16話 這い寄る悪意
「前から伝えていた通り、俺は、今日から1週間ほど家を空ける」
メイド達に着替えを手伝ってもらいつつ、アスラノトはフレイに今後の予定を伝えた。
「それと、もう話は伝わっていると思うが、冒険者のアリア殿が娘達の護衛についてくれることになった。なにか要望を聞いた場合、できる限り応えてやってほしい」
「はい、かしこまりました」
フレイは静かに頷いて、
「しかし、アリア様がいらっしゃるのならば、お嬢様達の安全は約束されたようなものですね」
「ほう……キミが人を褒めるとは珍しいな」
「私のことをなんだと思っていらっしゃるのですか?」
「はは、すまない。ただ、キミは強く厳しい人だからな。入ってきたばかりの者に対しては、まずは厳しく接するじゃないか」
「それは、その者を育てるためですよ。アリア殿は、強さだけではなくて、礼儀作法もすでに完成されています。私が口を出すようなところはなにもありません。完璧です」
「ふむ?」
フレイにしては珍しい反応だ、とアスラノトは不思議に思った。
フレイは他人にも自分にも厳しい。
相手を褒めるとしても、それなりの長い付き合いが必要となる。
出会ったばかりで、ここまで人を褒めるところは見たことがない。
それほどまでにアリアのことを気に入ったのだろうか?
その力を認めたのだろうか?
「……まあいい」
アリアは強く、賢い。
フレイに認められたとしても不思議ではないだろうと、アスラノトは、わずかな疑問と違和感を気のせいと断じた。
「では、後を頼む」
出立の準備を終えたアスラノトは屋敷の外に出て、見送りに来たメイド達とフレイに、そう短く告げた。
彼女達は正しい礼で応える。
「はい。お嬢様、奥様方のことはもちろん、家のこともお任せください」
「ああ、任せた」
いくらかの護衛を連れて、アスラノトは屋敷を後にした。
「……」
その姿を、ニ階から密かにアリアが見ていたものの、彼がそれに気づくことはない。
――――――――――
アスラノトの屋敷で働くメイド達の朝は早い。
まずは、自分達の身だしなみを整える。
メイドである自分達がみすぼらしい格好をしていたら、それは、主であるアスラノトを辱めることになる。
故に、まず最初にすることは、ピシリと身だしなみを整えることなのだ。
次に主人達の食事を作り、合間にまかない食を食べて腹を満たす。
その後は、掃除、洗濯、主人達のサポート……それぞれの担当の仕事をこなしていく。
アスラノトがいなくても、やることは変わらない。
帰ってきた時に落ち着いてもらうことができるように、メイドとしての務めを全力で果たすのみ。
そうしなければいけないのだけど……
「……なんだろう、これ」
少し前から働き始めた最年少のメイドは、掃除の手を止めて周囲を見た。
なにもない。
誰もいない。
それなのに妙な寒気を感じてしまう。
ここ最近、屋敷の様子がおかしい気がした。
具体的な指摘をすることはできない。
それでも、妙な違和感を覚えている。
フレイに怒られることがなくなった。
お嬢様方のわがままがなくなった。
それは喜ばしいことなのだけど、しかし、逆に不気味でもあった。
例えるなら、皆が人形になってしまったかのよう。
感情らしい感情を受け取ることができず、定められた行動しか取ることができない。
もちろん、そのようなことはありえない。
ありえないのだけど……
「なんか……嫌な感じ」
ぽつりと呟いて、
「こんにちは」
「っ……!?」
突然、声をかけられたことで驚いて、最年少のメイドは肩をびくりと跳ね上げた。
慌てて振り返ると、十二歳くらいの少女の姿があった。
アスラノトが雇った冒険者のアリアだ。
なんだ、アリアか。
最年少のメイドは安堵して……
しかし、なぜか安堵できないことに気がついて、驚く。
なぜか悪寒が止まらない。
手足が勝手に震えてしまう。
最年少のメイドは革命の際に起きた戦いで親を失い、アスラノトに拾われ、屋敷で働くことになった。
それまでは非日常に身を置いて、暴力や死といったものを日常的に見てきた。
だからこそ、わかる。
アリアは非常に強い死の香りをまとっている。
冒険者なのだから命のやりとりをすることはあるのだろう。
しかし、それにしても、これほどまでに濃い死の匂いは初めてだ。
十二歳の少女がまとうものでは決してない。
「えっと……いかがなさいました?」
気のせいだ。
今、感じている恐怖は見当違いのもの。
アスラノトが雇ったアリアにそのような感想を抱くことは失礼に他ならない。
最年少のメイドは自分にそう言い聞かせて、にっこりと笑う。
「少しお願いがあるんですけど……」
「お願い、ですか?」
「はい。唐突な話なんですけど、私と友達になってくれませんか?」
「え?」
「どうですか?」
理由を口にすることはなく、ただただ、アリアは友達になってほしいと求めてきた。
迷う。
しかし、十二歳の少女がよからぬことを考えているとは思えない。
それに、友達になったことで被る不利益なんてものはないだろう。
友達だからお金を貸してほしい、保証人になってほしい、なんて言われたら別だが……
そんな様子はない。
「はい、私でよろしければ喜んで」
「そう……ありがとう」
「……ぇ……」
アリアが笑う。
その笑みは天使のように美しく。
そして……悪魔のように恐ろしい。
「従え。従え。従え。汝の全てが欲しい。故に、汝の全てを捧げろ。その身、その魂、この手に掴み取る。我のものとなれ……心魂掌握<メンタルプリズン>」
――――――――――
「これは……どういうことだ?」
1週間の公務を終えて屋敷に戻ったアスラノトは、困惑と迷いを顔に貼りつけた。
屋敷の外観はなにも変わらない。
綺麗に清潔に保たれている。
中も同じだ。
隅まで丁寧に掃除されていて、メイド達の献身ぶりが窺える。
しかし、人の気配がまったくしないのはなぜだ?
主が帰ってきたというのに、誰も出迎えないのはなぜだ?
なによりも……
屋敷内に足を踏み入れた瞬間、得も知れない恐怖に囚われたのはなぜだ?
アスラノトは足を止めて、それ以上を動かすことができず、立ち尽くしていた。
そんな時、軽やかな足音が聞こえてくる。
「おかえりなさい」
アリアだった。