6.牡鹿
俺はトンボを前方に構えながら牡鹿を睨んだ。
~どうする。逃げるか?いや、鹿は足が速い。逃げきれないだろう。かといってあの巨体に勝てるとは思えない。いや、勝てなくても・・・。
「俺が時間を稼ぐ。お前たちは逃げろ。」
「でも先生!」
「いいからバスまで戻れ。俺もすぐに戻る。さあ早く!」
「は・はい。」
2人が走り出す気配がした。
よし「さあ、お前の相手は俺だ。」
牡鹿は突然こちらに突っ込んできた。
まともに正面から当たってはとても勝負にならないだろう。
突っ込んできた牡鹿の顔にトンボを押し当てると俺は横にとんだ。
牡鹿はまっすぐに走り、通り過ぎて止まる。
~かわすのが精いっぱいだ。
牡鹿はまた突っ込んできたが、何とかかわす。
俺は緊張と疲労ですぐに息が切れる。
「はぁはぁ。」~何とか隙を作って逃げなければ。
何度目かの突進の時、俺は足がもつれて倒れ込んだ。
~ヤバい。逃げないと。
目の前に牡鹿が迫ってくる。しかし体が言うことを聞かない。
~もうだめか。
俺があきらめかけた時、
「ビシッ!」と音がすると「キェ!」と鹿が鳴いた。
牡鹿もびっくりしたようで突進が止まる。
続けて「ピシッ!」「ドッ!」と音がし、牡鹿はその度に悲鳴を上げる。
何が起きたかわからない俺は気配を感じて後ろを振り向いた。
「先生、今のうちに。」
俺は何とか立ち上がると菜々美と朱里のほうへ走った。
菜々美が両手にたくさんの石を抱え、朱里がそれを牡鹿に投げつける。
「お前たち、どうして・・・。」
「だって先生だけ置いとけないでしょ。こう見えても打ったり投げたりは得意なの。」
「・・・。」2人が答える。いや、朱里は黙っているが。
牡鹿は何発もの石を食らって逃げていった。
「は~。うまくいったね。」
「ん・・・」
「ありがとうな。2人が来てくれなかったら、俺も危なかったよ。」
さっきはマジでヤバかったな。2人に感謝だ。
2人を軽くハグしながら頭をポンポンと叩く。
「先生それセクハラです。」
「あっ、悪い。」危険が去ってホッとしたのと、感謝の気持ちで思わずハグしてしまった。
ヘタレの俺が大胆なことをして自分で驚いた。
「ふふ、冗談ですよ。でも無事でよかったです。」
と言いながら菜々美がキュッとハグを返してきた。
「お・おい。でも本当にありがとうな。」
俺はどんな状況になってもこの子たちを守ろうと思った。
「さて、そろそろバスに戻ろう。これ以上進む気にもなれないしな。」
「はい。」「ん。」
帰りにキノコを追加しながら俺たちはバスに戻った。
約束の時間には少し早くバスに着いた。
まだ誰も帰ってきていない。
さて夕食の準備をしよう。
まず火を起こさないとな。
「2人も手伝ってほしい。薪になる枝を集めてくれ。乾いている枯れ枝がいい。危ないから2人で行動するように。」
「は~い。」「・・」
薪は2人に任せて、俺は自分のカバンを探ってライターを取り出した。
学生時代はタバコをたまに吸っていたが、教師になりやめた。
ライターはそのころから入れっぱなしだ。
俺は大きめの石を積んで即席のかまどを作ると、火の付きやすい枯れ葉や小枝を敷き詰める。
串も作っておこう。バスの工具からプライヤーを取り出す。
近くの竹やぶから竹の枝を取ってきて、余分な葉や小枝を落とす。
竹の小枝はしなりがある上に案外硬いので、プライヤーで切っていく。
2人が頑張って薪が用意できた。
かまどの枯れ葉の上に薪を組む。ライターで枯れ葉に火を着けると炎が大きくなり薪に燃え移った。
「よし、うまくいったぞ。」
火が安定すると、先ほどの串にキノコを刺して焼いていく。
そろそろ、17時。みんなが帰ってくるころだ。
「「ただいま~。」」
噂をすれば何とかで優香たち1班が帰ってきた。
「あ~疲れた~。」
「先生たちはもう帰ってきてたんだね。」
「みんな、お帰り。けがはないか?」
「こっちは大丈夫だよ。先生たちも?」
「こっちはひと騒動あったけどな。菜々美と朱里のおかげで何とか無事だった。」
「先生、真紀たちはまだですか?」優香が聞いてくる。
「うん、まだだな。とりあえず情報交換をしよう。」
俺たち3班は大きな牡鹿に襲われたこと、菜々美と朱里の活躍で助かったこと、キノコを採取できたこと、などを話した。
優香たち1班は小さな川を見つけたこと、魚や小さなカニがいたこと、動物には出会わなかったこと、などを話してくれた。
「山の中だから渓流だな。すごい発見じゃないか。」
「先生、私が水の音に気づいたんです。」楓がどや顔で主張してくる。
「偉かったぞ、明日もう一度行ってみよう。うまくいけば飲み水や食料も手に入るかもしれない。」
4人とも結果を出せて満足そうだ。
「先生、喉が渇いておなかもペコペコです。」楓は食いしん坊だな。
「さきにお茶だけ渡しておく。2班の3人を待ってみよう。」
俺たちはお茶を飲みながら今日の牡鹿はヤバかったこと、明日は魚をどうやって取るかということ、などを話しながら2班を待った。
「おかしいな、とっくに時間が過ぎている。なにかあったのか?」
「先生、私見てくる。」部長の優香が心配そうに言った。
「確かに気になるな。よし、俺と優香、桜も来てくれるか?」
「「はい」」
俺はトンボを担ぐと、優香にマイクロバスに備え付けの懐中電灯を渡した。桜は当然バット担当だ。
「みんな、火は切らさないように気を付けて、先にキノコを食べていてくれ。俺たちの分も残しておいてくれよ。なにかあったらバスに逃げ込むんだ。」
「「はい」」
俺たちは2班担当のバス後方へ進んでいった。
目印の木につけたキズと踏んで倒れた草の後を頼りにゆっくりと進む。
「また鹿でも出たらあぶない。2人とも気を付けてくれ。」
「私がホームランを打つから大丈夫だよ。」桜が軽口をたたく。
流石に200キロの鹿は打ち返せないだろうが、不安をあおっても仕方がない。
「その時は頼むよ。」
日が傾いてきた。時刻は18時を回る。
暗くなったら捜索どころではない。こちらがバスまで戻れない。
そろそろ引き返そうと思ったとき、木々や藪が途切れて目の前が開けた。
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