6話 王都のゴタゴタと嫌な予感
◆◇◆◇◆
────一体、どういう事なのかしら。
────どうしてヴァン公子は、アリスさんではなく、落ちこぼれの妹さんを選んだの?
────もしかして、実は。
ヴァンとノアが居なくなった会場。
しんと静まり返った会場では、小声の会話がよく響いた。
そしてそれは、未だ現状を正しく理解出来ていない……否、頭が追いついていないアリスの耳にもしっかりと届いていた。
『俺はノアの方がいい』
だが、ヴァンが言い残したその言葉のせいで、冷静に物事を考える力すら削り取られているアリスに、周囲の声を咎めるという選択肢はなかった。
彼女の頭にあるのは、何故そうなってしまったのかについて。
それがぐるぐると堂々巡りのように頭の中でひたすら繰り返される。
ヴァンの言葉を鵜呑みにするならば────まるでそれは、己がノアに劣っているようではないか。
容姿も。頭脳も。魔法の才も。人望も。
何もかもがノアより優れている己が、何故ああ言われなければならないのか。
何故、よりにもよってノアが選ばれたのか。
間違いなく、自身が選ばれる筈だった。
周囲の貴族達は勿論、両親も、誰も彼もがお似合いと褒め、選ばれると断言してくれていた。なのに。
なのに、なのに、どうしてこうなった?
どこから────自分は間違っていた?
「どうして、ですの?」
無意識のうちに、アリスの口から疑問がこぼれ落ちた。
隣では、両親が必死に茫然自失となるアリスの事を励まそうとぎこちない様子で言葉を投げ掛けてくる。
しかし、それらの言葉は右から左へ素通りしていた。アリスが求めているのは励ましの言葉ではない。
彼女が求めているのは、これはタチの悪い夢だ。という言葉一つだけだった。
「どうして、わたくしじゃなく、ノアが選ばれるんですの?」
考えても考えても、答えは出ない。
ただ何より、今この空間に居続ける事がアリスにとって苦痛だった。
本来、羨望のような眼差しを向けられる存在である筈の己が、こうして奇異の目に晒される事は不愉快極まりなかった。
「……。少し、風に当たってきますわ」
ふらふらとした足取りで、アリスは一旦、会場を後にする事を選んだ。
頭にこそ入ってはこないが、周囲の雑音が今のアリスにはひどく気に障った。
当てもなく、歩く。
歩いて、歩いて、歩いた先。
花に誘われる蝶のように、アリスはソコへ辿り着いていた。
『────きっと、騙されてるに違いない』
これが夢でないならば────そう、きっとヴァンはノアに騙されているのだ。
そう考えていたアリスの考えを肯定する声が、不意にやって来た。
変声期を迎える前の幼い少年を思わせるその声に、アリスは振り向く。
『そうでなければ、あり得ない。だって、全てにおいて自分はノアより優れてる筈なのに』
妙に、頭の奥にまで響く声。
アリスの視界に映り込んだ貴族然とした服装の少年は、一体誰なのか。
普段ならば訝しんでいた事だろう。
だが、今のアリスからすればどうでも良かった。彼がどうして、こんなところにいるのか。
どうして、会場にいなかったであろう目の前の少年がその事を知っているのか。
そんな事よりも、自分の考えを肯定してくれる。その一点が、アリスにとっては何よりも重要だった。
否、もしかするとそうなるように仕掛けを施された結果なのかもしれない。
しかし、どうでも良かった。
『そうだよね、アリス・アイルノーツさん』
「……えぇ、そうですわ。そうとしか考えられませんわ」
だから、得体の知れない少年に背を向けるのではなく、向けられる声にアリスは応じた。
『君の妹の魔の手から、ヴァン・エスタークを救う方法がある』
ああ、やはり自分は間違っていなかったのだ。あれは、タチの悪い夢だったのだ。
ヴァン・エスタークの隣には、やはり、わたくしのような人間がいるのが正しい。
虚無感に苛まれていた筈の胸中が満たされていく感覚に、アリスは破顔した。
