第4話 おっさん、テキパキと野営する
『聖呪物』――何かの文献で見た記憶はあるが、そんな相反する特性をひとつの物質が得るには気の遠くなるような年月が必要だろう。まさしく、伝説や御伽話レベルの存在だ。
例えば、聖遺物の一種が邪教に簒奪され祀られて、呪詛の儀式を延々と何代も続けられたりとか。
後は……呪われた武具を好き好んで使用した英雄級の人物が死後、その武具と共に神殿に埋葬されてからいくつもの時代を経てそのような物に変異した……というような伝承は聞いたことがあるが。
「この剣が、ですか」
「ええ……宝物庫にもいくつか神器や聖遺物かあるので、それから感じる神性と似た気を感じますわ。普通なら、強い呪力のほうに目が行きがちですから気づく方は少ないと思いますけれど……」
実際の神器や聖遺物をその目で見た者がそう言うのだ。頭の片隅に留めておくべきことではあると思うが……というか、やはり一国の皇族だけあるな。さらりと凄いことを言ったが神器や聖遺物なんてこの世界にそうそう在る訳ではない。
都会の高級競売でも十数年に一度、低級の物でもお目にかかれるかどうかってレベルだ。その際は白金貨がまるで銅貨のように飛び交うらしいが。
「左様ですか……実際、何度か使用したことのある身としては中々――」
信じがたい。入手したその経緯――記憶は霞みがかってはいるが……可能ならばこいつは二度と使いたくない。色々とやばいのだ、この呪剣は。紛れもなく俺にとってこの剣は呪物でしかない。
「通常、ここまでの呪力を宿した呪物を使用した生身の人間は、その後に罹る呪痛に耐えきれないでしょう。そんなものをこれまで幾度も使用できたのだとしたら……もしかしたらこの不思議な神性ゆえかも知れませんね」
なるほど……単なる災厄の引き金だと思っていたが――もし本当にそうであったのなら一度の行使で死んでいたかもしれなかったのか。
「ふっ……」
「どうされました?」
「いえ、失礼しました――今までこいつを使って生き延びられたのは自分の……なんというか厄介な天分によるものだとばかり思っておりましたが……案外、そういうことなのかも知れませんな」
どんな数奇な運命を辿ってきたかは分からないが……今しがたサラ皇女が話してくれたことが事実だと仮定するならば。自分の生まれながらに宿した天分と、腰元にある短剣の特性を重ね視る。
俺たちは似た者同士なのかも知れないと、少しこの呪物に親近感を覚えた。だが、仮に聖呪物だとしても現実はそんな生易しい呪詛じゃないし、死ぬまでもう二度と使いたくないことに変わりはない。
少し、左胸が痛んだ――気がした。
幌馬車は河川沿いのルートに入っていた。陽星もそろそろ暮れそうだ。山間に沈みかけた橙の穏やかな光が水面に淡く反射している。
「そういえば、皇女様はそのお手持ちの短剣だけしか装備してなかったのですか?」
所謂ハーフエルフと言えば、弓の名手だ。皇女とはいえ、弓を持っていないのが不自然だった。
「サラでいいですよ。私は末娘の第三皇女ですし、それに兄や姉たちとも母は違いますので……ああ、弓のお話しでしたわね。短弓を持って馬車から出たのですが、追手と交戦中にナイフで弾き飛ばされてしまいました。
弓さえあればもう少し戦えたとは思うのですが……暗殺者相手とはいえ、いざ人を射るとなると一瞬、躊躇してしまいその隙を突かれてしまいました。私もまだまだ修行が足りませんでしたね……」
確かエレンディラの第三皇女は、ハーフエルフの皇帝と人間の女性との子だったか。
通常、半エルフの自治区では皇族はエルフ同士の婚姻が通例だったはずだが、当時ミノウ帝国との間で両国の協定関係をより強固にしたいという目的で政略結婚があったことは覚えている。実際のところは、ミノウ帝国の粘り強い再三の申し出にエレンディラ皇帝も苦渋の決断を下したらしい……という噂を聞いたことがある。
複雑な話だ。一介の交易商人ごときが口出しできる話題ではない。
弓の話だったな……。
俺は幌の中をごそごそと探り、サラ皇女にそれを差し出した。
「イチイの樹木から拵えたリカーブ・ボウです。矢と矢筒もその木箱の中に。道中また何かあった時のためにお使いください」
「まぁ! ……ふふ、用意がいいですわね。有難くお借りいたしますわ……うん、しっくりくる。この長さなら森や馬上でも使えますね。やはり私にもハーフエルフの血が流れているのでしょう。弓があると落ち着きますわ」
サラ皇女の、ハーフエルフの特徴的な長耳がぴんと揺れた。
リカーブ・ボウは弓の本体、リムの湾曲に対して両端に反り(リカーブ)を入れることで射程と威力を強化し、さらにその恩恵で小型化を図れるようになった武器である。
俺自身は主に狩猟の際に使っていたものだが、元々は戦闘用に拵えられた代物だ。実際、銃の扱いに慣れていない新兵などが俺が持っている様な騎兵用小銃を装備していたとしても、熟練した弓使いに敵わないことなどざらにある。練度次第ではあるが弓は今も尚、戦場の主力武器なのだ。
