第12話 おっさん、馬をいたわる
サラ皇女の保護を秘密情報機関【ヴァルト・フックス】に引き継ぎ、俺はとりあえず雑貨店前に停めている幌馬車を移動させることにした。あまり長い時間、停留していたら不審に思われるだろうからな。
ちなみにこの隠れ拠点――【ウィロー】に所属する諜報員は合計6名いるとクロウルに教えてもらった。
ベツェレム種のクロウル、ラナ、ペイパー……俺が行った際には諜報活動で不在にしていたグラスという男に半エルフ種の男性ハービットと女性のテオラ。もちろん全員が暗号名だ。
【ウィロー】が地方都市マガフにおけるヴァルト・フックスの本拠地だが、他にも都市内に数か所隠れ拠点があるらしい。そちらの正確な情報まではさすがに教えてくれなかったが。
エレンディラ皇国は原則的にハーフエルフ以外の国民化を認めないが、こういった特殊なケース――人間種の人口が多数を占める都市での情報機関など――の場合は、準国民制度というものでベツェレム種など他種族も国家に所属しているとのことだ。元々の出自が何処だったかなんて当然、諜報員が喋ってくれるはずないと思っていたのだが……。
「私は邪神島――アサーザッド列島の北東端にあるランベス王国の更に辺境にある部族の出だよ。隣国のサシーア共和国が魔族に滅亡させられたせいで【種絶の呪詛】を食らってね……まぁそのあと色々あって国を出てエレンディラの諜報員として雇ってもらったのさ」
ラナにこの辺りで褐色の肌の女性は珍しいな? と当たり障りなく聞いたらすんなり答えてくれた。
敢えて本人には言わなかったがランベス王国の現状は知っている。種絶の呪詛――つまり子どもがその国では一切生まれなくなる『邪神の欠片の呪詛』である。
当然、そんな事態になった国は移民に頼らなければ国力は減る一方だ。
積極的な移民政策に出たが、あまりにも政策が段階を色々すっ飛ばし過ぎて移民政策の負の部分が一気に顕在化した。
治安の悪化、違法雇用による劣悪な労働、元々の国民と雑多な移民同士の宗教や文化的諍いが内戦にまで発展……君主制の政治体制も如実にマイナスへと作用してしまった今や亡国寸前の国家だ。
……そりゃ、亡命するわな。というかランベスはその呪いの一件のあと、元来の国民に対して出国禁止令を出したはずだ。彼女は生き延びる為にそれなりの死線を何度も潜ってきたのだろう。
ラナの目には年相応の甘さは微塵もない。護衛としては頼もしいが……よくある話とはいえ心境は少し複雑だった。
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ペイパーに軽く挨拶を交わしたあと、俺は幌馬車に乗り込み東側区画へ荷馬を走らせた。東側には交易商人用の馬車停留所と積み荷の降ろし場がある。ここで仲卸業者や小売商と競り売り形式や競争入札形式の方法で、商品の卸売りをする。
今回交易商品として積んできたのは、蜂蜜、羊毛、薬草、砂糖、様々な動物の皮革や毛皮、それに建築や武具その他諸々の素材となる骨や牙など……あとはシノン村職人手製の葉巻、刺繡入りの藍染羊毛寝袋、羊毛と亜麻の交織生地だ。
田舎の特色を活かした商品ラインナップだ。シノン村や近隣の村落で仕入れた品が多いが、蜂蜜は養蜂箱を自作して森にいくつも仕掛けて採ったりしている。動物素材も自ら狩猟で獲ってきたものが多い。
シノン村に拠点を置いているのは別にそれが理由だった訳ではないが、結果として俺は交易商でもあり、自前の商品を自ら卸売りに来る生産者でもあるのだ。
……とは言っても実際この都市で競り売りをする時間帯は決まっている。早朝から昼までがその時間帯の為、今日はとりあえずここに幌馬車を停めて、明日商売を行う予定だ。
馬車停留所には馬水槽や水道が設置されており、盗賊から商品を守るために衛兵も交代制で巡回している。商品を詰めてきた箱にも鍵は付いているし、幌と荷台にも迂闊に触れればけたたましい騒音が鳴り響く仕掛けを施してあり、万一それが鳴っても驚いて暴れないよう馬たちを訓練してもいる。
幌にも特殊な素材を使っている。防炎・防水製且つ軽魔鋼製の鎖帷子用輪鋼入りだ。
ちなみに俺の身につけている服もすべて基本的には同じ素材で仕立ててある。防炎・防水、鎖帷子以外には耐毒の魔術処理もしてあるから、致死性の毒針なんかを不意に受けても問題ない。
明日の商売を待つ交易商人の中には、私財で雇った護衛や商人自身がここで一夜番をする者たちもいるが……いつも俺はマガフでは普通に宿をとって寝る。
さてと……やるか。
ガーベラとスウォンジに装着させていた馬具をすべて外してやる。まずは水と干し草をやり、そのあと一頭ずつ鉄爪で蹄鉄と蹄に付着した汚れを落とす。その後は根刷毛で毛の表面を、豚毛製の毛刷子で横腹や顔の汚れを取ってやる。
