12話 闇夜の住人
私が一歩踏み出す。
すると、そこから溢れんばかりの緑が広がった。屋敷の床を侵蝕するように花が咲き乱れ、大地の香りが場を席巻する。
それはどこまでも幻想的で、どこまでも私達に安堵の感情を齎してくれる。
先程までの異形の怪物に対して抱いていた恐怖を跡形もなく取り払い、結果、貴族達は突如として顕現した緑の世界に見惚れていた。
これは、森の精霊と呼ばれるハクの契約者である私と、ヴァンが力を合わせる事でどうにか形になった離れ業。
これならきっと、全てが上手くいく。
下手人はこの『ディア・ガーデン』から私達の許可なく抜け出せない上、周囲の貴族達も動揺の感情を抱く事はなくなる。
下手人を、捕まえた。
仮にもし、この結果を得られたならば、それは間違いなく上出来というべきものだろう。
ただ、文句のつけようがない最高の結果にはあまりに程遠い。
そもそも、エスターク公爵家の不手際で何者かに掻き回されたとあっては信用問題にもかかわる。重箱の隅をつつく貴族は出てくるだろう。危険に身を晒した責任を取れ、などと。
ならばどうすれば良いのか。
どうすれば、文句のつけようがない最高の結果を得られるのか。
そんなものは決まってる。
全てを────上書きしてしまえばいい。
私の柄ではないけれど。
ヴァンの柄でもないけれど、最高に派手で、規格外な私達の婚約のお披露目という舞台で上書きしてしまえばいいのだ。
ならばきっと、誰からも文句など出る訳があるまい。
強いインパクトには、さらに強いインパクトを被せればいいだけなのだ。
「私がヴァンに相応しくない。釣り合っていない────そんな事は、言われるまでもなく理解しています」
声を張り上げる。
多くの人達から視線を一身に受ける事に慣れてなくて、心の中では目を逸らしたくて、声が震えてるんじゃないかってビビって、逃げ出したくなって。
でも。それでもと、どうにか自分を奮い立たせる。
「ヴァンの隣は、きっと私のような落ちこぼれより、ずっとお姉様のような人の方が相応しい」
ヴァンを呼び捨てにする私のその不遜さに、周囲の人間達は聞き間違いでなかったのだと理解をし、あからさまにざわめく。
それでも声を荒げて罵倒を飛ばさない理由は、ヴァン自身が私の行為の一切を咎めていないからだろう。
……反感を買うと知った上で、私はヴァンをあえて呼び捨てにした。
あえて、普段と一切変わらない態度を取った。本当は、社交の場でこんな事は常識外れで、阿呆と罵倒されて然るべきもの。
でも、その前に私はヴァンの友達だから。
ヴァンを大切に想っているから。
ヴァンの、本心を知っているから。
────ただ俺は、結婚するなら一緒に笑い合えるようなやつとが良かった。
どうせ私は「落ちこぼれ」で、「出涸らし」で、「汚点」で、「欠陥品」で。
褒められた事ではないけど、罵倒される事には慣れている。
だったら、今更「常識知らずの阿呆」と蔑称が一つ増えても痛くも痒くもない。
なら、こうなってしまったんだ。
私は、ヴァンにとって対等で、心を許して貰える────そんな立場でいよう。
これは、その決意のあらわれだった。
「だから、皆さんが思っているソレは、何一つとして間違っていません」
自分がすごい人間だなんて、思ったこともない。結局、この力だって、ハクに借りているようなものだから。
ハクは私の才能だと褒めていたが、そう思った試しなんて一度もない。
「だから、こんな私が迷惑をかけていい存在じゃないと思ってました」
唯一無二の友達として接していた。
そこに、一切の虚偽はない。
だけど、私の心の奥底にはやっぱり、拭い切れない劣等感と、自虐の感情が残っていた。
だから、言えなかった。
お姉様の憂さ晴らしというべきあの行為に対して、ヴァンに助けを求める事なんてできなかったし、そもそも選択肢にすら含んでいなかった。
本当は、ハク以外で初めて出来た大切な存在と、離れ離れになるのが嫌だった癖に、私は何食わぬ顔で仮面を被って、いつも通りの「ノア・アイルノーツ」を演じていた。
だって、大事な友達であるヴァンを困らせたくなかったから。
「ヴァンは、天才です。皆さんも知ってると思いますけど、頭も良くて。優しくて。顔もほんっと整ってて。本当に、欠点らしい欠点がないような完璧超人で」
聞く人が聞けば、それは愚痴と捉えた事だろう。言いたいように、言いたい事だけを口にしてゆく。
幼子が書いたような作文のような発言の連続だ。だけど、これで良かった。
どうせ取り繕ったところで、真面な言葉は出てこないのだ。
自分の頭の悪さは、よく知ってる。
だったら、ありのままの本心をぶちまけた方がよほど良い。
「────でも、だからこその苦悩がある」
誰にも理解されない辛さがある。
痛みがある。悲しみがある。
