第13話 ~諜報員の宿命――グラス~
設定とプロットを練っていたら投稿に時間が経ってしまいました……とりあえず第三章まではざっくりと固まりました。
地方都市マガフ郊外にある町村のひとつ、ウルダン村。基本的には農業と馬の放牧産業が主などこにでもある村であるが、特徴的な村の建造物としてこの規模の村落にしては珍しく、ウルダン村には教会がふたつある。
元々、地主神であるヴィロ=レ神を祀る教会としてあった一堂が老朽化してきたために、とある大貴族より寄与があり新たな教会が建造されたのが理由だ。
現在、村人たちは新しい教会を礼拝の場として利用しており、古い教会は使われていないが取り壊すことはせず、そちらも同じくその貴族の寄与によりヴィロ=レ信仰の記念建物として修繕作業を行っている。
……というのは、すべて建前の話だ。旧教会は暗殺組合『不可視の梟』の隠れ拠点として存在しており、教会の地下には村人たちが知らない大規模な施設が幾層にも広がっている。
【ヴァルト・フックス】の一員であるグラスは、村の外の柳樹林から遠眼鏡を使って旧教会の出入りを監視していた。つい先日、エレンディラ皇国のハンザ共和国への外交特使一団が襲撃され、その実行犯が『梟』であるという情報を掴んでいたからだ。
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やはり人の出入りがいつもより多い。いや、正確には出入りの人数に矛盾がある。明らかに旧教会から出ていく人数のほうが多いのだ。恰好は建築大工や石工など作業員を装ってはいるが、木箱に入れて持ち出しているのは間違いなく建築材や工具の類ではないだろう……。
特使であったサラ第三皇女は行方不明のままだ。おそらくは襲撃から逃れることに成功し、どこかに潜伏しているはずだ。奴らもそれを捜索中という訳か。
旧教会から出てきた者たちが3台用意された幌馬車に荷積みを終えて、そのまま自分たちも乗り込んでいく。
尾行すべきだな……。
馬車の一団が出発する。その方向からして……ケルビ河川沿いのルートを捜索するつもりか。
俺は柳樹林の中を気配を絶ちながら素早く移動して、馬車から一定の距離を取りつつ慎重に尾行を始める。それから10分ほど経っただろうか……不意に最後尾の馬車が停止した。先行する2台はそのまま目的地へと走っていく。
とりあえず停車している馬車の監視を相手の索敵外の距離から遠眼鏡によって慎重に行う。一人の男が荷台から降りてきた――背は高くクセがある金色長髪の男、褐色の高価そうな長外套を着込んでいる。
馬車はその男を降ろすと再び先行する馬車を追って走り出した。
遠眼鏡越しにその男と目が合った。瞬間――男の姿がおぼろげに霞む。
「……ッ!?」
この消え方……魔力の残滓のみをその場に残して本体の位置を欺く高等陰形術――残像術か!?
「ククッ、おい……何処を見てるんだ? 俺はここだぜ」
背後から男の声が囁いた瞬間――痛みと熱が背中に疾った。
「ぐッ!?」
くそ、斬られた……しかし、声に反応した身体が反射的に前方の樹木の枝へと跳び退いたため、傷は浅い。
そんなことより、なんだ、コイツは……?
あの一瞬でこの間合いを――50メートルはあったはずなのに――まったく気取られることなく、しかも後ろを取って詰められる使い手だと……いや、そんな離れ業、人間の領域を超えている……。
更に距離を取って、跳躍しながら投擲用ナイフを振り返りざま放とうとする。
だが、そこには誰も居なかった。
陰形術? いや……索敵魔術を生命探知式へと反射的に切り替える。――いる。確かにそこに。だが……なぜ、視えない?
不意に近くの柳の葉が、僅かに不自然な歪みを帯びたと気付いた時には、景色を切り裂くように幅広の剣が飛び出してきていた。腰を捻って咄嗟に躱そうとしたが肩口に突き刺さる。
ちぃッ! ――まさか、偽態迷彩か?
