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隠遁の交易商 The Ên Sôph Saga ―Episode V―  作者: 正気(しょうき)
第一章『辺境の経済協定』編
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第23話 ~皇女の決意・前編――サラ~

 エレンディラ皇国マガフ支部秘密情報機関(ヴァルト・フックス)隠れ拠点(セーフハウス)ウィロー。その四階で私は、父上から譲り受けた皇室徽章<紫緑の実り>が刻まれた短剣ダガー――【宝剣・霧虹(ネヴラ・イリス)】に刀身を具現化させた魔術刀を一心不乱に振っていた。夜も更けていたが、眠る気にはなれなかった。


 一昨日の戦い……相手は暗殺組合イリーガルギルドに属するれっきとした暗殺者、多勢に無勢の状況。

 とは言えども、私はほとんど何も出来なかった。せいぜいがリアムさんの狙撃補助として自然魔術を限定的に行使できたくらい。


 仕方なかった、などと割り切ることは出来ない……いや、してはいけない。これから先もこの程度の危機は日常茶飯事だろう。現皇王――父上オットーは過去、幾度となく暗殺を仕掛けられてきている。

 その度に父はそれを跳ね除けながら、現在も皇王としてエレンディラを卓越した外交手腕で存続させ、内政も大臣たちの立場を考慮しながら自国内の諸問題へと常に先手を打って対策を講じ、民衆の求心力を維持している。


 偉大な父上だ……そして母上、ミロク=ヨスガ=エレンディラも。

 政略結婚ではあったが父との関係は良好であり、兄や姉たちの母、つまり皇后であるクレア=アデライード=エレンディラとも貴妃として上手に友好関係を築いている。


 ミノウ帝国の強引な政略結婚によって、エレンディラ皇国前代未聞であるベツェレム人種の皇王貴妃となってしまった母上。当時の臣下や民衆からの反発は当然、少なくなかった。

 それが今ではクレア皇后の威厳を損なうことなく、貴妃として国民に好意的な感情を持って受け入れられている。それを如何にして成したのか、かつて母上に尋ねたことがある。

 屋敷の隣に建造した、古風な東方木造建築の道場で稽古をつけてもらっていた時のことだ。


**


 母上――ミロク=ヨスガは、強力な禍祓い師でありながらミノウ帝国でも指折りの刀術の使い手だ。

 その戦闘力を皇国での処世術として活用するため、国土の大半を占めるエムラダ・ナンド大樹海の危険区域……【ナイリ】と呼ばれる樹海に点在する害獣や妖獣の巣――そこからまるで無限発生するように湧き出てきては、皇国の各居住地帯を襲撃してくるそれらの防衛・掃討部隊『人喰狩り(ヴェネイター)』を立案・発足させた。


 巧みな政治的工作によって、自分自身はあくまでも軍上層部に軽く口添えした程度、建前上の統括本部は軍部としつつも、実際は思いっきり前線に出て指揮を執っている。


 皇室結婚式ロイヤルウェディングの僅か2日後、練兵場に現れた母上はエレンディラ皇国軍の精兵数名に「手解きをしてくれるかしら」と笑顔で模擬戦を申込み、瞬く間になぎ倒した。

 その光景を唖然と見ていた将軍に直接掛け合って当日の軍事演習へと強引に参加し、そのまま兵を少数借り受けて近隣で被害を出していた害獣の群れを討伐してきたらしい……。


 将兵の間では現在も、美麗な貴妃が突然やってきて烈火の如き強さを見せつけた逸話は密やかな語り草となっていて、【華菖蒲はなしょうぶ戦妃せんひ】の二つ名が何時からとも無く定着していた。

 

 ……実際、長い黒髪を靡かせ、ミノウ帝国伝来の着物姿で稽古中、凛々しく木刀を振るう様は、娘の私から見ても惚れ惚れする。



 もっとも、その話は表沙汰になってはいない。

 害獣や妖獣を自身が倒しても、最初からそれらはすべて軍部の功績として公表させている……軍部側がその要求を呑むようあらゆる手段で上層部を恫喝、もとい説得したとは母上の弁であるが。


 英雄的な注目の浴び方を極力避けて、あくまで影に徹しながらもその多様な実力と駆け引きによって、政治、軍事派閥の各方面から種族を超えた信頼を勝ち取り、それがいつの間にか水面下で国民にも浸透していった。


 屈指の禍祓いの能力と武芸の達人。その実力の礎があってこそだが、悪目立ちせず慎重を期しながら決して余計な敵を作らぬままに……現在の皇国での立場を手に入れた。


 母国でも真なる実力を隠して立ち回っていたことが結果、ミノウ帝国としては唯一無二の貴重な人材を流出してしまったのだが、ミノウとの関係性の維持も抜かりない。それを母国に気づかせないまま、両国間の橋渡しとしての役割を絶妙なバランス感覚で成立させている。


**


 何故、そこまで出来るのかと……重ねて尋ねた私に母上は、あっけらかんとした態度で答えた。


「お飾りの妃やりながら世渡りうまくこなしてりゃ問題ないんだけどね、とてもじゃないけどさ、それじゃあ生きてるなんて思えないし……ふふっ、何よりつまらないじゃない?

