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隠遁の交易商 The Ên Sôph Saga ―Episode V―  作者: 正気(しょうき)
第一章『辺境の経済協定』編
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第8話 おっさん、歌う

 ケルビの河川沿いルートを、二頭付きの幌馬車が快調に走っている。先ほどまでは、なだらかだった道の起伏が徐々に多くなってきた。


 地方都市マガフは丘陵地帯のど真ん中、その中でも一番高い小山の上に築かれた城塞都市だ。イェフディート通商国家の最北端に位置する、大陸北側の辺境国家との地上貿易拠点の要衝である。


 柳樹林を切り拓き造られた野路もようやく、整備が行き届いているとはいいがたいが――石畳の街道へと変わってくる。


 ここまで来れば、あとは半日足らずで着くだろう……。


 普段の交易よりもかなり馬たちを飛ばして走ってきた。なんとか今日中にはマガフに入りたい。この状況で野営をもう1日挟むのは出来れば避けたいからな。


 皇女を狙ってる敵さんも、ハンザ共和国へ至るルートは自明だろう。当然、こちら側にも追手を放っているはずだ。


 陽星ケートスはまだ、空に輝いていて夏季の終わりを惜しむように大地を照らしている。太古から数多の宗教に【神】として崇められている星……。


 エレンディラは確か……精霊信仰アニミズムの国だったな、なんてことを荷台にいるサラ皇女が口ずさむ歌を聴きながら思い出す。


 やや、スローテンポのバラッドだ。



「〜♪

夏がまた呆気なく 過ぎ去っていく

無邪気なままの私を 置いていくように

秋には起きて 旅立たなければいけない


星が降り注ぐ夜に 雨が降り止まぬ朝に

確かに私が在ることを 痛みとともに教えてくれる


記憶が薄れても 何を失ったかは忘れない

秋には起きて 旅立たなければいけない 〜♪」


「……『紅葉と旅立ちて』――ですな。古い歌だ……」


「あら、ご存知でしたか? 年に一度、この時期くらいにお越しになられる3人組の吟遊詩人がよく披露してくれる歌です……詩と旋律が叙情的で私の好きな歌のひとつですわ。ふふっ、吟遊詩人さんに楽譜を頂いたので伴奏も出来ますわよ?」



 少し得意げな様子でサラ皇女が言う。こういうところは年頃の娘らしく振る舞えるのだな。少しばかり心が和んだ。



「ほう。楽器も嗜まれますか。洋琵琶リュートで良ければ……そこの、手前の木箱に入れておりますよ」


「まぁ! ……お借りしても宜しいでしょうか?」


「勿論、喜んで」



 洋琵琶リュートは古代から世界各地で貴族・民衆問わずに嗜まれ、愛されてきた楽器だ。花柄模様が表面板に透かし彫り(ロゼッタ)で入った、梨を半分に切ったような形状が特徴的な木製の弦楽器。

 俺も趣味で偶に弾くことがあるから、楽器がすっぽり収まるように型を取った木枠と硬革で拵えた鞄へ大事にしまってある。緩衝材として内側にフェルトを何重も張った鞄だ。木製楽器は湿気を嫌がるので竹炭を入れてある。



「……うん、良い材質ですし調律も狂ってない。リアム殿も嗜まれているのですね? 使い込まれていて弾きやすいですわ」


「はははっ、お気に召してくれて良かったです。私は偶に弾くくらいですがね……最近は置きっぱなしでしたから、そいつを存分に弾いてあげてやってください」



 ジャラン……と心地よい和音が響き渡る。ゆったりとしたストロークを繰り返しながらサラ皇女がまた『紅葉とともに旅立ちて』を歌いだす。透明感があってよく通る、美しい歌声だ。洋琵琶リュートも歌声に合わせてリズム良く奏でられている。


 歌声とケルビの河がせせらぐ音が調和する。ガーベラとスウォンジも心なしか、いつもより表情が柔らかい気がした。


 なんだか……懐かしい気分にさせられる。かつて、こんな風に陽だまりの下で心許せる者と過ごせたこともあった。だが、一時の幸せは……この手に収まることは無かった。


 記憶が薄れても、何を失ったかは忘れない――か。

 まったく……その通りで……。俺も、シノン村に移り住んでから気づけばもう10年以上、経つんだな。


 失ったものが余りにも多すぎて、心の傷の痛みに耐えきれず記憶に蓋をしてしまっていた。喪失と哀しみばかりに囚われて……()()にすべてを、無理やり押し付けてしまったんだ。