馬鹿な……高位の術士でもそれだけを発動するのに精一杯なはずの、莫大な集中力と細密な調節を伴う高等魔術だぞ? 練度の……桁が違う。
一瞬のうちに索敵・残像・超高速移動・偽態魔術を行使、それもすべてが極めて高精度な……いくら『不可視の梟』でもこれ程までの暗殺者がいるなんて情報は聞いていない。
俺は腰に装備していた閃光手榴弾を剣が飛び出してきた空間に放り投げ、投げナイフをそれに命中させた瞬間、触覚以外の感覚器官を一時的に切った。
《バァンッッ!! キィーーーンッッ!!!》
耳を劈く轟音と、視覚を奪う強烈な光が一帯を襲う。五感を再び戻すと同時に、全力を以てその場から離脱した。
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「グラスは20時の帰還予定だったはずだ……もう1時間も遅れている」
四階建ての古びた雑貨屋を装ったエレンディラ皇国諜報機関ヴァルト・フックスの隠れ拠点【ウィロー】、その三階に設けられた隠し部屋の会議室でリーダー格であるクロウルが同席している他メンバーに真剣な顔つきで告げる。
「ウルダン村の偽装教会偵察中になにか問題が発生したと判断するしか、ないですね。それもおそらく……深刻な」
ハーフエルフの男性諜報員、ハービットが答えた。
「グラスの兄貴がしくじるとは考えにくいですよ……偵察任務で兄貴以上の諜報員はいないでしょう?」
「まぁアンタならともかく、グラスが一介の暗殺者どもに遅れを取るとは思えないわね……救援には誰を?」
メンバー最年少のペイパーの言動にラナも同意を示し、クロウルに救援の指示を請う。
「あぁ……ハービット、ペイパー。両名で至急、グラスの今回の任務ルートを追いながら救援に向かってくれ。たださきほど情報屋から気になる情報を入手した……夕刻、カーライル侯爵家の紋章が付いた黒馬車がマガフの南門から入ったと」
「死の黒馬車……『梟』の幹部クラスか戦術級戦闘員が乗っていた可能性は高いわね――そいつが早速、行動を起こしたってこと?」
「さぁな……とにかく向こうも暗殺に本腰を入れてきたってことだ――2人とも、十分気を付けて任務に当たってくれ」
クロウルの言葉に頷き、ハービットとペイパーは隠し扉から出発した。
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くそったれ……あんな化け物がいるなんて聞いてねえぞ。戦術級戦闘員なら以前何度か会敵したことがあるが、あれと比べりゃ随分可愛いもんだった。
治療を施したってのに血が止まらねぇ……呪術か毒でも食らったか。焼けるような痛みだ、忌々しい。
まだ追跡してきやがるか。このままじゃ追いつかれる……足には自信があったんだが――世の中、上には上がいるもんだな、畜生。
雨がぽつりぽつりと降ってくる。俺は逃げるのを止め、手巻きの紙巻き煙草を取り出して口に咥え、燐寸で火を付ける。
逃げるのは止めた、という意思表示だ。
ウィローまでおめおめ追跡こられちゃ困るからな――逃げられないならここで決着をつけるしかねぇ。
生命探知で気を探る。10メートル手前まで化け物が来てる。だが姿は見えない。
短外套の内側に仕込んだ特注の投擲用ナイフを両手併せて8本、指で挟み込む。
扇状に右手のナイフを速投技術で展開する。
1投目は追跡者の足元付近へ、左手に把持した4本……2投目も同じく扇状に、さらにその手前へ均等な距離を空けながら地面へと正確に突き刺した。
術の結界、攻性の防御陣だ。
すぐさま、左手には同じく投擲用ナイフを今度は倍の8本、利き手の右手には愛用の鉈蛮刀を構える。
牽制と迎撃準備を兼ねた得意の布陣だぜ。さぁ……どう出て来やがる、化け物。
「なんだ? 皇国の諜報員は戦い方が古いねぇ……ククッ、食い足りねぇなぁ」
「ぬかしやがれ……隠れてばっかりのチキン野郎がよ」
俺はすでに左手の甲に刻まれた魔術紋章へと鉈蛮刀で軽く切り傷を入れていた。滴る血が紋へと染み渡っている。そこに己の魔力を凝縮させた――爆ぜろ。
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――――おさらいから始めようか。
まず、魔術を使用するには基本的に、3つの準備が必要である。
ひとつ目は、言うに及ばず魔力自体。
ふたつ目は、使用する魔術に適した元素に反応する媒体。
最後は、魔力を適切に出力するための魔術回路だ。
これについては、直接自分の身体に彫り込む魔術紋章や、触媒に使用する物質へと刻印する付呪魔術式の印章などが一般的である。
中世から現代における基本魔術に於いて、この理論を超越した魔術は存在しない。
奇跡のように見える魔術を使う者が居たとしても、その者は必ず原理を内に隠し持っている。その隠し方が巧妙なだけだ。
例外的な伝説は各地に遺ってはいるが――宗教伝説の殆どが良い例えだろう――誰も実物を見たことなど無い。
御伽話のような、何もない空間にいきなり火の玉を浮かび上がらせる芸当は魔術ではない。
強いて可能性を挙げるとすれば、発火能力を潜在的に有する者だろうが……大体は詐欺だ。
魔術工学によって造られた兵装を使ったか、手品の類や、隠形術で魔術媒体を隠匿している筈だ。くれぐれも化かされるなよ?
