第14話 おっさん、一息つく / 若者、義兄を失う
ダラム捜査官お気に入りの発酵麦酒を早速一瓶空けながら、例の黒い馬車について更に詳しい事情を聞くべく俺は質問した。
「暗殺組合の馬車だと分かってて通すってことは……マガフの貴族なり豪商なりが手を回してるってことか?」
二本目の発酵麦酒の小瓶を持ってきながら、ダラムは渋い顔で葉巻を吸う。
「ああ、司法局が『梟』に手出し出来ないのもそこに理由がある。この都市の実権を握ってるカーライル侯爵――このくそったれが出資元についてやがるからあんな気味の悪いくそ馬車をおめおめ都市に入れなきゃなんねぇんだ」
そう毒づきながら懐から一枚の小さな厚紙を乱雑に机へと投げ、発酵麦酒をぐっと飲む。
そこには壮年の貴族服に身を包む肥満気味の口ひげを生やした男が写っていた。
「これは……写像器まで持ってるのか。ははっ、見るからに裏の顔がありそうな風体だな」
「暗殺組合以外にも奴隷売買もコイツが仕切ってやがるよ。ディアッカの野郎もどうせ暴れ回るならコイツを真っ先に始末して欲しかったぜ……そうすりゃこの都市も大分マシになったんだがな」
物騒なことをダラムが早くも酔っぱらいながら言う。まぁ、気持ちは分かるが。『不可視の梟』と奴隷商人がこの都市から居なくなれば治安はだいぶ良くなるだろうからな。
しかし、司法捜査官というのも大変だな……司法局といってもイェフディードは通商国家だ。露骨に経済的権力者やその癒着勢力からの圧力がある。
忖度の連続からいつしか汚職に手を染める捜査官もおり、味方の中に敵が常在する過酷な職場だ。辺境ともなれば本部からの目が遠ざかり、その分そういった確率も上がってくる……以前ダラムと事件後に飲みに行った際そう語っていたのを覚えている。
ダラムは俺と同じくらいの年齢だが、20代の頃から捜査官を務めていたらしい。卓越した捜査能力と判断力や精神力、さらに戦闘力も求められる少数精鋭の司法の番人。くたびれた髭面と白髪交じりの薄毛になった頭が今までの苦労を物語っている……ような気がした。
「とにかく気を付けろよ……『梟』と侯爵の動向に何かあればすぐに連携する。俺の捜査補佐官や信用できる治安維持部隊の兵士も動かせるだけ動員しておく。とりあえず今日は兵舎を貸すからそこで寝泊りしてくれていい。街の宿よりは安全だろ」
「すまんな色々と。何もないことを願いたいがそうはいかんだろうからな……」
気づけば二本目の小瓶も空になっていた。俺も疲れているな……麦酒が身体に染み渡る。
「――そういえば、だ。賞金稼ぎのダンヒル・ベルモント……彼も今、この都市に滞在してるぞ。あの風来坊が珍しいことだがな。郊外のウルダン村周辺に賞金首が根城を構えてるらしいからそこに居るだろうが早晩こっちに戻ってくるだろう……またこんな時期にやってくるとはな。俺としては腕の立つ人間が多く居てくれたほうが助かるんでいいんだが」
「そうか、ベルモント殿も、か。彼とは事件の解決後、一緒に飲んだ以来だ……なんだか奇妙な縁を感じるな」
「彼が護衛についてくれたら心強いだろう。俺も見かけたらあんたに会いに行くよう伝えておく。ベルモント殿には今回の件のさわり位は話しても構わんか?」
ダラムはもう三本目を飲み干していた。相変わらず飲むペースが早い。
「ああ……構わないだろう。元々一匹狼な性分の男だからな。俺も信頼はしているよ。彼があの時いなければ俺もどうなっていたか分からんからな」
「そりゃお互い様さ……あんたと彼もマガフで捜査官やってくれたらいいのになぁ」
冗談半分な言い方だが、葉巻をくわえてるダラムの顔は少し本気だった。
「……あんたのそのくたびれ切った顔を見てやりたいなんて思う方がどうかしてるよ。気持ちだけ受け取っておく」
「ははは! それだけ俺も真面目に働いてるってこったな……気が変わったらいつでも言ってくれよ。さて……すっかり長居させちまったな。衛兵にあんたの部屋を案内させるからちょっと待っててくれ」
執務室を出てダラムと別れ、衛兵数名に兵舎へと案内される。中々悪くない宿舎だ。広さも適度でマガフにある価格帯が中級程度の宿屋と比べても居心地は変わらなそうだ。
おそらく上級士官用の部屋なのだろう。扉に鍵を掛けて荷物を下ろしベッドに横たわる。宿屋より少し固めの質感だが兵舎用だからだろうな……木製ではなく鉄ごしらえの組立材だ。
襲撃された時には、遮蔽物代わりには使えそうだな。
俺は持ってきた騎兵用小銃と呪物ではないほうの短剣――斧鎌剣の手入れを始める。
羊毛製の布と携帯砥石、水筒を取り出して、まずは刃こぼれが無いかを念のため確認する。
材質は魔鋼と玉鋼が主であるため、滅多なことでは劣化しないが、一応な。
"呪剣"については、手入れの必要がない。
おいそれと抜く訳にもいかないというのもあるが、古代文明の遺物だ。不気味なほどに当時の原形を保っている。
