ヒキャクレース
初めてのエネミークエストを終えたオレは、冒険者ギルドに行った。
受付で溜まっていたクエスト達成報告を終えると、棒を担いだ線の細いお爺さんのNPCが話しかけてきた。
「ふぉっふぉっふぉ~。異世界の者よ。いい運びっぷりじゃのぅ」
……たぶん。アイちゃんが話していたストレージ関係のイベントだな。ちょうど発生条件を満たしたらしい。
「儂の名はヒキャク。この街で運び屋をしておる」
「オレはラビィ。世界最強を目指す戦闘狂だ」
「異世界の者よ。運び屋の技術に興味はないか? “すとれーじ”とかいうものに関係するアプリなのじゃが」
もちろん選択肢はイエスだ。入手すると決めていたアプリだし、断ったら二度手間になる。初心者チュートリアルは後回しだ。
「ふぉっふぉっふぉ~。そうかそうか興味あるか。ならば教えてやろう……といきたいところじゃが。特殊な技術ゆえにタダでは教えられん。儂と勝負して勝ったら教えてやろう」
「勝負の内容はなんだ?」
「まずは脚慣らしの初級じゃのぅ。冒険者ギルドからスタート、雑貨屋の前にあるチェックポイントの赤いエリアを通過して戻ってくるだけの競争じゃ」
「シンプルでいいな。ルールはそれだけか?」
「回復アイテムは使用と相手を妨害する行為はダメじゃ」
「オーケー。了解した」
戦闘がないイベントならデッキブラシで大丈夫だ。
――ドドドドドドドドドッ!
「……ん? なんだ?」
オレがヒキャクの勝負を受けたその瞬間、なぜか冒険者ギルド内にいたプレイヤーたちが一斉に外へ出て行った。
彼らを追うようにオレとヒキャクが冒険者ギルドの外へ出ると、レースクイーン姿のアイちゃんがフラッグを持って2メートル四方の青いエリアの中で待っていた。
そしてプレイヤーたちは規制線の外から一生懸命アイちゃんのスクショを撮っている。
「アイちゃーん。こっち向いてー!」
「振り返って~!」
「ポーズ変えて~!」
まさか撮影のためにギルドで待機していたのか? なんという執念。写真集が売れたのも納得だ。
オレとヒキャクが青いエリア内に入っていく。
『ヒキャクレースの説明をします。この青いエリアがスタート、ゴール地点となります。チェックポイントに赤いエリアがあります。そこにアバターを接触させてから戻ってきてください。召喚獣や使役獣だけが接触しても無効ですので注意してください。それではレースを始める前にステータスを回復します……完了。準備はいいですか?』
「ふぉふぉっふぉ~。儂はいつでもいいぞ」
「オレもだ」
「Ww!」
「ノジーはストレージで待機だ」
「……w」
「お前は秘密兵器だ。ぎりぎりまで温存しておきたい」
「――wW!」
『それでは【ヒキャクの試練:初級】を開始します。……位置について、よ~い、ど~ん!』
雑貨屋の位置は冒険者ギルド入口の真後ろ。
オレはスタートと同時に冒険者ギルドの壁を蹴り、さらに空中ジャンプで一気に高度を上げてからデッキブラシに跨った。
このまま飛んで直線移動のショートカットだ。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ……」
空から見下ろすと、ヒキャクが行き交う人々を避けながら道なりに走っている。初級だから速度は抑えめでアプリも使わないみたいだ。
「この勝負は余裕だな」
雑貨屋前のチェックポイントを通過したら冒険者ギルドに戻ってゴール。ヒキャクが戻ってきたのはオレがゴールしてから30秒後のことだった。
「ふぉっふぉ~。なかなかやるのぅ。儂に勝った証として【ストレージ重量軽減】のアプリを与えよう」
『アイちゃんパワーにより、この場でアプリの変更が可能です。どうしますか?』
「インストールしてくれ」
効果はストレージ内のアイテムの重量が軽くなって、しかも筋力とSTに上昇ボーナスがある。燃費に影響するから飛行アプリには必須だな。
「ふぉふぉ。次はもう少しテンポを挙げようかのぅ」
「アイちゃん。レース難易度ってどこまであるんだ?」
『ヒキャクの試練は初級、中級、上級、超級です。イベント発生後は冒険者ギルドにいるヒキャクに話しかけることで1日4回まで挑戦できます』
……面倒だな。順番通りだとあと3回もやるのか。
「難易度を飛ばして超級に挑戦してもいい?」
『挑戦は可能です。しかし超級の推奨レベルは10です。アナタでは困難でしょう』
「困難ってことは勝てる可能性はあるんだろ?」
『やり込み向けのコンテンツなのでレベル1でもクリア可能な調整となっています。現在の最高記録はレベル2でクリア。プレイヤー名は“リリカル・ベストスピード”です』
「それなら1回だけ試せさてくれ」
『わかりました』
「ふぉっふぉっふぉ~。若いと勢いがあって羨ましいのぅ。……どぉれ、儂も本気を出すかのぅ」
突然ヒキャクが服を脱いで上半身裸になった。年寄りとは思えない鍛え上げられた肉体が晒される。