さて、本題にそろそろ入ろう。追加媒体についてだ。
目的としては、既存魔術の規模や威力の増加となるが、当然、代償が必要になってくる。本来の実力を超えた魔術を行使する訳だからな。
主なものとして、自身の血液であったり、生命力……寿命と言い換えてもいい。それを正しい手順で使用することで先に挙げた目的を果たすことが可能だ。
練度は言わずもがな、必要だがな。いきなりそれを未経験の者がやっても雀の涙くらいにしか術力は上がらん。修練あるのみだ。
そして無論、追加媒体も有限だ。それ以上の魔術強化を果たしたいのなら、また別の手段を用いなければならない。
次回の授業、『魔力強化薬と魔術兵装』でその辺りの内容は詳しく深掘りしていく。
――ヴュールツォレルン魔術同盟・ミゼット魔術学院ノイヴィー=ナージ教授『追加媒体の講義記録』より
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先に地面に突き刺した投擲用ナイフの柄が光り――計4本のナイフ、それらが爆発を起こす。
相手が回避することを前提とした攻撃だ。
前に飛ぶか上か、それとも迂回か……いずれにせよ、まだ地面に刺さっているナイフには近づけないだろう?
どうやら生命探知で捉えた追跡者は上方への跳躍を選択し、爆発から逃れたらしい。
それは悪手だぜ――詰みだ。
跳躍で生じた一瞬の隙を逃さず左手に保持した8本すべてのナイフを、己のこれまで培ってきた技術を総動員し最大の投擲速度で刺客へと放った。
先の抉られた肩口から血が噴き出すが痛覚を切った状態での投擲だ。狙いに狂いはない。
また景色から突然姿を現した幅広の剣――拳鍔突剣か? それが瞬時にすべてのナイフを薙ぎ払った。その刹那、弾かれたナイフの柄が光を放つ。
そのまま派手に飛び散りな、カメレオン野郎。
"鏖殺祝砲"――俺の、いつも通りの味気ない打ち上げ花火だ……人を殺す為だけのな。
カッと、起爆の光が差し、丘を抉る規模の大爆発が空に生じた。一帯の雨が蒸発、霧散する。
大音響とともに大気と地面が共鳴し、ビリビリと互いが震えている。
爆轟で生じた白煙が辺りを包み、爆発音のこだまが徐々に遠のいていく。
ふう……過去一だ、こんな敵。情けねぇな、手が震えてやがる……いや、魔力切れだなこりゃあ。見事にすっからかんだが、ちゃんと確認しねぇとな。
咥えていた煙草をいったん口から離し、魔力補充の水薬を懐の差し込みから取り出してクイッ……と一息で飲み干す。さて……。
魔力感知からして残像術を使った様子はねぇ……先の奇襲で奴も魔力を使い切っていたのか? だとしたらとんだ間抜けだぜ。
生命探知からも反応が消えた。いくら足が速くても跳躍状態からあの規模の爆発を避ける術は無いはずだ。
間一髪、だったな……。
ふぅ……深く吸ってから煙草の煙を吐き出し、また口に咥える。小雨に当たり火が消えた。
今度は火術によって、煙草の火を付け直した。
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燐寸で最初、火を付けて見せたのは、火術と爆撃の使い手だと相手へ悟らせないためにグラスがよく使う、常套手段の欺瞞だった。
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さっきの閃光手榴弾と今の爆発は流石に目立ち過ぎだ。他の追手が来る前に離脱しねぇとな……。
「ナイフの柄に黒色火薬と石油を詰めて魔術で着火か……燐寸も欺瞞――やっぱりやり方が古いねぇ」
ズブッ……。
背後から聞こえた男の声と同時に……酷く不快な感触が身体を襲った。
「がッ、はッ……? てめぇ……ど、どうやって……あ、の爆発、を……」
吐血によって赤く滲んだ紙巻き煙草が口から力なく落ちる。
胸から拳鍔突剣の刀身が飛び出していた。硬皮の革鎧ごと背中から貫かれている。
「まずは一匹……。今日は挨拶代わりだ……お前には哀れな『狐』どもの伝達係になってもらうぜ。死体としてな」
視界が徐々に薄くぼやけ……暗くなっていく中、ヴァルト・フックスの、仲間たちの顔が霞かに脳裏に浮かんだ――悪ぃ……しくじったわ。