斧鎌剣はローレンス財団の戦闘員時代から愛用している剣になる。古い歴史を持つ武器であるが、自身の戦闘スタイルに合わせるため特注で拵えてもらったものだ。
両刃仕様であり、その真価は大きく湾曲した刃を"突き刺してから"切り裂く……つまり相手に深手を負わせやすい武器だ。
反り側の刃は、相手の力を受け流す機能に秀でており、騎士の両手大剣程度なら身体操作を併せていなしながら間合いを潰して即座に鎧の隙間に反撃を叩き込める。
剣については自分で手入れできるが、問題は銃火器だな……騎兵用小銃と手製の煙幕手榴弾、近距離用小口径の隠し銃では『梟』に対しては心許ない。
あ、そういえばレマット爺に前金を払っていたんだったな。明日は交易が終わったらこの小銃の礼も兼ねて店に寄ってみよう。
ふと、窓の外を見た――雨が降ってきた、か。
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兄貴……無事で居てくれよ。
俺は同僚の諜報員、ハーフエルフのハービットとマガフの城壁近くまで来ていた。夜間の門を通過するには手続きが面倒くさい。緊急時でなければ他にも水路の隠し通路なども使って移動するが、事態は一刻を争う。こういう時はハービットの自然魔術が頼りだ。
「衛兵は居ないみたいですね……よし」
ハービットは腰に巻き付けていた植物の蔓を取り出し、魔力を込める。
蔓が魔力によって強度を獲得し、形状もその尺度を伸ばしていき先端が鉤爪状に変化する。まさしく自然の鉤縄といったところだ。
城壁の最上部にそれを投擲し引っ掛ける。しっかりと鉤が掛かったことを確認してハービットが登り始める。
「ペイパー……速く」
「ああ……」
若年の優男に見えるが、クロウルと年齢はそう変わらない。ハービットも歴戦のエレンディラ皇国諜報員だ。それ以前は皇国防衛隊にも所属していた軍人である。諜報能力・戦力ともに申し分のない頼れる人間だ。
幻影魔術の使い手でもあり、普段の諜報活動ではその特徴的な種族の長耳を魔術によって隠しつつ、念のため耳隠し用の頭巾を被っている。
城壁外に出た。ここからは魔術感知と生命探知をお互いで使用しながら隠形術によって出来るだけ気配を消して進む。衛兵対策というよりもグラスの兄貴と会敵した可能性のある暗殺者に鉢合わせては不味い。『梟』の構成員とも会敵は避けたい。
ウルダン村が管轄する農園が見えてきた。そして……憎たらしい旧教会も。
辺りは丘陵地帯の中でも比較的平坦な平野に近い地形になっており、柳とミズキの樹林を切り開いて農園が点在している。
くそ……雨で視界が悪くなってきた。
「!! ……ペイパー」
ハービットが一瞬、足を遅らせた。ハーフエルフは夜目がヒューマンよりも格段に利く。俺も諜報員として通常の人間よりは鍛えているがやはり種族の特性には敵わない。
「どうした……? ハービット……?」
「あれは、まさか……とにかく急ぎましょう」
――嫌な感覚が襲った。黙ってハービットに追随する。鼓動が不安で速くなる……。グラスの兄貴は俺より7歳年上だ。ロスリック教国に背信者として追われ亡命し、傭兵稼業をしばらくやっていたそうだ。
その頃から斥候としての能力は折り紙付きで、エレンディラ皇国が今は無きファルス王国の非正規部隊に国境付近で略奪行為を受けていた際、皇国軍に加勢したのが縁でヴァルト・フックスに勧誘されたらしい。
俺もロスリックの辺境出身だ。成人になる手前に戦争で村を焼き払われ、奴隷商に捕まったところを偶然任務で居合わせた兄貴に助け出され、諜報員候補として推薦してくれた。
グラスは俺の命の恩人なのだ。俺に技術や戦闘、学問さえも一から叩き込んでくれた。本当の兄貴のように慕っていた。良い遊びも悪い遊びも教えてくれた。兄貴はいつもどんな任務でさえ顔色ひとつ変えなかった。
こんな世界で、奴隷として死ぬまでどこぞの鉱山で過労死せずに今の俺があるのはすべてグラスの兄貴のおかげだ。
「諜報員だろうが軍人だろうが、農家だろうが貴族だろうが、誰だって明日どうなるか分からない。だが命を決して粗末にするなよ……お前が死んだら俺が悲しむからな。お前がお前の道を見つけられるまで必ず生き延びろ」
いつだったか、どこかの酒場で珍しく酔っていた兄貴は俺にそう言ってくれた。
……俺はその時なんて答えたのだったか。兄貴以上に酔っぱらっていた俺ははっきり覚えていない。だがその後に厠で1人、吐きながら嬉し泣きをしていたことは覚えている。
そんな、グラスの遺体が、俺の目の前にあった。辺りには爆発痕や血が散乱しており、激しい戦闘がここで行われたことを物語っている――雨の勢いが強くなっていた。
もの言わぬ冷たくなった兄貴の前で膝から崩れ落ちた俺の肩に、ハービットがそっと手を置いた。
俺はただただ、無言だった。唇を強く嚙みしめすぎて血を流しながら震えていた。大量に零れ落ちてくるものが雨ではなく――自分の涙だと理解するのにしばらくかかった。