第9話 正義をそれでも謳うなら
検問が、俺たちのひとつ前にいる数名の旅団に対して始まった。
マガフへの訪問理由は? 身分や身元を証明できるものはあるか? その荷物の中身はなんだ? 検分させてもらう……。
門番たちが任務に対して忠実に、違反や怪しい点がないかどうかを問いただして調べている。
その様子を少し後方で観察していた男――門番長コリン・ダラムの元に俺は近づいて行った。
ダラムは欠伸をしながら立っていたが、すぐ手前まで近づくと俺が誰だかを認識した。
「……ん? おお! 誰かと思えば……久しぶりじゃないか! ――あの時は世話になったな、ローンツリー殿」
「ダラム殿も相変わらずで……色々と積もる話もあるが、それは後回しにしたい」
「……厄介事か?」
「ああ、だいぶな……」
声を落としてダラムに告げる。
「まず、頼み事だ。いま俺の幌馬車の荷台には……エレンディラの皇女が潜んでる。
道中、暗殺者に襲われているところを俺が保護した。マガフにも暗殺組合の支部はいくつかあるだろう……そいつらにバレたら不味い。皇女にはマガフに皇国の伝手があるらしい。つまり……わかるな?」
ダラムは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに平静を保ち……欠伸をしながら世間話をしているような面持ちで、同じく声を落とした。
「随分とまた、厄介な事態に巻き込まれたな……。最近だと『不可視の梟』の動きが不自然に活発だ。俺たちも出来る限りの探りは入れていたが、暗殺組合は正直、軍部も不可触存在だ……事情は分かった、門は通す。皇女を無事引き継いだあと、俺のところへ報告に来てほしい」
『不可視の梟』――その手の組合の中でも、この地域で一番巨大な組織だ……ということは、ファルスが黒幕ということか? 『ファルス復興・革新派』連中の、貴族の差し金なら合点が行くな。有難い情報だ……。
「恩に着る。それと……これも内密にして欲しいが、マガフに最低限滞在したら皇女に護衛をつけてすぐにハンザ共和国へと向かう予定だ。俺も護衛士として正式ではないが契約を交わしている」
「お主の馬車でもハンザまでは3日はかかるぞ? ……厳しい道のりだな。軍人として手助けしてやりたいが……下手に軍隊が付き添えば目立っちまうし、国境は越えられないからな。
現時点で俺に助力可能なことは『不可視の梟』への探りを強めることと、この南門を開けてやること位だ……すまんがな」
「いや、十分だ。助かる」
交渉は成立した。俺は御者席に飛び乗り、馬車を出す。
ダラムが直々に検問を担当する。だが、それは表向きの似非検問だ。適当な問答と荷物の確認が終わり、門を通り抜ける。
とりあえずは、第一関門突破だな……。
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マガフの城塞内は、地方都市とはとても思えないほど活気に溢れた商業地帯が多い。次いで製造・建設などの工場や拠点が立ち並び、嗜好品関係の農作物栽培も小規模ながら城塞内でおこなっている。
都市近郊には城砦がいくつか点在しており、その周りには大規模な農業地帯と、主要産業ではないが林業や漁業の拠点も存在する。
地方とはいえ通商国家の一端だ。様々な産業がこの都市を盤石に支えている。
本国の影響力も良い意味で適度なものであり、交易の課税や輸入出禁止品などの制限も最低限だ。故に交易商人たちの人気が高い街ではあるが、辺境で商売をやる者は大都会と比べれば少数と言える。
俺も所属としてはファルス・スタンレー共和国の商人組合ではあるが、マガフでもバランスの良い商売をさせてもらっている……。とは言っても稼ぎは自分が食っていける分と、自宅を置くシノン村やその近隣村落に微々たる支援が出来る程度のものだがな。