「お前たちもあの子をよく守ってくれたな。マガフまで全速力で走って疲れただろう? ありがとうな」
そう声を掛けながら、誇らしい愛馬たちの体表を毛刷子で入念にマッサージする。
ブルル……。
目を細めながら気持ちよさそうにする愛馬を見て、俺も自然に微笑んでいた。
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「おお! 待ってたぞ。とりあえず執務室に入ってくれ」
「いや、こちらこそ待たせたな」
門番長コリン・ダラムに声を掛けられ、俺は城門内に設置されている執務室へと入る。
ダラムが扉に鍵を掛けてから、その中心あたりに刻まれてある魔術陣に触れ呪文を唱える。
許可の無い者が立ち入れない魔術防壁と壁自体に強化を施す魔術だ。
「……よし、まぁ座ってくれ。盗聴防止用の音波障害を発生させる魔術工学器も作動させた。とりあえずはこれで大丈夫だろう」
「伊達に長は張ってないな。いや……確かあんたは本国の司法局捜査官だったか」
「はは……そういやバレてたな。あらためて、聖使徒ディアッカの【マガフ連続爆破事件】では世話になった」
サラ皇女の保護をヴァルト・フックスに引き継いだため、先刻の約束通り俺はダラムの元に訪れていた。
「"爆鎖のディアッカ"――か。結局あいつはどうなったんだ?」
「あの厄介な爆弾舌をあんたがブッタ斬ってくれたからな。逮捕後は国家A級犯罪者として最厳重刑務所【魔女の舞台幕】に投獄されたよ。あそこにぶち込まれるなら死んだ方が百倍マシだと言われるトコさ」
マガフ連続爆破事件は今から半年ほど前に起きた死傷者50人超のテロ事件だ。実行犯は1名のみ――テロ組織『オウンガンの聖使徒』の参画者、ディアッカ・ノインが公共施設や有力者の邸宅を次々と爆破して回った。
その異名【爆鎖】の通り、独自の術式で編み上げた連鎖爆発陣と通称される熱爆魔術で対象を吹き飛ばす能力者だったが、運悪く出くわした俺とダラム、そして賞金稼ぎのダンヒル・ベルモントに制圧・逮捕された。
『オウンガンの聖使徒』はイェフディート通商国家とファルス・スタンレー共和国の隣国、ラザイエフ公国領に隣接するロスリック教国との関係性が噂されていたが、結局事件後から今日に至るまで教国はそれを否定したままだ。
ディアッカが自白するか――いや、舌は俺が斬っちまったからもう喋れないか。洗脳なり何なりで有力な証拠を掴めれば国際世論が動くだろう。ロスリック教国は敵が多いからな……それでも下せる措置は経済制裁程度が関の山か。
遺族への手厚い保障くらいは出来るだろうが、それでも死んだ人間は浮かばれんな……結局、よくある話で片づけられちまうのが世の摂理だ。
「まさか魔術紋が舌に彫り込んであるとはなぁ……古典的な方法だが。気づくのが一瞬でも遅れてたら木っ端微塵に吹き飛ばされてたさ……そうか、【魔女の舞台幕】行きか。そりゃ良かった――もう二度とあんな奴とは関わりたくねぇからな」
「ははは……俺にとってはリアム殿が居てくれて幸運だったよ。事前に何度も本国に目撃情報の連絡を入れて援軍要請してたんだがな……ったく、辺境には相変わらず冷てぇよ。
あいつを1人で止めるのはどう考えても無理だった。今回のエレンディラ皇女もあんたに偶然保護してもらって幸運だったなぁ……まぁ、リアム殿にとっては災難続きで同情するが」
そう言ってダラムは葉巻に火術で火を付けた。
「笑えんが、もう慣れたよ……そういう因果に生まれた時から取り憑かれちまってるからな。ん? おお、それ俺の卸してる葉巻じゃないか」
「え? そうなのか? そうかそうか……こいつは気に入ってるんだ。この田舎都市での数少ない楽しみのひとつさ。なんだ、リアム殿の商品だったのか。そりゃもうひとつ貸しが出来ちまったな! はは、じゃあ俺が愛するとっておきの発酵麦酒を出してやろう――コイツがあんたの葉巻に一番合う」
「ほぉ……ダラム捜査官様お墨付きの発酵麦酒か。俺も酒にはうるさいぞ」
軽口をたたきながら葉巻に燐寸で火を付ける。火術は使えないからな。煙をくゆらせながら、ふと思い出したことをダラムに尋ねる。
「そういえば俺たちが都市に入る少し前に漆黒の不気味な馬車が来ただろう。窓が一切ない、見るからにやばい雰囲気を出していたやつだ。あれはやはり……」
戸棚から小瓶のまま発酵麦酒を運んできたダラムがそれを俺に差し出しながら言った。
「ああ……おそらく『不可視の梟』の幹部級が載っていただろうな」
ダラムはぐびぐびと発酵麦酒を飲み干す。
はぁ……こないだのようにはいかん相手だろうな……と俺もため息をひとつ吐いて発酵麦酒を乱暴に口に入れた。
うん、ほのかな甘みがあって飲みやすい。ダラムも中々美味い酒を知っているな。