奏でる轟音が、煙を切り裂いている。空襲を避けようとしてか、線路上で貨物列車が停車する。
巨大な工場と、その合間を埋めるように立ち並ぶ小さな工場や飲食店で構成される工業地帯は、燃料やら塗料やら木材やら、大量の可燃物が置かれている。よく燃えるだろう。
ミハロに、民間人を殺した経験はない。
急降下爆撃機の攻撃対象は、常に軍人だ。
「悪く思うなよ」
ミハロは、何の感慨も無く爆弾を投下した。
焼夷弾は空中で数百個の子弾に分裂し、工業地帯へと降り注ぐ。
絶叫のような爆発音が鳴り響き、地上のあちこちで火の手が上がる。
ミハロが戦果を確認しようとした次の瞬間、全翼型爆撃機のすぐ上空を、連合国空軍の戦闘機が駆け抜けた。
どうやら、スクランブル発進してきた機が到着したらしい。
五機ほどのレシプロ戦闘機が、漆黒の全翼型爆撃機へと襲いかかる。
被弾したのか、コックピットが大きく揺れた。
「大丈夫なのか?」
エレノアは、ミハロにそう聞く。
「当然です」
ミハロはそう返事をすると、エンジンの出力を最大まで上げて、上昇を開始した。
迎撃機は、鈍足ながらもそれに追随して高度を上げる。
ほぼ垂直に近い上昇に、整備士たちは工具を腰袋に押し込んで、コックピット後部の壁に並べられている座席に座った。
「壁に全身を叩きつけられたく無い人はシートベルトを締めてください」
ミハロは、自身のシートベルトを締めながらそう指示を出す。
整備士たちはすでにシートベルトを締めていた。エレノアは、男性の体を想定して作られているせいで胸元と腰がきついシートベルトを何とか締める。
全翼型爆撃機は雲の中に突入し、迎撃機はそれを追って雲の中へと飛び込んでいく。
高度はすぐに一万メートルを超えた。機内の酸素が、じわじわと薄くなっていく。気温は、震えるほどに寒い。
ジェットエンジンへの負荷はいよいよ許容範囲を超え、重力加速度に、元々さして頑丈じゃない機体も、限界を迎えつつある。
背後を見ると、連合国軍の迎撃機は未だに追撃してきている。
どうやら、技術力では未だ帝国に遅れを取る連合国も、航空機技術を多少は進歩させていたらしい。
「ミハロ」
突然、エレノアがミハロの名前を呼ぶ。
「なんですか?」
「生きて帰るぞ」
「……」
ミハロは沈黙した。
燃料は残りわずかで、敵の迎撃機を振り切り洋上で待機している潜水艦の元に辿り着くことは難しい。
たとえ敵迎撃機を振り切れたとしても、洋上に墜落するのがオチだろう。
限界まで位置エネルギーを高め、敵迎撃機を道連れに工業地帯へと墜落する。
それが、ミハロの考えた、自分たちの死を意味あるものにする唯一の方法だった。
「大丈夫だ。私たちは生きて帰れる。信じてくれ」
エンジンの轟音が鳴り響く中、エレノアの心地よい声は、やけに響いた。
直後、ミハロは操縦桿を押し倒す。
強い重力加速度がかかっていた機内が、今度は一瞬にして無重力に変わる。
だが、その無理ある機動は、機体の高度を一気に百メートルは下げた。
雲の中で行われたその機動に、迎撃機たちは一瞬にして追跡対象を見失う。
ミハロは一気に機体の速度を上げ、残っていた燃料の大半と引き換えに、連合国本土上空を離脱した。
滑空しつつ高度を下げて雲から出たミハロは、目を疑う。
そこには、遥か海の先で待機しているはずの帝国軍潜水艦が一隻、沿岸ギリギリにまで近づいて停泊していた。
ミハロは機体の高度を下げて洋上に着水する。
潜水艦からボートが出発し、爆撃機の搭乗員たちを回収して潜水艦へと戻った。
搭乗員たちを艦内に収容した潜水艦は直ちに潜航して、連合国艦隊から身を隠す。
彼らは生還した。
数日後。
「どうして」
「私が親衛隊の友人に頼んだんだよ。迎えを寄越してくれって」
帝国本土へと向かう潜水艦の甲板で、ミハロとエレノアが会話していた。
二人の間に初めて出会った時のような冷たさはなく、むしろ、肩が触れ合うほどの距離に立っている。
太陽は落ち、水平線がぼんやりと白く光っていた。
「ありが」
礼を言おうとしたミハロの口を、エレノアは人差し指で塞ぐ。
「礼はいい。私も生き残りたかったし、部下を守るのも機長の立派な仕事だ。それに、私の教官に死なれたら困るからな」
エレノアは、そう言ってウインクした。
ミハロの顔が、ほのかに紅潮する。
水平線の先に、帝国本土が見えてくる。
夕陽に照らされてシルエットと化した帝国の大地は、荘厳ですらあった。
「きっと勝てますよ。少なくとも、我々はまだ戦える」
ミハロはそう呟く。
エレノアは、静かに頷いた。
戦いは、始まったばかりだ。




