愛の巣からの脱出
「もきゅ。(助かったぜ。ありがとうな)」
「きゅー。(あなたを助けるのは当然だよー)」
九死に一生を得てピンクの悪魔が天使に見えるぜ。
「もきゅ?(ここは?)」
「もっきゅ~。(私たちの愛の巣だよ。安全な夫婦生活が送れるように頑張って作ったんだー)」
「…………」
……オレたちって初対面だよな?
ちょっと嫌な予感がしてきた。聞かなかったことにしよう。
「キュ!(邪魔したな。すぐに出ていく。達者でな!)」
「きゅー? もっきゅー。(何を言っているのあなた? そんなことよりお腹が空いているよね? こっちにあなた好みのご飯を用意してあるよー)」
「きゅう……。(いや。そこまで世話になるつもりは……)」
「もっきゅきゅ!(いいから、いいから)」
筋力値の差で抵抗は無意味だった。オレはピンクに身体をぐいぐいと押されて少し広めの小部屋に強制移動させられた。
「もっきゅー(それじゃあ。ここで待っていてねー)」
そう言い残してピンクの悪魔は来た道を戻っていく。
……まずいぞ。出入り口は今来た一ヶ所だけ。この小部屋から逃げ出しても、途中でピンクと鉢合わせになる未来しか想像できない。
「きゅぅ。(今は耐えるしかないか)」
まずは消耗したステータスを回復させよう。さっきみたいに逃げている途中で動けなくなったらお終いだ。
「きゅー。(おまたせー)」
しばらくすると、色とりどりの草が盛られた木皿を頭に乗せたピンク帰ってきた。
ENが減っているせいだろうか。美味そうな匂いがする。
「もっきゅー。(はい。どうぞ)」
「きゅ?(食っていいのか?)」
「もきゅっきゅー。(もちろんだよ。たくさん食べてねー)」
「もきゅ。――キュウウウウウウウッゥゥゥゥ!(それじゃ、遠慮なく。――うめぇええええ!)」
オレの語彙では“うまいっ!”としか表現できない!
ぱくっ、――うまいっ! ぱくっ、――うまいっ! ぱくっ、うまいっ! ぱくっ、うまーいっ!
「もっきゅー。(そうでしょー。いろんな薬草を調合した特製なんだー)」
「もきゅ。モッキュン!(草原の草も調合次第でここまで美味くなるのか。なんだか身体もぽかぽか熱くなってきたぞ!)」
「きゅー。(よかったー。効果が現れてきたみたいだね)」
ピンクの悪魔がしなだれかかってくる。
「きゅーん?(あなた。今日はたくさん子作りしようね?)」
「――ぶっ!(――ぶっ!)」
身の危険を感じたオレはピンクから距離を取った。
「キュー!(ちょっと待て! どうしてそうなる?)」
「もきゅ?(どうしてって。私の愛の巣に来たってことはそういうことだよね? いつもあなたの近くに巣穴を掘ってアピールしていたよね? 私の気持ちを知らないとは言わせないよ? あ・な・た?)」
「モキューーーー!(それ、オレじゃないっ!)」
たぶんコイツがアピールしていたのはオレのAI。オレ自身は無関係! だけどピンクにとっては同一個体なワケで……。
――ややこしい! とにかく誤魔化そう。
「モッキュ!?(えっと、ほら! 地上にオレ以外の黒い一角ウサギはたくさんいるだろ? ウサギ違いじゃないのか?)」
「……きゅ?(絶対にそれはないよ。だってずっとあなただけを見てきたんだよ? そんな私が本物を見分けられないと思う?)」
じりじりとピンクの悪魔が近付いてきて、オレは壁際に追い込まれてしまう。
「もっきゅー。(私はね。本物がやってくる瞬間をずーっと待っていたんだー)」
「――キュ!(――あっ、今オレPV撮影の仕事中だった! ……ということでお世話になりました!)」
「もきゅ。(大丈夫だよ)」
オレは逃げ出そうとしたが、ピンクに身体を押さえこまれてしまった。
「もきゅきゅ。(私が永遠に養ってあげる。仕事なんて辞めていいよ)」
「もきゅっ!(全力で断る!)」
「……きゅ?(……え? どうして? 夫婦生活が不満なの? 愛の巣が気に入らなかった? 媚薬と精力増強剤入りのご飯が美味しくなかった? 私ってそんなに魅力がない?)」
媚薬と精力増強剤? 身体が熱く感じたのはそれが原因か。――って、なんでそんなものが草原の草で精製できるんだよ!
とにかく。筋力ではピンクに敵わないから別の方法で何とかしないと。
「きゅ……。(あー、一部の人には魅力的だとは思うぞ。でもオレはまだ10代だから結婚はちょっと……)」
「もきゅ。(10代なら大丈夫。ウサギの性成熟期は六ヶ月。あなたはもう立派な大人だよ)」
だめだコイツ。頭の中までピンク一色だ! このままでは下世話なほうのAVになってしまう。
もう女神に頼るしかない!
「きゅーーーーーっ!(ちょっとアイちゃん。この展開はアウトだろ!)」
『ご安心ください。始まったら事後までキンクリカットします』
――安心できるかっ!
