第3話 辺境国際情勢
カッポカッポ……荷馬の蹄の音がさきほどの死闘などまるで無かったかのように、呑気な音を立てている。幌馬車はいまエレンディラ皇国の第三皇女サラを乗せて地方都市マガフへと向かっていた。
どうしてこうなったかなぁ……まぁ、いつものことか。
サラ皇女は、さきほどまで身体全体を覆わせていた襤褸を取っていた。華奢な体躯に翠色の頭巾付き短外套を纏い、緑と白を基調としたタイトなドレスの襟元は、飾り留め金で締められている。
絹で装飾された締め金付きの靴を含めても、身長はだいたい1メートル半ほどか。
プラチナブロンドの髪を左右2つずつ、縦巻きのロールヘアに整え中分けにした髪型に小型の半宝冠を載せたいかにもな、お姫様姿だ。腰には短剣の柄と鞘が見えている。
外交特使ならば正式な宝冠をしていたほうが良いと思うが、多分襲撃された護送車に積んであったんだろうか。付き添いの外交官も襲撃に巻き込まれたのだろうな。
皇女に今回の外交の目的をさりげなく尋ねたら案外とすんなり教えてくれた。国家機密だと思うのだが、一応命の恩人兼護衛となっている俺には正当に理由を話しておいたほうが良いという判断かも知れない。
元々、エレンディラ皇国は基本的に他国非干渉・独立独歩な自治区ではあったが、初代皇帝の代にミノウ帝国より侵略を受けた。
地の利を活かした徹底防戦により、強国と謳われていたミノウも僅か3ヵ月で兵を退き、休戦協定が結ばれた。その実力を脅威と認めたミノウ帝国は侵略ではなく和平の道を模索し、以後エレンディラとの関係性を強く持とうと粘り強い外交がミノウ側より続けられ、経済協定、軍事協定とその関係性を徐々に強めていった。
エレンディラ皇国としてもそれが対等な外交協定であったこと、そして立国して間もない頃だったことから……やはり何処かの国の後ろ盾は欲しかったのだろう。
その関係は今日まで変わらないが、永らく侵略戦争を止めていたミノウ帝国がつい最近、他国を軍事力によって征服してしまったことにより事態はあまり良くない方向へと進んでしまった。
それはミノウ帝国が存在する列島、『邪神島の呪い』に端を発する。
邪神島――アリア海峡を挟んで呪われた島の南端に位置するエレンディラ皇国の隣国ミノウは、現在も続く『破片戦争』によって……国土全体の農作物が全滅している。
『破片戦争』とは永劫終わらない、いや、終えることの不可能な争いだ。邪神島の忌み名で呼ばれるアサーザッド列島には、現在、13の国が存在する。そして、その1つ1つの国すべてに異なる【邪神の欠片の呪詛】が掛けられている。
――かつて古の時代に存在していた【6柱の邪神】が滅ぼされた際、その屍が四散し、島に降り注いだことから始まる呪いだそうだ。
邪神島の国々や自治区がその呪いから逃れる方法はひとつだけ。それは――その国が滅びること。
しかし、呪い自体は永久に消えず、滅びた国の隣国いずれかにそれは疫病の様に伝播する。また、革命によってその国の統治勢力が変わったとしても意味がなく、呪詛はそこに残り続ける。
他国が攻め込み、その国を征服した際も同様の事が起こる。征服国はその呪いをおっかぶるのだ。
そして今回、ミノウ帝国は愚かにもそれをやってしまった。先代、ミコト=ヨスガの死によってそれまで必死に築き上げてきた外交バランスは、現帝王スメラギ=ヨスガの帝国主義政策の推進によって台無しとなり、隣国ラウエンを征服・植民地化した。
ラウエンの所持していた呪いは【農作物の全滅】。
つまり現在、その呪詛はミノウ帝国の版図全土に及んでいる。とてもじゃあないが……畜産や略奪だけで賄えるような規模の国ではない。このままいけば兵站を賄えないどころか、国民総飢餓まっしぐらだ。
何故、急な帝国主義政策に奔ったのかは……どうやら禍払い師と呼ばれる退魔の力に優れた一族がミノウ帝国には存在しており、元々掛けられていた呪詛である【天災地変の夥多】を完全にとは言えないが、少なくとも邪神島に存在する他国よりも封じ込めることに成功していたことが要因ではないかと噂されている。
それが事実だとしても、呪詛二つに対してはさすがに荷が重かったのだろう。
禍払いの一族は、帝国にて代々別格の扱いを受けている。それは帝との距離も近しいということだ。
大方、スメラギ=ヨスガの無理やりな勅令を吞むほか無かったのではないか?