「サラ様にそう言っていただけると、弓も喜ぶでしょう」
「まぁ……お世辞が上手ですね、ふふ。私も弓があることに感謝してます――今度こそは躊躇わずに射ることができるようにしないと」
一国のお姫様が発する言葉にしては少々物騒だと思ったが、皇女の眼は真剣そのものだった。半エルフ唯一の独立国は伊達じゃないな。
それに、この姫がそこらの一兵卒よりよほど単純な戦闘力で言えば優っている事実は、発した言葉に説得力を持たせる。
しかし、ひとたび殺人に手を染めれば、それが如何なる英雄的行動であれども……後戻りすることはもう、できない。
皇女の整った瞳の奥にはまだ、殺人者に灯る漆黒の焔は視えない。一度灯れば決して、二度と消せぬ昏き輝きだ。
灯さずに済むなら越したことはない。
「……致し方ないときは正当防衛のため、射たなければいけない時もございましょうが――本来、サラ様がそのお手を汚さないようにするのが護衛士の役目です。
躊躇して命を落としてしまっては元も子もないですが、それでも人を討つというのはそれ相応の、覚悟と代償が必要になります。
少なくともマガフの道中でその必要がないように尽力いたしますよ」
「……ありがとうございます。覚悟と代償、ですね。私も時間が許す限り、その意味を――自分なりに考えておこうと思います」
暗殺者に標的にされている立場上、仕方ないとはいえ……サラ皇女に人を討たせる状況にはしたくないものだな。手を汚すのは俺だけでいい……。
俺はもう戻れない人間だ……この娘にそんな苦悩を味合わせたくはない。
さきほどの皇女の話を聞いて、尊称を使うのは止めておいた。そんな気がしたからだ。自宅には鉄版などを用いた複合弓もあるが――ハーフエルフならば、イチイの樹木で拵えたこちらのほうが扱いやすいだろうな。
ついに陽星が暮れる。みるみると空が暗くなっていく――幌馬車で野路を進むのはそろそろ危ない時間帯だ。
この辺りは柳がまばらに茂っている……悪くないな。俺は野営地として丁度いい場所に差し掛かったところで、手綱から愛馬たちに合図を出して幌馬車を停めた。
「今日はここらで野営としましょう」
弓の弦の張りやしなりを調整していた皇女に告げる。
「そうですね……夜目は利きますから何か見えればすぐに伝えますわ」
暗がりでのハーフエルフは心強い。サラ皇女の言う通り、ヒューマンと比べると格段に夜間の視認性に秀でている。暗闇からの弓射と自然魔術を併用すれば、そこらの野盗や獣に苦戦はしないだろう。
俺は頷き、野営の準備に取り掛かった。
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まず、河川沿いの手ごろな石を拾い集め、円状に積んだあと小枝をその中に適当に置く。
予め用意しておいた薪を荷台から少量出し、適切にその上へと組み並べ、火の付きやすい枯れ木に着火器具で点火する。
その脇にY字型に動物の骨と革ひもでこしらえた棒を二対差し、中央にこれも動物の骨を削りだした長棒を掛ける。これでまずはかまどの完成だ。
引っ掛けの付いた調理鍋を長棒にぶら下げ、革水筒から水を注ぐ。調理用の水が沸くのを待つ間、河川から手桶で水を汲んできて、馬たちに飲ませる。牧草も添えておく。
編み込んだ麻糸を幌馬車を中心に、四角形に囲むよう木々に結んだあと、麻糸のところどころに鈴を備え付ける。害獣や野盗などの侵入を知らせる簡易的な仕掛けだ。
「手慣れておりますね。私もなにかお手伝いを……」
「いえ、サラ様はそのまま幌の中に居ておいてください。火を焚いたので目立つのもいけない」
「そうですか……」
残念そうにその特徴的な長耳がうな垂れる。しかし器用な耳だな。
皇女はしばらくの間、手持無沙汰そうだったが……やがて矢筒を背中に掛け、弓に矢をつがえ照準を調整し始めた。
湯が沸いた。雨が降る気配はないので天幕は設置しないでいいだろう。少量のお湯をおたまで掬い、木の器とスプーンにかけて消毒する。
再び荷台に戻り、山菜と干し肉、数種類の調味料を取り出し、鍋に入れる。料理のほうの下拵えはこんなところか。
さて……あとは。
ここでふと思いつく。
「サラ様」
「はい、なんでしょう?」
「自然魔術で土塁と塹壕を作ることは出来ますか?」
念には念を、だ。先刻あれだけ派手に小銃やら発煙弾を使用したのだ……もし、後続の追手や、音や煙をかぎつけた野盗などに追跡されていたとしたら。
向こうも近接戦闘をわざわざ仕掛けては来ないだろう。そうなると……飛び道具同士での撃ち合いになる可能性が高い。
そうなった事態の為に、野営地の四方に身を隠せる遮蔽物は欲しい。自然魔術で造ったそれが不完全でも、自分で一から造るよりはマシだろう……それを基盤にして補強すれば構わない。そんな軽い提案だった。
「なるほど……ふふっ、お安い御用ですよ」
皇女が優しく微笑んだ。