平成文化研究所
アフリカで発見された新種のソーセージの木。その実に潜んでいた未知のウィルスは、ヤマト遺伝子をもつヒューマンにのみ猛威をふるった。感染すると、三日を待たずして命を絶たれる。
ソーセージと名づけられた恐怖のウィルスは、またたく間に世界中に広まった。95%の日本人が死に至り、そして、残り5%の『日本人』を、次なるステージに引きあげた。
そんなパラレルワールドの未来からやってきたという、十五歳くらいの少年が、私の部屋でうすい緑茶を飲んでいました。
私が少年の話を信じる気になったのは、少年が、私の目の前で『脱皮』してみせたからです。じつに誇らしげに、
「肌、ツルツルでしょ?」
と自慢されましたが、心臓バクバクの私は、「とりあえず服を着ましょうか」、としか返せませんでした。髪の毛まで脱皮というのは意味がわかりませんが、それが『異能力』というものなのでしょう。
なぜ、パラレルワールドの未来人が私に会いに来たのか。
どうやら向こうの世界の私は、歴史の教科書に名前が載るような、有名人であるようです。ソーセージウィルスに感染した私は、運よく5%の生存者のなかに入り、『time goes by』という異能力を獲得したとのこと。そして、回想録を書くのが得意になったとのこと。
ほんとうに意味がわかりませんが、95%もの日本人が同時期に亡くなり、その後の騒動により、記録媒体もほとんどが破損して、多くの文化が消滅したなか、私の書いた回想録が、いまはなき文化を文章で伝えていたといいます。
騒動というのは、『聖職者』による弔いが終わったあとに起こったそうです。
異能力を獲得した『日本人』たちを、諸外国の人々が脅威に感じたのは無理からぬこと。恐れ、排斥し、ついには武器を手にして攻撃をはじめました。
敵は世界の大国。
どんな異能力であれ数の暴力には勝てない。
かと思いきや、『内部犯行』により自壊を重ねた結果、大勢は決したそうです。
すべての人が差別に加わったわけではなく、『日本人』たちも世界征服など望んではいません。多くの人々が平和を望んでいたはずでした。
しかし『日本人』撲滅を訴える、一部の過激派がテロリストとなり、最悪の結果を招きました。テロリストの暴虐によって恋人を失った『平成アポカリプス』さんが、復讐に心を奪われ、世界に天変地異を引き起こしたのです。
なんという悲劇でしょうか。そんなラジオネームのような異能力によって世界が崩壊したのかと思うと、うまく悲しむこともできません。
天変地異が起きたというのに、なぜ私のような文科系異能力者が生きのびられたか。それは『安全第一』や『備えあれば患いなし』といったサバイバル系異能力者たちのおかげだったそうです。
崩壊後の世界で、人々は互いに協力しあいました。
そして平和な世界を築き、新しい文化を花ひらかせていきました。
いまでは宇宙を旅し、タイムトラベルを実現するほど発展したそうです。
興味深い文明が満開のご様子ですが、向こうの世界からすると、こちらの世界の文化、つまり崩壊以前の文化が、たいへん興味深いようなのです。
歴史ロマンというやつでしょうか。
ロマンを追求した結果、『旅人』『清掃人』『生き物係』が過去に戻り、歴史を改変してパラレルワールドを誕生させたそうです。
「そんなわけで、こちらの世界のソーセージウィルスは完全に駆除されています」
安心してくださいね。と言った少年の瞳はとても美しくありましたが、なんとなく、未来人怖いな、という印象を抱いてしまいました。
現在、タイムトラベルを許可された、優秀な研究者たちが、秘かに来訪しているそうです。
少年もまたその一人で、現地協力者として、私に協力を求めてきました。
親しみをおぼえる歴史的な偉人、と評されては断るのも難しいものがあります。狭小住宅ではありますが、少年ひとりを滞在させることなら可能です。報酬もいただけるとのことなので、一週間ほどのホームステイを許可しました。
少年は、大学で平成文化を学んでいるそうです。
いずれは「長期放映アニメキャラの声がわりについて」という難題に挑み、論文を執筆したいと息巻いていました。
てっきり未来の記録媒体を使用するのかと思っていましたが、利権が発生するため、トラブル防止のために、使用禁止というルールだそうです。あくまでも研究目的のタイムトラベルなので、下手な外出も厳禁といっていました。