「もっきゅ……。(さぁあなた。子作り、しよ? 大丈夫だよ。天井の石粒を数えている間に終わるから。あなたは目をつぶって受け入れるだけでいいから)」
「きゅ!(落ち着けピンク! 目を閉じたら石粒を数えられないぞ!)」
……って、冷静に突っ込んでいる場合じゃない。
「も……モキュ?(なぁ、ピンク。……食堂で子作りはムードが足りないとは思わないか? お前のことだ。ここよりも良い場所を用意してあるんだろ?)」
「もっきゅ!(もちろん! この奥の寝室にふかふかのキングダブルベッドを作ってあるんだー)」
「モキュ!(それなら先に行って待っていてくれ。ピンクも身だしなみを整えたいだろう? オレも毛繕いをしてから行く)」
「もきゅん。(わかった。綺麗になって待ってるー。寝室は最初の分かれ道を右に行ったところだからねー)」
鼻歌を歌いながらピンクが巣穴の奥へと消えたら、たっぷり1分ほど待つ。
当然オレは全力で逃げた。最初の分かれ道を左に曲がる。
たとえゲームだとしても、――ウサギで子作りなんて嫌だーっ!
『期待させてから裏切るなんて最低のクズですね。クゥロさんのクズキャラロールプレイは最高です』
「モキュ!(機転を利かせたんだよ。寝室に行ったら残りのPVが全部キンクリカットになるぞ!)」
『そういう経験があるのですか?』
――ノーコメント!
「もきゅ。(しかしこの巣。まるで迷路だな)」
さっきから分かれ道や行き止まりばかりだし、登り坂や下り坂が連続している。
「も~きゅ~も~きゅ~♪(む~だ~だ~よぉ~♪)」
ピンクの声が巣穴に木霊した。
「もっきゅー。(この愛の巣はね。地下24層の全長1000メートル。分岐路256ヶ所。行き止まりは96ヶ所もあるんだー)」
――すげぇな。超大作のダンジョンじゃん!
「もきゅ。(ヤバいぞ。このままだと一生地下生活だ)」
『このまま撮影を続けてもPVとしては微妙ですね。……出口まで案内しますか?』
「キュ!(頼む。アイちゃん)」
オレは視界に表示された矢印通りに進んでいった。
「もっきゅー?(待ってよあなた。どこへ行くのー?)」
……ピンクの声がだんだん近くなってきた。なんでオレの位置が捕捉できるんだよ。
『クゥロさん。もうすぐ出口です』
「――モキュ!(――よし。外の光が見えてきたぞ! さすがこの世界を知り尽くす運営。アイちゃん最高!)」
15メートル先に青空が見えた。
やったぞ。ついに愛の巣から脱出だーっ!
「きゅー。(逃げられないよー。だってね……)」
前方で通路の壁が崩れた。
「もっきゅ~。(出入口は一ヶ所だけなんだー)」
新設された横穴からピンクの悪魔が顔を出す。
コイツ。穴を掘ってショートカットしてきやがった。
『ピンクの方が一枚上手でしたね』
「……もきゅ。(……やってくれたな。アイちゃんならピンクの行動をリアルタイムで把握できるし、出口が一つしかないことも知っているはずだ)」
『希望を持たせてからの絶望はお約束です』
……アイちゃんめ。
『弁解しておきますがワタシはピンクに介入していません。中身が優秀だったということです』
大迷宮に誘い込んだり一服盛ったり。ピンクの中身は誰かさんみたいに搦め手が得意そうだもんな!
「もっきゅー。(さぁ、おいでー。今作った通路は寝室へ直通だよー)」
ピンクが笑顔で手招きしてくる。
『どうしますかクゥロさん? このまま子作りハッピーエンドで終わらせますか?』
「シャアアアァァァアア!(――全然ハッピーじゃない! 子作りPVを全世界に配信とかどんな羞恥プレイだよ。黒のヴォーパルの中身はクゥロだと知られているんだぞ!)」
オレは転進して走り出した。
「モキュ!(アイちゃん。地上に一番近い場所へ案内してくれ!)」
『次の分かれ道を右、その次を左に入って20メートル進んだところです。……何をする気ですか?」
「モキュ!(脱出用の穴を掘るに決まっているだろ!)」
今まで迷路を攻略する感覚だった。ピンクが壁を壊すまで失念していたぜ!
「キシャー!(掘削ポイントはここだな。――行くぜえぇぇぇええええ!)」
オレは地上に向かって全力で掘り進む。
オラオラオラオラ~!
『地上まで残り5センチです』
土の一部が崩れ、そこから太陽の光が差し込んできた。……あぁ、この眩しさが懐かしい。
――あとは突き破るだけだ!
オレは勢いよく地上に飛び出した。
「モッキュウウゥゥウ!(よっしゃー! 掘ったどーっ!)」
「――あうぁ!」
「? どうしたっスか。カンチョー?」
あれ? 角が何かに刺さった。てか、巣穴の中に押し戻されて出口も塞がってしまった。
――とりあえず、もう一回やっとくか! 今度はドリルみたいな回転も追加して。
「モッキューーッ!(掘ったどーっ!)」
「――うおぉおおおおおぉおおっ!」
「カ、カンチョオォォォ!」
――パリーン。
空中に投げ出される浮遊感。今度こそ突き破ったぜ!
光に慣れてきて視界が戻ってくる。
雲一つない青い空、茶色い土、生い茂る美味そうな草。そして女神官。
…………ん? 女神官?
「あらあら。……ウフフ」
目が合った瞬間、エイロナの瞳孔が開いた。
「見つけました!」
「――もっきゅぅぅうう!(――ウサギ違いです!)」