第5話 皇女無双 〜Outstanding Princess〜
「こ、これは……」
サラ皇女は3分もかからず、幌馬車の荷台から軽々と仕上げて見せた。
縦1メートル:横5メートルほどの土の壁と、同じく深さ1メートル:横5メートルほど続く簡易塹壕を予想を裏切る高精度の自然魔術によっていとも容易く……馬車の四方を囲むように築かれている。
さらによく見ると……壁は河川の石も混ぜ合わせて強度を上げている。それだけでなく、銃眼まで複数構築されている。塹壕に至ってはトンネル状の地下通路にもなっており、東西南北を行き来できるよう十字型に繋がっている。
「リアム殿の意図と戦法を汲んで少々アレンジしてしまいましたが……余計でしたでしょうか?」
得意げな物言いという訳ではなく、本当に配慮の心でそう問いかけてきているように聞こえる。が……。これ、軍の戦術、いや――戦略に革新が生まれるぞ。
「サラ様……エレンディラ皇国軍はこういった陣地をいつも築いて戦っておられるのですか?」
「さぁ、どうでしょう……? 軍事視察や演習も何度か参加しましたが、基本的に我が国は専守防衛なので、自国領土内の地形を活かした樹上からの弓射と機動力で相手をかく乱する戦術が主だったかと……」
ならば初見でこれを造った――いや創ったというべきか。これほどの代物……普通なら、幾度となく戦を経験してきた指揮官や軍師か、膨大な兵法書を知識として取り込んでなければ到底築けない。
塹壕を出たり入ったり、手で触れたり銃を構えてみたりと吟味しながら、自然と溜息や唸り声が口から出てくる。
恐ろしい子……センス有り過ぎだろ!!
「皇国の……いえ、サラ様のお力にただただ、感服しました……はぁ、この歳になってもまだまだ学ぶことは果てしないですな」
「満足いただけたようなら何よりです。そういえば……リアム殿はおいくつなのですか?」
たかだか一晩の野営地に、余りある軍事拠点を創りあげられてしばし茫然としていたが、サラ皇女の質問で我に返る。
「え? あ、あぁ……私ですか。今年で42歳ですな。いや、43だったか……」
どっちだったっけな。歳を重ねると自分の年齢に疎くなってくる。
「ふふっ、覚えておられないのですか? 私の父と同じくらいのお歳ですね。術士という感じでもないのに見た目はお若く見えますわ。
聞いてばかりでは失礼ですね……私はちょうど成人の儀を迎えたので数え年で16歳になりますわ。若輩者ですが、あらためて道中よろしくお願い申し上げます」
「いえ……分不相応なお役目ですが、尽力いたしますよ」
村の若い娘たちとは立ち振る舞いに差が有り過ぎるな。そりゃ一国の皇女だから比べるのも失礼だろうが……しかしこうも気品に満ちた優雅な物腰と礼節を兼ね備えていると……な。あからさまな帝王学による弁や立ち振る舞いという感じも受けない。
ナチュラルに人心掌握に長けたコミュニケーションだ。大方、外交特使に選ばれた理由もそこにあるのだろうか。
グツグツと煮えてきた鍋の音を聞き、とりあえずあれこれ思案するのを一度止める。
暗殺者たちに襲われる前、このあたりの特産である茸と数種の食用野草が取れた。鍋から香ばしい匂いがする。
地域の名を取って『シノン茸』と呼ばれるそれは、もう少し先の季節にならないと本格的な収穫期ではないのだが、運が良かった。
自分の器に少し取って味見する。うん、上出来だ。干し肉の塩分と加えた胡麻油がシノン茸が出す自然な出汁と合わさって食欲をかき立てる。
サラ皇女用の器に一人前をよそい、荷台まで運んだ。
「お口に合うか分かりませんが……」
「あら! シノン茸ですね! この時期に食べられるなんて嬉しいですわ。それに……いい匂いです。料理も熟練されてるのですね」
皇族にもシノン茸の評判は良いらしい。エレンディラにはあまり交易に出向くことはなかったが、次の季節にはシノン茸を売りに行くのも良いな。
