第11話 深緑の狐達
木箱を持ったまま店内に入ると扉のすき間からさきほどの……ラナ、と名乗った女の諜報員が目に何かを当ててこちらを伺っている。
あれは……【熱視鏡】か。
熱視鏡――古代文明の遺物、その中でも機械工学が飛躍的に発展していたとされるスラン文明の出土品……通称【スランの遺産】の人工模造品のひとつだ。
視認した領域の《熱源》を探知できる工学品。俺も所持している。
俺の後ろをついてくる男――ペイパーに対してラナが何か手信号を送っている。
慎重だが、正しい判断だ。これがもし爆弾や毒薬でテロルでも起こされたらひとたまりもない。
おそらく皇女の身長と同じサイズのハーフエルフが中に入っていることを確認した、とペイパーに対して伝えているのだろう。
「このまま扉の奥へ入っていいのか?」
さきほどペイパーと呼ばれた男に問いかける。
「そうだ……扉を開けてすぐ右に階段がある。まずはそこまで進め」
男の指示通りに階段の前まで来た。
「よし……そのまま階段を上がったら扉をくぐって1メートル前進した後、左に3メートル進んだらその場所で箱を置け」
「了解……」
ラナの方はというと、俺に先行しつつも相対した体勢で、一定の距離を保ちながら上下二連装式の拳銃をこちらに構えている。
階段を上がり指示された場所へ木箱を置く。
「箱の蓋だけを取れ。他に妙な挙動は起こすなよ」
ラナが銃をこちらに向けながら威圧的に告げる。
「ああ……」
その通りに木箱の蓋を開ける。そこには窮屈そうに丸まったサラ皇女が居た。
「ペイパー!!」
ラナが興奮しつつも、諜報員としての冷静さを保ちながら叫んだ。
短剣をいつの間にか構えていたペイパーが慎重に木箱に近づきながら言う。
「あんたはそのまま動くなよ……そこにいる怖い姉御に撃たれたくなかったらな」
男はサラ皇女の顔を確認し、腰に差している皇家の宝剣を抜いた。
「確かに【紫緑の実り】の印章……サラ皇女、このままの状態で申し訳ございませんが『合言葉』を」
「ええ……『樹は貴となり、やがて棄の民の喜を育む』」
ふうっ……とラナと名乗った女が安堵のようなため息を吐いた。
「リアム殿。サラ皇女の保護および護衛、誠にかたじけない。我々の無礼をお許しください」
ペイパーがそう言って俺に深々と頭を下げる。
「いや、気にしてないさ。もしかしたらサラ皇女の替え玉が入っていて奇襲を仕掛けてくるかも知れないし、最悪……それが体内に爆弾でも埋め込んでて自爆されたら終わりだからな」
「ご理解いただけて助かります……あとの説明は他の者がいたします故……失礼」
そう言ってまたペイパーは店番に戻っていった。
天井が唐突に開き、梯子階段が出てくる。
そこからハーフエルフの男女が2名、壮年の人間男性――俺より4、5歳ほど年上かな――が1名降りてくる。
三階から上は隠し部屋か……ということはあっちに見えてる上り階段は偽の部屋か罠か何かが仕掛けられてるのだろう。
「サラ皇女!! よくぞご無事で……襲撃の報が入った際には本当に心配いたしました……こちらから救出へと向かえず甚だ申し訳ございません」
この場にいる諜報員全員が立て膝の姿勢で頭を垂れる。
「頭を上げて頂いて構いません……状況は理解しております。あなた方に責は何一つございませんわ」
サラ皇女は立ち上がって、ひと伸びした後に優しく【ヴァルト・フックス】の面々にそう告げた。
とりあえず、マガフまでの皇女護衛はこれでひと段落だな……。ラナが近づいてくる。
「さっきは悪かったね、リアム殿。サラ様が行方不明になってから私たちもこの都市で活動する非合法の奴隷売買組織や暗殺組合の調査をしていたんだけど、一向に確実な情報が掴めなくてね……。
ようやく見えてきたのが『不可視の梟』がおそらく襲撃犯ではないかっていう所までで……とりあえず、あなたが保護してくれてて良かったわ」
「気にしないでくれ。あんたの隠形術も中々だった。マガフの情報機関が心強い連中で良かった」
