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隠遁の交易商 The Ên Sôph Saga ―Episode V―  作者: 正気(しょうき)
第一章『辺境の経済協定』編
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第15話 交易の奇術師

 何事もなく一夜が明ける。少し早く目が覚めてしまったか……陽星ケートスはまだ山間から少し顔を覗かせているだけだ。まだ少し暗いな。俺は寝室机の上にある植物油ランプに火を灯す。


 こんな朝が毎日続いて欲しいのだが、請け負った仕事だ。ここから先はしばらく千辛万苦の日々だろうな……いや、俺の天分がそもそもの大元なのは解っている。


 布を持って兵舎の水場に向かう。まだ衛兵たちの起床時間ではないらしく、高台で見張りをしている兵士以外に人は居ない。

 身体を清め、顔を洗いながらふと……思う。以前ならこのレベルの災厄・災難に遭遇した時、もっと酷い目を見ていたな、と。


 随分と昔――あれは、コーデリアと暮らしていたころか……。移住民族ツィゴイナーの一団が山村へと立ち寄った際に、そこの占い師の婆さんの評判が良かったから俺も物見半分で占ってもらったことがある。


「こりゃまぁ……あんた面白いって言っちゃあ失礼だが、数奇な相を持ってるねぇ。どれ……死を迫らせる幽冥神エウレタナの絵札が逆位置、運命の女神(クラケロゥポス)も逆位置……絵札も訳が解らんね、こりゃ」


 隣で見ていたコーデリアが苦笑していたな。占いなんて初めて受けたが、いきなり数奇な相なんて言われてもな……で、俺の未来はどうなるんだと単刀直入に尋ねたんだ。


「ひゃひゃひゃ、まぁそうさねぇ。不幸に見舞われながらも生と死は常に天の采配に委ねられる……気を抜かなきゃ何とかなるとかそういう些末な問題じゃあないが、『死』はあんたをいつも面白がって観ている……そんな感じかねぇ」


 死神や疫病神の退屈しのぎにちょうどいい見世物ってことか、俺の人生は? 『そうだ』と答えられても抗いようがないがな……。


「だがあんた、このままでいつまでも居ちゃあ、人生ずっと苦しみそうだ。

現代の主たる宗教に追いやられて、いつしか人々に忘れ去られた神や精霊が御座す場所には<虚神>が今も存在するはずじゃ。そして……それと同等の神性を宿す人々も。

そういったものを見かけたら助けたり、大事にしておやりなさい。そうすれば、運命神も気まぐれを起こしてあんたの味方になってくれることもあるはずさ――」


 ありがちな仰々しい占いではなく、何か不思議と心に沁み込む言葉だったのを覚えている。


 神や精霊が御座す――か。道中何となくではあったがサラ皇女が持つ説明し難い神性を俺は感じ取っていた。もしかしたら――サラ皇女はそういった天分の持ち主なのかも知れないな……。


 顔と髪を布でゴシゴシと拭きながら、あの婆さんの言葉を久しぶりに思い出していた。


 部屋に戻り、荷物を探る。焼け焦げた石粉粘土製の人形を4つ、取り出す。

 移住民族ツィゴイナーの婆さんに、あの時譲り受けたものだ。悲痛な記憶を思い出してしまう品であるが、何故か俺はまだこれらを捨てきれずにいた。



 余談だが、もうひとつ占い師より貰ったものがある。

 【九死一生】と筆で書かれた木版の御札が内包されたお守りだ。古代文明のある大国において"漢字"と呼ばれていた社会習慣記号らしい。

 やたら達筆だったのと、意味合いが俺の天分そのものを表していたので今も失くさず取ってある。



❖❖❖❖❖



 東の区画――自分の馬車が停泊している場所へと来ていた。すでにちらほらと仲卸業者や小売商の姿も見える。さて、今日こそやっと本業、商売開始だ。得意先の業者や商会はいくつか持っているが、新規開拓も重要だ。


 俺は積み荷を次々に降ろして、木箱を開ける。箱の中はそのまま展示箱に出来る様に収納式の簡易棚の仕組みになっており、それを組み立てていく。簡易棚に使っている木材も丁寧に仕上げた漆塗りの自前だ。棚としてそのまま販売できる品質に仕上がっていると自負している。


