【江戸時代小説/男色編】桜の契り
縁短し 互いを想う男衆ここにありけり。
京の都に、玉緒八尋という男芸者がいた。
年は十七で花まっ盛り。芸は一流で、中でも踊りは、もっぱら評判がよく、その様はまるで蝶が舞うようであると言われた。性格はいたって穏やかで顔立ちもよいものだから、衆道の契りを交わしたい男が大勢いた。
しかし、八尋は芸の稽古のことで頭がいっぱいで、そんな気には一切ならなかった。
ある日のことである。その日は年に二度しかない稽古が休みの日で、八尋は羽を伸ばすために四条通りを一人のんびりと歩いていた。
すると突然鼻緒が切れ、歩いて帰ることもできずに困った。
そこに一人の男が声をかけてきた。
男は、控えとして持っていた草履を取り出し、八尋に「お困りのようですから、どうぞこれを」と手渡した。
八尋は「ご厚意に預かりまして」と渡された草履をはいた。
「わたくし、祇園で男芸者をやっております、玉緒八尋と申します。よろしければ、お名前をお聞かせ願えますか」と八尋が尋ねた。
男は左門と名乗った。
この時、八尋はすでに左門のことを“いい人”以上に思っていた。
八尋は「この恩をお返ししたいので、どうぞわたくしの芸を見ていってはもらえませんか」とお願いしたが、左門は京に住む母を見舞ってのことだったため、早々に江戸に帰らなければならない身であった。
「そんな……せっかくこうしてご縁がありましたのに」
八尋が嘆くと、左門は小指を差し出した。指切りをしようというのだ。
「約束いたしましょう。次の春には、必ずやもう一度、都に参ります。その折りに契りをば」
「必ず、必ずやですよ。お待ちしておりますゆえ」、八尋はうれしくなって答えた。
左門とはそこで別れた。
凍えるような冬が来ても、八尋のこころにはいつも左門の姿があった。
置屋の控え室で窓の外を見ながら「左門様……」とため息をこぼすので、芸者の先輩方もとうとう八尋にも春がきたとうわさした。
待ちわびた春がきて、桜満開という頃、一通の手紙が八尋に届く。
そこにはこうあった。
“前略 八尋殿
この手紙、宜野座左門に代わりその弟、宜野座与右衛門が筆をとりて候。
兄 宜野座左門、冬半ばに流行病にて急逝し候。
尚、言伝にて一筆書きたり。
以下、左門の最期の言葉なり。
約束を違えてしまい、誠に申し訳なく思う次第、願わくば 今一度、八尋殿にお会いし、この腕に抱きしめたく候。 草々”
とあった。
そして末尾に
“忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな”
と、和歌が一首書かれてあった。
これを読んだ八尋はその場に崩れ落ちた。
「あなた様にお会いできる日を心待ちにしておりましたのに。わたしを置いてゆかれるなんて……」
八尋は手紙を握りしめてしくしく泣いた。
「こんなにも殿方に恋焦がれたのは、わたしにとって初めてのこと。ひと冬もの間、思い続けた左門様を、今更忘れることがどうしてできましょう。恩返しにと思って励んでいた舞もついぞ見てもらえなかった。左門様が極楽へ逝かれたとあらば、その道中の手向けにもなりましょうぞ」
八尋はその日、左門のために舞を踊り、その様は春風に舞い散る桜のような儚げな美しさだったという。
《忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな》
(あなたに忘れられるわが身のことは、なんとも思いません。けれども、わたしを忘れないと神に誓ったあなたの命が神罰で縮みはしないかと惜しまれることです。拾遺集 右近)
おしまい