旋風のルスト外伝・ルスト7歳の思い出『木登りと雛と平手打ち』
「お嬢様! お嬢様!」
「どちらに行かれましたか?」
「お返事ください!」
「お願い致します!」
メイドたちの声がする。その数は4人ほどばかり。紺色の落ち着いたスカートドレスにエプロン姿、頭にはボンネット風のシルク地のキャップを被っている。
広大な敷地の中の広い庭園。
7月初旬の強い日差しは暖かさを増していた。
四人のメイドたちはその中でしきりに何かを探していた。
「見つかった?」
「いないわ」
「困ったわね」
「どうしましょう」
四人とも困り果てている。
探しているのは人間、それも一人の女の子。年の頃は7つ。何でも自分でできるようになり好奇心の赴くままに歩きたくなる年頃だ。そして――
「本当にもう、おてんばったらありゃしない」
「ちょっと目を離すとすぐどっか行っちゃうんだから」
「しっ! 家政婦に聞かれるわよ!」
「いけない」
「ごめん」
「とにかく急いで探さないと。もうすぐ家庭教師の先生が来ちゃうわよ」
――毎日のように何か起こしては周りの者を困らせていたのだ。
四人のメイドたちが焦りを見せているその場所へ、新たな人物が現れる。
「どうしましたか?」
「あっ!」
「セルテス様!」
「執事長!」
その場に現れたのは燕尾服姿の長身の男性だった。金色の髪を丁寧に撫で付けて優しい視線で女のたちを見つめていた。
「何があったのですか」
彼女達にとってセルテスは上司だ。その問いかけを無視するわけにはいかない。
「お嬢様の姿が見えないのです」
「家庭教師の先生がお見えになるまで庭で遊びたいとおっしゃるのでナーサリーメイドのご指示を仰いで四人でお連れしたんです」
その答えにセルテスは思わず問い返す。
「四人で? ですか?」
「はい!」
一人のメイドが力強く言った。
「お嬢様はとにかく好奇心が旺盛で何かに夢中になるとどこにでも行ってしまわれるので」
「それに何と言うか……、とても頭がおよろしいので、私達の考えも及ばないことをすぐになさいます」
「四人がかりでないと追いかけるのも一苦労なんです」
彼女たちの必死の答えにセルテスも右手を額に当てて思わず顔を左右に振った。
「またですか……」
セルテスも心当たりが多すぎるのだろう。思わず言葉を詰まらせる。
しかし彼とて役目がある。すぐに気持ちを落ち着けるとメイドたちに指示を出した。
「庭園とて花壇だけがあるわけではありません。お嬢様の好奇心の強さなら思わぬ方向に行かれた可能性があります」
その言葉にメイドの一人が気がついた。
「樹!」
その言葉に皆が蒼白になる。
「その可能性が高いでしょう。お嬢様は大旦那様に似て危険を顧みないところがあります。目的があればなおさらです。急いでお探ししてください」
「はい!」
セルテスの指示にメイドたちが一斉に動いた。
彼女たちも常識的な思考の中にとらわれていたのだ。つまりは動物か虫でも追いかけて、物陰に見えなくなったのだろうと。
だが事態はそれよりも深刻だった。すぐに〝お嬢様〟は見つかった。
「いらっしゃいました!」
メイドの一人が叫ぶ。残りの3人とセルテスが駆けつけたが声も出ない。なぜなら――
「お嬢様!!」
一人のメイドが大声で叫んだ。
「何をしているのですか! 降りてきてください!」
彼女たちが見上げる方には一本の大きな白樺の木。高くそびえ立つその幹の先には太い枝がある。その枝に小鳥の巣があった。その巣をめがけて白樺の樹をよじ登っている少女がいる。
夏向けのモスリン生地のワンピースドレスを身につけたその少女。
銀髪のショートカット、碧色の力強い瞳。子供らしからぬ強い意志を感じさせる顔立ちだった。
その少女は、もはや手を差し伸べただけでは届かない2階屋根よりも高いところまで行ってしまっていた。
セルテスがメイド達に指示を出す。
「従僕を何人か呼んでください。それと、シーツのような大きい布を」
「はい!」
事態は一刻を争う。返事もするのと同時に二人のメイドが走って行く。そして残された3人は少女へと声をかけた。
セルテスが二人のメイドに言う。