人は生まれを選べないけど、幸運なことに生き方を選ぶことができる人間もいるわ。

自分がもしそうであるなら……運命という巨大な力の奔流に身を委ねながらも、決して、それに囚われないよう最善を尽くして人生の楽しみや生き甲斐を見出すほうが、楽ではないけど楽しいから。

それが理由かな? ――サラもそのうち、解る時が来るよ」


 そのように語ってくれた屈託のない母の笑顔はとても魅力的で、そして説得力に満ちていた。



 母上、ミロク=ヨスガ=エレンディラのような女性になりたい。それは私の今も変わらぬ確固たる大きな目標だ。



 外交特使の件についても、ベツェレムと半エルフ(エルヒール)の混血であり、ミノウ共和国出身の貴妃を持つ存在である私がハンザ共和国との交渉には適任だろう……そう考えて父上に自ら進言した。自国の未来を双肩に背負う重責と、命の危険を伴う任務であることは承知していた。


 外交能力を見れば、父上や母上には到底及ばないが皇族の【象徴】としてであれば、皇后や兄姉よりも今回に限っては私が、折衝の舵取りを執り行う外交官と出向いたほうが何かと都合が良いはずだ。実際、父もその決断を下した。



「本来ならば、俺自らが出向きたいが……ミノウ帝国の問題と――そして旧ファルスの革新派連中が不穏な動きを見せている。皇王として今、この国を俺が離れる訳にいかぬ事情がある……サラの母、ミロクも表立ってエレンディラ皇国の顔役として出向かせるにはハンザや他国に対して、な」


 尊厳を保ちつつ苦渋の表情を浮かべながら、皇王オットーは実の子へと話を続ける。


「国家協定を結ぶ外交に、半エルフ(エルヒール)の血を持つ者が動かぬとなれば……どんな不評を買うか分からぬ。それに【ナイリ】が以前より活性化している状況だ。あいつを外せば被害は膨れ上がるだろう……クレアも、臨月を迎えてしまっておる……。

父としてお前にこのような重責と危険を背負わせたくはないが……皇王として判断するならば、サラに頼むのが現状、最良の選択肢であることもまた事実だ――皇族ゆえの宿命だ、許せ」


「皇族に生まれ落ちたその日から今日まで、元より覚悟の上の進言です。不肖ながら皇国のため、尽力いたします」


「ふっ……母譲りの良い面構えだ。あれは少し……苛烈過ぎるところがあるがな。

やはり俺の面影は髪色とその種族ゆえの長耳くらいか――父としては少し悲しいが、俺に似ても女としてやっていけんしな。

護衛には精鋭を就ける。外交官も徹底して選りすぐろう……。

あとは、これを持って行け。秘蔵の宝剣だが、父からのせめてもの計らいだ。サラの流派にも合うだろう。今日からお前の物とせよ」



 そうして父上――皇王陛下より正式に、この【宝剣・霧虹(ネヴラ・イリス)】を賜った。


「サラの勇気は認めるわ。だけど、蛮勇になっては駄目よ。私が言うのもなんだけどね……私も戦人である前にやっぱ母親なんだね。すごく怖い、サラが居なくなってしまうなんて考えるのが。

絶対にっ! ……生きて帰るのよ。ハンザが協定呑まなかったら私直々乗り込んで強引に首を縦に振らせてやるから安心なさい。だから、必ず帰ってきてね」


 そんな嬉しくも怖い言葉を発しながら、外交特使の任について報告した私を母上は抱きしめてくれた。



 道中纏っていた衣装である翡翠色の頭巾フード付き短外套ショートコートは、母から出立の前に授与されたものだ。

 前々から私のために伝手を頼って取り寄せたものを、併せて寸法なども特注してくれていたらしい。


翡翠葛の神霊套(ディアナ・ヴィネア)】――という聖式名称(ユニーク・ネーム)を持つそれは、素材も特殊だが高度な付呪魔術式(ハイ・エンチャント)が内側に幾重も、魔鋼糸によって縫い込まれており、様々な魔術由来の耐性と隠密性、魔力倍増効果などを兼ね備えた神霊級の戦衣装である……と教えてもらった。


 この戦衣装のおかげで、5名もの統制が取れた暗殺者集団から一定の間、逃れられ……本来行使するのはまだ難しい高等自然魔術【森羅嚮導(しんらきょうどう)】を発動させて、暗殺者集団と彼我戦力差が互角以上の手練れが存在する方向へと具象的に退路を進むことができた。そこに居たのが……命の恩人であるリアムさんだった。


 リアムさんが居なければ、攻性の自然魔術が効かない集団に魔術刀のみで応戦するほか無かった。その結果は……【森羅嚮導】の発動時からすでに解っていた。

 自分自身に互角以上の戦闘力があるならば、私自身の反応も術にあるはずだ。そしてそれは、あの時無かった。私では戦力不足だと――自らの術自体から判断されていたのだ。


 これからは皇女だからと言って、守られるだけの足手まといにはなりたくない。何より……私のせいで誰かが犠牲になる有様などもう二度と見たくないから。


 陽動として私が単身馬車から飛び出したあと、一度だけ振り返ったとき――数名の護衛士と外交官のツィオルが、多量の血を流して地面に横たわっていた……あんな有様はもう二度と。



❖❖❖❖❖



 白辰流刀術……母直伝の、流派の型をひとしきり終えて、理を唱える。


『剣、取りし者――虚偽を斬り臥す

 剣、棄てし者――虚偽にひれ伏す

 剣、折れし者――しんを剣とし……

 天の白雲統べる剣――

 しんに五体と――めいを化す』


 白辰流、【剣の在処】の心得。


 ――真の剣士とは剣に頼るべからず、その剣がたとえ折れても心命を賭して諦めず闘えば、虚偽の総てを祓いて白龍の如き覇気を得る――。


 ミノウ帝国の建国よりも遥か古代より受け継がれてきた、口伝の闘法。その心得は、どんな艱難にも背を向けず闘ってきた戦士たちの『敗けぬ為の真髄』だ。


 ――今度こそは、敗けない。私自身と……私に命を託してくれた人たちの為にも。


 そうして、自分に言い聞かせながらくうを刀で一閃、抜刀術で斬り裂いた。



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