異世界デビュー
元ブラック企業社畜の朝は早い。まだ薄暗い夜明け前、モンスター達が目覚め始める前から元社畜は動いていた。
「ええ、そうですね、やっぱり慣れない異世界で最初は辛くてベソかいたりもしましたけど…今は何とかやれてるって感じですかね(笑)」
そう言って笑った元社畜の笑顔は何処となく寂しげな眼差しだった。
と、言う情熱◯陸みたいなナレーションを頭の中で流しながら川沿いに森の中を進む。
今はサバイバル用の服に着替えている。
道中スキルボードとか魔法とか色々試してはいるが何も出てこない。
今回の異世界転移に関して管轄の神様がチートをくれたりボーナスくれたりの甘やかしこそ無かったが重力が半分くらい?の恩恵はデカい。
昨日のゴブリンへの軽キックが頭から離れないでいた。あんな蹴りでゴブリンが2mも後ろに吹っ飛ぶなんて。ゴブリンとは言え中学か高校生生程の身長は有ったのにかなり軽く感じた。後、よく見ると川の流れも何か違う事に気付いた。水のうねりが軽いのとしぶきが上がりやすいのを見てやはりこのチート現象は重力でほぼ間違いないと確信した。
なのでここで生まれた生物はその必要に応じた骨密度と筋量しか持っていないからあんなに軽いと言える。昨日ゴブリンが投げて来た槍も後でよく見るとかなり細く軽かったのでグッと力を入れると親指で折ることが出来るほど脆かった。
と、言うことは仮に俺と同じ身長のヤツと戦っても軽く勝てるかもしれない。ま、それを補う為の技や技術も存在するだろうから変な期待や油断は辞めておくとしよう。
とにかくある程度戦える力がある事はわかったが、反面絶対に勝てそうも無いモンスターもチラホラ見かける。上を飛んでる得体の知れないデカいヤツ、川の中にいるデカいヤツ、時折遠くで見かけるデカいヤツ…
この服が若干迷彩になっているのでどうにか難を逃れている。そんな感じで突き進むこと3日、運命の分かれ道がやって来た。
「どうしよう…」
川が2つに分かれていた。考えても仕方ないので取り敢えず左を選択、その後モンティ・ホール問題にあやかって右に進む事にした。ある意味これも現代数学の力と言えよう。
そこからさらに3日進むとようやく初めての人工建造物を確認、こじんまりと小さいが石造りの橋を見つけた時は思わずガッツポーズが出た。
もしかして人類とか文明が無いのかと心配になっていた所だった。て事は会社にいる頃はアレだけ嫌っていた人との関わりを本当は求めているって事になるな。まぁとにかく人工的な物が嬉しくてここでお昼にする事にした。味気ない携帯食も今は美味しく感じるのはきっと希望を感じているからだろう。なんて事を考えていると遠くから荷馬車が来るのが見えた。胸が高鳴る。テンプレではここでゴブリンとかが荷馬車を襲うイベントが発生するのだが今回は特に何事も無く真横を通り過ぎて行く。通り過ぎる際に手綱を握る男と目が合う、そして怪訝そうにコチラを見ている。すると急に馬車が止まり男が降りて来て興奮気味に話しかけて来た。
気の良さそうな男はしきりに話しかけてくるが言葉が全くわからない。おいおい、鑑定も無い、スキルボードも無い、魔法も無い、挙句言葉も通じない。異世界定番のテンプレ展開をことごとく無視する運営に文句を言いたい所だと思っていたら突然「こんにちは」と言った。
「!?!?」
俺は思わず反応してしまった。ただ英語でもタイフーンとかたまたま似た言語があるから一概には言えない。しかし明らかに「こんにちは」に反応した俺を見た行商人の男は続けて「ありがとう」と言った。これはもう確実だ。この男は俺が日本人とわかって日本語を話かけている。そしてこの男の眼差しは好意的に感じる。荷馬車に乗れと手招きをしてくれているが何とも判断に迷う。しかし行商人の男は胸をドンッと叩いて「大丈夫、任せろ!」と言う顔で何度も笑顔で頷いてくる。俺は嫌な会社に詰めていたので敵意や悪意には慣れているが、こう言った【好意】には弱い。正直断れないし断りたく無い。実を言うとおそらく数年ぶりに受ける人の好意だ。ただ馬車に乗せてやるとジェスチャーされているだけなのにその温かさは俺の心に染み入る。正直ちょっと込み上げるモノがあった。俺は有り難くその好意を受け取る事にして荷馬車の後ろに乗せてもらった。スプリングもサスペンションも無いので乗り心地は最悪だが気分はフワフワしている。