「あなたたちは木の幹の下で待機していてください。声かけは私が行います」
「はい」
「かしこまりました」
そしてセルテスは落ち着いた声で頭上へと声をかける。
「お嬢様、何を見つけられたのですか?」
優しく問いかける中で帰ってきたのは真剣な声だった。
「小鳥の雛が落ちたの。怪我はしていないけど巣に返さないといけない。お母さんが心配してる」
その言葉が少女の人柄を明確に表していた。
すなわち〝優しさ〟と〝正義感〟
その二つの言葉は〝行動力〟へと直結している。
木の枝の根元には草で編まれた巣があった。その中には雛たち。その近くの枝には親らしき小鳥が不安気に下を見下ろしている。
少女にはそれが、子供を心配する親に見えたのだ。
その少女に迷いというものはないのだ。
「もう少しだから」
セルテスは少女を無理に下ろそうとはしなかった。説得をしても聞く耳を持つような子ではないということは十分に知っているからだ。
見守っている間にも少女は着実に小鳥の巣へと近づいていく。
セルテスたちが、不安気に少女を見守る。
遠くから数人が息せき切って駆けてくる気配がする。
周囲の心配をよそにして、少女は目的を果たそうとしていた。だが木登りは登り切った時が一番危ないのだ。
「着いた」
そう呟きつつ、ワンピースドレスの胸元に隠しておいた小鳥のひなを取り出すとそれをそっと巣の中へと戻す。親鳥が少しばかり驚いて騒いだが、ひなが巣の中に戻るとすぐに落ち着きを取り戻し自らの子を慈しむように確かめ始めたのだ。
「これでもう大丈夫よ」
少女が安堵してそう漏らした時だ。
気持ちの緩みが足を滑らせたのだ。
――ズルッ――
そう聞こえるような動きだった。一度滑れば後はもうどうすることもできない。木の幹の表面を滑りながら真っ逆さまに落ちていく。
シーツを持った数人の男達が急いで駆け寄るが間に合わない。即座に動いたのはセルテスだった。
「お嬢様!」
真下で待ち構え両手を広げて、少女を受け止める。まだ小柄な体の7歳の少女とはいえ高所から落ちればその衝撃は相当なものになる。
少女とともに彼も怪我をすることになったのだ。
「セルテス様!」
「執事長!」
頭を強く打ったのか額から血が流れている。姿勢を崩して後ろへと倒れこみ、その上に少女を受け止めていた。
気を失ってはいたが致命傷にはならなかった。
「私は構いません。それよりお嬢様を」
「はい!」
もちよられたシーツと毛布で怪我をした少女の体を包む。落下の衝撃から少女は気を失っていた。
屋敷全体が騒然となる中で少女は屋敷の中へと運ばれていった。
無謀な木登りがもたらしたものは、小鳥の親子の再会だけではなかったのである。
邸宅の中の2階の少女の寝室。その上に医者の治療が施された少女が寝かされていた。
額と体の至る所に包帯が巻かれている。落下してる最中、木の幹に当たり手酷い傷を負ったためであった。また左腕の上腕には石膏で作られたギブスが当てられ固定されていた。それは明らかに骨折の治療に用いられるものだった。
治療一通り終えて医師が去っていく。
去り際にその医者はセルテスに告げた。
「派手な切れ方をしたので大怪我をしたように見えますが、傷はそんなに深くはありません。むしろ骨が折れたことで発熱をするでしょう。命に別状はありませんが今夜一晩は痛みが続くと思います」
そう言い残し謝礼を受け取ると医者は立ち去った。
あとに残された少女の看病を、あの四人のメイドたちが自ら申し出た。曰く、お嬢様を見失ったことが今回のことを引き起こしたのだと言った上で。
致命傷ではないといえど骨折は骨折、発熱もするし痛みもある。
痛みの山場は深夜で、それを過ぎると疲れ果てたようにまた眠る。額にかいた油汗を拭き取り、寝具をかけ直してやる。
意識は朦朧としており、時折うなされたように水を求めた。
それから一晩、夜を徹しての看病が続き、落ち着いた頃には夜は終わり朝日が昇り始めていた。
「もう大丈夫ね」
メイドの一人が呟いた。寝ずの番の夜はようやくに終わりを迎えようとしていたのだった。
