第6話 おっさん、感傷に浸る
無事、夜が明けたな……。
どうやら今回は灰牙狼の襲撃だけで乗り切れたようだ。
木製腰掛で葉巻をくゆらせながら、安堵としばしの思案に落ちる。しかし――本気であの子、暗殺者たちを1人で殺れたんじゃないか?
先の狩猟慣れした技巧は見事だった。
数的不利を跳ね除ける実力があるのだ。ならば暗殺者の徒党に対しても不利要素は少ない。
……と、早計したら素人だわな。
『地の利を完璧に封じた場所で襲撃を受けた』と、道中でサラ皇女は言っていた。
その意味合いから察するに、自然魔術を行使できない場所か、弓手に著しく都合の悪い立地……そうなると【空中庭園街道】の出口あたりになるだろう。
あの辺りは特殊な魔力非干渉の石畳だらけで地面や植物への干渉力はおろか、魔術自体がほぼ発動不可能になってしまう。正確には発動した直後、魔力が霧散してしまうのだ。
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スラン文明……古代遺物の不思議だ。
かつて、とある財団所属の古代文明研究機関が調査隊を派遣し、空中庭園街道の隅々まで調査を行った――俺も過去、関わりを持ったことがある見知った顔ぶれの者たちだ――その結果、この庭園を構築する材質は一見、石造りのように見えるが……『時間軸がこの世界と隔絶されている』。まだ仮説の域は出ていないらしいんだが、そんな報告書を見た気がする。何せ、金剛石や魔鋼製のつるはしで叩いても傷一つ付かなかったのだ。
そもそも、超長距離の橋とも言えるこの構造物は支え自体が現代の構造力学上、あり得ない設計をしている。支柱は10数キロにもおよぶ両端の出入口付近と……そのちょうど真ん中あたりに一本しか建てられていない。
その支柱の研究も行われたが……下に広がる湖は本来潮流などないはずなのに、その支柱周辺だけがまるで人を寄り付かせないよう激しい潮流を常時発生させている……古代文明の動力機関が今もなお人工的に発生させているのではないか、という仮説も立てられた。
先に旧スタンレー王国も調査を行っていた履歴があり、その際に起こったある悲劇を財団の研究機関は当然情報として入手していたから、一次調査はそこまでで打ち切られた。
そんな……色々といわくが尽きない場所なのだが、庭園の名が示す通り各出入口と中央に観光名所としても知られる立派な庭園が存在している。その管理も一体誰がいつ行っているかはいまだに解らないが、常時、色鮮やかな手入れされた草花が咲き誇っている。
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――戦術的な話に戻そう。両端の出入口は開けた庭園で、当然、遮蔽物の類も少ない。つまり……襲撃者側からしたら絶好の狩場だ。
敵さんも相手がハーフエルフだと知って襲撃したんだ。弓なり自然魔術なりの対策は万全に施して来ていただろう。
俺と刺客の集団が対峙した際も、よくよく考えればサラ皇女は発煙弾の煙幕が展開するのを待ってから、ようやく術を行使していた。
逃走中、森に逃げ込んだと言っていたがそれなら完全にハーフエルフの独壇場だ。なのに、刺客を一人も制せずに這う這うの体であの野路まで逃げてきたのだ。
夜間、害獣相手に発揮したあの高精度な弓術を優先脅威と見なして、暗殺者たちはまず着実に皇女が把持した短弓を落としてきただろうということ、対自然魔術への防備はおそらくほぼ完璧に整えていたこと。
相手が行使する術が予め解っていれば、耐性を得る調薬類や付呪魔術式、装備などいくらでも用意できる……。弓についても直接落とさずとも風術を行使して軌道を逸らすか、発煙弾でも使ってしまえば分は一気に暗殺者たちへと傾く。
そういうことだと仮定すれば……暗殺者たちに敵わないのも頷けた。残念ながら、明らかに事前の戦策でサラ皇女や護衛のハーフエルフたちは負けていたのだ。
――それでも、そんな圧倒的不利な状況の中、あの煙幕の間断を突いてプロ相手に術を成功させたセンスのほうがむしろ、戦士として一級品だと評価できる。
やっぱ恐ろしい子だわ、末恐ろしい。
「……う〜ん」
末恐ろしい第三皇女が起きた。
「あ……リアムさん……おはよう、ございます……」
絵本のウサギみたいに長耳が垂れている。末恐ろしくても、どうやら朝には弱いらしい。
俺も少し仮眠は取ったが、火番を交代制にしなくて良かった。
いや、さすがに皇女へ火番を頼むのは気が引けたしな。
やむを得ない状況ならば四の五の言えないが、そこは一応、年の功か。
微細な気配を察知すれば身体が自然と起きる。交易商人には不要な技術……とは言わないが、商売自体には少なくとも不要なものだな。まぁ……俺は俺で、こんな体質に至るまでの色々が今まであったのだ。
――それに、火番くらいはせめてしないと、あんな前衛的かつ先進性が垣間見える陣地をいとも容易く築き上げながら、灰牙狼の群れを1人でほぼ一蹴したサラ皇女に対して、正直立つ背がないというか……。
一介の交易商人が持つべきプライドでは、ないがな。知らぬ間に才気ある若者の持つエネルギーに焚き付けられたかな?