そんなにペラペラしゃべっていいのかと問いましたが、帰るときには記憶を消去するので問題ないと言っていました。やっぱり怖いな、と思いましたが、私がレンタルしてきたアニメDVDを、夢中になって楽しんでいる無邪気な少年をみていると、まあいいかなと思ってしまいました。
少年の楽しみのひとつが食事でした。
ごくごく一般的な料理に、おどろくほどの感動を覚えるようです。
そうなると私も嬉しいので、いろいろと考えてしまうのですが、三日目になると手抜きもよいかと思い、コンビニでいろいろと購入しました。
「おでん? おお……これがニッポン人のソウルフード、おでん……」
少年はぷるぷると震えていました。
期待に胸を膨らませた少年は、しかし、コンビニの袋をみて硬直しました。
「……おでんといえばサークル○では!? ……そんな、教科書と違う!!」
少年は叫び、訴えました。
らーめんのこい○、ちび○のおでん。これまでの歴史研究において、それが常識であり、定説中の定説。それが崩れたとなれば、いったい何を信じればよいのかと。そして、
「平成というより昭和ですよね」
という私の何気ない一言が、彼の世界観を完全に破壊してしまったようです。なにが地雷になるかわからない、異文化コミュニケーションの難しいところです。
ショックのあまり脱皮しかけていた少年を、私は叱咤しました。
「君は研究者です。探究者です。それがどんなに受け入れがたいものであったとしても、ありのままの事実を認めなければなりません。君はいま、秘められていた歴史の真実を知ったのです。それは君にとって喜ぶべきこと、誇るべきことではないのですか」
奮い立たんとする少年がいました。私は懸命に励ましました。私の書いた回想録が歴史の教科書に少なからぬ影響を与えている可能性を考慮すると、懸命に応援したくもなります。
元気になった少年は、コンビニおでん進化論というレポートを書きあげたようです。専門外であり、予定とは異なりますが、これでも論文の執筆は可能で、博士号をとれるとのこと。
常識という高い壁を乗りこえた少年は、残りの滞在期間中、アニメだけにとどまらず、多くの平成文化にふれました。最後のほうはボカロ楽曲にはまり、みっくみくになっていました。
よほど楽しかったのでしょう。
みっくみくの少年は、私の記憶消去を忘れたまま、私の前から姿を消しました。
それから一週間が過ぎたころ、こちらの世界のビジネススーツを完璧に着こなした、二十代くらいの美しい、甘い香りのする女性が私の前にあらわれました。
『小悪魔』という異能力をもつ、タイムトラベルの管理者だそうです。
ミスをした少年を監禁投獄、私の記憶を消去する。そんな話かと思いましたが、それほど殺伐とした雰囲気ではありません。
彼女も少年と同じく、緑茶に感動をおぼえた様子でしたので、
「いくらでもどうぞ」
とおすすめしたところ、これも少年と同じく、新しい茶葉の追加を断り、
「これが、出涸らしというものか……」
などとつぶやいておいででした。
小悪魔というより女騎士。そんな雰囲気であった女性が、赤面しつつ、甘い香りを振りまきながらトイレに出向いたとき、私は自分が書いたという回想録の影響について、思いを巡らせるほかありませんでした。
彼女がうすい緑茶をちびちび飲みながら説明するところによると、私の記憶を消去しなくてもとくに影響はないらしく、また少年の功績も大であったことから、現地協力者として、文科系の研究者を定期的にホームステイさせてほしい、との要請があるようです。
それなりの報酬もいただけるようなので、引き受けることにしました。
諒解であると伝えると、彼女は私をともなって外に出て、家の門扉になにやら細工を施しました。こちらの世界の住人にはわかりませんが、「平成文化研究所」という目印をつけたそうです。
「これで、任務は完了だな」
仕事を完了したからには、すぐに帰るとのこと。なので、お土産に茶葉を持って帰ってもらおうと思ったのですが、
「やめて! わたしを誘惑しないで!!」
と、いきなり可愛らしいことをいいだして、姿を消してしまいました。
お持ち帰りは禁止事項に触れるのでしょう。追い払ってしまったようで悪い気がしましたが、管理者さんなので、おそらく、また会えるでしょう。何食わぬ顔で、もとの男前な女性に戻っていることを期待しています。
とりあえず私は……そうですね。
自分が回想録に書きそうな飲食物について、考えることにしましょう。