「うん! おいしい!」
サラ皇女の長耳が嬉しそうに揺れている。器用だ。
「ははっ。喜んでもらえて何よりです」
さて、俺も食べよう。うん、やはりシノン茸ひとつで風味とコクがぐっと上がるな。美味い。野草も干し肉もクセがなくいい感じだ。
「リアム殿にはご兄弟はいらっしゃらないのですか?」
ハフハフと、熱いごった煮を銀製のカトラリーを宮廷料理にするような手際で操り食べながらサラ皇女が尋ねてきた。
野営といえど、食事作法はさすが上品だな。さて、兄弟の話、だったか。
うーん……。
「私はもともと、ヴァルティマ大公国の孤児でしてね……現在は休戦協定が締結されて一応は落ち着いておりますが、当時はグロースホルン・南メルガリア連合王国、ヤマタイユ連邦と三つ巴の戦争中でしたからな。
もしかしたら今もどこかに血を分けた人間がいるかも知れませんが……少なくとも生まれてこの方、血族というものとは無縁でした――いや、暗い話をしたかった訳ではないのです。
同じ境遇だった……仲の良い友人たちも、かつては、おりましたから……。
今はこうやって誰にも縛られない生き方をしながら、命があるだけで儲けものだと思っておりますよ」
「そうでしたか……逞しい生き方だと、私なんかが申し上げてよいのか分かりませんが……お話しを聞いてそう、私は思いました」
パチパチ……と、かまどの火が静かに燃える音が聞こえる。
「いえ……交易商人をやってはおりますが、元々私は勝手気ままな放浪者に過ぎませんよ。サラ様のように自国のために命を懸けて今回の外交に赴く重責などとは比べ物になりません。
そうだ……あと半月も経てばシノン茸の収穫期ですな――その時は馬車から溢れるほどシノン茸を載せてエレンディラ皇国へと交易に出向かせていただきましょう」
「馬車に溢れるほどだなんて! ふふっ、それは楽しみにしておりますわ……きっとエレンディラの民たちも喜んでくれるでしょう。約束ですよ?」
「ええ、必ず。その為にも――ご無事にサラ様をハンザ共和国まで送り届けないといけませんな」
空を見上げる。夏の終わりの夜空は綺麗だ。陽星の光を受けて白星と紫星が静かに輝く。今日は白星の望日だったか……狩猟の女神としても崇められる星がその姿をすべて露わにして、満天の星空を一層照らしていた。
「こうしてお外で誰かと夜空を見上げるのは本当に久しぶりですわ……陽星の周りをいつまでもずっとめぐり続けるあの星々を時々自分に重ねてしまいます。
エレンディラの皇女の1人としてああして皆を照らすことが出来ればと……私には兄や姉たちが居りますから、せめて外交の使者としてハンザ共和国との経済協定を結べたら、民たちが抱える不安の陰も――あの白星のように取り除くことが出来たら良いのですけれど」
年頃の娘が1人で抱えるには余りにも重く、そして酷な問題だ。様々な思惑がどんな国家にも渦巻いているのだ。それがこの世界の、人類の現実である。
だが……サラ皇女の気持ちを無下にするようなことは、とても俺の口からは言えない。せめてその心意気を汲んで上げることと、俺がやれる範囲のこと……それだけはやり遂げられるよう最善は尽くそう。
「……少なくとも――サラ様のその想いはエレンディラ皇国の民衆に届いてくれるでしょう。白星は狩猟の女神と古代から信じられております。
ならばハーフエルフにもきっと加護を与えてくださるはずです。
やれるだけのことをやって、あとは気まぐれな運命の女神と狩猟の女神が上手くやってくれることを願いましょう」
「そうですね……リアム殿に話せて少し私も気が楽になりました。感謝しますわ」
「サラ様1人に抱えさせるには些か重すぎるお話しですよ……ささ、冷めないうちに召しあがってください。シノン茸ももちろんですが、ほかの山菜も良い風味ですよ」
あたりへの警戒は怠らず、その後も俺はサラ皇女と夜空を眺めながら、人と過ごす久々の野営で暫しの団らんを楽しんだ。