国家の為とはいえ勅令に全面的に逆らえば……権力に陶酔する独裁主義者は往々にして真の賢人からの諫言を"反逆"としか捉えない。そして結果は自ずと知れている。
ミノウとの貿易で得られるものは油と石炭くらいのもので、木材燃料が豊富なエレンディラ皇国にとっては正直言って不要だ。
経済的な発展を望んだ関係よりも強固な軍事協定を育み、強国の後ろ盾を得ていたことこそがエレンディラにとってミノウ帝国との外交価値だった訳で、現在は先々代から続く長年の付き合いによって、止むを得ず食料支援を半ば強要されていると言っていい。
そこで……燃料が乏しい山岳地帯に居を構えながら、畜産の成功と高い技術力によって食料自給を自国生産量だけで保ち続けているだけでなく食料輸出を外交武器にもしているハンザ共和国へ、話を上手いこと持ちかけて三国間の経済協定を結び、このとんだとばっちりを何とか解決したいらしい。
その外交特使として選ばれたのが彼女だった訳だが、なぜ、独りきりで追われていたのか。
護衛士たちが暗殺者達の襲撃によって殲滅された……ということではなく、理由はむしろ逆だった。
「兵たちは私を守るために死ぬまで戦うでしょう……無為な死とは言いませんがあの襲撃者達の相手をするには、彼らでは荷が重かった。
ハーフエルフの地の利も完璧に封じられた場所を狙った襲撃……ならば標的である私1人が森まで生きて入れれば全員の生存確率が上がると思ったのです……」
俺が偶然居なきゃどうするつもりだったんだ?
敢えて、そう問い詰めることはしなかった。
それは言わずもがな、皇女も理解していることだろう。単独で多勢の暗殺者を半エルフが得手とする自然魔術だけで制しきることは……無詠唱かつ無尽蔵に正規軍術法士官級の魔術を行使することでも出来ない限り、難しい。
ハンザ共和国の隣国、ティフエレト大陸でも随一の魔導技術を保有するヴュールツォレルン魔術同盟でもそんな実力者は数えるほどしかいないだろう。
俺でさえ、小銃が無ければ無傷で勝利するには正直……厳しい力量の相手だった。
ただ、奴らを犠牲なく討ち取れたのは彼女の力もあった。
発煙弾を投げ込んだあと、野路の茂みを自然魔術で操り、数秒だが無傷の刺客2人の脚に絡ませて動きを止めてくれていたのだ。
あれが無ければ、片手撃ちで狙撃した刺客に弾丸は命中しなかった可能性があったし、刺客の統率者にも銃の他に自然魔術を使われるかもしれないという、思考への重圧を与えられた。
それでも彼女から警戒を解かなかったのは、それが見せかけである可能性を懸念したからだ。生憎、初対面の人間を戦闘中に信頼できるほど、青くはない。罠とは油断に容赦なく襲い掛かる戦術なのだと、数えきれない屍が戦場で俺に教えてくれた教訓だ。
戦闘が終わったあと、彼女がエレンディラの皇女であるという証明については、所持していた短剣に刻まれた皇族伝統の印章『紫緑の実り』で裏取りできた。
長年の交易商人としての目利きと、皇族の血力に反応して短剣が魔力の刃を帯び、長めの刀身を持つ舶刀状になる様を確認したからだ。
王家や大貴族でなければ、このような宝剣はとてもではないが入手不可能だからな。故にそう判断した。
何かの媒体に魔術由来の武装を具現化する術は存在するが、相当高位の術法士でないと直ぐには出来ない芸当だし、仮にそこまでの実力が彼女にあれば、高等魔術によってあの暗殺者どもを何名か返り討ちに出来た可能性もあっただろう。
そうしてようやっと、本物の皇女として認知し、今に至る。
それにしてもだ。術法士として相手の力量を測るのは不得手なのだが……探知・索敵魔術の基礎のひとつ"魔力感知"であれば俺も使える。
一瞥しただけで解った――相当の潜在魔力を皇女は秘めている。それを機微な操作で出力できるか否かは、技量の分野における話になるが……。
魔力の話だけではない。個人的にそれよりも感嘆したのは、華奢な体躯に見えるが一切の無駄がない"戦闘用の身体"が荒削りながら出来上がっている。
この若さでここまで練り上げるとは一体どんな修練を重ねてきたのか。