「儂、最速。儂、最強。――フォオオォォォオオオッ!」
ヒキャクが吠えた瞬間、全身の筋肉が爆発するように膨張。ボディビルダーのようなマッチョに変身した。
「質量保存を無視して滅茶苦茶強そうになったな」
『ヒキャクは【瞬足の飛脚】という二つ名で呼ばれていた伝説の運び屋です。鍛えられた脚力は速さだけではなく、一撃で飛竜を倒したという設定です』
「過去の話じゃよ。昔は100キロくらい余裕で走れたが、年を重ねた今の体力ではこの街の中が精一杯じゃ」
説明してくれるのは助かるんだけど、運営のアイちゃんがそれをするのはちょっと間違っていないか? 説明用のNPCくらい作ろうよ。……しかも“設定”って言っちゃったし。
『ステータス回復……完了。それでは【ヒキャクの試練:超級】を開始します。超級では雑貨屋、武具屋、魔法具屋、テンイーシャノ学園校門前のチェックポイントを順番に回り、先に冒険者ギルドへ戻ってきた方が勝者となります。準備はいいですか?』
「儂はいつでも構わん――フォオオォォォ!」
「オレもいいぞ」
『それでは位置について。……よーい、ど~ん!』
最初のチェックポイントが雑貨屋なので、オレは初級と同じ方法で空へ上がった。
ヒキャクもブーツを輝かせながら空中を走るように昇ってくる。
「フォッ、フォッ、フォッ、フォオオォォォ!」
「ブーツにエフェクト? 空中ジャンプとは違うし、足装備の飛行アプリっぽいな。……てか、担いでいる棒に跨るんじゃないのかよ!」
「フォッフォッフォー! 儂は飛脚じゃ。脚以外で移動したら詐欺になってしまうではないか!」
「たしかにその通りだっ!」
ヒキャクが空中ジャンプと飛行アプリを使い分けて建物の屋根の上を跳ねる。上下移動のロスがある分、直線で移動するオレの方が若干速い。そして【天空の祝福】の発動条件を満たしたことでオレの速度はさらに上がる。
第1チェックポイントの雑貨屋が見えてきたころには、オレたちの間におよそ10メートルの差が開いていた。
次の武具屋の方角を【簡易マップ】で確認。
進路を左にずらして上昇、右旋回しながらチェックポイントまでの飛行ルートを調整して今度は下降していく。位置エネルギーを利用した減速と加速を駆使して旋回したオレは雑貨屋前のチェックポイントに触れると屋根の上まで上昇した。
ノーブレーキで通過できたから悪くなかったはずだ。……だけど、
「――フォッ、フォッ、フォオオォォォ! 鍛え方が足りないのォォォオオオオ!」
空を走るヒキャクが真横にいた。さすがに最高難易度だけあって簡単には勝たせてはもらえない。
「――追いつかれても、最高速はオレの方が速い!」
風の抵抗を減らすようにデッキブラシにしがみついて、ヒキャクを少しずつ引き離していく。
武具屋の第2チェックポイントが見えてきた。
3階建ての建物が左右に並ぶ狭い通路が真っ直ぐ赤い正方形まで伸びている。
オレは高度を下げて通行人の頭上を飛びながら次のチェックポイントを確認した。
「次の魔法具屋は……左に90°か」
チェックポイントに触れたと同時にデッキブラシを持ち上げて急上昇。身体を捻り屋根を超えた瞬間に魔法具屋の方角に柄先を固定する。
「ヒキャクはどうする!?」
「フォオオォォォ……、――フォアアァァァ!」
ポイントに接触したヒキャクが真上に跳んだ。壁や空気を蹴って一気に屋根まで上りオレの前を走る。
「足装備の飛行魔道具だと鋭角に曲がれるのか」
慣性力の影響で弧を描くようにしか曲がれないオレに対して、ヒキャクは最短距離を進むことができると。追い抜かれた原因は速度ではなく移動距離の差か。ちょっと考えれば連続で【空中ジャンプ】をしているのと同じだ。
……これはちょっとマズいぞ。直線で追いつけてもチェックポイントで旋回する度に離されていく流れだ。しかもゴールまでENが足りるのか微妙なところ。
「――でもまぁ、ヒントは見せてもらったぜ!」
最高速ではこちらが勝っている。魔法具屋を視認したころにはヒキャクの真後ろについた。
「フォッフォッフォ! 筋肉は裏切らない!」
先にチェックポイントに到着したヒキャクが最短距離で進路を変えた。
「オーケー。秘密兵器の出番だノジー!」
「wW!」
ストレージから取り出したノジーをチェックポイントに投げた。
「ノジー。そこで飛べ!」
「WwWw!」
ノジーが腕をプロペラのように回転させ、赤いエリアの中でホバリングを始める。
「しっかり支えてくれよ」
「――wW!」
空中でデッキブラシから降りて飛行を解除。回るノジーの頭を蹴って強引に進路を変更したら【空中ジャンプ】で調整して再びデッキブラシに跨った。
「【天空の祝福】はリセットされていない。グッジョブ、ノジー。次も頼む」
「w!」
ノジーはオレが頭を蹴ってすぐに自らストレージに戻っていた。
まったく、デキる案山子は最高だぜ!