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食後、焚火の前に木製腰掛を置いて座り、葉巻に火をつけ煙をくゆらせながら火番をする。
サラ皇女には商品として積んでいた羊毛の寝袋を渡し、休みを取ってもらう。
ガーベラとスウォンジも体を寄せ合ってよく眠っている。この二頭にも明日からしばらく頑張ってもらわないとな……馬は過敏な生き物だ。
余計なストレスを与えないよう、先刻飲ませた川から汲んできた水に少しばかり馬用に調合した眠り薬を混ぜておいた。シノン村の薬師直伝である副作用のない安全なものだ。
葉巻の火種が静かに消える。低アルコールの赤ワインを瓶のまま一口飲んだ後、俺は騎兵用小銃の手入れを行う。
……久々の、命を張った戦闘だったな。小銃のおかげで事なきを得た。マガフに着いたら銃工技師のレマット爺さんの所へ御礼に伺おう。情報も欲しいしな。
**
チリ……チリン……
その、地方都市マガフがある方向から、麻糸に備え付けた鈴の音が鳴った。
……だよな。そう簡単に行かないのは知ってたさ――そういう星の元に生まれた身だからな。
小銃の撃鉄を起こしつつ、手桶で火を消す前に顔は動かさず、視線だけをそちらに向けた。
灰牙狼の群れか……八匹は見える。
通常の狼はよほど餓えていない限り、案外と人には手を出さない。だが、牙狼種は別だ。狼よりもひと、ふた回り大きい体躯と、一匹が正規兵1人程度の戦闘力を有する。
厄介なのは、火を焚こうが怯まずお構いなしに襲ってくる点だ。鬼熊・妖狐・禍犬と並ぶ、野営で注意するべき獣類人害種の一角……。
せっかくサラ皇女が創ってくれた陣地も、獣類には効果が薄いな……もったいないことだ。
火を消すのは止めだ――単に俺の視界が悪くなるだけだからな……先制して二匹、が限界か。馬もサラ皇女も護衛しながらとなると……正直、野盗より数段タチが悪い相手だ。
――だが、やるしかない。
そう覚悟を決めて姿勢をあらためた瞬間……。
「ギャンッ!!」
牙狼の一匹が情けない吠え方をして倒れた。
ん?
見れば、顔面に深々と矢が2本刺さっている。続いて……
《ドンッ!!!》 攻城弩弓に似た衝撃音とともに足元が少し揺れた。
一瞬のうちに地面が突撃槍の如く隆起し、別の牙狼の胴体を貫く。
え?
さらに――
「ギャン!! ギャンギャンッ!!」
柳や低木から伸びた蔓や枝が、牙狼の群れ全体を拘束していた。
連弩の如き急襲。
その隙を逃さず弓の速射が連弩の如く と三匹、四匹……次々に仕留める。明らかに矢の出どころは俺の幌馬車の中からだ。あれ、つまりこれって――
…………。
皇女が単独で逃走した理由があらためて解った。地の利があれば俺より強いかもね、うん……。
ボケっとしている訳にもいかない。拘束が解かれる前に俺も狙撃で援護する。
《ガァンッ!! ガァンッ!! ガァンッ!!》 小銃用の弾薬が発する、拳銃弾よりも数段迫力がある重低音の射撃音が深夜の河川地帯に響き渡る。
本来、その俊敏性を活かした機動力が脅威のひとつである牙狼種だが、身動きを封じられた状態であれば倒すのは容易だ。三匹に対して確実に弾丸を頭部に直撃させた。
残る一匹は蔓の拘束を辛うじて解き、急いでどこかに身を潜めたようだ。馬車の周囲を索敵するが気配はない……どこに隠れた?
生命探知魔術を発動する…………。 !!
下か! 畜生め、塹壕を使いやがった!
狼は元来、頭が良い。それは獣類人害種に指定されている牙狼にも同じことが言えた。地下通路を逆手に取るとは……咄嗟に塹壕へと入ろうとしたその時――
《ズゥゥゥンッ!!!》 地鳴りと同時に何かが倒壊した。
「キャウーン……」
地面の下から哀れな鳴き声が聴こえた。
「だいじょうぶですか!? 今の一匹は塹壕を潰して倒しましたが――どうやら、ほかに気配はもう無いようですね、ふぅ……」
…………。
強いな皇女!!