『これを会場で使えば、きっと君の悪い夢も覚めるはずだよ』
両手に収まる程度の大きさのソレは、香炉に似ていた。
「それは、本当ですの?」
『ああ、勿論だとも。だけど、出来れば人が多く集まっている時がいいかな。それに、公子を騙して君に恥をかかせるような人間の悪事は、多くの人の目に晒してこそ、だろう?』
「ええ……ええ! そうですわ。その通りですわ」
汚い手段を取った人間には、それ相応の報いがあって然るべきだ。
目の前の少年はそれをちゃんと分かっている。
次第に気分が良くなってゆくアリスは、少年から迷いなく香炉を受け取った。
そして、会場に気分良く戻ろうと思った時、ふと気づいた。
あの少年は、一体何者だったのだろうか。
はやる気持ちを抑え切れず、踵を返した筈のアリスは再び振り返る。
だが、その時既にそこに少年の姿はなかった。
アリスの手の中には間違いなく香炉がある。
少年がいた事は紛れもない事実。
しかし、まるで神隠しにでもあったかのように少年の姿は跡形もなく消えてしまっている。
「……奇妙なこともあったものですわね」
不気味極まりない先の現象に、多少の違和感を覚えながらも、アリスはその足で再び会場へと向かう事にした。
◆◇◆◇◆◇
「ところで、ヴァンのお父様は今何処にいるの?」
「今は野暮用で家を空けてる。恐らく、そろそろ帰って来る筈だとは思うんだがな」
パーティーにたどり着いてから一度も見掛けていなかった事。
これまでの諸々を先に全部白状して謝っておこう。そう考えての発言だったのだが、どうにもヴァンのお父様は不在だったらしい。
「野暮用?」
今回のパーティーは急遽決まったことであるし、タイミングが悪い中、こうして開いてくれたのだろう。
ただ、野暮用とは一体何なのだろうか。
反射的に私はヴァンに聞き返していた。
「……王都で面倒事が起きてるだろう。あれの一件で親父殿も最近は忙しくしている」
ここ二年の間に大きく変化した事が一つある。それが、王位継承に関する問題。
現国王が病床に臥しているという事もあり、第一王子派と呼ばれる貴族と、第二王子派と呼ばれる貴族の水面下での争いが激化していた。
魔法師としても名高く、王国の盾とまで謳われるエスターク公爵家は不用意に国を割りたくないという理由から、派閥に所属をしておらず、二つの勢力が変な気を起こさないようにと王都に赴く事で抑止力となっている。
という話をいつだったか、お父様が誰かと話している際に聞いた気がしたけれど、どうにも本当の事だったらしい。
ちなみに、私の生家であるアイルノーツ侯爵家もどの派閥にも属しておらず、今回のヴァンとの縁談に賛同した理由の一つに、その点も挙げられたのかもしれない。
「今のところはどうにか均衡が保たれているらしいが、今現在優勢にある第一王子派の貴族の一部が国王の死を望んでいたりと、色々と物騒らしい。聞けば、怪しい勢力からの助力を得ている貴族もいるとかなんとか」
屋敷に篭ってばかりの私に入ってくる情報は、あまりに限られているのでヴァンの口から知らない情報がぽんぽん出てくる。
特に一年ほど前までは、私の記憶が確かであればそのいざこざも噂の範疇といえる程度のものだった筈で、恐らく激化したのはここ数ヶ月の話だろう。
「……だから、今家を出るのは本当に危険極まりなかったんだ」
「す、すみません」
てっきり、曲がりなりにも侯爵家のご令嬢なのだから、当然知ってると思ってたんだが。
と、責めるような眼差しと共に言葉を投げ掛けられる。
……もしかすると、ここまで急いで行動に出てくれたのはそれが一番の理由だったのかも知れない。
自分の無知を恥じると共に、申し訳なくなった私は視線を逸らす事しか出来なかった。
そんな時だった。
『ねえ、ヴァン』
ずっと無言を貫いていたハクが、不意に口を開いてヴァンの名前を呼んだ。
『今回のパーティーに呼んだ貴族の中で、精霊術師はいる?』