闘争に"もし"はないが、あの暗殺者5名と一対一で対峙できる状況が作れたならば……惜しいな。対集団戦は経験がものを言う。何にせよ、今回は刺客たちの経験が皇女に混ざったのだ。
話を戻すか。
生き残った手負いの暗殺者たちには――残念だが、死んでもらった。一応尋問はしたが口を割るはずもなく……1人は射殺、もう1人の肩口を撃たれた刺客はその間に自ら……おそらく服毒によって自害した。
一度命を狙われた暗殺者を生きて帰すというのは、自殺行為そのものだ。捕縛したとて、縄抜け、捕縛状態からの暗殺術、そんな危険をわざわざ冒して仮に衛兵に引き渡したとしても……組織の情報網によって我々の事はいずれバレて、報復を食らうのは必至だ。
彼らの亡骸は皇女の自然魔術で野原に穴を掘り、簡易的な墓を作って埋葬した。
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当初の行先、地方都市マガフからハンザ共和国へは、荷を下ろしたこの幌馬車であれば3日ほどで着くはずだ。
幸い皇女もマガフに皇国の伝手はあるらしく、そこで新たに護衛を補充しつつハンザ共和国までは俺も護送を付き合ってやろうという話になった。
――当然、無償じゃない。俺も商人だ。護送依頼は専門ではないがエレンディラ皇国にたんまり弾んでもらう打算からの契約だ。
皇女もここから襲撃地点まで戻るのは危険を伴うから、俺の当初の目的地であるマガフを経由することには同意してくれた。
外交団が襲撃を受けた際、救援用信号弾は撃ち上げてある。彼らの保護は本国に任せるほかないのが現実的に取れる唯一の選択だ。それを理解して、今、自分が『最も優先すべき任務はなにか』……それを為すことが犠牲者への弔いになる。
まだ若いながらも、サラ皇女もその決断ができるほどには一国を束ねる君主の一族としての自覚が備わっていた。
そして俺には俺の立場がある。辺境の村とはいえ、俺が住む国の一応隣国の皇族だ。交易商人としても下手な扱いは今後の商売に響く。逆に恩を売っておけば、箔なり伝手なり成果はあるだろう。いや……。
――そんな、上手いこといった試しがないのが俺の人生だが、な。
ま、流れるがままさ……気楽にいこう。
この土地に移り住んでから交易商を始めて、様々な心境の変化があった。シノン村の村人たちも良い人たちばかりだ。周辺の村落に住む人々も行商に行けば好意的に迎えてくれる。
丸くなった……なんて有り体な表現は少し違うと思うが――それでも、こうして気楽にぼちぼちと交易商人を営むことができるなんて、過去を思えばとてもじゃあないが想像できなかった暮らしだ。
……今回のような、巻き込まれの災難は定期的に起きるが、俺の天分だ。避けようがないことばかりだから諦めている。それについてはもはや生まれてこの方、数えたらきりがない話ばかりだ。半年前にもマガフでテロ事件に巻き込まれたしな……。
「……リアム殿。お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、なんでしょう」
皇女にはいつまた暗殺者に狙われるか分からないため、幌の中、荷台に忍んでもらった。簡易的な寝具や馬用の牧草の束もあるから、今はそれで我慢してほしい。
幌は単なる布ではなく特別製のものだ。暗殺者の投擲ナイフ程度では貫けない防刃性質のほかにも、様々な仕掛けが施してある……。金はかかったが交易団を組む商人ならまだしも、単独交易を営むならこの位の装備は……経験の蓄積による感覚ではあるが、必須であると考えている。
皇女は俺の腰元に、そのやや青みがかった鮮やかな緑色のつぶらな目をやっている。あぁ、これね……術法士であればこの禍々しい気配に気づかない訳がないか。
「その腰に差した短剣ですが……」
「呪物の類、でしょう。経緯は省きますが、もう手に入れてから長い付き合いになります。こいつには今まで何度か命を救われました。殺されかけもしましたが、ね」
「まあ……そんなことが。けれど……確かに呪物の気を纏ってはおりますが、不思議なものです。わずかではありますが、神性も宿しているみたいですね――もしかしたら、ですが……『聖呪物』の一種、かも知れません」