「あなたも商人なのに暗殺者どもを返り討ちにするなんてやるじゃない。稼げなくなったらいつでも諜報員として歓迎するよ」
本気なのか冗談なのか分からないフランクな口調でそう言いながら、ラナは男勝りな表情で笑った。黒髪を後ろで三つ編みに束ねた褐色肌を持つ中々の美人だ。
情報機関では色香を使う諜報活動も日常茶飯事だからな。その様な際に公民どちらも対応できる様々な振る舞いも大事だが、やはり外見の良い女性は貴重だ。麗しい貴族として化けることも、くだけた話の出来る酒場の人気常連客に化けることもラナならば朝飯前だろう……。
「サラ皇女。事態は一刻を争うかと。我々としても皇女を死力を尽くしてお守りする所存です。
しかし、我々には情報が決定的に不足しているのが現状……長旅の疲れは重々承知しておりますが、エレンディラをご出国されてからの経緯を我々にご説明していただけませんでしょうか」
ラナがサラ皇女に向き直り、歎願する。
「はい、もちろんです」
サラ皇女は女性のハーフエルフに用意してもらった革椅子に座り紅茶を飲みながら、ここまでの経緯を話し始めた。
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俺も座り心地の良い長椅子に案内され、紅茶をいただいた。うん、味に深みのある茶葉だ。美味い紅茶を飲んだ後はついつい葉巻に手が出てしまう。
いやまぁ、別に珈琲でも水でも飲んだ後は一服してしまうんだけれどさ。
「【空中庭園街道】のハンザ側出入口ですか……完全に狙われましたな。魔術は行使できず、強みである機動力も殺されて、遮蔽物も高所に陣取れる場所もない場所では――護衛士たちもさぞ苦戦したことでしょう……」
「はい……。あのままでは正直、全滅は必至だと感じました。なので……無謀だと思われるかも知れませんが私1人でセイオ森林まで脱出したほうが刺客も私を追う際に隙が生じる可能性があるのでは、と考えて……。なんとか戦況を変えられないかという私なりの決断だったのですが……」
「それがご英断だったかどうかは結局のところ、結果でしかご判断出来ませぬ。そしてその結果、サラ様はマガフへとご無事にたどり着けた。リアム殿のご助力が多大なものだったからこそではありますが、それが全てでございます」
歴戦の古参兵であろうと思わせる雰囲気を纏わせている落ち着いた壮年の男性、クロウルはサラ皇女の出国から現在に至るまでの話を一部始終聞いた後、そのように語った。
そして俺のほうに身体を向ける。
「あらためてリアム殿の命を賭したご尽力に感謝いたします。此度のハンザ共和国への外交交渉はエレンディラ皇国の分水嶺でございます……特使として抜擢されたサラ様の安危は国家のそれと同義でございました。まだ油断は出来ませぬが……本当に感謝してもしきれませぬ……」
武人だな。今まで商人として人の目利きもそれなりにしてきたが……エレンディラ皇国に情報機関という裏の立場でありながらこの人は身命を賭してきたのだろうという矜持を感じる。
「過分なお言葉、痛み入ります。私も商人としてシノン茸がエレンディラ皇女に好評であることが分かっただけで十分です。
そろそろシノン茸の繁殖時期ですからな……行商で稼ぎに行くためにもサラ皇女には必ず生き延びていただかないといけません。なのでハンザ共和国までの道中、ぜひお供させていただきますよ」
と少し茶化しながら、その心意気に答えた。
サラ皇女がさきほど道中での野営の話などもしていたから、その部分を少し使わせてもらった。堅苦しいやり取りだけでは相手の信頼は得られない――商人として長年やってきた故の口上だ。
クロウルは一瞬、間を置いたあと声を抑えつつも豪快に笑い、サラ皇女はというと……少し頬と長耳を赤らめていた。すまないな、という視線を送りつつも……やはりこういう所は年相応の娘であるのだなと、どこか安心を感じながら俺は笑った。