数時間ほど荷馬車に揺られ街に到着、周囲をグルッと10m程の高さの壁と門兵に守られていた。気の良い行商人の男は門兵と何か話して貨幣的なモノを渡していたので早速借りが出来てしまったと理解する。街の中へ通じるトンネルはようやく馬車一台がギリギリ通れるほどの大きさしかなく、おそらく有事の際に一気に攻め込まれない為の工夫だろう。壁の厚みは3〜4mで狭く暗いトンネルを抜けるとそこはまさに別世界だった。異国どころか異世界、日本のような雑多な電線やガチャガチャした看板など一切無く、石とレンガで丁寧に造られている街並み、綺麗な石畳がどこまでも敷き詰められている大通りは馬車がすれ違える程の広さで街を行き交う人々は活気に満ち溢れている。まるで映画のセットに入りこんだような、そしてこの異世界物語の主人公になれたような気がした。
大通りを少し外れてちょっと高級感のある住宅街っぽい所に来ると、とある家の前で馬車が停まった。気の良い男は馬車から降りて立派なドアをノックすると中から髭を蓄えた黒髪の中年が出てきた。2人は何やら話しているが髭の男の顔色がみるみる変わってくるのがわかる、そして髭の男が俺に話しかけて来る。
「あ、えと、わかりますか!?」
「え?あぁ、え?日本語話せるの?」
「日本人です!あぁ…まさか同郷に会えるなんて!!」
こちらの事情や身分の確認も無くその日は彼の家に泊めてもらう事になった。連れて来てくれた行商人の男はドムと言うらしく髭の彼のお得意様らしい。異世界ではトールと呼ばれている彼は「東 透」35歳。当時大学生の彼は20歳の時に趣味のマラソン中に事故に遭い気付けば転移していたらしい。聞けば東京で1番頭の良いあの名門大学に通っていたそうだ。家に招かれとにかくエールを飲まされ、透くんはこの15年の間の日本の話を食い入るように聞き入っていた。その日は朝方まで語り尽くした…と言うか一方的な質問攻めにあった。
久々に木の上じゃなくて平たい所で落ち着いて寝れたので身体の調子が良い。日はかなり高くもう昼前だろうと思われるが透君はまだ起きてくる様子が無いので簡単な朝食を用意する。チューブに入った味噌汁と簡易的な白飯と鯖缶。俺の保存食ラインナップの中では最上位のモノを使って昨日の手厚いおもてなしに対してのせめてもの返礼だ。
朝食の用意は簡単に済み、ちょうど味噌汁が入ったところで透君が凄い勢いで飛び起きてきた。
「やっぱり…まさかとは思いましたがこの匂いは間違いない…」
透君は静かに席につき俺の方を見た、俺は黙って頷く。彼は神妙な面持ちで味噌汁を口にすると
ズズズッ「んあぁ〜〜」
目に涙を浮かべながら味わっていた。それを見ると彼の15年の苦労が伺え俺も思わずグッと来た。それからは無言で一つ一つを噛み締めて味わっていた。
「ご馳走様でした、本当にいい朝食をありがとうございました」
思えば他人から心のこもった感謝を受けるのは本当に久々だったな。人に喜んで貰える事がこんなに嬉しい事だと言うのを思い出した。簡単な朝食&昼食を済ませた後この世界についての座学を開いてもらった。
「一言で言うとファンタジーです、モンスターが居て魔法もあって文明レベルは中世くらいです」
頭が良い人の説明は簡潔で非常に分かりやすい。
「あるんだ!魔法!!!」
「ええ、ただ魔法については自身の属性以外は殆ど使えないので偏りはあります」
しかしこれは思わぬサプライズだ、半ば諦めていた夢の魔法が使えるかも知れない!?