 商品の質はもちろん大事だが、いかに()()()を工夫するかというのも商売人として大事な要素なのだ。



「ほう……中々良い色の蜂蜜だね。この薬草も傷みがなく悪くない。入札させてもらおうか」



黒髪を後ろで束ねた20代くらいの男が声を掛けてくる。



「どうも。シノン一帯とセイオ森林で獲ってきたものです。気候が安定しているし、栽培農園も薬師を自前でやっておりますからね。扱いは熟練しておりますよ」


「確かに凡庸な農家の採り方じゃあないね……薬効を逃さないよう上手く根の処理が施されているな。この品質ならば良薬が作れそうだ。入札額も上げておこう。

こっちの動物素材、牙狼と……まさか、幽騎士禍犬(ヘシアン・バーゲスト)のものか? 久々に目にしたな。希少な素材は狩猟の難度も高いのに……傷を付けず上手く狩ったようだね。剥ぎ方も熟知している……良い商人だな、あんた」



 この男、まだ若く見えるのに的確な鑑定眼を持っているな。どうも……と答えつつ衣装に目をやる。濃紺の外套衣コットの上に灰白色の袖無し上着サーコートを纏い、その質から上流市民であることが察せられるが、上着に縫い付けられた三日紫星(クルチ・ウルザ)紋章ワッペン……見覚えがある。


「私はカーソン商会のハリドという。今はマガフ支店で支配人をやっている」


 カーソン商会……イェフディード通商国家の中でも十指、いや五指に迫る大商会だ。どおりで見たことがあると思った。そしてハリド・カーソンと言えば――【交易界の奇術師】と呼ばれる天才商人だ。

 近年のカーソン商会の躍進はこの男が理由とまで言われている……こんなに若いとは思わなかったがな。まさか辺境都市のマガフに来ているとは……。



「噂はかねがね……私は交易商人のリアム・ローンツリーです。以後、お見知りおきを」


「ローンツリー殿か。覚えておきましょう――ほぉ、荷馬も中々逞しい。元は軍馬の血統だな……手入れも良く行き届いている。ふむ……あの馬たちは売ってくれんのか? 一頭、金貨(ロサ)10枚でどうか?」



 優秀な荷馬や軍馬でも相場はせいぜい金貨ロサ3枚から5枚が良い所だ……金で換算するものではないが、それでもそう言ってくれることは主人として気は悪くない。ただ、流石にうちの愛馬はな。



「嬉しい申し出ですが……あの馬たちは――」


「ははは。冗談だ。主人に愛されている良い馬たちだな。本当に金貨ロサ10枚の価値はあると思っているが、あの馬たちが居ればそれ以上の意味があなたにあるだろう……どれ」



 ハリドは手袋を取り、青緑色の大きな濁りのない魔石が付いた指輪をその手に嵌めた。魔石の中には多重層の魔術式が見える。


『空より深き草原の地で、気高きたてがみを美しく靡かせるグラシュニルよ――仁恵と不羈奔放の名によりて、暗黒の谷で弱き者を導きたる汝の眷属とその主――かの者たちに風鳴りし王の祝福あれ』


 どこからともなく発生した霧のような青緑色の光の粒子が栗毛の牝馬ひんばガーベラと黒毛の牡馬ぼばであるスウォンジ、そして――俺へと降りかかる。


「な!?」


 突然の呪文詠唱とその魔術行使に、俺は驚きと困惑の声を上げた。


「いや、いきなり驚かせてすまんな。心配しなくていい……()()()()()()()()せめてもの祝福を与えただけだ。何か危機があれば()()()グラシュニルの加護を願ってくれ」


 そう言ってハリドは着物の隠し(ポケット)から青緑色の魔石が付いた指輪を俺に投げて寄こした。石の中には二層の魔術式が描かれている。


「なに……良い商人とは懇意にしておかないとな。あと、俺も馬が好きでね。馬を愛する者に悪い奴はいないと思っているんだ……では入札の結果を楽しみにしている」


 そう言い残してハリドは去っていった。掛けられた魔力を探ってみたが呪いの類ではないみたいだな……心なしか身体の力が以前より湧いてくる気がする。

 馬の様子も念入りに見たが特に悪い意味で変わった様子はない。ほのかに青緑色のオーラのようなものを纏ってはいるが。大丈夫なのか、これ……。


 まったく……金持ちのやることはよく解らん。しかし、不思議な魅力というか、雰囲気を纏った男だった。


 俺はとりあえず気を取り直して、商売を再開することにした。



❖❖❖❖❖



 昼前にはすべての商品の落札が終わっていた。シノン特産の葉巻、刺繡入りの藍染羊毛寝袋、羊毛と亜麻の交織こうしょく生地は競り売りが白熱していたが、この辺りの商品は前回よりも3割増しで落札された。元々人気がある商品でいつも落札額は安定していたが、今回は少し予想外の高騰だ。


