第4話
翌日、腰に拳銃ホルダーを付けたエレノアと、普段通り飛行服を着用したミハロは、コックピットでシミュレーション訓練を行なっていた。
整備士たちは、基地内に存在している別の機体の整備に駆り出されているため、今日はいない。
よってシュミュレーションも、機体の電源を落とした状態で、スイッチや操縦桿などの操作と図上演習に限られる。
この全翼型爆撃機は、理論上というか機械の設計上は、整備士がいなくても機長とパイロットだけで任務を遂行できるようになっている。
つまり、訓練なら整備士がいなくても十分に実戦的なものを行うことが可能だ。
そんな機体に三人も整備士を乗せている理由は、全翼型という飛行が不安定になりがちな機体に、これまた開発されたばかりのジェットエンジンを六基も搭載した結果として、信頼性が大幅に低下してしまったからに他ならない。
ただでさえ斬新な設計を採用している上に、様々な新技術をこれでもかと詰め込んだせいで、操縦パネルも複雑になっており、操作系統が単純な急降下爆撃機を長く使っていたミハロは、操縦に少々不安を感じていた。
さて、地上での訓練では、機長によってランダムに指定される状況に対しパイロットが対応するという形で行われる。
「二番エンジン停止」
機長席に座ったエレノアの冷たい声が、紙に書かれた状況を読み上げる。
ミハロは背後に武装親衛隊の士官が座っていると言う状況に緊張感を感じつつ、操縦パネルのスイッチを動かしてエンジンを再起動する。
「後方より敵機接近」
ミハロは、操縦桿を引きつつエンジン出力を上げる操作をして機体を上昇させた。
徹底的に軽量化された機体の重量に対し、明らかにオーバースペックな出力を持つ六基のジェットエンジンは、この全翼型爆撃機にロケット戦闘機並みの機動力を与えている。
レシプロ戦闘機が相手であれば、振り切ることなど造作もない。
ミハロは大きく操縦桿を動かして、機体を反転させた。
それと同時に、操縦パネルの右奥に用意された機関銃の引き金を押し込む。
大抵の爆撃機には、防護機銃が搭載されている。この全翼型爆撃機は、機首に十三ミリ機関銃を二門搭載していた。
「何をしたんだ?」
「ええ。これは……」
ミハロは振り返って背後のエレノアに状況を説明しようとして、動きを止める。
その時、エレノアは機長席を離れ、ミハロの頭上から操縦席を覗き込んでいた。
全翼型爆撃機の操縦席はコックピットの床より少し低い位置にあり、ミハロの平均より低い身長もあって、エレノアはミハロの頭上からでも自然にコックピットを覗き込むことができる。
エレノアの真っ直ぐで綺麗な視線はスイッチや計器の並べられた操縦パネルに注がれており、ミハロの姿は彼女の注意の外にあった。
ミハロの後頭部に、柔らかい何かが触れる。
心地よい香りが、ミハロの鼻腔をくすぐった。
「どうした」
なかなか説明をしないミハロに、エレノアは上からミハロの顔を覗き込む。
ミハロの瞳に、逆さまになったエレノアの顔が映った。
鼻先が触れるほどの距離。
それと同時に、エレノアの胸元はミハロの頭部に強く押しつけられる。
そこで、ようやくエレノアは自分とミハロの体勢を理解した。
「あっ」
数秒の間をおいて、エレノアは素早く飛び退いた。
「すっ、すまない。つい夢中になってしまって」
「……いえ。こちらこそすみません。……少し驚きました。武装親衛隊の士官というのは、あまりパイロットの技術に興味はないものだと思っていました」
動揺からか、ミハロは失礼とも取れる本音を口走る。
「まあ、確かにそういう親衛隊員は多いな」
だが、エレノアはそれを肯定した。
「では、あなたは興味があるんですか?」
「ああ。空を飛ぶのには憧れるよ。子供の頃、空を飛行する帝国空軍の戦闘機を眺めては、いつかあれを操縦したいと願ったものだ」
「へぇ」
ミハロは少し意外そうに頷く。彼自身も、空に憧れて空軍に入隊している。エレノアの気持ちは、よく分かった。
「……少し、教えてくれないか」
エレノアは、少し恥ずかしそうに聞く。
「操縦ですか?」
ミハロが聞き返すと、エレノアはこくりと、少し恥ずかしげに頷いた。
自分より階級の低い相手に教えを乞うというのは、武装親衛隊の教育機関で、親衛隊員がどれほど優れているのか徹底的に教えられてきたエレノアにとって、恥ずかしいことではあった。
だがエレノアの中では、その恥じよりも、空を飛ぶことへの興味の方が強かったのだ。
「いいですよ」
そんなエレノアの素直な憧れを、ミハロは快諾する。
それから、エレノアは少しでも暇ができると、ミハロを教官にして飛行訓練を行なった。
操縦桿の動かし方から離着陸の際にするべき操作、トラブルの対応など、パイロットには飛行技術以外にも知るべきことがたくさんある。
ミハロは、全翼型爆撃機の狭く薄暗いコックピットで、そういったことを一つ一つ、丁寧に教えていった。
一時期は教導隊に所属していたこともあるミハロは、教えるのも上手く、エレノアの飲み込みが早いのもあって、一週間もしないうちに、彼女の技術は、すぐさま飛行訓練に移れるレベルにまで至った。
燃料も機体も不足している中で正規の飛行訓練を受けていないエレノアが自分の手で空を飛ぶことは叶わなかったが、それでも、彼女は楽しげだった。
一方でミハロも、エレノアへの教育を通じて、不慣れな全翼型爆撃機への理解を深めていった。
やがて飛行訓練の日がやって来た時、ミハロの中から全翼型爆撃機を操縦することに対する不安など、ほとんど消えていた。