「追いついたぞ。ヒキャク!」
「フォッフォオォ! なかなかやるのぅ」
残るチェックポイントはテンイーシャノ学園校門。そのあとはゴールの冒険者ギルドまで続く大通りの直線コース。
オレはラビィのENを確認した。
このまま飛んでいたらラビィのENはゴール前で尽きる。
大通りを走れば通行人が障害になって確実に遅くなるだろう。人ごみを避けて屋根を通れば遠回りになる。間違いなく飛んだほうが速い。
「期待しているぜノジー!」
「――W!」
さっきと同じようにノジーを足場にしてチェックポイントを通過する。ヒキャクを追い抜き、徐々に差を広げるがついにラビィのENが尽きた。
「ノジー。あとはお前に託す!」
「wW!」
デッキブラシを捨ててノジーに乗り換える。ゴールまでもう少しだ。頑張ってくれよ。
『両者戻ってきました。先頭はラビィ。ヒキャクはそこから3メートル後方の位置です』
「――フォッ、フォッ、フォオオォォォ!」
『案山子に乗り換えたラビィをヒキャクが追い上げる。二人の距離が縮まっていきます』
「鍛え方が足りないのォォォオオオオ!」
――追い抜かれた!
それだけじゃない。ヒキャクの背中が遠くなっていく。……さすが推奨レベル10。簡単には勝たせてもらえないか。
「最後まで足掻くぞノジー。腕をプロペラにして回れ!」
「w?」
「オレのことは心配するな。サイクロンラリアットやサイクロンパイルドライバーで鍛えた回転耐性がある。全力でやれ!」
「――wW!」
――ギュイイイイイイィィィィィィイイイイインッ!
そういえばプロペラ機の回転数って1分間に1000回転以上だったな。それってヤバババババババババッバババ!
回って回ってワケが分からないくらい回りまくる。これがゲームじゃなかったら絶対に遠心力で吹っ飛ばされる。
『案山子のプロペラ飛行でじりじりとヒキャクとの差が縮まっていきます。このまま追い抜くことができるのでしょうか?』
淡々とアイちゃんが実況する中、空中を走るマッチョな爺さんと回転案山子にしがみつくオレが大通りの上空に飛行エフェクトの線を引いていく。
「どう思うカセイツ。あいつはヒキャクに勝てると思うか?」
「それは無理だと言わざるえないなセメツイ。【暗算】アプリで計算してみたが、このままだと50センチの差で負ける」
「そうか。……ところでカセイツ。そのアプリはゲームで役に立つのか?」
「今、初めて役に立った」
……うげぇ、回り過ぎて気分が悪くなってきた。
早くゴールしてくれー!
「…………ヤバい。吐きそう」
「――wW!?」
何かに首根っこを掴まれた。そのまま無理矢理ノジーの身体から引き剥がされたオレは勢いよく投げられた。
滅茶苦茶に回転する視界の中、フォロースルーを決めるノジーが遠ざかり、ヒキャクを追い越して青いエリアを通過。
そして、ラビィの身体が冒険者ギルドの壁に埋まった。
× × ×
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉ~。儂の完敗じゃ。褒美に【ヒキャクの極意】を授けよう」
オレは勝利報酬【クイックストレージ強化】と【ストレージ容量増加】のアプリを取得。さらにEXアプリとして【ヒキャクの極意】が追加された。
登録したアイテムを即座に出し入れできる【クイックストレージ】が強化されるのはありがたい。装備化ノジーとデッキブラシで登録枠が埋まっていたからな。一方【ストレージ容量増加】は飛行と相性が悪いので微妙。
EXアプリの【ヒキャクの極意】はレベルを上げられないが条件を満たすと自動で効果を発揮するタイプだった。ヒキャクとの勝負で獲得した3種類のアプリを全てインストールした状態に限り、メモリ消費量が軽減。【ストレージ重量軽減】を強化して要求メモリが上がってきたら出番があるかもしれない。
「最後にプレゼントじゃ」
ヒキャクから【飛脚のブーツ】を貰った。
ST、敏捷値の上昇効果と強化メモリに【魔道具化〔飛行〕】が付与されているブーツだ。重量が0なのは無装備時のデフォルトと同じってことだろう。メリットしかないから装備だ。
「……勝ったけど疲れたな」
「Ww!」
「はいはい。勝てたのはノジーのおかげ。わかっているって」
最後に一言。
――プロペラ飛行は封印だ!