「後はお気付きだと思いますが重力が弱いですね、概ね地球の三分の一くらいだと思います」
「あ〜やっぱりそうだよね、同じ体格くらいのゴブリンとエンカウントしたけどちょっと蹴ったら吹っ飛んだもんね(笑)」
「え?ホブゴブリンと出会って生き残れたんですか?」
聞けばゴブリンは90〜100㎝程度の体躯らしくそれでも4〜5匹になると十分な脅威だそうで、ホブゴブリンはかなり危険な存在らしい。どうやって生き残ったのか、どうやってホブゴブリンを退けたのかを聞かれたので武器を取り出しながら説明した。
「なるほど、これがそのコンパウンドボウですか、ちょっと触って良いですか?」
透君はこの世界で武器屋をしているそうだ。最初は素材も自分で入手していたけど荒事がどうしても苦手でどうにか考え抜いて【武器のカスタマイズ】で今は生計を立てているらしい。家を見て何と無く分かっていたが、彼は恐らくこの異世界で結構成功していると思う。割と、いやかなりいい家だし立地も良さげな所だしやっぱり頭が良い人は何処に行ってもやっていけるもんだねと感心してしまった。
「凄いですねコレ、レーザーポインターにスコープ、ふんだんに贅沢なカーボンを使ってさらに力学が至る所で活用されている」
「せっかくだからトール先生にカスタマイズしてもらうかな」
「いえ…コレは下手に触るとデチューンになりかねないですよ、それ程に完成されてますね」
聞けば透君は【生物工学】が専門らしく生物の優れた特性や機能を工学的に応用するバイオテクノロジーを勉強していたそうだ。異世界に来てからは錬金術で有機物と無機物を合成する事に成功して、人と武器と魔法の融合でその人だけのオリジナル武器を創り出しているらしい。その人固有の【ユニークウェポン】は遺跡で見つかる魔剣や神剣なんかに近い扱いらしく、なのでマスタートールと呼ばれ彼に発注するにはかなりの高額になるそうだ。あーこれは当分自前で何とかしないといけないなと思っていたら
「いえいえ!ロキさんにはお金では買えない味噌汁を頂いたのでお代を頂くわけにはいきませんよ!」
と、何とも気の良い返事を貰った。あ、ロキと言うのは俺の名前で【六木】って苗字だから皆んなからはロキとかロッキーとか言われていた。この異世界では苗字持ちは貴族らしいのでロキだけで通す事にした。
「カスタマイズは全然良いんですけど、それにはまずロキさんの属性とかを調べないとですね」
そう言ってトール君はいそいそと出かける準備をしだした。住宅街から大通りに出て商店街に向かう中チラホラと人間以外の種族っぽい人が目につく。
「トール君!アレもしかしてエルフ?」
「はい、種族もハイエルフ、ダークエルフ、エンシェントエルフの3種あって割と差別意識もありますね」
「あれドワーフだよね!?」
「はい、ドワーフもヒルドワーフ、ディープドワーフ、マウンテンドワーフの3種が居てコチラは皆んな鍛治や工芸が得意でヒルは農具、ディープは武器や防具、マウンテンは家具を造るのが得意ですね」
道中は優秀な異世界ガイドのお陰であっという間に目的地に到着してしまった。そして目立たずひっそりと居を構えるこの家はファンタジーに出て来る魔女の館そのものだった。
「トール君これ絶対魔女でしょ?」
「よく分かりましたね!?」
そんなやり取りをしながら中に入るとそこにはテンプレの老婆では無く美しいエルフの女性が座っていた。外で見かけた他のエルフより少し耳が短いように思えるのでエルフとは別種かな?ともかく色白で超絶美人には違いない。
トール君はその美人にアレコレ説明した後俺に紹介してくれた。
「コチラは僕の彼女で来年結婚予定のカレナリエル、種族はハイエルフです」
一瞬絶句してしまったが挨拶を交わした後、何か手を切って血を垂らしたり水に手をつけたり色々な儀式を施された。儀式を受けながらも男として聞かずにはいられない質問をリア充にぶつける。
「なぁトール君、あんなワールドクラスの美人何処で捕まえたの?」
「エルフっ本当に美人ですよね(笑)今でも稀にですけど自分で素材を取りに行く時がありまして、ちょうど1年ほど前にゴブリンに襲われていた所を助けてって言う冒険者あるあるの出会いです」
「俺も冒険者になる、絶対」
俺はこの時冒険者になる事を固く固く心に誓うのであった。
「良い動機だと思いますよ(笑)この世界では自分に正直でいる事が凄く大事と言うか、そうで無くては生きていけない弱肉強食そのものですからね」
不純な動機だとツッコミが来るのかと思いきや思いもよらぬ返答だった。
「あ、ロキさん結果が出たみたいですよ!」
しかし鑑定が終わったカレナは眉をひそめていて魔導書っぽいモノで何やら調べている。
「もしかして俺魔法使えないとか?」
「いえ、何か未知の属性らしいです」
カレナは奥から埃を被っていた本を引っ張り出して調べてくれている。なんかこんな自分の為に懸命になってくれている事に心がジーンとする。
「お!見つかったみたいですよ! っと…コレは…」