――デカい商談を過去何度か請け負ったこともあったが大抵、何らかの不運に巻き込まれて本来の儲けが結局、いつも骨折り損のくたびれ儲けになっちまう……。それを承知の上で、この生き方を選んではいるんだが……金にはやはり縁がないな。
今回の護衛も、俺の儲けについてはどうせそんな形で終わるのだろうと思っている……。だが別に、それならそれでいい。乗り掛かった舟だ。サラ皇女を無事にハンザ共和国に送り届けられたならそれだけで満足だ。
皇女とここまで……わずか2日足らずの道中だったが、彼女には神秘的な力を感じた。――最初はそれこそ妖狐でも出たかと思ったがな……。
その力は、俺が抱える心的外傷にも救いを与えてくれた、気がする。勝手な自己満足に過ぎないが……それでも、その恩義には応えたい。かつて、この心と命を救ってくれた……人たちのためにも。
俺が、俺だけが生かされた意味をサラ皇女を理由にして、見出したいだけなのかも知れない。そうだとしても――今の自分に出せる答えはここまでだ。
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エレンディラ皇国の悪い噂は聞いたことがない――そもそもの国の興りは300年ほど前に遡る。
新緑のエルダリオン――ウッドエルフと人間の混血種である半エルフ達が、権力を増した混血種排斥派の強引な決議によって祖国であるマナヴァリ古代森林自治領を追い出され、当時は完全な未開拓地であった【エムラダ・ナンド大樹海】へ流浪の果てに定住し、小さな自治区から始まった国がエレンディラだ。
彼らは他国との諍いを嫌い、鎖国的な政治体制を敷いているし、原則、国民はすべてハーフエルフで統一されている。
だが、それは自分たちと同じような悲劇の繰り返し……混血種を排斥するようなことが起こってしまう事態を避けたいがゆえの手段であるだけだ。
我々、ベツェレム種や他の種族の入国自体には寛容であるし、過去に何度か行商や交易に訪れた際には手厚く待遇してくれた。
代々の皇王、そして現皇王オットー=アデライード=エレンディラ3世も例外なく名君と呼ばれ、他国相互不干渉の統治体制を貫きながらも、卓越した外交能力で一定の自治圏と権威を保ちながら今日に至っている。
平和を望みながら、理想だけではなくそのための努力を惜しまない国家なのだ……。
こんな世界だが……日々侵略や謀略に勤しむのは勝手だが、経済活動の負の連鎖から抜け出せず争いを繰り返す国家群よりも、俺はエレンディラ皇国のような国家に生き残って欲しいと、思う。
そしてそれは――俺に命を託してくれた友人の、願いでもある――記憶の断片が少し、蘇る。
大義や民族の維持を賭けた戦争や、様々な侵略の根幹が詰まるところ『生き残る手段』であるというなら、すべてを否定はできないが……それを理解した上でも俺はそう、思う。いや、思わなければやっていけないのだ。
限られた選択肢の中から選ばなければいけないのは、解っている。思考を停止して安易な正義を謳うつもりもない。相対的な分類で腑分けられた善でも悪でもない――己が決めるべき、選択を放棄してはいけない。
思考を放棄し、ただ死んでいないだけの生……ヒエラルキーの上位存在に生殺与奪権を握られたままの奴隷でも道具でもなく、自分自身で見定め考え続けなければいけない生き方は楽ではないが、命ある限り『今度こそ』――自らが『どう在るべきか』を、見極めなければいけない。
マガフ南側の居住地区の一角に、幌馬車を止めれそうな空間があった。
俺はそこに馬たちを徐行させながらうまく端に寄せて止める。辺りに不穏な気配はない……。とりあえず葉巻を取り出して、ゆっくりとひと吸いする。
サラ皇女が心配そうに、木箱からひょこっと顔を少し出した。
『大丈夫。心配ない』と目線で伝え、煙をくゆらせながら吐く。
そうだ……。少なくともこの子が理不尽に暗殺される未来など、あってはならないのだ――――。