「私はお姉様になれないけれど。『落ちこぼれ』である事に変わりはないけれど。私なりに、ヴァンを支えたい。対等な存在であり続けたい。……そう、思ってます」
接した時間はまだまだ短いけれど、婚約者という立場を抜きにして、私はかけがえの無い友達であるヴァンに対して、心の底からそう思っている。
だから。
「だから、皆さんにはこれを見て欲しかった」
この魔法は────。
この精霊術は────。
この、二人で作った技は、私の想いに何よりも相応しいものであったから。
「まだ私は、ヴァンの婚約者としてはちっとも相応しくないけれど、いつか多くの人に相応しいと認めて貰えるように、精進してゆくつもりです」
仮に認められたとして、その頃にはきっとこの仮初の婚約は解消されているだろうけど。
そんな事を思いながらも、私はおくびにも出さず、屈託のない笑みを浮かべてやる。
それは、目の前にいる貴族達に向けてであり、お姉様に向けてであり、この『ディア・ガーデン』に囚われた下手人に向けたもの。
「だから是非、私とヴァンが二人でこの日の為に作り上げた魔法を、ご堪能下さい」
二つの意味を孕んだその言葉の意図に気付いたヴァンは、口角を吊り上げてどうにか吹き出すのを堪えていた。
まるで幻想世界に迷い込んでしまった。
そう錯覚させられるだけの光景を創り出した担い手の一人であるヴァンは、小声で呟いた。
「……役者だな」
「こんな下手くそな役者がいてたまるもんか」
さも、ヴァンと私の婚約の披露の為に予め準備していたかのような物言いを前に、ヴァンは楽しげに笑っていた。
人前では決して、表情を崩さない人間。
感情らしい感情を見せないヴァンが、珍しく楽しげに笑っているその様子に、誰もが驚いていた。
父も。母も。お姉様も。みんながみんな。
普段の何の面白味もない鉄仮面より、こっちの方がずっと素敵で、いい顔をしてるよね。
周囲の人間に向けてそう告げるように、私もまた、一緒になって笑った。
◆◇◆◇◆◇
『────聞いてない』
ぽつり。
『さすがに、これは聞いてないんだけどな』
謎の声は、焦燥感に駆られながら忙しなく視線を動かす。
都合が良いからと使ってやったアリス・アイルノーツが想像通りの働きをし、カルロス・エスタークが構築した結界が崩れた。
ここまでは、予定通りだった。
問題は、この後。
『幾ら何でも、これは出鱈目過ぎだろう?』
綻んだ結界を遠目から確認し、念には念をと出張ったのが間違いだった。
それが、罠だと気づいた時には全てが手遅れだった。
────ディア・ガーデン。
この正体不明の魔法が、全てを阻んだ。
魔法も。精霊術も。逃走手段も。
何もかもを拒み、遮る。
この空間の中では、魔法と精霊術。
その両者の使用が、仕掛けは不明だが禁じられている────。
『いや。それはちょっと違うかなあ。厳密には、使えていると認識が出来ていない、が正解かな。だから、僕やノア。ヴァンはこの空間であっても、問題なく使えるよ。まあ、これは殆ど初見殺しだから、カルロス・エスタークですら、二人を捕まえる事を即座に諦めちゃうような代物だけど』
カルロスの謎の自信は、ここに帰結する。
自分でさえも、種の分からないとんでも魔法を編み出すような人間二人を、どうして不安がれようか。
『このディア・ガーデンは、その名の通り、二人の庭だ。だから異物である君は、この空間にある全てから敵として認識される。ああ、抵抗は構わないけど、諦めた方がいいよ。なにせ、この魔法には僕の知識も惜しみなくつぎ込んでるからさ。たとえカルロス・エスタークや、君であっても、ちょっとやそっとでどうにか出来るものじゃない。ねえ? ────闇夜の住人』
貴族然とした服装の少年は、周囲に広がる花や蔦に絡め取られた事で身体の自由を奪われる。その状態で、宙に浮遊するハクを見据えた。
『……高位精霊。しかも、その中でも特異と言われる〝竜種〟か』
冷静にハクを分析する声。
しかし、その声と思考をハクは容赦なく切り捨て遮った。
『僕の事はどうでもいいよ。それより、どうして闇夜の住民である君達がここにいるのか。どうしてこんな真似をしているのか。洗いざらい吐いて貰う事の方が余程大事だからさ』
ハクの認識では、ダークエルフと呼ばれる者達は根っからの引き篭もりで、自分達のテリトリーから決して出ようとしない種族。
数百年前に森の住人と袂をわかったダークエルフは、それ以来、他種族との接点を僅かですら持とうとしなかった筈だ。
なのにどうして、こんな事をしているのか。
ハクであっても、その行動に疑問符ばかりが浮かんだ。
『……洗いざらい、か』
腐敗する。
ダークエルフの彼に絡みついていた蔦が、花が、空気が、どろりと変容し、腐ってゆく。
『……流石にダークエルフ。この空間内であってもある程度の魔法はすぐさま使えるようになっちゃうか』