朝一度、少女は目を覚ました。まだ痛みはひどかったが耐えられる痛みだった。パンとミルクで簡単な食事を済ませると、再び眠りに落ちていく。それからさらに時計が正午を告げようとした時だ。一人の人物が姿を現した。
メイドたちや使用人たちが壁際に控えて頭を下げて最大限の礼儀を示している。その女性は彼らへと声をかける。
「ご苦労です」
そう声告げて、妙齢の女性は少女の方へとまっすぐに向かう。
早めの昼食を食べ終えた少女は再びベッドの上にて軽く上半身起こしていた。来訪者の存在に気づくとこう声をかけてきた。
「あ、お母様」
そう問いかけたが、張り詰めたような表情の母親――ミライルは何も答えない。そして右手を振り上げると、
――パアンッ!――
ひときわ高く平手打ちをしたのだ。
「あなたは、自分が何をしたのかわかりますか?」
「お母様?」
少女は自らの母親が怒りをあらわにしていることにすぐに気づいた。だが自分の何が間違っていたのかは、理解できていなかった。
母ミライルは言う。
「小鳥の雛を巣に戻したそうですね?」
「はい」
「それは結構。命を助ける行為はとても尊いものです。ですが、あなたのその行動によってどれだけの迷惑がかかったのかわかってるのですか?」
母は少女を甘やかさなかった。一人の人間として問いただしたのだ。
「あなたの下敷きになりセルテスが頭を針で縫う大怪我をしました。それから、庭を散策することの許可を出したナーサリーメイドが責任を問われ減給処分となりました。さらにはあちらで控えている四人のメイドがあなたを寝ずの番で看病していました。そして何より、数多くの皆が心配していたのですよ?」
真剣な表情で語られる言葉に少女は言葉もなかった。そして母は言った。
「思い出してごらんなさい。鳥の雛の親は、その雛をどういう思いで見つめていましたか? 無事であるようにとその身を案じていたはずです。ならば、あなたが自らの身を顧みずに危ないことをするたびに、皆がどれだけ案じてくれているか分かるはずです!」
真剣な表情と真摯な言葉の裏側には、命に別状がなかったことへの安堵と、親としての身を案ずる思いが滲み出ていた。そして少女は気づかされた。
「ごめんなさい――」
自分がどれだけ無謀な行為をしていたかということを。
「ごめんなさい」
少女の目から涙が溢れてくる。母ミライルは自らが纏っているドレスの袖の端でその涙を拭ってやった。
「分かればいいのよ。お願いだからこんな危ない真似は二度としないでちょうだい」
そしてその両手で我が子をそっと慈しむように抱きしめた。彼女の腕の中で少女はすすり泣いている。
そしてたった一言――
「はい」
そう答えたのだった。
それからすっかり傷も癒えたのは夏を過ぎた9月頃のことだった。少女はある思いを幼いながらに抱いていた。
――人を助けるには自分には足りないものがたくさんある――
ならばその足りないものを学んで鍛えて身につけなければならない。そうだ、そのための道を進もう。
少女はある決意をした。
「お母様、私は正規軍の学校へと進みたいと思います」
どうしたらそういう決断になるのか。周囲は言葉を失いただただ驚くしかなかった。ただ母だけは少し困ったように微笑みながらこう答える。
「あなたがそう決めたのならば、やりたいようになさい。あなたは一度決めると曲げないものね」
母は分かっていた。目的を決めたのならば絶対に曲げない子だと。
「ありがとうございます」
母の同意に少女は笑顔で感謝する。だが彼女は気づいていなかった。母はその胸の内に抱いた小さな寂しさを。
一般の幼年学校なら通学という形を取ることができる。だが、軍の学校は幼年学校といえど寄宿生活なのだ。
親元を離れ、全てを自らの才覚で決めなければならない。それは少しばかり早めの親元からの巣立ちだった。
少女、エライア・フォン・モーデンハイム、7歳の時の出来事であった。
長編本編
旋風のルスト 〜逆境少女の傭兵ライフと、無頼英傑たちの西方国境戦記〜
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現在最終章となる第4章帰郷編を展開中です