 腰に下げた、腐れ縁の呪剣に目をやる。そこに潜む、良く知っている者に――見つめ返された気がした。すまない……俺は、逃げてばかりだ。もしかしたらこの旅を通して、自分自身に……すべての過去に折り合いをつけられる時が、くるのだろうか。


 サラ皇女の奏でる詩が在りし日の情景、その面影たちと重なり――目頭が少し、熱くなった。



「〜♪

夏がまた呆気なく 過ぎ去っていく

無邪気なままの私を 置いていくように

秋には起きて 旅立たなければいけない


秋には起きて……旅立たなければいけない…… 〜♪」



 俺は、いつの間にか一緒に、口ずさんでいた。それはまるで、今の自分に言い聞かせるように……そして――心を、奮い立たせるように。



❖❖❖❖❖



 日が暮れきる前に、なんとか地方都市マガフへと辿り着くことができた。


 城塞都市――城塞シタデルが取り囲んだその中に、マガフの生活区域は存在している。城塞シタデルは二重になっており、上空から見ると八角形オクタゴン型に壁が設置され、その高さは約20メートルほどもある。

 所々に監視塔と多数の弓兵、大砲が配備されている。堅牢かつ厳重な防衛力に、初めて訪れた者が感じる威圧感は相当なものだろう。


 東西南北と四か所にある城門のうち、北門か西門がここからなら一番近いが……サラ皇女の情報はすでにこのマガフにも巣くう……暗殺組合イリーガルギルドに入っている可能性が高い。

 当然、検問にも諜報の網を張っていると考えなければならない――だが、俺もこの都市には伝手がある。


 あえて、現在地から()()()()南門へと、俺は馬たちに指示を出して馬車を向かわせた。



「サラ様……追手がすでに網を張っていると考えられます。マガフへ()()()()()入りません。少々手狭ですが……さきほどの洋琵琶リュートが入った鞄を取り出して、門を通過するまではその木箱にしばらく隠れていてください」


「……ええ、わかりました。あとは、リアム殿にお任せいたします」



 地方都市マガフの南門は、この時間帯でも混んでいた。さすがイェフディート通商国家……いつ来ても交易商人や旅人が混雑しているな。ティフエレト大陸の辺境……と呼ばれる北側との経済交流を一手に担っているだけのことはある。


 遠眼鏡で検問をしている兵たちを覗く。この南門の何処かに"彼"が、必ずいるはずだ。


 注意深く観察を続ける…………よし、居てくれた。俺はほっと胸を撫でおろした。探していたのは門番長コリン・ダラム――彼には一つ大きな『貸し』がある。以前、マガフに交易で滞在していた際の話だ。


 完全な巻き込まれだったがな……。隣の客室がいきなり吹き飛んだ時は本当に死んだかと思った。


 ダラムは南門の門番長かつ南側居住エリアの治安維持部隊所属である。軍属ではあるが検問、都市内外の警備、市民への防犯指導などを専門とする保安部隊だ。

 

 ……あくまでそれは、()()()の顔に過ぎないことを、知っている者はごく僅かであろうが。



 順序通りに行列に並びながら、待つ。検問は緩過ぎず、厳し過ぎずのペースで進んでいく。

 タイミングを待つしかないな。


 …………。なんだ……?


 突然――すぐ背後から尋常ではない気配を感じた。とっさに振り返る。


 そこには、霊柩馬車を思わせる漆黒の車体を持つ()()()()大型の貴族用馬車があった。微かだが、死臭と血の匂いを感じる。こいつは……。


 俺は馬車を牽引する不気味な黒馬と、黒い山高帽ボーラーハットを深く被った目元が見えない御者を、顔はそちらに向けず出来るだけ気配を消しながら見澄ました。

 その馬車は行列を無視し、南門へと近づいていく。門番たちも一般の検問を一時止めて、門の前を空けるよう誘導している。


 まともな貴族の類なんかじゃあない。あれはおそらく……。


 馬車が放つ只ならぬ威圧感は、マガフがもうすでに俺たちにとって――死地と化していることを予感させた。





❖❖❖❖❖

劇中歌はGreen Dayの『Wake Me Up When September Ends』をモチーフにしました。

主人公の名前はリアムなのに、Oasisではなく敢えてファン同士が仲の悪いバンドからですが(笑)



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