だが、想定の範囲内であるし、寧ろこれは想定通り。
確実に拘束するならば、魔力の残量は極力減らすに限るから。
『別に隠す程の事でもないさ。とある人間から対価を差し出され、その対価に見合った見返りを此方も渡した。これはただ、それだけの話』
足下の大地すらも腐敗させながら、彼は語る。
別段、ダークエルフの彼からすれば命を賭けて守る程の情報でもない。
所詮は一時的に手を結んだだけの関係。
だからこうもあっさりと告げたのだろう。
『こうしてエスターク公爵家を襲ったのも、何もかもが見返りとして求められたから。それだけの話さ』
これで、エスターク公爵家が誰かしらに恨まれている事が確定的になった。
しかも、ダークエルフを巻き込んでまで始末しようと試みた。
その事実は、重く受け止めるべきだろう。
ハクが話を聞いている隙に、拘束を解き、逃走の準備を整えたダークエルフの彼は、不適に笑いながら距離を取る。
時間を待てば、間違いなくこの場所にカルロス・エスタークがやって来る。
加えて、この『ディア・ガーデン』。
ハクの存在に、ノアとヴァンまでいる。
明らかに分が悪いと考えたのだろう。
逃走に切り替えるその思考は間違ったものではない。むしろ、至極当然とも言えるものだ。
けれども。
『だから言ってるじゃん。諦めた方がいいって』
腐敗した筈の蔦や花が、活力を取り戻して再度、ダークエルフの彼を拘束する。
次は先程よりもずっと強固に。
その事実に気が付いた彼は、顔をあからさまに引き攣らせる。
続け様に、アリスが見せたあの異形の怪物さえもを無差別に召喚する彼だったが、それすらも吹かれる灰のように即座にかき消された。
この『ディア・ガーデン』はカルロスのような魔力量に物を言わせる典型的な魔法師とは相性が悪いが、策を弄するタイプの人間とはこれ以上なく相性がいい。
この空間ごと破壊出来るだけの火力を有した魔法を放たない限り、基本的に抜け出す方法は存在しないから。
『術者を止めない限り、この拘束は終わらない。荒いざらい吐いて貰うと言ったけど、それで終わるとも僕は言ってないよ』
目的は、彼の知る情報について。
それと、ダークエルフが一枚噛んでいるという事実の証明。
危害を加えた張本人であるという事実を除いても彼を逃す選択肢はハナから存在していない。
悪辣に笑うハクの笑顔は、悪人顔負けのものだった。
『格上の精霊術師の〝テリトリー〟に、安易に踏み込んだのが運の尽き』
転瞬、ダークエルフの彼は、懐から何かを取り出す。直後、浮かぶ魔法陣。
人間を相手に義理立てをする訳がない。
そう確信していたからこそ、ハクは「自爆」という選択肢を省いて動いていた。
だから、対応に一歩遅れてしまう。
そして────。
「随分と掻き乱してくれたもんだな」
言葉と共に、どこからともなく何かが飛来。
それが魔導具であるとハクが気が付いたのは、「自爆」を試みたであろうダークエルフの行動が無力化されてからであった。
振り返る。
そこには、見知った男────カルロス・エスタークと、外套を目深に被り込んだ痩躯の男性がいた。
「……しかし、とんでもない才能ですね。二人がかりとはいえ、まだ成人を迎えていない子供が〝擬似固有結界〟ですか」
……ここまでやれるなら、貴方のあの自信にも頷けますね。
その呟きには、どこか呆れが含まれていた。
言葉にこそされなかったが、よくこんな真似をしようと試みたものだなと言わんばかりのものだった。
「そして、精霊。確かに貴方の言うように強力そうですね」
『……見えるの?』
ダークエルフは元々、精霊との交友が深い種族だ。
だから、ハクを目視する事ができる。
カルロスは兎も角、外套の彼、ロヴレン・マグノリアがハクに気付ける理由が分からない。
故に問いを投げかけていた。
「そういう魔道具を使っていますので」
『……成る程。なら、あれはそっちの君の仕業か』
自爆の魔法を無力化したあの正体不明の魔導具の出どころが判明する。
「だが、一部の貴族が得体の知れん連中から力を借りているとは聞いていたが、よりにもよってダークエルフか」
夜闇の中で目にした場合、あまり気にはならないが、闇をかき消された『ディア・ガーデン』の中でその特徴的な褐色肌はよく目立つ。
「……ったく、連中は何を考えてやがる」
それだけ追い込まれていると言うべきか。
今すぐにでもエスターク公爵家を排除したい理由があったのだろう。
またしても舞い込んできた厄介ごとに頭痛を覚えながらも、ダークエルフへの拘束を強化しながらカルロスは溜息をもらした。
だが、カルロスも、ハクも、ロヴレンも。
誰もがこれで終わったと思っていたからだろう。
ダークエルフが密かに口角を僅かながら吊り上げていた事に、誰も気付いていなかった。