葉巻の火を消す。一応今は交易商人兼、護衛士だ。
まずは己の役目を果たそう。
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リアムは朝食用に昨日の鍋の残りを器に移し、てきぱきと焚き火や調理器具などを片付け、馬に水をやったり、結界用の麻糸と鈴を回収したりと動き出した。
サラ皇女には昨日の鍋の残りと荷台に備蓄しておいたバゲットを朝食として用意した。さりげなく、川の水を汲んだ手桶と体拭き用の布も置いておいた。野営じゃこれくらいしか用意できないが、そこは我慢していただきたい。
リアムがそうこうしている間に、眠い目を擦りながらも育ち盛りの若者らしく、皇族としての行儀は保ったまま、すでに朝食を手早くサラは完食していた。
牙狼の死骸は、本来なら皮を剥ぎたいところだが……この状況だ。勿体無いが諦めるしかないな。
代わりにせめて、その代名詞である鋭利な牙、そして爪を夜のうちにナイフで丁寧にくり抜いてある。これだけでも武具や建材、装飾用と幅広い使い道があるため割と良い値がつくのだ。
「リアム殿。ご馳走様でした」
どうやらサラ皇女の準備も整ったようだ。
牙狼の屍は牙と爪を取った後、これも夜のうちに塹壕の奥に詰めて簡単に土を掛けて埋めておき、地面に飛び散った血も常備してある折畳式の円匙で掘り返し、地面に隠していた。
屍を狙うハイエナや、血の匂いを嗅ぎつけた別の害獣の襲撃など、二次被害を抑えるための基本的な処理だ。自分たちに被害がないとしても、あとに通る商人や旅人などのために行う最低限の作法である。
あとは、この陣地か……写像器でも持っていれば写し絵のひとつでも撮りたいが、そんな高価かつ商人に不要な物品は持ち合わせていなかった。火番をしている間に軽く写生図しておいた。いざという時に、自分自身でも造れるようにするためだ。
「サラ様。朝早くから恐縮ですが、またひとつお力を貸して頂きたい」
瞬く間に一夜の、機能美を有した陣地が元の土塊と石ころに戻っていく。
同時に灰牙狼の屍も完全に埋もれた。
――よし。行こう。
二頭の愛馬、ガーベラとスウォンジの鬣を撫でつつ快晴の空の下、リアムは地方都市マガフに向けて再び、幌馬車を出発させた。
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馬車の、高鳴る拍動のような揺れと、朝の静かな風が心地よい。
早朝の河川敷……遥かケルビ山――そういえばケルビ山はエレンディラ領内だったな――そこから悠久に流れる命の河が放つ、朝日の透明な反射光と、柳樹林の揺れる枝葉が魅せる…のどかだが荘厳な、自然の美しさのコントラストを味わえるのは交易商をやる醍醐味のひとつだと、勝手に思っている。
この地のほかにも、居を構えたことはいくつかあったが……景色でこの地方にかなう所はなかった。
いや……もしかしたらあったのかも知れない。ただ、当時の俺には見えていなかった。
見る余裕がなかったのか、今だからこそ見えるのか。
夏の終わりの水面に、幌馬車がおぼろげに映し出される。
この河の遥か先……遠い記憶が少しの感傷に浸らせる。
つい昨日、この手で頭を撃ち抜いたあの暗殺者が見せた死の笑みがちらつく。
ああなる前に、俺は抜け出すことが出来た。今生きているのが不思議なほど、色々なことがあった。
命があるだけ……か。
古い友人たちや、愛した女性の顔が浮かんだ。俺は――――
「……リアム殿が、少し透けて視えますわね」
「え?」
「いえ、たった一瞬でしたが……身体と思念が少し分離しているように視えました。どうか……なされましたか?」
サラ皇女が心配そうに見つめていた。
「ははっ……申し訳ない。歳を取ると偶に…記憶の累積がそうさせるんでしょう。……いやしかし、ケルビの河はいつ見ても美しく荘厳ですなぁ」
空笑いで茶を濁しながら、同時に心の中で自然術法士の、サラ皇女の洞察力に感嘆していた。
「……そうですね。私も生まれた時からこの河と共に在りました。この河は遥かな記憶を静かに内包しているのでしょう。リアム殿もきっと……記憶の海が凪ぐときが来ますわ」
記憶の海、か。過去をいくら振り返っても起こった事象を変えることはもう出来ない。どんなに願ったとしても――過去は、過去のままなのだ。
「……良い言葉、ですな。心に、留めておきます」
そうだな……少なくともこの子は、民の心の痛みを汲める皇族で在り続けるだろう。
――その優しさが重荷にならぬことを、せめて、命の河に祈ろう。
パカラッパカラッ……二頭の愛馬が黒と茶色の鬣を風に靡かせて快調に野路を行く……現在を、全力で駆けるように。
ふと、顔を上げる。
快晴の空の向こう、僅かに陽星の陽射しが陰り始めていた。
天候の動きが予想より早い……夜には雨が来る、か。