まるで、確信を持っているかのような言い草であった。
思えば、会場を後にした辺りからハクの様子がいつもと少し違った気がする。
「いや、いない筈だ。そもそも、俺の知る限り精霊術師は曾祖母とノアしか知らない」
『だよねえ。僕の場合は、ノア以外の精霊術師には会った事がない。……だけど、間違いなく精霊の気配がしたと思うんだよね』
「……それって、ここのすぐ近くでって事?」
『うん。それに、ただ精霊の気配がしただけなら気にも留めなかったんだけど、なんだろう。物凄く嫌な感じがした。だからさっきからずっと注意して探してたんだけど、』
どうにも、見つからないらしい。
いつになく険しい表情を浮かべるハクの様子は、冗談を言っているようには見えない。
「……ハクの考え過ぎって線はないの? ほら、ハクみたいにお腹が減って彷徨ってるとか」
『な、ないとは言えないけど、今回はなんか、そういうのとは違う感じだったんだよ』
たまーに、お腹が減り過ぎてゾンビみたいに徘徊するハクの様子をこれまで幾度も目にしていたからだろう。
可能性として挙げてみたが、ハクは吃りながらも否定した。流石に、「妖怪オヤツくれ」になるあの瞬間については、ハク自身も思うところがあるのだろう。
とはいえ、全然直してくれないんだけど。
『だから、何か思い当たる節があればと思ったんだけどさ。無いなら、そうだね。一応、警戒くらいはしておくべきだと思う』
「ちなみにだが、その嫌な感じがしたのはパーティー会場の中での話か? それとも、屋敷の中か? 外か?」
『僕が気配を感じた時は屋敷の外だったね。それがどうかしたの?』
「なら、問題はないだろう」
ヴァンはそう言い切った。
「さっきも言ったように、王都でゴタゴタが起こっている。その関係で、この屋敷を覆うように親父殿が強力な結界魔法を張っている。派閥に属していないからこそ、買ってしまう恨みもあるらしいからな。その保険という事らしい」
魔法が効かない体質になった筈なのに、全く気づけなかった。
その事に驚愕する私を見て、ヴァンは答えてくれた。
「……それが出来てしまうから、親父殿は王国の盾なんて大層な呼ばれ方をしてるんだ」
ヴァンが、親父殿には勝てないと常日頃から言っている理由がよく分かった気がした。
「だが、いつまでも勝てないままでいてやる気もないがな」
闘争心を剥き出しにして、不敵に笑う。
これまで幾度となく辛酸を舐めさせられてきたからだろう。
ひと目がある場所では、落ち着きのある公子として行動を心掛けているヴァンが、その実、人一倍負けず嫌いな性格をしている事を私は知ってる。
魔法と精霊術。
それらは異なってはいるものの、異なる中で似通っている部分もある。
だから、精霊術師としての意見も何度かこれまで求められる事があった。
勿論、私の知識は殆ど無いに等しいので、決まってハクと、あーでもない。こーでもないとうんうん唸りながらの返事にはなったのは記憶に新しい。
「まぁ兎に角、これからの事も含めてひとまず親父殿と話をしたいんだが、」
────やけに遅いな。
恐らくそう言おうとしていたであろうヴァンの言葉を遮るように、ドタバタと忙しい足音が鼓膜を揺らす。
馬車が到着するという報告も一切なく、確かにヴァンの言う通り、妙に遅いような気がした。
やがて、駆け込むように部屋のドアが押し開かれる。
視界に映り込んだのは、騎士服の男性。
息を切らしながらのその様子は、逼迫しているという言葉が相応しかった。
「た、大変です!! ヴァン様!!」
「そんなに焦ってどうした」
パーティー会場で何かあったのだろうか。
一瞬、そう思ったが、パーティー会場にいたのは執事やメイドといった使用人達だ。
騎士達は、屋敷の外で待機している者が殆どだった筈と思い出して思い違いに気づく。
「領内から王都に続く道にある橋、その全てが何者かの手によって崩落させられております……!!」