 後の商品については……当然、競りを行ってもらっていいのだが、カーソン商会が最初に入札した額を超える金額を提示する商人が居なかった――それもそのはずだ。

 以前も似たような商品を積んで交易に来たが、今回はその時より2倍以上の入札額だったのだ。薬草と一部の動物素材については約3倍の入札額になっていた。


「いや~旦那……カーソン商会といつの間に懇意になってたんだい?」


 何度か顔を合わせたことのある交易商人にそんなことを聞かれた。うん、今朝ね。ほぼ一方的に高値で入札されて、良く分からない魔術をいきなり浴びせられただけだけどね。


 そんなことを素直にいう訳にもいかず、たまたまじゃないかな……と葉巻を吸いながら適当にごまかしておいた。


 カーソン商会の従業員が馬車で商品を取りに来たみたいだ。挨拶を交わし、誓約書のやり取りと落札額の受領を行う。ハリドの姿は無かった。


 若い男性の従業員がすぐそばで積み荷を整理していたので、少し尋ねてみた。


「この度は世話になった。少し聞きたいんだが……ハリド・カーソン殿はいつも、あんな感じの方なのか?」


 かなり抽象的な質問だったが、若い従業員は察してくれたのか少し苦笑いしつつも答えてくれた。


「ああ……入札された際もきっと戸惑われたでしょう。カーソン家の中でもハリドさんはかなり……なんというか、その、独特な人でしてね。買い付けや商談の際も中々に型破りな立ち回りをされるんですが……それが素の性格みたいでして」


 天才・奇才には変人が多いと聞くが、その類の人物ということか?


「一見、自由奔放に見えますが従業員や店のことも怖い位把握されていますし、あの人に惹かれて働いてる者も少なくないですよ。かく言う私もそのうちの1人ですしね。

私もまだ修行中の身なので細かい所までは解りかねますが、あの方の商人としての目利きは天才的です……ハリドさんが目を付けた商品は必ずと言っていいほど()()()()()。何か……先を見通すような力をお持ちなんですよね。

マガフの支店もあの方が支配人として来てから売り上げが倍になりましたし――ですから、ハリドさんがこれだけ気に入ったということはローンツリー様も良い商人なのだと思います」


 先を見通す力、か。情報網の基盤がしっかりしているとか、そういう話とはまた違う――天分のもの、ということなのかね……。俺の持つ天分とぜひ交換してほしいものだ。


 さっきも"これからの旅路にせめてもの祝福を与えた"とか言っていたが……まさか、な。


 まぁ、俺もそれなりに人を()()()()人間だ。彼に暗殺組合イリーガルギルドが関与しているような後ろ暗さは到底感じなかったな。


 さて、なんだかんだあったが……とりあえず商品は完売だ。地道に2~3日かけて相場の様子を見て売る時や、急ぎの場合は入札額が悪くても叩き売ってしまうんだが、俺にしては珍しく好い商売が出来た……こういうことがあると後々なにかしっぺ返しが有りそうで怖いんだが、今は気にしてもしょうがない。


 交易商としての仕事はいったんこれで終わりだな。本来ならマガフでも色々な商品を仕入れて他の都市や村を回ったのちにシノン村に帰るのだが、今回はサラ皇女の護送任務がある。だから買い手としては競りや入札に参加しなかった。


 その為にも……色々と護送に必要なものを調達しなければいけない。幸い軍資金は予定よりだいぶ貯まった。俺は昼食をさっさと済ませて北区画にあるレマット爺が営む店に足を運ぶことにした。





※設定集(原案)

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<現時点でのティフエレト大陸に於ける使用通貨一覧>


白金貨アクイラ:白頭鷲王冠の刻印。

モチーフ…紀元前より白金文化のあったプレ・インカ文明から。

金貨ロサ:薔薇と王冠の刻印。

モチーフ…ギリシア神話の金の神ミダスが薔薇の庭師であったことから。

銀貨ナーザ西洋籠手ガントレットの刻印。

モチーフ…ケルト神話の銀腕の神ダナンの別名ヌァザより。

銅貨ギルス:古代都市の刻印。 

モチーフ…メソポタミア神話の神、怪鳥の投石を赤銅へ変えた伝説を持つニンギルスの守護都市名ギルスから。


※下位の硬貨100枚でひとつ上位の硬貨1枚の価値。


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